『失楽園』の物語 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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叙事詩とは
 ここでお話しするストリーは、出版社勤務の優秀なサラリーマンが人妻に恋をして、不倫のあげく心中するという『失楽園』の物語ではなくて、イギリス17世紀の詩人ジョン・ミルトンが書いた原題“Paradise Lost”という叙事詩の日本名である『失楽園』の方の物語です。ただし、物語を語る前に、少しお断りをしておかなければなりません。
 西洋の叙事詩という形態は、その始祖ギリシアのホメロス以来の伝統として、起こった出来事を時間の経過にそって順番に語ることはありません。作品の本筋として扱われる時間は比較的短く、その他の出来事は回想シーンの中で語られます。たとえば『オデュッセイア』という叙事詩は、オデュッセウスという英雄がトロイア戦争に参戦するため故国イタケを発ち、戦いに勝った後、海を漂流して帰国した時、留守の間に入り込んでいた悪人たちを退治するという20年にもおよぶ物語です。しかし作品に使われた時間は20年のうちの最後の数ヶ月に過ぎません。その他の時間は回想シーンとして描かれています。
 ミルトンの『失楽園』も同じ技法が使われています。この叙事詩の本筋は、地獄で苦しむサタンの描写から開始され、アダムとイブが楽園を追放される場面で終わります。しかしその中の登場人物の口を借りて色々なエピソードが語られます。その本筋の物語とその中で挿入されたエピソードを総合して、それを起こった順番に並べ替えて、新しく一つの物語に作り替えてみましょう。(『失楽園』からの引用文は基本的には平井正穂訳ですが、私流に多少変形してあります)。

神がキリスト誕生を宣言

イエスとサタンの登場
 天国時間のある日のある時、父なる神が天国の住人(一般には天使と呼ばれる者)たちを「聖なる丘(the holy hill)」に集めて宣言します。「今日、私は、今わが独り子と宣言する者を生み、この聖なる山において、その頭に油を注ぎ、王と定めた。天にいる全ての者は、彼に跪き、彼をおのれの主と仰ぐように申しつける。汝らは、私の摂政としての彼の支配に属し、一つの魂のごとく結ばれて、永遠に幸せであれ。(第5巻603以下)」
 天国では歓喜の歌声が沸き上がりました。しかし、天使群の三分の一を束ねている天使長が、自分の配下の天使たちを天国の片隅に集めて、次のような反逆を唆す演説をします。「神の命令により、ある者が、全ての権力を我が物顔に独占し、油を注がれた王という名の下に、我々の光を奪ってしまった。我らも神の子として、自分自身の生命力によって天に生また。あの者の手によるものではない。」 この天使長の名を「サタン」といいました。ミルトンはサタンのことを「彼は最高位の天使ではなかったが、高い天使の階級に属し、権力においても、寵愛と名誉においても偉大な存在であった。」と紹介しています。この「最高位の天使」とは、聖書にも登場するミカエル、ガブリエル、ラファエルのことでしょう。ゆえにキリスト教の国では、サタンをその次に地位する高位の天使であったと考えていたようです。

サタン一派の反逆

 サタンは部下の天使たちを天国の北極にある「集会の山(the mountain of the congregation)」と名付けた彼の宮殿に集めて、神へのクーデターを呼びかけました。全員その意見に賛同しましたが、アブデルという天使だけがサタンの企てに反対してその場を立ち去りました。

