Chajinの 徒然フォトブログ -57ページ目

Chajinの 徒然フォトブログ

「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

信州晴れマークを見極めて高ボッチ高原、幾度も訪れる美ケ原高原を訪れました。

高ボッチ第2駐車場見晴らし台から、松本平と北アルプス。 乗鞍、御嶽、穂高、槍など
上部が全て雲に包まれていました。



第2駐車場から徒歩で10分ほど高ボッチ山頂上。





高ボッチ山頂上からの絶景と言われる諏訪湖と富士山の景色ですが、この日、富士山は頭を出した
のみ。










高ボッチ山から高ボッチ高原。 この日は緑に包まれた草原の美しさもあり、空に流れる雲の美しさは
今まで見たことがないものでした。 訪れていた方10名ほどでしたが、皆さん、空の美しさが
素晴らしいと声を上げておられました。




高原の景色を満喫するとともに、登山道に生える花々との出会いも嬉しいものです。

   アキノキリンソウ(秋の麒麟草、キク科)


 ヤマハハコ(山母子、キク科)





サクライウズ(トリカブト、鳥兜、キンポウゲ科)。




ヤマラッキョウ、花火を思わせる花。



草原一面に咲き誇るノコンギク(野紺菊)。







高度1600m、涼しい風が吹き抜け、山の楽しさは訪れた時見せてくれる景色が毎回異なる
ところです。

ここから1時間半ほど、こちらも何度も訪れる美ケ原高原へ向かいます。


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9月21日、4連休の敬老の日、そばの里荘川のそばが満開と聞き出かけました。

東海北陸自動車道は最初(一宮)から渋滞が続き、ひるがのサービスエリアに入る車で
数キロの渋滞ができるなど、過去に祝日に出かけた際でも経験したことがないほどの
人出でした。

TVニュースでは日本中の観光地が以前を超すような人出で、コロナ禍による巣籠りが
一気に弾けた感がありました。
これで10日から2週間後に感染者が増えなければ万々歳ですが、如何でしょう。

高齢の私は商売もあって人混みには近づきたくはありません。家内は旅行には付き合い
ませんし、レストランなどへ入るのもお断り、電車に乗るのもダメ、私と又は自分で車で行ける
ところしか出かけません。
岐阜県知事も名古屋への通勤、食事会、飲み会、夜の街での感染が原因の殆どなので
気を付けるよう、できるだけ避けるように警告を発しておりました。


そばの花や景色を楽しむ人は全くありませんでしたが、荘川道の駅や名高いそばの店は
小一時間待たないと店へはいれない程。車は東海、信州、関西、関東とバラエティに富んで
いました。


荘川は稲の黄金色とそばの花の純白に包まれていました。













黒い実も所々に見られましたが、10月中旬過ぎに刈り取られて新そばになります。

そばの里荘川は自然に恵まれた高原で栽培された味と香りの素晴らしい「そば」と言われて
います。

そばを挽くのにも使われる五連水車。一番大きい水車は直径13m。






隣の庄川の流れ。庄川は御母衣ダムを経て白川郷の村中を流れ富山湾へ注ぎます。










山と川で平地の少ない荘川、どこでもそば畑を見ることができます。
そばは荒れ地にも育ち、あまり手を掛けなくても良い作物です。






東海北陸自動車道橋脚下のそば畑。



そばの花を楽しみ、おいしいそばを頂くのが楽しみで出かけるのですが、1時間も並んで待つ気にも
なりません。 人気の五連水車の隣の「心打亭」、もう一軒の「蕎麦正」も同じ状況でした。

1カ月半ほど前、私一人、貸し切りで頂いた心打亭のそば、イワナ定食。そばの味の好みが定まらない
私ですが、それでも美味しいそばでした。




長良川を下ると川沿いに数軒の鮎を獲るヤナと言う鮎料理店がありますが、こちらも満員であったり
売り切れ閉店であったり、ついにお昼にありつくことなく帰宅しました。


GO TOキャンペーンもあって日本中観光客が押し寄せた4連休でしたが、この後、感染者が
爆発的に増えませんように祈るばかりです。



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はじめに浜名湖を一望できる標高113m、大草山を訪れます。
目の前は東名高速道路の浜名湖橋。 もっとも当地揖斐川の徳山ダムの貯水量は
浜名湖のおよそ2倍と言われます。




