長浜城趾から竹生島   令和2年9月 | Chajinの 徒然フォトブログ

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「何でも見てやろう」を基本に、健康維持のウォーキングを兼ねて写真を楽しんでいます。 ..............................................   一期一会

         

竹生島の宝厳寺(ほうごんじ)の国宝「唐門」の改修が5月に完成したと聞いて、2週間ほど前に
なりますが訪れました。

長浜港の出航時間に1時間少しあり、かねてから湖岸道路を走りながらいつも見て、湖岸のホテルで
宿泊して広大な豊公園の長浜城址を眺めたこともありましたが、今回初めて熱夏の中でしたが
訪れてみました。


天正9年(1573)9月、浅井長政滅亡後、湖北を支配したのは羽柴秀吉でした。姉川合戦と
小谷城(おだに)攻めで手柄を上げた秀吉はその功績により信長より浅井氏の領国の
大部分を与えられ小谷城へ入りました。翌天正2年には今浜に築城を始めていました。
琵琶湖の舟運を重視したものであると思われるものの、当時の絵図や文書は殆ど残されて
いないようです。

長浜城は天正10年(1582)には清須会議で柴田勝家に譲られ、勝家の甥、勝豊が入城
したが、はやくもその年の12月、秀吉は勝豊を攻め、翌年4月の柴田勝家との賤ヶ岳合戦に
際してはその軍事拠点とした。天正13年(1585)から18年まで山之内一豊が城主となり
その後掛川城への移封後は荒廃しました。
湖北は佐和山城の石田三成の支配下に入り、徳川時代に入り彦根城の支配になり
その使命を終えました。
今の長浜城歴史博物館は昭和58年(1983)に再興されました。


豊公園の北端、琵琶湖畔の長浜城址、秀吉銅像が建てられていました。









入場には手指消毒、検温とコロナ対策を徹底されていました。

豊臣秀吉






最上階からは琵琶湖から伊吹山まで360度を見渡すことができました。











長浜港から船で30分余り、100人ほどの定員の船に15人程でしたでしょうか。

竹生島港



船上から都久夫須麻(つくぶすま)神社。



港から新しくなった唐門を望む。




宝厳寺本堂まで165段、暑い中、厳しい急石段。



本堂(弁財天堂)。



日本五弁天とは、厳島、奈良天川、竹生島、江の島、陸前黄金山(金華山)とされます。




重要文化財 鎌倉時代作、五重石塔。

 





三重塔


国宝唐門、重文観音堂。



この唐門は京都東山の秀吉の豊国廟にあったものを慶長7年(1602)に豊臣秀頼の命により
移築されたと伝わる。



和尚さんに6年がかり、五月に完成したばかりですと伺いました。





宝厳寺から都久夫須麻(つくぶすま)神社への渡り廊下は秀吉の御座船(日本丸)を利用して
建てられたと伝わる、重文「舟廊下」。 幅約1,8m、長さ30m





国宝 都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿。




拝所から琵琶湖へ向かう鳥居へかわらけを投げ、鳥居を通ると願いが叶うと伝わる。


竹生島港から長浜港へ帰ります。




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