天国の戦争
 いよいよ、天国を戦場にして、神の軍とサタンの軍との三日にわたる戦争が始まりました。さて第一日目、ミカエルを総大将とする神軍とサタンを総大将とする反逆軍が、総力戦で戦闘を繰り広げました。一日目のクライマックスはミカエルとサタンの総大将同士の一騎打ちでした。両者はホメロス『イリアス』のアキレス対ヘクトルの一騎打ち、ウェルギリウス『アエネイス』のアエネアス対トゥルヌスの一騎打ちを彷彿させる戦闘を繰り広げました。両者とも、全能者に次ぐ腕を振り上げ、一撃で相手を倒さんと狙いました。力においても早業においても両者に差はありません。だが神から授かったミカエルの剣の刃は、いかに鋭く堅い刃でも堪えることはできず、サタンの剣を真っ二つに切り、サタンの右脇に深手を負わせました。(第6巻315~)。一日目は神軍の優位のうちに終わりました。
 やがて麗しい『曙』がきらきらと東の空にその姿を現すや否や(第6巻624)、天国の戦争は二日目を迎えました。初戦では劣勢に立っていた反逆天使軍総大将サタンは、戦況挽回をはかって大砲を発明します。その製法と威力は(6巻480行~)、霊気と火の泡からなる物質を、地の底から取り出し、それを空洞の長く丸い装置の中に詰め込み、反対側の点火孔に火をつければ膨張爆発して、凶弾を敵陣に送り込んで、敵どもを木っ端みじんに粉砕し、破壊させるものでした。初戦で勝利を誇っていた天使軍も弾丸を受けたら最後、誰一人として立っておられるものはなく、大天使の上に天使が覆いかぶさって転倒する有様でした。神軍の天使たちは大砲に対応するため山を引き抜いて投げつけて大砲を破壊したので、サタン軍も負けじと山を引き抜いて投げ合いました。(ギリシア詩人ヘシオドスの『神統記』の模倣だと言われている。)もはやこの戦争は収拾がつかない混乱状態のまま二日目が暮れました。
 いよいよこの戦争を終結するために神が登場します。父なる神が息子イエスを呼んで言いました。「ミカエルとその軍勢が逆賊を鎮めるために出征して以来、天の数え方で二日が過ぎた。第三日目はそなたの出番。この大戦を終結させる栄誉はそなたのものである。父の力を纏い、我が戦車に乗れ。我が矢、雷、我が全能の武具をよろい、そなたの強き腰に剣をさせ。(第6巻680~718)」父の言葉を聞いた御子は、栄光に輝く神の右座から立ち上がった。
 第三日目が明けると、父なる神の戦車が疾風のような轟音を発し、炎々たる焔をあげ、車輪の中に車輪があるような勢いで突進していきました。車輪は牽かれることなく自らの霊力によって動き、四人の智天使がその先導をつとめました。御子の戦車の両側には一万両ずつの天使の戦車が陣形をつくって進軍しました。瞬く間に御子は敵軍の正面に到着して、神の武器である雷電を敵陣に投げかけました。その時の模様を実況中継風に話しましょう。(第6巻833~877の要約)
 「御子は敵軍の真っ只中に到達しました。右手にはしっかりと千の十倍もの雷霆を掴み、前方に向かって投げつけられました。それは、敵軍一人一人の魂に恐るべき一撃となって突き刺さっていきました。呪われた天使たちの力はことごとく萎え果て、かっての旺盛な血気も枯れ果てています。ただもう疲労困憊し、勇気を失い、意気消沈し、ただ平伏すのみです。一方、御子はまだ力の半分も出してはおられなかったようですが、雷霆の攻撃を止められました。反逆天使たちを滅亡させるのが御子の目的ではなく、天国から根こそぎ追放するのがその御心であったからです。御子は、山羊の群れでも駆り立てるように、呆然とした反逆天使たちを、天の境にある水晶の城壁まで追い立ててて行かれました。そしてその時、天国の門は大きく開きました。反逆天使たちは、恐れおののいて後へ退きましたが、恐ろしい追っ手がせまっていたので、やむなくその門から真っ逆さまに飛び降りた。地獄は、天から天が落ちてくるのをみて、驚き慌てて避けようとしましたが、その手立てはなく、ついに口を開き、九日間落ち続けてきた天使たち全員を呑み込み、直ちに口を閉ざした。」

