自分で言うのもおかしいけど、昨日は誕生日だった。何人かの友人にメールやネットで祝いのメッセージをいただき、バイト先のメンバーにプレゼントや祝いの言葉をもらって、それはそれはうれしかったけど、特に何か感慨もなく、その日は過ぎた。さあ、またスタートだ。もっと行くぞ。っていう気持ちしかない。本来誕生日じゃなくても毎日がそうなんだろう。積み重ねること。前を見続けること。たぶんそれしかない。

まあ、気分的なことをいえば、7月23日という日をすぎて感覚が変わった気がする。カラダの一部で燃えていた光が全身にいきわたろうとする、そんな感覚かな。これからますます暑くなるけど、たぶんこれから積極的にカラダが熱く動いてくるんじゃなかろうか。しゃれじゃないよ。熱くなれば暑さなど気にならない。やっぱりしゃれだ。

今日は4時前に目が覚めた。さっそくセリフを覚え始める。長めのモノローグにとりかかる。やはり超早朝は、疲れ果てた夜に比べ、集中力が違う。ただ何度もまた読み返さないと入ってこないかな。まあそれがまたせりふへの理解につながるのだろうけど。

日が出てきてからゆる体操、ヨガを始める。ヨガは単純に気持ちがよい。本のポーズを試してやっているだけだが毎回かなりのリラックス効果が得られる。息が通りやすくなるし、心も落ち着く。1ポーズでも2ポーズでも生活に取り入れるとかなり変わってくるんじゃないかな。
ゆる体操は、どうしても自分が気になる硬い部位を動かそうとしてしまう癖がついていることに気付いた。硬い部位に気づくのは大切なんだけど、無理やり動かしてゆるめようとしても、かえって逆効果だったりする。逆に極力動かさないで他の部位をゆるめることで結果ゆるめる方向で試す。やはりまずは型に忠実に、かな。型ごとに集中する部位が違うしね。
前から気になっている昔怪我した右膝の痛みについてもそうなんだけど、膝が無理できないから、ふくらはぎでかなり頑張っている。結果、こしがゆがんで痛む。完全に素人考えだけど、機能しないところがあるとすれば、それを一つに負わせるんじゃなく、みんなで助け合うしかないんだ。カラダも人間も、って少し高尚なことを考える朝。

そろそろ解剖学・生理学も覗いてみたいフィールドですね。

しばらくブログの更新をしていなかったが、久々に再開してみようと思う。今日、5~6年前に水戸で偶然知り合った友人であり、後輩とひさびさに電話で話して、表現すること、伝えることの大切さが身にしみて、大いに触発されたからだ。自分の深い部分を伝えることは、舞台がある。しかし、ちょっとしたことはなかなか生活の中で消化してきれない。俳優として生きる自分が他にどんなことを考えているのか、役作りとか、カラダ作り以外に何をやっているのか、自分なりに整えて考えていくことって意外と大事な気がする。でもやっぱり僕の日常は演劇ということで占められているのが現実なんだけど。もっというと、人とのつながりの中で感じたり、思ったりすることかな。本当にプライベートなことも書きたくなったら書くけどね。


今日話した友人とは、芸術・アートが「公共」の中でどう存在すべきか、関わるべきかという話が主だった。友人は、「公共」と芸術やアートの関わりについて、僕よりも長く携わっている人で、年はかなり下だが、その道では大先輩である。そんな彼の経験談を聞きつつ、話していて思ったのは、結局どうあっても地道なことをひたすらやりつづけることしかない、というシンプルなこと。やることは地味でも意外と変化や進歩があるかも?って思いながら、現実にうたれつつ、それでも前に進む。それだけだなと。


僕も劇団で劇場探しの仕事を振られていて、いまだ具体的な動きができないでいるんだけど、それはまだ考えが明確にならないからだなと思う。正直ルーティンワークをこつこつこなす時間はないので、決め打ちでこれだ!と思える方向性までいかないと今は動くにも動きようがない。ただ、何か手は打っておかないといけないという心境だ。先月関わったNPO法人に連絡取ってみようかな。とにかくカラダごと飛び込んでやりたくてうずうずしている。時間も金も関係あるか!って、海に向かって叫びたい感じ。


「ドストエフスキー」白痴の稽古がいったん終わり、1週間がすぎた。


やるかもとはずっと思っていたが、主役を稽古するよう、監督からチャンスを頂いた。本当に光栄なことである。一番僕の中で心の底からわくわくすることはやはりこれだ。今はセリフをとにかく入れている。自分の役だけではなく、すべてを音読する。自分のセリフは、自分だけで存在するわけではない。そんなことを考えながら、読んでいると自分の役だけではなく、他の役の魂にも近づける気がする。この後も、全部通して読もうかな。あとは、日々出会う人との見えない交流。これがなかなか面白い。話はしなくても、目があっただけで、声を聞いただけで、少し肌が触れ合っただけで、においを感じただけで、お互いに何かを交換し合っているのかもって考えること。出会いの中に何かがあるって信じること。運命。まだまだだけどね。


