はじめに浜名湖を一望できる標高113m、大草山を訪れます。
目の前は東名高速道路の浜名湖橋。 もっとも当地揖斐川の徳山ダムの貯水量は
浜名湖のおよそ2倍と言われます。
舘山寺温泉街、レジャー施設から日本唯一、湖を渡るロープウエイ。
左手が大草山
舘山寺
平安時代・弘仁元年(810)、弘法大師が高野山より仏道行脚の際、当地を訪れて修行し、開創。
旅する人々の心を清める寺として山紫水明のこの地を選んだと言われています。
明治の廃仏毀釈の後、真言宗から曹洞宗の寺院になり現在に到る。
舘山寺の参道が温泉街、商店街になっています。私も観光旅行、研修会などで何度も訪れて
いました。
家康が元亀元年(1570年)に曳馬城に入城し、浜松城へと改称。城域の拡張や改修を行い、
城下町の形成を進めた。
元亀3年(1573年)、武田信玄がこの城を攻める素振りを見せながらこれを無視するような行軍をして
家康を挑発。家康は浜松城から打って出たが、武田軍の巧妙な反撃に遭って
敗北を喫した(三方ヶ原の戦い。なお諸説有り)。
三方ヶ原の戦いでは徳川軍の一方的な敗北の中、家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、
僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。
その4年後の天正14年(1586年)、家康は浜松から駿府に本拠を移した。家康の在城期間は
29歳から45歳までの17年になる。
徳川家康が築いて居城した城で「出世城」と呼ばれる。
歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。
明治4年に廃城となり 天守閣は1958年に復元された。
歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。
明治4年に廃城となり 天守閣は1958年に復元された。
最上階は見晴らしは良いものの、太い金網で覆われていて写真は撮れませんでした。
三方ヶ原古戦場跡。 この広大な地は浜松市の三方原墓園となっていて、碑が残るのみ。
その後、龍潭寺(臨済宗妙心寺派)へ向かいました。 こちらは三度目になります。
井伊氏は平安時代より戦国時代まで600年間井伊谷を中心に遠州地方を治めた領主。
24代井伊直政が彦根に移り、今日まで通算千年を数えます。
龍潭寺は井伊家代々の御霊をお祀りする菩提寺です。
戦国時代に入り井伊家は受難の連続で、今川義元に従って出陣した二十二代直盛は桶狭間で
戦死、後に養子直親が今川の手で殺害され、やむなく龍潭寺の南渓和尚は直盛の娘、次郎法師
を井伊直虎として井伊家の急場をしのぎました。(大河ドラマの女城主直虎で知られる)
そののち、二十四代直正が浜松城で家康に仕え井伊家を再興しました。
井伊家歴代墓所。 左列奥から二番目が直虎の墓碑になります。
本堂前庭園
小堀遠州作、国指定名園。
初めての浜松城でした。

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