舘山寺温泉街、レジャー施設から日本唯一、湖を渡るロープウエイ。



左手が大草山



舘山寺

平安時代・弘仁元年(810)、弘法大師が高野山より仏道行脚の際、当地を訪れて修行し、開創。
旅する人々の心を清める寺として山紫水明のこの地を選んだと言われています。

明治の廃仏毀釈の後、真言宗から曹洞宗の寺院になり現在に到る。

舘山寺の参道が温泉街、商店街になっています。私も観光旅行、研修会などで何度も訪れて
いました。







舘山寺から浜松市、浜松城へ向かいました。



家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、
城下町の形成を進めた。

元亀3年(1573年)、武田信玄がこの城を攻める素振りを見せながらこれを無視するような行軍をして
家康を挑発。家康は浜松城から打って出たが、武田軍の巧妙な反撃に遭って
敗北を喫した(三方ヶ原の戦い。なお諸説有り)。
三方ヶ原の戦いでは徳川軍の一方的な敗北の中、家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、
僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。

その4年後の天正14年(1586年)、家康は浜松から駿府に本拠を移した。家康の在城期間は
29歳から45歳までの17年になる。

徳川家康が築いて居城した城で「出世城」と呼ばれる。
 歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。
  明治4年に廃城となり 天守閣は1958年に復元された。














最上階は見晴らしは良いものの、太い金網で覆われていて写真は撮れませんでした。



三方ヶ原古戦場跡。 この広大な地は浜松市の三方原墓園となっていて、碑が残るのみ。







その後、龍潭寺(臨済宗妙心寺派)へ向かいました。 こちらは三度目になります。

井伊氏は平安時代より戦国時代まで600年間井伊谷を中心に遠州地方を治めた領主。
24代井伊直政が彦根に移り、今日まで通算千年を数えます。
龍潭寺は井伊家代々の御霊をお祀りする菩提寺です。

戦国時代に入り井伊家は受難の連続で、今川義元に従って出陣した二十二代直盛は桶狭間で
戦死、後に養子直親が今川の手で殺害され、やむなく龍潭寺の南渓和尚は直盛の娘、次郎法師
を井伊直虎として井伊家の急場をしのぎました。(大河ドラマの女城主直虎で知られる)

そののち、二十四代直正が浜松城で家康に仕え井伊家を再興しました。








井伊家歴代墓所。 左列奥から二番目が直虎の墓碑になります。









本堂前庭園








小堀遠州作、国指定名園。










初めての浜松城でした。



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竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)の国宝「唐門」の改修が5月に完成したと聞いて、2週間ほど前に
なりますが訪れました。

長浜港の出航時間に1時間少しあり、かねてから湖岸道路を走りながらいつも見て、湖岸のホテルで
宿泊して広大な豊公園の長浜城址を眺めたこともありましたが、今回初めて熱夏の中でしたが
訪れてみました。


天正9年(1573)9月、浅井長政滅亡後、湖北を支配したのは羽柴秀吉でした。姉川合戦と
小谷城(おだに)攻めで手柄を上げた秀吉はその功績により信長より浅井氏の領国の
大部分を与えられ小谷城へ入りました。翌天正2年には今浜に築城を始めていました。
琵琶湖の舟運を重視したものであると思われるものの、当時の絵図や文書は殆ど残されて
いないようです。

