『神曲』エデンの園1. エデンの予告編:煉獄から楽園へ | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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   ダンテとウェルギリウスとスタティウスの三人は、第7環道で煉獄最後の浄罪である性欲の罪を浄め終えた時、夜の闇に蔽われました。煉獄の夜には、浄罪の霊魂たちは前に進むことが禁じられています。そのために、ダンテたち三人は、まだ見ぬ楽園を前にして、高い岩壁の隙間で横たわって夜を明かすことになりました。その時の様子は次のように描写されています。

 

   そこから外部はごくわずかしか見えなかった。しかしそのわずかな隙間(すきま)から見えた星々は、平常(ふだん)よりも明るくまた大きくもあった。いろいろと考え反芻(はんすう)を重ね、星空を見ているうちに、私は睡(ねむ)りに落ちた。事件が実際に起こる前に、その報(しら)せをしばしば予告してくれる睡りであった。(『煉獄篇』第27歌88~93、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   そこ(岩間の寝床)から外部のものが僅かに見ることが可能であった。しかし、あの僅かなもの(=隙間)を通して私はいつもの星よりも明るくより大きな星を見た。そのように思い巡らし、それら(=星々)を眺めていると、眠りが突然に襲ってきた。事件が起こる前に、その新しい出来事をしばしば知っている眠りであった。

 

   ダンテは、煉獄島に入ってから三回目の夜を、環道で浄罪の旅を始めてからは二回目の夜をむかえました。煉獄の空に輝く星を見ている間に、眠りに入ります。そして、「眠り( il sonno)」は、「新しく起こる出来事を、その出来事が起こる前に知っている( anzi che il fatto sia, sa le novelle」と述べられているように、眠りには予知機能が備わっています。煉獄に入った初日は、煉獄前域(Antipurgatorio)を旅して、煉獄門の前庭で夜を迎えました。すると、聖ルチアがダンテの睡眠中に煉獄門の所まで連れて登りました。さらに、その先の第4環道滞在中に、二回目の夜を迎えました。

   煉獄での三回目の夜は、ダンテが七つの罪すべてを浄化し終えた時に訪れました。そこはもはや、第7環道の外側であると同時に、巨大な煉獄界の外側でもありました。そして、ダンテたちはそこに聳える岩山の一角で一夜を過ごすことになりました。すると、その日の夜が明け始めるころに、ダンテは次のような乙女の夢を見ました。

 

   たえまなく愛の火に燃える明星の光が、東の空からこの山にさしそめるころあいだったろうと思うが、若い美しい女が私の夢裡(むり)に現れて、花を摘み、歌いつつ語りつつ野辺を行くのが、目(ま)のあたりに見えるような気がした。(『煉獄篇』第27歌94~99、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   今から思うとそう信じられるのだが、いつも愛の炎で燃えているように見える明け明星が東の方から一番にこの(煉獄)山の中へ光を放った時刻に、若く美しい女性が、夢の中で、野原を通って花を摘みながら歩いて来るのが見えるように私には思えた。そして彼女は歌いながら話した。

 

 

   夢の中に現れた「若く美しい女性giovane e bella donna)」は、自ら「リア(Lia)またはレア(Leah)」と名乗りました。そして、次のようにダンテに語りかけました。

 

   私の名をお尋ねの方に申しあげます。レアでございます。花綵(はなづな)を拵(こしら)えようと、このかぼそい手で花を摘みつつさまよっております。鏡の前で楽しめますようここで身を飾りますが、妹のラケルは終日(ひねもす)その前に腰をかけて、鏡台から離れようともいたしません。妹は自分の美しい眼に見とれておりますが、私はひたすらこの手で身を飾ろうといたします。妹は見ることに、私は動くことに、満足を覚えるのでございます。(『煉獄篇』第27歌100~108、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私の名前を尋ねる人は誰でも知って下さい、私はリアであることを。そして私は、私自身のために花輪飾りを作るために、この美しい手を(花を摘むために)あちらこちら周辺に動かして歩き回っています。鏡の前で自分(の姿)が気に入るようにするために、ここで私は自分を飾るのです。しかし、私の妹ラケルは、彼女の鏡から決して離れないで、一日中座っています。彼女(ラケル)は自分の美しい瞳を見つめることを熱望しています。私がこの両手で私自身を飾るのを熱望するように。見ることは彼女(ラケル)を満足させ、行動することは私を満足させます。

 

