昨日、僕が所属する第一スタジオの運営について考えた


まずやらなくてはならないことを片っ端から書いてみた


こんなにあるのか


少し嫌になる


次に第一スタジオのメンバーの役割分担を仮想シュミレーションしてみた


うんうんだいぶ整理できてきた


スタジオ運営に何が必要かも少し見えてくる


みんなの成長を考えて役割分担することが大切なんだな


だいたい役割分担が見えてきたところで最初に出した「やらなければいけない

リスト」を見て、誰と一緒に仕事をしたらよいか考えてみる


ひとりでやるのと協力してやるのとではぜんぜん心の負担が違う


気付いたらひとりでやる仕事は1/3くらいに減っていた


まあもちろん仕事を依頼して断られることも想定しておかないとね


今やっていることは俳優というよりプロデューサーだが


肩書などこの際どうでもいいのだ


新しいアイデアを次々と生み出し相手のアイデアとコラボする


これもまた創造である


考えると見えていないことがまた見えてくる


ああ女の子とも遊びたい


ロシア語も勉強しよう


音楽もやりたい


ヨーロッパ、ホロコースト探求


考えるとはがんじがらめになることではなく、徹底的に鮮明にしていく事だと思う






今は俳優として僕は生きている


が本当は


あと10年ニーチェに出会うのが早かったら哲学科に進んで

哲学を専攻して哲学家になりたかった


もちろんニーチェのことを語れるほど彼の事を知っているわけでもないのだが


逆に言うと彼の作品は、20代後半、それまで哲学のての字もしらず、片手間の手習いで

哲学にかじりついた僕でも読んでいてなんとなく腑におちていくそんな文章だった


善悪の彼岸


この作品はすさまじい言葉のオンパレードだ


今本を見開いてみる


あったあった


「哲学者は必然的に明日、明後日の人間であって、常に今日とは反撥する。

今日の理想が常に彼の敵であった」


最近悲劇の誕生という作品を読んでいる


演劇とも大変関わりが深い作品で前から読んでみたかった


彼の作品を読んでいるとすべてをさらけだして生きたくなってくる


ニーチェを指して、よくニヒリズムだ虚無だという人がいるが


そういう人は俺以上に何もわかっちゃいない


現在の生を否定しきるところから本当の生がはじまることをニーチェは教えてくれる


何を言いたかったんだったっけ


あ、そうそう


大震災から1週間がすぎ去った


余震はまだ続き


放射能の不安もあり


電車はまだ運休があるようだが


この週末は計画停電もなく


東京は震災前とあまり変わらないようにも見える


もしそうなら嘘だ


確実に東京に住む人の心に何かを残したとそう信じたい


だが悲しくなるのは


必要以上に死を恐れ、身勝手なことをする人たち


風評にまどわされて、流言飛語する人たち


ここぞとばかり金儲けに走る人たち


彼らにとって生きることとは一体何なのか


死が怖いのか


国が憎いのか


金が絶対なのか


みんなの気持ちは僕もすべてよくわかる


しかし人間って本当にそんなものなのか


そんなにちっちゃいのか


現実も大切だ


死を恐れるからこそ生きる力もわく


しかしその力を何に生かすのだ?


そもそも本当に自分が生きているのか疑問にもったことはあるのか?


日本人の助け合いの精神とか不屈の精神とか賞賛されている面もあるが


なんというか勇気がない


幹のように太い己を忘れていやいないか


己を知る


ああなんと単純でああなんと困難に満ちた言葉だろうか



昨日劇団の飲み会で、アリストテレスのエネルゲイアについて語った人がいた


こんなことが話題にあがるのもすごいが


気になったので調べてみたが


簡単にいうとポテンシャルとして存在するエネルギーをすべて活動させること


これのみが人間に与えられた本当の現実である


本当に生きるとは何か?そして死は存在するのか?