長浜城は天正10年(1582)には清須会議で柴田勝家に譲られ、勝家の甥、勝豊が入城
したが、はやくもその年の12月、秀吉は勝豊を攻め、翌年4月の柴田勝家との賤ヶ岳合戦に
際してはその軍事拠点とした。天正13年(1585)から18年まで山之内一豊が城主となり
その後掛川城への移封後は荒廃しました。
湖北は佐和山城の石田三成の支配下に入り、徳川時代に入り彦根城の支配になり
その使命を終えました。
今の長浜城歴史博物館は昭和58年(1983)に再興されました。


豊公園の北端、琵琶湖畔の長浜城址、秀吉銅像が建てられていました。









入場には手指消毒、検温とコロナ対策を徹底されていました。

豊臣秀吉






最上階からは琵琶湖から伊吹山まで360度を見渡すことができました。











長浜港から船で30分余り、100人ほどの定員の船に15人程でしたでしょうか。

竹生島港



船上から都久夫須麻(つくぶすま)神社。



港から新しくなった唐門を望む。




宝厳寺本堂まで165段、暑い中、厳しい急石段。



本堂(弁財天堂)。



日本五弁天とは、厳島、奈良天川、竹生島、江の島、陸前黄金山(金華山)とされます。




重要文化財 鎌倉時代作、五重石塔。

 





三重塔


国宝唐門、重文観音堂。



この唐門は京都東山の秀吉の豊国廟にあったものを慶長7年(1602)に豊臣秀頼の命により
移築されたと伝わる。



和尚さんに6年がかり、五月に完成したばかりですと伺いました。





宝厳寺から都久夫須麻(つくぶすま)神社への渡り廊下は秀吉の御座船(日本丸)を利用して
建てられたと伝わる、重文「舟廊下」。 幅約1,8m、長さ30m





国宝 都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿。




拝所から琵琶湖へ向かう鳥居へかわらけを投げ、鳥居を通ると願いが叶うと伝わる。


竹生島港から長浜港へ帰ります。




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地元新聞でひるがの高原リゾート、ピクニックガーデンでペチュニアの改良品種「桃色吐息」が
見頃との記事がでて訪れてみました。
およそ1000mのスキー場の山頂のリフト周辺に国内最大級の4万株が植えられています。






おなじペチュニアですが「粋な小町」と名付けられています。



こちらはサンビリーバブル(1000輪咲きひまわり)。




正面は1709mの大日ケ岳、東海、関西からスキー客が訪れる名高いスキー場です。 
テラス席で高度1000mほど、涼しい秋風を受けながらカフェのフラッペを頂きながら
しばしのんびりさせて頂きました。

こちらは冬は家族向け、初心者向けのスキー場になります。 大昔の学生時代にスキーに訪れて
でんぐりかえって首をねん挫してしばらく痛い思いをした地です。




山を下りて夫婦滝。高さ17m、長良川源流の名瀑です。



駐車場から滝までは200m程、道沿いに「水引草」が群生していました。 四月頃には「猫の目草」の群生が見られます。




海抜900mほど、ひるがの湿原植物園は訪れる人もありませんでしたが秋の七草はじめ、
珍しい秋の花々を楽しむことが出来ました。


秋の七草から。

尾花(ススキ)



少し早い萩(ハギ)



桔梗



女郎花(オミナエシ)



女郎花と色違い、男郎花(オトコエシ)



撫子



藤袴(フジバカマ)


葛(クズ)

クズは野原や空き地に根を張りめぐらす迷惑な雑草ですが、めったに花を見ることがありません。
根、芋を掘り起こして葛餅などの葛が作られます。




ひるがの高原を訪れるのは殆ど毎年4月末頃、水芭蕉との出会いを求めてですが、湿原植物園では
上記の秋の七草を始め珍しい花々を楽しむことができました。

コスモス(秋桜)は字の如く秋の花の代表格。




ワレモコウ。 高山の花に比し背丈が高い。


マツムシソウ  美ケ原で出会ったのが初めてでしたが、2000mの強風の中の岩の間で見つけた
可憐な花に比し背丈も高くすこしイメージが違いました。



シラヒゲソウ、初めての出会いでした。



サワギキョウ



ミズギク




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