今週から新しい鼓動が始まった。僕が所属する第一スタジオメンバーとのプロジェクト。どんな形になるか、みんな不安もかかえつつ、演劇の新しい姿を模索しながら、日本で生きる人たちに、心からほんとうに大切なものを伝えていくんだろうな。でも、肩ひじ張らず、楽しみながらやっていく。わくわくする場。まあ見事にゆったり落ち着いてできるメンバーがそろったなあ。みんな何か大きな考えを持っている気がする。腰が据わっていないのは実は俺かもな笑それを引き出すのが俺の役目か。そんな気がする。これからは作品探し。作品を提案しあう活動の中で、お互いを深く理解しようとし、そして俺も伝えていくことに躊躇しない。そんな感じ。考えることは多いけど、この活動の中に何かがあるって信じている。さっきいった、公共と芸術の関わりの模索が始まった。


前から、日本人の中からチェーホフが生まれてほしいとずっと思っていた。バイト先で面白い奴に出会った。まだ若い。でも、熱いものをためこんで、少しつっついたら吐き出さずにいられないような愛い奴。ずっと文章を書くという行為にあこがれていたらしい。正直現代の日本の中でチェーホフ的存在が書くという行動だけで生まれないだろうというのが僕の考え。チェーホフにもスタニスラフスキーにも、幼少期に才能を育成する時間と体験があったのだ。それがないなら、今からやるしかないというわけで、書いてもらったものを演じるという行為を通じて、言葉をブラッシュアップしていくという作業をやりながら、脚本家を育てていくというプロジェクト。言葉じゃない、心でもないかもしれない。人間そのものとテキストを近づけていく作業。まだ知性の領域だけど、もう少し深めていくと、面白いかな。


まあとりあえず書いておきます。



また変な時間に目が覚めた

寝るなのサインか


芝居のこと書くっていってたけど

何書くつもりだったけな

そうそう


前回の本番は気合いが空回りだった

出そう出そうとするあまりカラダが硬直

普段抜いているつもりでもやっぱり本番は固くなるってな法則

いかんいかん

キャラが固いせいかと思ってみたが固いも柔らかいも自分次第ってわけで

Brotherとも話した揚句、役の夢ってやつを意識するのが力抜けるかなと思ったりしたんで

それをもって次回試すつもり

夢かうつつか

夢芝居魅せたまわん


☆東京ノーヴイ・レパートリーシアター 第7シーズン☆

アントン・チェーホフ作「イワーノフ」

【日時】424日、58日、515日、522

いずれも日曜日 

12:30開場 13:00開演

【料金】前売3000

【会場】東京ノーヴイ・レパートリーシアター下北沢劇場

携帯用の劇場地図です↓

http://novyi.web.fc2.com/mobile/mobmap.htm

ここんとこドストエフスキーの白痴の稽古が続く

頭ではだいぶ理解できてきたけど結局のところ具現化するのはまた別次元

という印象

カラダのトレーニングが相当必要だな

まあキャストにつくかどうかもまだ白痴、いや白紙だが


それはいいとしても

こんなに楽しすぎていいんだろうか

芝居しか視界に見えない日々の毎日



今朝はなんと朝5時前に起床。再び眠ろうと思ったけど、眠れそうもなかったので、あきらめて起きる。

今週は睡眠多めに取ろうと思っていたので、8時までじっくり寝る予定だったのですが、まあいいか。

もともと朝型で早起きなんですが、時間を有効活用したい自分にとっては有難い習慣だと思います。

習慣が人を作る。散々いろんなことをしてきたので、いまさら何がいい、悪いという気はないけれど、

習慣が生活を作るのは確かなようです。自分が望んだことすべてが叶うと思うのは欲張りだけど、

少なくとも望んで叶うように実践する権利はある、と思う。まだ寒い日もある春だけど、新しい習慣、

どんどん作りたい。今は料理、園芸かな。前から暇なとき、ちょびちょびやってきて、だいぶ面白く

なってきたから、いろいろ道具もそろえたいんだけどね。まあぼちぼちやっていくかな。


今朝は、恒例のゆる体操からスタート。最近は、内臓マッサージにも取り組んでいる。内臓の動きが

わかるようになってきたので、どんな状態か自分である程度は把握できるようになったし、

同時に今までかなり負担をかけてきたこともわかるようになった。ごめんなさい!