これが僕たちの、すくなくとも僕が演劇に対して抱える大きな課題である


勇気ある生に挑戦した人間が自分としての存在を全うし地に墜ちた時


死の鳥は高らかな賞賛の羽ばたきとともにこたえるであろう


こんなことをニーチェが言っていた・・・ような気がする


己を知ることで死が存在しなくなることを証明しよう


それは魂の探求の中にしかありえないと確信している








昨日は疲労困憊でストレスもたまっていてすぐに寝た

5時に目が覚める

起きた瞬間家が揺れる

押入れに逃げ込む

揺れは短かった

しかし俺の心の揺れはどうにも止まらない

俺の心はこんなにももろかったのか

命がとまることへの恐怖

昔うつになってどうしようもなかった頃のことが頭をよぎる

何をする気にもなれない時間がしばし続く

どうやら今の俺には誰かを救うほどの余裕はまだない


地球にも自分自身にも俺たちはどれだけの無理をさせてきたのか

地震は地球の心の叫びだ

今はその声を聴き続けるしかない

余震は怖い、不安にもなるが声を発してくれるだけましだ


これから何があるかわからないが

毎日精一杯生きよう

そして無事大きな困難を乗り越えたなら

もうとことん自分に正直に生きようと思う


ほんとうにすごい地震でしたね。海外旅行保険の事故受付のオペレー
ション中にものすごいゆれがきて、一度電話を切らせてもらって机の
下に避難しました。建物が5Fだったので、崩れたらやばいとは
思いましたが、怖かったけど、なぜか緊張感がないくらい、リラックス
してました。

いまだ、バイト先です。地震による旅行キャンセルによる解約
の電話が入ってきています。こういうときにこそ役にたつのが
保険だと思うのですが、海外旅行ではあまり役にたつ余地がない
ようです。でも、このような緊急時にもっと役にたてるようとり
くめるなら、本当にいい仕事だなと思います。

今日はどこで眠ろうか、何を食べてすごそうか、みんな不安そうです。
今、いろいろな矛盾を感じて頭が整理できていません。
まあ僕にできるのはみんなと酒を飲み交わしてバカなことをいうくら
いのようです。

今回の地震は人生初めて経験する大災害で、ほんとうにびっくりし
ましたが、日本、世界に起こる自然の災害を見つめてきて、やはり
東日本にもついに来たかという感じもしました。
まだ余震が続いています。
亡くなった人には心から冥福を祈ります。
各地でかなりの被害が出ているようです。東京も電車が動きませんが、
日本人が地震の本当の打撃を知るのはきっとこれからだと思います。

散々揺れ続け、決意固まる。
僕はとにかくやらなくては!という思いです。
そして、今日の出来事で多くの人々の心に何かが生まれた、目が
覚めた思いが生まれたことを祈らずをえません。
自然の大いなる力。人間がいくらあがこうとも避けられないことだ。
そして、人間は生きている。それだけで喜びであること。
命をいとおしむ事。
自分にも言い聞かせたいですね。

「イワーノフ」の抜き稽古が終わり、自宅でほっと一息。

春も近付き、ようやくエンジンがかかってきた気がします。まあ眠い時は眠いけど。


舞台の上での集中力をもっと高めていきたいですねえ。いうまでもなく、理想的には自分のことだけではなく、

舞台という空間に存在するすべてのものに集中したい。そのためには、まだまだわかっていないことが多い

と思います。

トレーニングの中で、集中するための準備方法や、役や作品に入り込むための想像力の使い方や相手との交流を数年間やっていきましたが、作品の中で生きるとなるとそれだけでは足らない気もします。もちろん今まで

やってきたことを少なくともレベルを落とさないようにキープしながら、他の部分も高めていく。

俳優たるもの、Actorってくらいだからやっぱり行動することが一番大切なのですが、この行動するということを

どこまで俳優が知っているのかというと、正直?で僕自身もなんとなく自分がリアルっぽさを感じられればとか

セリフをいえればいいとか、この辺のレベルに戸惑っていた気もするのです。

どれも大事なことなので、難しいのですが、やっぱり得意分野を作ることが大切だと思いました。俳優をする上で

必要なベースを固めながら、そのベースを相手や観客に明確に示すための技術。技術というと、表現するって

方向にいってしまいがちで、今日もそんなところがあったなあと思うのですが、自分が戯曲を分析して、これだと思ったイメージや考えを相手や観客に明確に示すトリガー(きっかけ)がなんなのかを知りたいと思うのです。

まあやりすぎも失敗も許しつつ、あせらず一歩一歩やっていくしかないですがね。


俺はやりすぎる男


まあもっと単純な話、行動は「どうしてもこうしたい」「俺は○○を絶対に譲れない」「絶対に○○が正しい」という思いが生まれることから導かれると、最近日常を振り返って思うのです。こんなこと書くとただのエゴイストだと思われそうですが、もちろんエゴだけではだめ、でもエゴも作用することも事実。ただ、相手があることから、エゴだけが具現化しないように、世の中は本来うまくできていると思うんですね。だから、すべての出会いは偶然ではないと言えるのかもしれません。戯曲を読む中でも、その役の人物の命が存在する意義というか、目的というか、必要というか、そんなことを考えながら読み進めると変わってくるかも。逆に昨日「イワーノフ」のことをみんなで