   このダンテの夢の中に登場している「リア(Lia)」は、「妹ラケル(suora Rachel)」との連関から、旧約聖書『創世記』の第29章から第31章に描かれた物語に登場する女性であることが定説になっています。そしてその個所は、イスラエル12部族の祖となる子供たちの誕生を描いた部分です。同じ生誕の場面でも、新約聖書のキリスト誕生のような聖らかな描写は無く、リアとラケルと彼女らの下女ビルハ(Bilha)とジルパ(Zilpah)の四人の女による赤子の産み合いの様相を呈しています。それゆえに、『創世記』に描かれているリアは、ダンテがエデンの前触れ役として登場させているような清純で可憐な乙女ではありません。それゆえに、『煉獄篇』に描かれているリアの人物像は、言うまでもなくラケルもまた、ダンテの独創によるものです。

   レアもラケルも両者とも「美しい乙女」です。レアは「美しい手belle mani)」によって彼女の美しさを象徴しています。一方、ラケルは「美しい眼belli occhi)」によって美しさが暗示されています。そしてリアは、その美しい手で彼女自身を飾る花輪を作り、それで飾った美しい姿を鏡に映して満足します。一方、ラケルは、彼女の美しい眼で、鏡に映った彼女自身の美しい眼を見つめることで満足を得ます。ということは、前者レアは活動的な生活の象徴であり、後者ラケルは黙想・観想的な生活の象徴であると解釈されています。このリアの存在については、他にもいろいろな解釈がなされています。しかし、私の個人的見解としては、ダンテたちがエデンの中へ入った直後から、彼らの楽園案内役を勤める「麗しき婦人bella donna)」マテルダ(Matelda)の登場を予告する場面であると考えています。

注:石川尚寛氏のブログの中で旧約聖書『創世記』のレアとラケルの物語が分かり易く説明されています。絵巻旧約聖書モーセ五書「創世記」第2話から第7話までを紹介します。

 

煉獄最後の夜明け

 

   煉獄最後の夜を過ごしたダンテは、花園で、「若く美しい乙女( giovane e bella donna)」が「花を摘みながらcogliendo fiori歌っているcantandosogno)を見ました。そしてダンテは、快い目覚めの朝を迎えました。するとあけぼのが輝き始めたので、暗闇はあたり一面から消えていました。そして暗闇と共にダンテの眠気も消えました。(原文は下に添付)

〔直訳〕

   そして、すでに夜明け前の輝きのために、暗闇はあらゆる方角から消えていた。そして私の眠気もその暗闇と共に消えていた。

 

   すると、先達のウェルギリウスも目覚めていて、これから起こることになる希望の出来事を、次のようにダンテに予言します。

 

   世の中の人々が苦労して方々の枝に探し求めたあの甘い樹(こ)の果(み)、それが今日こそおまえの飢(う)えをいやしてくれるだろう。(『煉獄篇』第27歌115~117、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   死すべき人間の注意を向ける心(=探求心)が、沢山の枝の周囲を探し求めて歩き回るところのあの甘い果実は、今日という日に、汝も飢えを安らぎの中に置くことになるだろう。

 

   すべての人間mortali)が追い求める「あの甘い果実quel dolce pome)」とは、多くのダンテ学者によって「至福(羅語beatitudo:伊語 beatitudine)」のことであると解釈されています。しかし、もう少し深読みしてみましょう。「甘い果実」に関係する聖書の記事は、『創世記』(第2章9) の天地創造の個所に次のような記述があります。

 

   主なる神は、見るに美しいすべての木と食べるに美味しい木を大地から生じさせた。そしてまた、パラダイスの中央に生命の木と、善悪を知る知識の木を生じさせた。

〔原文解析〕

 

   まさしく、エデンの東側には果樹の豊かに茂るパラダイスがあって、そこにはアダムとイブが他の動物たちと仲良く暮らしていました。その楽園の中央には群を抜く高さの「生命の木」と「知識の木」の二本のシンボルツリーが聳えていました。人間は神より、生命の木を含めてすべての樹木に熟す果実は食べても良いと許されていましたが、知識の木に実る果実だけは食べることを禁じられていました。ところが、イブは、蛇に乗り移って誘惑するサタンに騙されて知識の木の果実を食べてしまいました。そして、その知識の木は、この上のエデンの中で「どの枝からも、葉も花も果実も落とされている一本の樹木(煉獄篇32歌38~39)原文は下に添付」と描かれていますので、ダンテの飢えをいやしてくれる「甘い果実」は「生命の木」に実っている果実だと推測できます。

 

〔原文解析〕

 

永遠の命を得る生命の木の果実

 