次に、書類の整とんと部屋の掃除。ものはないのだけれど、本や書類がかなり多い。実は来月で

家の更新がきれるので、どこかに移るのだが、さあこのまま持っていくか、少し捨てるかあげるか。

いずれにしても必要な時にすぐひきだせるようにしたいよね。


で、洗濯しながらなぜかきまぐれでFaceBookに登録笑

活用するかどうかはあやしおす


芝居のことはまた明日


続く


今日は朝から面白い夢をたくさん観て起きた
火事場から脱出する夢
母や弟とたわむれる夢
バイト先の仲間と食事を共にする夢

胸騒ぎがとまらず寝床でまどろむ

おっと忘れていた
昨日寝る前アンナについて考えようと思っていたんだっけ

3日の公演終わった後、ブラザーが公演に呼んだ友人と飲んだ時
「お医者さん(僕の役)、奥さん(アンナ)のこと好きなんですか?」

って聞かれたのが気になっていた

好きっていってもいろいろある

リヴォーフがアンナに寄せる愛情は

アンナの持つ母性、誠実さ、聖なる部分

このあたりを感じてみよう

と、今まで出会ってきた女性のことをしばし想像する

面白い

が、ぴったりはまりそうなのがやはりない

組み合わせて組み合わせて

うん?

自分の母親のこと、もっと思い出してみよう

アンナってどんな人かもっと想像しよう

ますます面白くなってきた

恥ずかしさを捨ててもっとポップにオープンに

俺はかつていや今でも母には甘える

このあたりを観るのを今まで避けていたのかもしれない

そして女性をもっと知りたいと思う
以下ブログでも転載中!