地獄に堕ちた天使たち
 『失楽園』の物語は、地獄に落ちたサタンの描写から書き始められています。
 反逆天使たちは気絶して地獄の火の海に倒れていました。サタンは火炎の海の波間から頭をあげて、爛々と眼を輝かせて辺りを見渡しますと、反逆軍の副将ベルゼバブを見付けて語り掛けました(第1巻84~)。サタンは天国での苦しい戦闘を回想し、また今の自分を分析して、戦いに負けたとはいえ身体も精神も天国にいたままであることに気付きました。むしろ今回の戦争体験により武器は神の軍勢に劣っていなかったことがわかり、洞察力においても以前より鋭くなっていると感じました。サタンはベルゼバブに向かって再戦を促して言いました。イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクに「ミルトンは自分では気付いていないがサタンの味方であった」と言わせた程に、『失楽園』のサタンは名言を連発する魅力的な登場人物になっています。サタンは副将に向かって「弱いということは哀れなことだ、事を行うにしろ、事を忍ぶにしろ」と鼓舞しました。(座右の銘に適していますので原文を出しておきます‘to be weak is miserable, doing or suffering’)。さらに自分の反逆を正当化して、「天国において奴隷たるよりは、地獄の支配者たる方がどれほどよいことか」と主張しました。そしてサタンは、今後の方針を協議するために、炎の海に呆然として横たわっているとはいえ、まだ天使の姿を留めている配下の軍勢を叩き起こしました。

伏魔殿

万魔殿の建造と地獄会議
 まず会議を開催するために必要な議事堂を、マンモンを現場監督にして建造に取りかかりました。地獄の地下に埋蔵されている鉱石や硫黄や金塊を掘り出して、後の世に建てられたバベルの塔やエジプトのピラミッド等は子供の玩具に見えるほど巨大で豪華な宮殿を建造しました。そしてその名を「パンデモニウム(Pandemonium)」と名付けました。
 話を先に進める前に、「パンデモニウム」について少し説明しておきます。この言葉は、ローマの「パンテオン(Pantheon)」と対象させて、ミルトンが作った造語です。「パン(pan)」はギリシア語の「すべて」という意味ですから、英語の「all」に相当します。ということは、英語の「パンアメリカン(Pan-American)」と「パンパシフィック(Pan-Pacific)」という言い方は、「オールアメリカン(All-American)」や「オールパシフィック(All-Pacific)」の言い方と、意味的には同じになるわけです。「テオン」もギリシア語で「テオス(神)のもの」という意味ですから「パンテオン」は「すべての神のもの」という意味から、日本語では「万神殿」と訳されています。ミルトンはその神殿をもじって「パン(すべて)」の「デーモン(悪魔)」の場所という意味で、悪魔の神殿を「パンデモニウム」と名付けたのです。日本語では「伏魔殿」と訳されることが多いのですが、悪魔が潜伏する場所ではなく、すべての悪魔が集結する場所なので「万魔殿」と訳すのが適切でしょう。
 さて、新しく建造された万魔殿に地獄に堕ちたすべて天使たちが集結しました。その秘密会議(conclave)の中央の豪華絢爛な王座に座ったサタンの提案で、この地獄に留まって新しい王国を築くべきか、それとも天国を奪還するため再戦すべきかの討議が始まりました(第2巻11~505)。まず最初にアンモン人の王で牛頭人体をしたモロクが進み出て、もう一度武装蜂起をして天国軍と戦おうと主張しました。次は、優雅な姿をしているが低俗なベリアルが、地獄の生活も最悪とまでは言えないので、これ以上の悲痛を招かないように、神に逆らうのは止めよう、と提案しました。ベリアルに同調してマモンが進み出て、戦いなど忘れて、地獄の環境に慣れ、和平の道を探ろう、と提案しました。
 意見が出揃ったところで、副将ベルゼバブが大将サタンの意を汲んで、新しい提案をしました。ベルゼバブの提案(第2巻310~379)を要約しますと、次のようになります。
「天の護りは堅く、神と戦っても勝ち目はない。我々が反乱して地獄へ堕ちたことで、神の支配は天国と地獄の両方に拡大した。天国では黄金の笏で天使たちを、地獄では鉄の笏で我々を支配する。天国はいかなる攻撃にもびくともしない堅固な城壁で護られている。天国で昔から預言され、噂が流れていたことだが、人間と呼ばれる新しい種族が造られ、新しく造られた楽園に住むようになるらしい。力と美点においては我ら天使より劣るが、遙かに大きな神の寵愛を受けるようだ。その人間を滅ぼすか味方に引き入れれば、神への復讐になる。」
 ベルゼバブの計画を聞いて、堕落天使たちは、全員、賛同して歓喜の声を上げました。では、誰がその地球遠征の役を引き受けるのかとなると、すべての天使が尻込みしてしまいました。地獄から地球までは、地獄を脱出し、混沌を通り抜け、神の御座の近くを通って、太陽系宇宙へ入り込まなければなりません。確かにここに集う天使たちは、神と一戦を交えた戦士たちの中でも精鋭の指揮官であったが、単身この恐るべき遠征を申し出る者はいませんでした。そこでサタンが、最高の地位にある者の誇りを示して、この遠征を引き受けました。