   巡礼者ダンテは地獄の第7圏谷を過ぎて第8圏谷へ抜ける時、火の雨と火の雪が降る砂漠を通りました。その場所で出会った三人のフィレンツェの武人に、ダンテは彼の冥界訪問の目的を、次のように説明していました。

 

   私は苦い膽(い)を捨てて、正道(せいどう)を示す先達(せんだつ)が私に約束された甘い果実を求めて進む者ですが、それにはまず〔地獄の〕中心まで降(くだ)らねばなりません。(『地獄篇』第16歌61~63、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   私は、苦い果実を捨てて、偽りのない先達によって私に保証された甘い果実を求めて進みます。しかしその前に、私はここの中心部まで降りて行かなければなりません。

 

地獄と煉獄の地図

 

   ダンテは、地獄で出会った亡者に対して、地獄と煉獄を巡礼する彼の目的を「甘い果実を求めて(per dolci pomi)」行く旅であると述べています。そして、その甘い果実が何か、ということが煉獄の浄罪を終えてエデンに入る直前に判明するのです。それは「生命の木」の果実を食して永遠の命を得ることだと、私は解釈しています。すなわち、その永遠の命を得るとは天国へ昇ることに他なりません。

 

   ダンテは、地獄門をくぐって以来、恐怖と苦痛を乗り越えてきました。そして、長く求めて来た「甘い果実」を間もなく手にすることができることを、ウェルギリウスから聞かされたので、次のように、力が湧いてきました。

 

   このような言葉をウェルギリウスが私にたいして使ったが、かつてこれほど歓(よろこ)ばしい贈物(おくりもの)が贈られた例(ためし)はなかった。すると上へ行きたいという意欲が次々と湧(わ)きいでて、それから先は一歩ごとに、羽が生えて飛んで行くかに思われた。(『煉獄篇』第27歌118~123、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   ウェルギリウスは私に向ってこの様なかくのごとき言葉を使った。そして喜ばしいとう点でそのもの(=言葉)に匹敵したであろうところの贈り物は、未だかつて決して存在したことはなかった。上に行きたいという意欲がさらに意欲を加えられて私に起こったので、その後は、私は一歩一歩の足どりに、飛ぶための翼が生えているように感じていた。

 

   煉獄の第7環道からエデンに登る坂道は、「岩壁の間を抜ける道la via per entro il sasso煉獄7歌64」でしたが、ようやく頂上に辿り着きました。闇黒の森の中をさ迷っていたダンテの救出をベアトリーチェから依頼されたウェルギリウスは、多くの艱難辛苦を乗り越えて、彼の使命を果たしました。そしてウェルギリウスは、次のような最後の教えをダンテに与えました。

 

ウェルギリウスの最後の教示

 

   永遠の劫火(ごうか)と一時の劫火を、息子よ、おまえは見た。そしておまえが着いたこの地はもはや私の力では分別のつかぬ処(ところ)だ。私はここまでおまえを智と才でもって連れてきたが、これから先はおまえの喜びを先達(せんだつ)とするがよい。峻嶮(しゅんけん)な、狭隘(きょうあい)な道の外へおまえはすでに出たのだ。(『煉獄篇』第27歌127~132、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   (そしてウェルギリウスはこう言った)息子よ、汝は一時的な火炎と永劫の火炎を見たところだ。そして、私が私個人ではさらにもっと先へは判断できないところの区域の中に、汝は着いてしまっている(ちょうど着いたところだ)。私は汝を才知と技能によってここへ連れて来た。今からは、汝の喜楽を先達として取れ。汝は険しい道から外に出ている。汝は狭い道から外に出ているのだ。

 

   「一時的な火炎il temporal fuoco)とは、第7環道でダンテが情欲の罪を浄めた火炎のことです。いっぽう、「永遠の火炎l’etterno fuoco)」は、地獄で永遠に罪が許されない亡者たちを永遠に焼き続けている火炎のことです。すなわち、ダンテは地獄と煉獄のすべての光景を見終えたのです。そして、ウェルギリウスは、ダンテの教育者となり、また救助者となって、その全行程を先導してきました。しかし、悲しいことにウェルギリウスは洗礼を受けていない辺獄の住人なのです。エデンに入ることまではできるのですが、その先の天国へは昇ることが許されません。しかし、ウェルギリウスはエデンの楽園に入ってしばらくは―― ダンテをベアトリーチェに渡すまでは―― そこで憩うことが許されます。ただし、彼は、ダンテに助言を与えることは言うまでもなく、言葉さえ掛けることができないのです。それゆえに、次のエデンの園の遠景を目にした感動の詩行が、ウェルギリウスの最後の言葉にもなります。