東京ノーヴイ・レパートリースタジオ

「人間って何で生まれてきたの?」


「そりゃ生まれてよかったなあと思うためじゃないか」


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昨日の夜、男はつらいよ「寅次郎物語」を観た


死んだテキヤ仲間の息子の母親を旅をしながら


探し当てる旅


やっぱいいね


おそらくシリーズの中でも相当の傑作ではないか


まためずらしく


男はつらいよお決まりの美しい女性に振られるということがない



母親が見つかった時の引き際があざやかでね


追いすがる子供をなだめて船で帰っていく


港を出た船を追いかける子供がけなげでね


思わずじんときた


粋だね


寅次郎にとっては人のために動くということが自然なことなんだろうな

旅に行かず働かないで休むよう勧めるさくらに寅次郎は言う


「働くってのは妻のため、子供のために汗水流して働くことさ。

俺たちははったりかまして、客もそれを承知で物を買って、

それでおまんま食ってるのさ」


俳優に通じるところがあって泣けてきたが


寅次郎は自分自身をあざ笑うように話しながらも


人生の中で筋を通そうとする


人のために自分を粉にして必死に動く


決して恩着せがましくはしない


うまくまとまらないけど


どんなに人間が変わったとしても変わっちゃいけない筋を守ろうと


寅次郎はいつも思っているのではないかなあと思う




昨日、僕が所属する第一スタジオの運営について考えた


まずやらなくてはならないことを片っ端から書いてみた


こんなにあるのか


少し嫌になる


次に第一スタジオのメンバーの役割分担を仮想シュミレーションしてみた


うんうんだいぶ整理できてきた


スタジオ運営に何が必要かも少し見えてくる


みんなの成長を考えて役割分担することが大切なんだな


だいたい役割分担が見えてきたところで最初に出した「やらなければいけない

リスト」を見て、誰と一緒に仕事をしたらよいか考えてみる


ひとりでやるのと協力してやるのとではぜんぜん心の負担が違う


気付いたらひとりでやる仕事は1/3くらいに減っていた


まあもちろん仕事を依頼して断られることも想定しておかないとね


今やっていることは俳優というよりプロデューサーだが


肩書などこの際どうでもいいのだ


新しいアイデアを次々と生み出し相手のアイデアとコラボする


これもまた創造である


考えると見えていないことがまた見えてくる


ああ女の子とも遊びたい


ロシア語も勉強しよう


音楽もやりたい


ヨーロッパ、ホロコースト探求


考えるとはがんじがらめになることではなく、徹底的に鮮明にしていく事だと思う






今は俳優として僕は生きている


が本当は


あと10年ニーチェに出会うのが早かったら哲学科に進んで

哲学を専攻して哲学家になりたかった


もちろんニーチェのことを語れるほど彼の事を知っているわけでもないのだが


逆に言うと彼の作品は、20代後半、それまで哲学のての字もしらず、片手間の手習いで

哲学にかじりついた僕でも読んでいてなんとなく腑におちていくそんな文章だった


善悪の彼岸


この作品はすさまじい言葉のオンパレードだ


今本を見開いてみる


あったあった


「哲学者は必然的に明日、明後日の人間であって、常に今日とは反撥する。

今日の理想が常に彼の敵であった」


最近悲劇の誕生という作品を読んでいる


演劇とも大変関わりが深い作品で前から読んでみたかった


彼の作品を読んでいるとすべてをさらけだして生きたくなってくる


ニーチェを指して、よくニヒリズムだ虚無だという人がいるが


そういう人は俺以上に何もわかっちゃいない


現在の生を否定しきるところから本当の生がはじまることをニーチェは教えてくれる


何を言いたかったんだったっけ


あ、そうそう


大震災から1週間がすぎ去った


余震はまだ続き


放射能の不安もあり


電車はまだ運休があるようだが


この週末は計画停電もなく


東京は震災前とあまり変わらないようにも見える


もしそうなら嘘だ


確実に東京に住む人の心に何かを残したとそう信じたい


だが悲しくなるのは


必要以上に死を恐れ、身勝手なことをする人たち


風評にまどわされて、流言飛語する人たち


ここぞとばかり金儲けに走る人たち


彼らにとって生きることとは一体何なのか


死が怖いのか


国が憎いのか


金が絶対なのか


みんなの気持ちは僕もすべてよくわかる


しかし人間って本当にそんなものなのか


そんなにちっちゃいのか


現実も大切だ


死を恐れるからこそ生きる力もわく


しかしその力を何に生かすのだ?


そもそも本当に自分が生きているのか疑問にもったことはあるのか?


日本人の助け合いの精神とか不屈の精神とか賞賛されている面もあるが


なんというか勇気がない


幹のように太い己を忘れていやいないか


己を知る


ああなんと単純でああなんと困難に満ちた言葉だろうか



昨日劇団の飲み会で、アリストテレスのエネルゲイアについて語った人がいた


こんなことが話題にあがるのもすごいが


気になったので調べてみたが


簡単にいうとポテンシャルとして存在するエネルギーをすべて活動させること


これのみが人間に与えられた本当の現実である


本当に生きるとは何か?そして死は存在するのか?


これが僕たちの、すくなくとも僕が演劇に対して抱える大きな課題である


勇気ある生に挑戦した人間が自分としての存在を全うし地に墜ちた時


死の鳥は高らかな賞賛の羽ばたきとともにこたえるであろう


こんなことをニーチェが言っていた・・・ような気がする


己を知ることで死が存在しなくなることを証明しよう


それは魂の探求の中にしかありえないと確信している








昨日は疲労困憊でストレスもたまっていてすぐに寝た

5時に目が覚める

起きた瞬間家が揺れる

押入れに逃げ込む

揺れは短かった

しかし俺の心の揺れはどうにも止まらない

俺の心はこんなにももろかったのか

命がとまることへの恐怖

昔うつになってどうしようもなかった頃のことが頭をよぎる

何をする気にもなれない時間がしばし続く

どうやら今の俺には誰かを救うほどの余裕はまだない


地球にも自分自身にも俺たちはどれだけの無理をさせてきたのか

地震は地球の心の叫びだ

今はその声を聴き続けるしかない

余震は怖い、不安にもなるが声を発してくれるだけましだ


これから何があるかわからないが

毎日精一杯生きよう

そして無事大きな困難を乗り越えたなら

もうとことん自分に正直に生きようと思う


ほんとうにすごい地震でしたね。海外旅行保険の事故受付のオペレー
ション中にものすごいゆれがきて、一度電話を切らせてもらって机の
下に避難しました。建物が5Fだったので、崩れたらやばいとは
思いましたが、怖かったけど、なぜか緊張感がないくらい、リラックス
してました。

いまだ、バイト先です。地震による旅行キャンセルによる解約
の電話が入ってきています。こういうときにこそ役にたつのが
保険だと思うのですが、海外旅行ではあまり役にたつ余地がない
ようです。でも、このような緊急時にもっと役にたてるようとり
くめるなら、本当にいい仕事だなと思います。

今日はどこで眠ろうか、何を食べてすごそうか、みんな不安そうです。
今、いろいろな矛盾を感じて頭が整理できていません。
まあ僕にできるのはみんなと酒を飲み交わしてバカなことをいうくら
いのようです。

今回の地震は人生初めて経験する大災害で、ほんとうにびっくりし
ましたが、日本、世界に起こる自然の災害を見つめてきて、やはり
東日本にもついに来たかという感じもしました。
まだ余震が続いています。
亡くなった人には心から冥福を祈ります。
各地でかなりの被害が出ているようです。東京も電車が動きませんが、
日本人が地震の本当の打撃を知るのはきっとこれからだと思います。

散々揺れ続け、決意固まる。
僕はとにかくやらなくては!という思いです。
そして、今日の出来事で多くの人々の心に何かが生まれた、目が
覚めた思いが生まれたことを祈らずをえません。
自然の大いなる力。人間がいくらあがこうとも避けられないことだ。
そして、人間は生きている。それだけで喜びであること。
命をいとおしむ事。
自分にも言い聞かせたいですね。