サタンの地獄からの脱出
 サタンは地獄を脱出しようとして、門の所までやってきました。その門は、銅製の三枚重ねの板、鉄製の三枚重ねの板そして金剛石製の三枚重ねの板が、更に三重に重ね合わされて九重にした頑丈なものでした。そこで番をしていたものは、絶え間なく大声で吠えるケルベロスに似た番犬たちと、上半身は美しい女体で下半身は醜い鱗に覆われ大蛇の姿をした「罪」という名の妖女と、形のない手足関節を持って影とも実体とも区別がつかない姿で恐ろしい投槍を持った「死」という名の妖怪でした。まず、怪物「死」はサタンを見付けて、襲いかかろうとして近づいてきました。サタンも今では悪魔の頭領、そんな脅しに怯むことなく、必殺の一撃を加えるため近づきました。それを妖女「罪」が「親子喧嘩はやめなさい」と言って二人を制止しました。その三者の関係は、サタンが天国で陰謀を企てた時、彼の頭の中から初めてこの世界に「罪」が生まれましたので、「罪」はサタンの娘でした。それゆえ、サタン一派の反逆天使たちが天国から地獄に落ちたとき、その娘も一緒に落ちてました。そしてその時すでに、「罪」のお腹にはサタンとの間の息子「死」が宿っていました。といことは、「罪」は、サタンの娘であると同時に妻でもあり、また「死」は、サタンにとっては息子であり孫でもあるわけです。

失楽園の宇宙

サタンの地球への遠征
 地獄門を飛び立ったサタンは、多くの困難と危険に遭いながら「混沌」の中を進んで、遙か彼方に彼の故郷であった天国が微かに見える所までやってきました。神は、過去と現在と未来を展望できる高い所から、はるか彼方を飛揚するサタンの姿を眺めながら、未来に起こることを予見して、右座にすわる御子イエスに言いました(第3巻80~)。「反逆者は必死に復讐の念に燃えて、新しく創造された宇宙と、そこに置かれた人間を堕落させるために進んでいる。私は、天使にも人間にも自由な意思を与えておいたので、正しく立つのも、堕ちるのも自由である。結局、人間はサタンの虚言に耳を傾け、私が課した唯一の命令に背くことになる。そのためにすべてを失い、おのが反逆の罪を帳消しにしてくれる者もなく、破滅を宣せられ、破滅に定められた者として、一切の子孫と共に滅びるであろう。誰か力と意思のある者が、人間のために厳しき償いに立ち、死をもって償わなければならない。」そして天使たちに向かって「人間の死罪を贖うために死に、不忠者の救いのために忠義をなす者は、誰かおらぬか」と呼びかけました。しかし、天国には沈黙と静寂が流れるのみでした。人間のために自らの命を投げ出して贖おうとする天使は誰も現れませんでした。このままでは人間は永遠に死んで地獄へ堕ちることになります。しかし右座より御子がその役を申し出て「人間の代わりに私をお使いくさい。人間の生命にこの生命をお使いください。御怒りを私の頭に。私を人間と思し召せ。人間のために、父上の懐を去り、父に次ぐ栄光をすて、喜んで死ぬ覚悟です。」と述べました。