話していた時、仲間が言った言葉で、「この人物がいなかったらこの作品はどうなるだろうか」という視点とか、

面白いですよね。自然と相手に要求したくなっている自分が舞台の上で生まれるかもしれない。


要求こそ欲求


これが言いたいがためにどれだけ文章を書いたのか笑


あと、緊張の事も書きたいんですけどね

また今度にします

まだ何のアイデアもおもいつかんけど笑


とりあえずMixi日記の貼り付けだけではなく、オリジナルの文章を書いていこうと思う


もう春だ


3月


女子も薄着になりだす


いやそうじゃない


出会いと別れの春


まあそれはそうだが


何か新しいことをやりたくてしょうがなくなる春だ


実はこの春は明確な目標がある


まず唐突だが会社を作る


いろいろめんどくさいから最初は登記はしないが


その趣旨として


まず、腐れ切った根性に気合いを入れる、というのがあるが


劇団、その他アーティストトとの関わりの中で思ったこととして


どうも俺はプロデュース的な役割を期待されていることがわかった


一言で言うと企画だが


人集め、作品探し、資金集め、場所探し、テーマ探し、仕事探し、基本的に探すことがおおい


まあなきゃ作るしかないんだが


劇団内でかかえている目先の仕事を母体に事業化してしまう


そんな魂胆である


まあ当面それだけでは食えないだろうが


比較的早く軌道に乗りそうなものも一つ考えている


とにかく時間を作りたいもんだ


時間は金で買うか、節制するか


まあ両面でやっていこう


また進展あったらこのブログで書いていく



そしてアーティスト村のさきがけとなる拠点を作る


5月で今の家の契約が切れるので


有志を募って共に暮らすのだ


稽古場兼住居ってなのり


なので1間は、広めのスペースが欲しい


あとはできるだけみんなのプライベートが守れるようにする


毎日のように通り過ぎる羽根木の日本家屋が理想だが


東京だとやはり世田谷近辺で捜すことになるか


鎌倉もいいなと思ったがあそこに引きこもるのは


40半ばくらいでいいかなと思った


できれば防音されているか、もしくは温かい地域住民が住んでいるとこがいいね


どうしても音がでるから


農業にも挑戦できるスペースがあるとさらにいい


自給自足の生活をすればバイトもしなくて済む


まず、毎日創作活動に打ち込むために


日々最高の毎日を過ごすために



この二つは熱く燃え上がっている大目標だが(実はまだここにかけない大目標もあるのよウフ)


あと、アイデアとして


ジョギングを始める


ダンスを始める


ラグビーを久しぶりにやる


ロシア語の勉強を再開する


久しぶりに服を買う


音楽活動を本格的に始める


海外に行く


これらは春だけではきついかな


まあこんなとこか


今思い出した


春は監督がロシアから帰ってくる


ドストエフスキー白痴の稽古のために


場合によってはほとんど毎日のように稽古だ


そうなったら俺の生活はどうなるんだろうなあ


まあいいか


最近つぶやいてばかりで、思考しながら書いていないから
ひさしぶりに書いてみる

最近本当に驚く。
意識の変化のスピードが速い。
周りもどんどん変わり始めている。
いいかえると自分の嘘に気づくスピードが速まってきた。
また余計な競争意識にとらわれなくなった。
すごい連中に囲まれる、イコール自分がやらなくて済む余地が
でてくる。つまり楽になるってこと。
単純なことのように思うけど、このことを自覚したのは
僕にとって非常に大きいことだ。

あと、やっぱり自分の本当にやりたいことに注力すること
ってすごく大切なことだといまさらながら思う
今日、ある女の子にあった
女優の才能を強く感じる
プラスもっと仲良くなりたいという下心
本当の欲求が生まれる
ばんばんアドリブが始まる
アイデアが生まれてくる
そして天地の助けがやって来る

「エロス」

エロスを否定するではない
このことを自覚したこともまた大きい
エロスは人間の根本的欲求である
エロス、下心を意識して行動を考えるとたぶん面白いことになると思う

結局本当の欲求に従って生きていれば一番楽だ
頭で考えてもわからない
今僕にいえるのはからだの奥からわきあがるエネルギーを
感じることだ

今日もたくさんのメッセージありがとう
もっと大きく、豊かになろう。


ずっと小説を書きたいという思いを抱えながら生きている

「書きたいと思った時が書くとき」

わかってはいるのだけど
僕はものぐさな性格なうえに、「書くならば意味のあるものを
書きたい」というこだわり、虚栄心と「しかしそんなものが僕に
かけるだろうか」「自分を追い込んで苦しめるだけなのではないか」
という恐れが同居しているからなかなか初めの一歩にのりだせないで
いる