 

ダンテよ、あれがエデンの園だ

 

   正面に輝くかなたの太陽を見ろ、草花や樹々(きぎ)を見ろ、ここではすべてが大地からおのずと生えている。涙を流しておまえを連れて来るように私に命ぜられた美しい喜ばしい目をした方が見えるまでは、おまえは坐(すわ)るのも自由、草木の間を行くのも自由だ。もうこれ以上は私の言葉や合図に期待してくれるな。おまえの意志は自由で、直(なお)くて、健(すこや)かだ。その意志の命令に服さぬことは過ちとなるだろう。だから私はおまえをおまえの心身の主(あるじ)として冠(かんむり)を授ける。(『煉獄篇』第27歌133~138、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   真正面で汝に光っている太陽を見なさい。若草や花々や小さな木々を見なさい。それら(草花や木)をここ(エデン)では大地が大地自体から産出している。涙を流して汝の所へ私を来させたところのあの美しい両目(の人)が喜ばしくやって来る時まで、汝は坐っているも良し、それら(草花木)の間を歩き回るのも良い。

 

   煉獄の第7環道を出て、岩壁の間を真っ直ぐに伸びた石段を登り詰めた所は、エデンの園の入口でした。東から昇り始めた朝陽がダンテたちの「正面にin fronte)」輝いています。ということは、エデンの入口は楽園の西側にあるということです。想像されるダンテたちが観ている光景は、エデンの西の端にある丘の上から眺望した楽園の全景です。闇黒の森の中へ迷い込んだダンテの救出を依頼したベアトリーチェが、再び登場して案内役を引き継ぐまで、ウェルギリウスはエデンに残りはします。しかし、言葉を発することなく、間もなく(第30歌40~57)煉獄を去って地獄の辺獄(リンボ)へ去って行きます。楽園を観たあとで、また地獄へ帰らなければならないウェルギリウスは、『神曲』の登場人物の中でもっとも悲しく過酷な役割を担わされた人物ではないでしょうか。

 

ウェルギリウスの最後で最後の言葉

 

   まさしくウェルギリウスの最後の言葉は、次のようにダンテを激励して終わります。

 

   もうこれ以上は私の言葉や合図に期待してくれるな。おまえの意志は自由で、直(なお)くて、健(すこや)かだ。その意志の命令に服さぬことは過ちとなるだろう。だから私はおまえをおまえの心身の主(あるじ)として冠(かんむり)を授ける。(『煉獄篇』第27歌139~142、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   もうこれ以上、私の言葉と私の指示を待ってはいけない。汝の自由意志は正しく、そして完全であるから、それ(汝の自由意志)の判断に従って行動しないならば、罪になるであろう。なぜならば、私は汝に対して汝の頭の上に皇帝冠と教皇冠を授けるから。

 

   ウェルギリウスが「もうこの先は私の言葉も私の指示も期待するな」とダンテに言ったのは、この先が正しいキリスト者だけが進むことのできる場所だからです。そして、ウェルギリウスはダンテに対して、「自由意思の趣くままに行動せよ」と助言しているのです。

 

自由意思とは

   神が創造した万物の中で、自由意思が与えられたのは天使と人間だけです。ところが、天使の中からサタン(『神曲』ではルチフェロ(Lucifero)とベルゼブ (Belzebù)の名前で登場)一派が、その自由意思を悪用して神に反逆しました。そしてまた人間も、サンタに騙されて禁断の果実を食べてしまったので、神に従うという自由意思は失ってしましました。しかし、人間は、キリストによる十字架の贖罪によって、自由意思を回復しました。そしてダンテは、煉獄登山に課せられた七つの罪を浄化したことによって、正しく(dritto)完全な(sano)自由意思(libero arbitrio)を獲得しました。それゆえに、ダンテは、いかなる局面においても正しく判断することができるようになったのです。そして、自由意思の命ずるまま行動すれば良いのです。

 

   最終行の詩句「汝の頭の上に皇帝冠と教皇冠を授けるsovra te corono e mitrio)」は難解です。二つの動詞の中の前者(coronare)は、「皇帝として戴冠する」という意味に解釈して問題はありません。しかし、後者(mitriare)の本来の意味は「司教冠を授ける」であって、教皇に関しては「教皇冠tiara)またはその形状から「三重冠triregno)」と呼ばれます。イギリス清教徒革命の英雄クロムウェル(Oliver Cromwell)のラテン語秘書の役職にあったミルトン(John Milton)は、火薬陰謀事件(1605年、ガイ・フォークスを首謀者としてカトリック教徒が英国議事堂を爆破してジェイムズI世と議員たちを殺害しようとした事件)の黒幕をローマ教皇だと断定して、その教皇のことを「三重冠をかぶった男Tricoronifer『17歳の時の11月5日の記念日に書く』55行目」と呼び、また陰謀に失敗した教皇が悔しがっている姿を「三重冠をかぶったローマの怪物が歯ぎしりをした(原文は下に添付)」と表現しています。

