家までH先生(当時の神担任)が
迎えに来てくれたおかげで
なんとかもう一度登校できた長男さん。
それからは、
H先生や教頭先生が相当に根回しして下さったのか、
同じようなことが起こることもなく、
学校生活を送ることができていました。
ありがたや・・・
ひとつ前の記事はコチラ
トンデモ先生に度肝を抜かれつつなんとか再々登校へ!長男くんの小学校時代⑥
最初から読みたい方はコチラ
激しい夜泣きに悩み、小さな違和感に気づかないふりをし続けた赤ちゃん期
長男シリーズの一覧はこちらから
長男くんシリーズのリンク集♪~発達グレー×不登校×フリースクール×通信制高校~
特別楽しそうでもありませんでしたが、
学校に行きたくないと言うこともなく、
淡々と通っているという感じでした。
保健室利用は続けていたし、
私が学校までプリントを取りに行く
というのも継続。
本人が「もういい」というまで
やろうとおもっていました。
ところがここでも、
この話を聞いた一部のママさんが
「過保護。びっくりする」
と言ってきたり
「そういう子って忘れ物したりして
隣の席の子に迷惑かけたりするよね。
迷惑かけられる方の気持ちも考えてほしいわ」
と言ってきて、
夜中に家でこっそり涙が出ました・・
こどもの前では泣けないし・・
人一倍頑張っても
「ふつう」枠に
はまりきれない子もいる。
当たり前のことをふつうにやる、
ただそれだけのことが
すごくすご〜く難しい子だっている・・
心の中ではそう叫んでいたけれど、
面と向かって主張しても理解されないことは、
この頃には嫌というほど実感していました。
子どもが定型発達だというだけで
あれだけ偉そうにものを言える、
そっちのほうが私には理解できないです。
5年生の秋から始まった不登校騒ぎ、
気がつけば年もあけて3月に。
この頃には
安定して行けるようになっていました。
保健室利用も減ってきて、
いつの間にか自分で
プリントを持って帰ってくるようになりました。
大事なお便りがあるときは
H先生が連絡をくれたので、
家でも声掛けして回収。
負担の大きそうなイベントなども
事前に連絡を取り合って調整し、
無理なく参加できるようにしていました。
少しずつ、少しずつですが・・
うまくいき始めていました
だけど、ひとつ問題が・・
それは、
4月からの新しい担任の先生と
うまく連携できるか??
ということ・・
もう安心!なんの心配もない!
という状況では決してなく、
この先も同じことが起こるだろうし、
日中のほとんどを一緒に過ごす担任の先生には
やっぱり理解してもらいたい。
H先生と過ごせるのはあと少し・・
そう考えると
今後が不安で不安でたまりませんでした。
【次のおはなし】
【長男シリーズ・小学校時代編目次】
「問題児と過保護な親」として過ごした、長男くんの小学校時代①
最高の恩師との出会いで親子とも救われた!長男くんの小学校時代②
突然はじまった不登校!長男くんの小学校時代③
担任、学校と連携して再登校へ!長男くんの小学校時代④
一瞬で不登校に逆戻り!その原因は・・?長男くんの小学校時代⑤
トンデモ先生に度肝を抜かれつつなんとか再々登校へ!長男くんの小学校時代⑥
恩師との別れが近づき不安でいっぱい・・長男くんの小学校時代⑦