世界は日々複雑になっていったとしても見たくないものが自分の前に映し出されて心が傷つけられても抑えきれないくらい揺れ動いてもそれでもその出来事が自分にとってかけがえのない一歩であり自分にしかないものなのだと信じる。肉体が滅びる、死は人間にとって恐怖の対象だが、これすらもそうなのだろう。大きな出来事ではあるけど、僕という人間がこの肉体をもって生きたことは、どんな生き方であれこの世界の中に何かの象徴として刻み込まれるのだろう。
運命について考えるのが日々の習慣となっています。多分僕が表現活動を続けるなら大きなテーマになるでしょうし、そうでなくてもたぶん一生付きまとうものだと思います。ポーランドのキェシェロフスキやパウロ・コエーリョも前兆という形で運命は日々の出来事から予見できるもので、日々メッセージの重要性を語っています。芹沢光治良やドストエフスキーは信仰が運命と密接に結びついていることを語っています。
ただ、僕にはまだよくわかりません。何の信仰ももっていなければ、彼らのような能力も今はないし、実人生でいえばゆだねてと言えば聞こえはいいが、ただ流されているだけかもしれない。でも今の生活は金はないけど、困るわけではないし、今までになく安心なのです。今の自分を信頼する。素直であること。これが僕にとっての信仰なのかなと思う。
運命というものがあるならそれは受け入れるからこそ乗り越えられるのではないかと思う。