今は俳優として僕は生きている
が本当は
あと10年ニーチェに出会うのが早かったら哲学科に進んで
哲学を専攻して哲学家になりたかった
もちろんニーチェのことを語れるほど彼の事を知っているわけでもないのだが
逆に言うと彼の作品は、20代後半、それまで哲学のての字もしらず、片手間の手習いで
哲学にかじりついた僕でも読んでいてなんとなく腑におちていくそんな文章だった
善悪の彼岸
この作品はすさまじい言葉のオンパレードだ
今本を見開いてみる
あったあった
「哲学者は必然的に明日、明後日の人間であって、常に今日とは反撥する。
今日の理想が常に彼の敵であった」
最近悲劇の誕生という作品を読んでいる
演劇とも大変関わりが深い作品で前から読んでみたかった
彼の作品を読んでいるとすべてをさらけだして生きたくなってくる
ニーチェを指して、よくニヒリズムだ虚無だという人がいるが
そういう人は俺以上に何もわかっちゃいない
現在の生を否定しきるところから本当の生がはじまることをニーチェは教えてくれる
何を言いたかったんだったっけ
あ、そうそう
大震災から1週間がすぎ去った
余震はまだ続き
放射能の不安もあり
電車はまだ運休があるようだが
この週末は計画停電もなく
東京は震災前とあまり変わらないようにも見える
もしそうなら嘘だ
確実に東京に住む人の心に何かを残したとそう信じたい
だが悲しくなるのは
必要以上に死を恐れ、身勝手なことをする人たち
風評にまどわされて、流言飛語する人たち
ここぞとばかり金儲けに走る人たち
彼らにとって生きることとは一体何なのか
死が怖いのか
国が憎いのか
金が絶対なのか
みんなの気持ちは僕もすべてよくわかる
しかし人間って本当にそんなものなのか
そんなにちっちゃいのか
現実も大切だ
死を恐れるからこそ生きる力もわく
しかしその力を何に生かすのだ?
そもそも本当に自分が生きているのか疑問にもったことはあるのか?
日本人の助け合いの精神とか不屈の精神とか賞賛されている面もあるが
なんというか勇気がない
幹のように太い己を忘れていやいないか
己を知る
ああなんと単純でああなんと困難に満ちた言葉だろうか
昨日劇団の飲み会で、アリストテレスのエネルゲイアについて語った人がいた
こんなことが話題にあがるのもすごいが
気になったので調べてみたが
簡単にいうとポテンシャルとして存在するエネルギーをすべて活動させること
これのみが人間に与えられた本当の現実である
本当に生きるとは何か?そして死は存在するのか?
これが僕たちの、すくなくとも僕が演劇に対して抱える大きな課題である
勇気ある生に挑戦した人間が自分としての存在を全うし地に墜ちた時
死の鳥は高らかな賞賛の羽ばたきとともにこたえるであろう
こんなことをニーチェが言っていた・・・ような気がする
己を知ることで死が存在しなくなることを証明しよう
それは魂の探求の中にしかありえないと確信している