 

 

   「皇帝冠を授ける」のイタリア語の動詞「コロナーレ(coronare)」に相当する「教皇冠を授ける」を意味する動詞が存在しません。ダンテならば「ティアラーレ(tiarare)」という動詞を造語したとしても許されていたことでしょう。しかし、ダンテはそれをしないで、本来は「司教冠を授ける」という意味の「ミトリアーレ(mitriare)」で「教皇冠を授ける」という意味に代用したのだと、私は個人的に解釈しています。

   「皇帝権」と「教皇権」は、ダンテのみならず彼と同時代の人々にとっても重大な関心事でした。イタリアでは、教皇を支持するグェルフィ党と皇帝を支持するギベリーニ党との間で長年に渡り続いてきた勢力争いも、1289年の「カンパルディーノの戦い」で決着がつきました。ダンテも弱冠24歳で教皇軍の騎馬兵として参戦していました。

その戦争によって、教皇派と皇帝派の権力闘争に決着が着いたので、これでフィレンツェにも平和が訪れるかと思われました。ところが、支配権を手に入れた教皇派グェルフィ党内に存在していた市民富裕層の支持を受けた白党(Guelfi Bianchi)と教皇との結びつきを重視する貴族たちの支持を受けた黒党(Guelfi Neri )の対立が先鋭化してきました。それに土地の有力な二大門閥のドナーティ(Donati)家が黒党を、チュルキ(Cerchi)家が白党を率いるようになり、支配権争いが複雑化してきました。ダンテは、妻ジェンマが政敵ドナーティ家の遠戚であったので、彼の立場は微妙だったことでしょう。

   白党が優勢であった1300年には、党の幹部であったダンテは、七人(6名か8名の時もあった)で構成される執政官(プリオーレ:任期は2ヶ月)を6月15日から8月15日まで勤めたようです。(資料によっては、白党だけで政権を担い3名の執政官を配置したとする説もあります。)翌年の1301年には形勢は逆転して黒党が勢力を持つようになりました。時の教皇ボニファティウス8世と黒党の党首コルソ・ドナーティの陰謀説が有力ですが、ダンテは内乱を収拾するための調停を教皇に求めてローマに出向きました。(教皇庁がフィレンツェに対して教皇のために百人の近衛騎兵を出せと命令してきたので、談判のため出向いた、という説もあります。)その間隙を狙って黒党が白党員への弾圧を強めて政権を掌握しました。ペトラルカの父親も白党員でしたので弾圧を逃れフランス・アヴィニヨンに住むことになりました。ペトラルカの名前「フランチェスコ(Francesco)」は、その詩人がフランスで生まれたので付けられたと言われています。ダンテに対しては、欠席裁判により教皇への反逆と公金横領の罪で有罪判決が下り、出頭命令が出されました。当然、ダンテはその命令に不服を唱えて、出頭にも応じなければ、罰金も払いませんでしたので、1302年に永久追放処分になりました。

   皇帝ハインリヒ7世(Heinrich VII、1275~1313)のイタリア遠征を知って、ダンテはフィレンツェへの復帰を画策しました。しかし、その望みも皇帝の死によって断念せざるを得なくなりました。皇帝の南下によって政治への復帰を期待したダンテは『帝政論(De Monarchia)』を執筆しましたが、その著作の中で教皇の宗教権力と皇帝の世俗権力の分離を主張しました。すなわち「政教分離」を唱えたのです。しかし、その主張は皇帝の死と共にダンテから消えたのかも知れません。ウェルギリウスの言葉として述べられた「汝の頭の上に皇帝冠と教皇冠を授ける」とは、世俗的精神も宗教的精神も共に備え持つという意味に解釈できます。すなわち、ダンテは「政教一致」の精神に転向したのでしょう。むしろ、ダンテにとっては、皇帝も教皇も現世的存在で、その二つの存在を合体することによって、現世を超越しようとしたのではないでしょうか。ダンテの天国は、現世のローマ皇帝もローマ教皇も関与できない超越した世界なのでしょう。