が、最近周りに書こうとする人の話をよく聞くようになった
「盟友」も小説を書いている
負けたなと少し自己嫌悪に陥る
僕も書きたいと思う
しかしそんな競争心で書くものだろうか
そもそも僕にそんな時間があるだろうかとと葛藤する


テーマは探っている
昨年から細々と「日本に語り継がれているものとは何か」と
いうテーマで本を読んだり、考えたり、生活している

本居宣長はもののあわれといった
世阿弥は幽玄といった
お茶の世界ではわびさびといわれる

ぱらぱらとその概念を自分なりに読み説いて言った時
「五感では感じ取ることができない、しかし確かにある、
言葉にすることさえもできないもの」を日本人は大切に受け継いで
きているのではないかと思った
ある人はそれを「こころ」というかもしれない
しかしもっと広いものである気もする
で、なぜかやはり日本人の持つ死生観を研究することが大切だと思った

「武士道は死ぬこととみつけたり」
僕はこの言葉にものすごい嫌悪感があった
こんな考えがあるから、一億総玉砕とか人間魚雷とか
神風特攻隊、そして原爆の悲劇が生まれたのではないか
三島由紀夫の切腹も正直よくわからないでいたし
ヒロイズムにかられた行為だと決めつけていた

で、そんな考えとあえて対立させたい気もして
おととい「自死という生き方」をぱらぱら読んだ
須原一秀という哲学者が書いた本だ
そしてこの哲学者はこの本を書き上げた後
自分も自死という道を選んでいる

僕は自ら死を選ぶことを肯定したくて書いているのではない
むしろ本心からいえば自ら死を選ぶなど、僕の人生の主体性、
誇りにかけてあり得ないことだと今は考えている
でも死にたいと思ったことは何度かあった事は認めざるをえないし
人間にとってあたりまえの欲求なのではないか
またこの本を読んで、自ら死を選ぶとはニヒリズムだと虚無だ敗北だと
決めつけるわけにはいかないと思った

なぜなら人生に対して、すがすがしさ、やりきった気持ちが
なければ死を選ぶことはできないと思うからだ
押し寄せる老いの苦しみ、そして死への恐怖から
逃げる気持ちも、人間の弱さを少しでも知っている人なら
理解できるはずだ
安らかな死など幻想にすぎないのだ
死はあくまで肉体的にも精神的にも極限の苦しみに達するのだ
からだの痛み、死への恐怖、周りの人間への罪悪感、辱め
本当に僕はそれを受け入れることができるだろうか
そう思うと少しだけ死の苦しみを実感できた気がした
この本を貫いている思想は人生に肯定的であるかどうかだと
いうことだと思う
だから自然死に立ち向かおうとする人を否定するわけではない
むしろ賞賛さえしている
なぜなら彼にはそれができないからだろう
少なくとも自ら死に向かう事を悲しみの目だけで見るのは
やめようと思った


現代の日本の現状、言葉であらわすなら、
思考停止、事無かれ主義、従属的、無関心、無気力・・・
そこにフォーカスしていくと僕は怒りにも似た気持ちが湧き出て
来て抑えられなくなる
しかしそれだけ抑え込んでいる「目に見えない何か」が日本を
覆っているのかもしれないと思うと、そのことについて考え
なくてはいけないと思う

おとといは公務員の仕事について話を聞いた
公務員の給与システムは民間に比べてはるかによいものであること
それなのに仕事をしない人がいる
無駄な役職
上司のことばかり気にする
愚痴と文句のオンパレード

何か今の日本を投影しているなあと思った



誤解を恐れずいうなら、人間の尊厳を捨ててまで生きることに
こだわるならそれは死よりもつらいことだと
僕は思う
それはすでに日本の歴史が証明しているではないか


この僕たちがいる日本でどんな作品が今必要なのか
考える上で、「坂の上の雲」は正直参考になった
時代歪曲もあるようだが、それは歴史家にまかせればいい

「楽天主義」

これをただ楽しく生きるととらえるか否かで全く意味合い
がかわってくる

僕はこう考えた

運命を天に任せ、受け入れること、自分の人生をまるごと肯定し、
ひたすら自分の使命を全うしようと行動する

この心が明治人の英雄といわれる人たちの中にはあった
のかもしれない

前英雄について書いたことがあるが、英雄の系譜というのも
このラインがもしかしたらひとつありうるかもしれない

「Stand alone」

坂の上の雲の主題歌だが、自立するという意味だろうか
ひとりになることこそ大事かもしれない
この世の中でなかなか難しいことだがひとりになると
いろいろなものが力を貸してくれる
自立はある意味とっくにしている