地球へ向かうサタン

 そうするうちにサタンは、太陽系宇宙が天国に最も接近している場所に辿り着きました。そこは原動天で、「混沌」と「暗黒」の侵入を防ぐと同時に、内側にはいくつかの輝く球体を守る障壁の役目を果たしていました。そこには宇宙と天国を接続するヤコブの梯子と呼ばれる場所がありました。それは、天の城壁に達する荘厳な階段で、その頂には、金剛石や黄金のちりばめられた正門が備わっていました。つねづねそこに架かっているわけではなく、ときに天に引き上げられて見えなくなります。下には碧玉や溶けた真珠の海が輝き流れ、後になると、地球より人々が天使に運ばれてやって来ることになりますが、まだその時は階段は引き下ろされていました。(第3巻503~)
 サタンは、その階段を降りて宇宙に入りました。その入り口から見た宇宙の景色の美しさに驚嘆しました。大魔王(そろそろ堕落天使から改名しましょう)は、そこから地球に向かって、天動説の宇宙に従い、「土星」、「木星」、「火星」、「太陽」、「金星」、「水星」、「月」という順序で降りて行くことになりますが、『失楽園』では、太陽の描写しかありません。ミルトンはイタリア旅行中にフィレンツェ近郊で監禁されていたガリレオに面会していましたので、地動説の存在を知っていました。しかし世間はまだ天動説が常識の時代でしたので、ミルトンは二つの説に迷っていました。サタンの侵入を忠告に来た天使ラファエルに対して、アダムが天体の運行について尋ねました。すると天使は答えて言いました。「尋ねることは悪いとはいわないが、天は神の書としてお前の前に置かれている。その中に神の驚くべき御業を読み、その定めた季節、時、日、月、年を知るべきである。こうした知識を得るためならば、天が動こうが地が動こうが構わない。」(第八巻66~)
 太陽に到着したサタンは、堕落前の高貴な天使の姿に変身して、太陽の守護天使ウリエルに地球の在処を尋ねました。するとウリエルは騙されて答えました。「この太陽から受けた光をただ反射しているだけとはいえ、こちら側が燦然と輝いている天球を見るがよい。あれこそが、人間の住んでいる地球である。あの輝きが昼の世界だ。」(第三巻723~)