いろいろ書いてきたが結局死を受け入れる、肯定することが
楽天的に生きることにつながるのではないか
であれば死を恐れない人と、死に翻弄される人の話とか
面白いかなと今は考えている
次は存在と死について考察してみる
そろそろ出番です。
何?って役者笑
東京ノーヴィ・レパートリーシアター第7シーズンが始まっちゃいます~。

作品は昨年も取り組んだ「イワーノフ」。
とりあえず、2月6日(日)を皮きりに全13回公演。
3月~5月は、毎週日曜日本番。
そして、私、芹沢耕太郎はそのすべてに出演。今年はシングル
キャストなのです。
13回やるならいつでもいいや~と思っている諸君!!
面白い芝居見せるから這いつくばっても早くきなさい!

と強気に見せながら正直プレッシャーは徐々に感じてきているかも。
まず、体力的にこなせるかどうかということ。
カラダのことは絶えず気にしているけど、去年は4回だったから
負担が違うだろうということ。できれば翌日のバイトは
休ませてほしい泣
今年は戯曲解釈に行動分析のメソッドを交えていろいろ考え、分析
していますが、台本を読めば読むほど、演出と話せば話すほど
新しい発見があって時は収拾がつかないことも笑

しかし、その発見を取捨選択することが大切なんだなあと思う。
思い付きではないか、戯曲のラインにあっているか、そもそも
その発見で自分の心が動くのか?どうかなど・・・

理想的には、シーンだけでなく、役の人生のすべてをイメージできれば
いわゆるリアルに近づくんだが、まあそのためには何千回という
稽古と、実生活からの数多くの発見が必要なわけですな。

よく稽古って毎日やってるの?って一般の人に聴かれるのですが、
いわゆる稽古は毎日やるわけではないけど、実生活の中にこそ
稽古では得られないヒントがたくさんあるんです。
そういう意味では、四六時中稽古。とはいえ、怠け者なので
やはりさぼります笑
なるべく覚めている時間を長くするのが大きな課題。

やっぱりどうしても本当にいい作品を作るためには時間はかかります。
人間も料理も長く煮込まれた方が味が出るのと一緒。
僕たちのようなスタイル、同じ作品を何年も、何度も
上演することの意味を伝えたかったのですが、伝わったかな??

だからといって、1回1回の思いいれがなくなってはお客さんに
失礼。もしかしたら次回、役者と観客の心がひとつになるような
すごいことがおこるかもしれませんよ~
毎回そう期待して舞台に上がりたい。
だから、今季は、最低でもその時の自分ができることを100%発揮
できるように自分を整えます。また、普段からそうであるように
努めます。
いい俳優なら皆やっていることだと思うし、僕もそれに近づきたい。

今日はどうしても文章が長くなってしまいますが、
まずは2月6日 19:00~ 下北沢劇場で待つ!

アントン・チェーホフ「イワーノフ」
リヴォーフ役で出演

今季のスケジュール
http://www.tokyo-novyi.com/japanese/suke.html
「イワーノフ」とは?
http://www.tokyo-novyi.com/japanese/repertory/iwanohu.html
劇場地図
http://www.tokyo-novyi.com/japanese/access.html

「イワーノフ」でリヴォーフという医者の役にとりくんでいる

今年で2年目

前シーズンは、この人間の嫌な部分や弱さばかりを見ていた気がする

高潔であることを人に言うことも何か嫌味なようにみていた


しかし

たぶんそれは自分の高潔な部分を人に伝えるのが苦手だったり

高潔さをもって闘うことを避けてきた自分がいたからかもしれない


自分の人生をどこまでさげすんでみてきたのだろうか

高潔さをもって闘ったが何度も跳ね返されたからか

しかし俺はそれでも立ち上がった

そしてまだ誇りは失わずにある

そして闘うことを恐れるな


昨日おじさんがうちのおやじのことを評して

何があっても自分の信念を曲げずに人生と向き合っていると評していた


信仰とはそんなに難しいことではない

まず自分の信念に誠実であるかどうかだ

一度挫折したくらいで消える信念など誇りとは言えない

死んでも譲れないもの


自分にとって高潔なこと

どんな困難にさらされてもそのたびにはいあがる

自分を犠牲にしても人を助けること


高潔ではないこと

裏に回ってあれこれと吹聴したりすること

本質を見ずにごまかして生きること


この辺をさらに考えていきたい