エデンに着いたサタン
 地球に着いたサタンは、エデンを一望する場所に立ちました。エデンの園の美しさとその園に燦々と光を投げかける太陽の輝きを目にして、自分の悲惨な境遇を嘆きました。そして天に反逆して地獄に落ちたことを後悔しました。この美しい楽園とそこに住む人間を滅ぼそうとする自分を恥じました。神から受ける罰に恐怖を覚えました。しかし最後には、後戻りできないことを悟り、悪に徹しようと決心して、決意の言葉を叫びました。
 「さらば、希望よ!希望とともに恐怖よ、さらば!さらば、悔恨よ!すべての善はわたしには失われてしまった。悪よ、お前がわたしの善となるのだ!お前の力によって、わたしは宇宙を天上の王とともに分割し、少なくともその一部を統治している。全くお前のおかげだ。そして近く半分以上を支配するはずだ。そのことを、まもなく人間もこの新しい世界も知るはずだ。」(第4巻108~113)
 サタンは楽園の甘い香りを満喫しながら、神への復讐の手段と人間を味方に付ける方法を探るため庭園を探索していました。そして楽園の様子をうかがうために、楽園で一番高く、しかも中央に立っている「生命の樹」と呼ばれている木を見付けて、その上に鵜の姿に変身して隠れました。木の上から展望するエデンの園の景色を堪能してはいましたが、気持ちは落ち込んでいたサタンの眼下に、お目当ての存在がいよいよ現れました。(第4巻288~)。その存在は「威厳に満ちた裸体のまま、自然本来の光栄につつまれた気高い姿の二人の人間が、神のように直立して背が高く、万物の王者としてふさわしい姿」をしていました。
 サタンは、人間を征服して神への復讐を遂げる手段を探るため、人間に近づこうと考えました。魔王は、生命の樹の上から、じゃれ合っている四つ足の獣の群れの間に飛び降りました。ライオンや虎の姿に変身したので、二人には気付かれずに近づくことができました。すると幸運にも二人が話し始めたので、サタンは全身を耳にして聴き入りました。すると、サタンの知らなかった貴重な情報を手に入れることができました。その中でも魔王を喜ばせたのは、禁断の果実の秘密でした。神は地面の塵(dust)からアダムを造り、アダムの身体からイブを造って、この楽園に定住させ、あらゆる自由を与えました。(アダムの誕生の瞬間は第8巻250~279で彼自身の口から語られ、イブの創造は第8巻458~475でアダムの口から説明されます。)しかし神は、人間が守る約束事としてただ一つだけ禁じていました。それは、「生命の樹」の側に植えられている「知識の樹」に実る果実だけは食べてはならないという約束でした。人間がその樹の果実を食べると死ぬことになると、神から言われていました。その情報を知ってサタンは、人間に知識を禁じる神の姿勢を奇怪で無法だと馬鹿にし、「人間が罪に堕ちないのはただ無知のおかげだそうだ」と嘲笑しました。そして人間を破滅させるには、知識への欲望を人間が掻き立てさえすればよいと知りました。そしてサタンは、目的成就のために楽園と地球をさらに詳しく調べる探索の旅に出ました。

サタンによるイブの誘惑
 サタンは、チグリス河からアゾフ海を経て北極に向かった後、南下して南極に着き、ガンジス河やインダス河にまで足を伸ばし、ついにまたエデンの園に帰ってきました。魔王は地球を探訪して自分の奸計に最も役立つ生物を探しました。その結果、あらゆる獣のうちで最も狡猾な(subtlest)ものは「蛇」であることを知り、その体内に入り込んで人間を誘惑しようと決めました。そして運命の日の前夜、サタンは草むらの間を黒い霧のように這いずって蛇を探しました。そして眠り込んでいる蛇を見付けて、その口から体内へ入り、知的な機能を吹き込みました。
 いよいよ運命の日の朝が来ました。アダムとイブはいつもの庭仕事に出ようとしていましたが、今朝に限ってイブが夫に提案しました。「一日中、こうしてご一緒では、眼差しや微笑が邪魔になり、珍しいものが見つかれば、つい話し込んでしまいます。ですから、せっかく早起きして、仕事に出ましても、一日の実りはなく、ろくに仕事もしないうちに夕げの時がきてしまします。だから別々に仕事をしましょう。」(第9巻205~)現代風に言えば、イブは女の自立に目覚めたのです。アダムはそれに反対して言いました。「おまえの考えは解るが、悪魔が我らを滅ぼすため侵入している、と天使ラファエルが忠告した。妻たる者は、自分を守り最悪な場合は、共に耐え忍んでくれる夫に連れ添うことが、安全で賢明な道だ。」(第9巻227~)。しかしイブは「信仰、愛、徳などといいましても、ひとりで他から助力なしに試みられてこそのもの」と主張して引き下がらなかったので、単身で仕事に出ることを、しぶしぶ承知しました。
 イブを目の当たりしたサタンは、彼女の天使よりも淑やかで無垢そのものの美しさに呆然としてしまい、しばしの間、敵意も、奸計も、憎しみも、嫉みも、復讐の念も、すべての悪を忘れてしまっていました。しかしサタンは、天国で恵まれた境遇にいたときでさえ地獄の悪を持っていた存在でしたから、また再び以前よりも激しい憎悪が蘇ってきました。さらなる悪意をかき立てて、イブを誘惑し始めました。
 蛇はイブに向かい「至高の女王様(sovereign mistress)」と呼び掛けます。そして次から次へと立て続けに賞賛の言葉を投げかけました。「貴女は美しい創造主の似姿の中で一番美しいお方(fairest resemblance of thy maker fair)」、「生きとし生けるものはすべて貴女の天女のような美しさを崇め、恍惚として見とれます(all things living・・・thy celestial beauty adore with ravishment
)」、「無数の天使たちに崇められ、かしずかれた神々の中の女神(a goddess among gods, adored and served by angels numberless)」などと、サタンは美辞麗句を並べました。(第9巻532~548)
 イブはサタンの褒め言葉に虚栄心をくすぐられましたが、それよりも驚いたことは蛇が人間の言葉を話しているという奇跡でした。神が天地と万物を創造した時から、はっきりした音声で言葉を話す能力は人間にだけ与えられてきました。それなのにイヴは、いま目の前で蛇が人間の言葉を話すのを不思議に思って尋ねました。「蛇よ、お前が野に住んでいる動物の中で一番賢いもの(subtlest beastof all the field)であることは知っていたが、人間の声を出す力があるとは知らなかった。どうしてものを言わぬ身がものを言うようになり、私の前に姿を現す動物たちのうちでお前だけが、特にこんな風に私に親しみを示すようになったのか。どうしてこんな不思議なことが起こったのか、私はぜひ知りたい。」
 そのイブの質問にサタンは答えて言いました。「もともと私も地面の草を食べる他の動物を同じで、それを食べていた時は考えも卑しい下等な動物でした。ある日、野原を彷徨っていた時、一本の見事な樹が赤くまた金色に輝く多彩な美しい林檎を、枝もたわわにつけているのを見つけました。他の動物は手が届きませんでしたが、蛇である私は樹の幹に体を絡ませ、這い上がって行き、手当たり次第にもぎ取って、腹一杯食べました。すると今まで経験したことのないような悦楽の境地になりました。ふと気付くと、理性の力が生まれて、言葉を話す能力も生じてきました。」(第9巻567~612)
 イブは好奇心に駆られて、その樹の場所へ連れて行ってくれるようにと頼みました。サタンは大喜びして、イブをその樹のところに連れて行きました。しかしその樹を見たイブは「この樹ならば来るまでもないく、すでに知っていました。確かに林檎が枝もたわわに実っていますが、効果がでるとすれば、お前だけのことです。神の命令で、私たち人間には、この樹の果実を食べるどころか、触れることさえ許されていません。私たち人間は、食べれば死ぬことになります。」
 食べることを拒否するイブの言葉に、サタンはますますファイトが湧いてきて、アテネやローマの雄弁家のように弁舌巧みに説得を試み始めました。「宇宙の女神よ、死ぬという厳しい脅迫を信ずる必要はありません。貴女たちは死ぬことはありません。もし死ぬとすれば、どんな風にして死ぬのですか。この果物のためにでしょうか。それともあの脅迫者(神))の手に掛かって死ぬのでしょうか。もしそうなら、私を見て下さい。私は果物に触れ、味わいましたが、それでもこうして生きています。それどころか、蛇の限界を高く超えて、運命が定めていたい以上の完璧な生命を我が物にすることができました。私がこの果物を食べて動物から人間になったように、貴女たち人間にとって、これを食べて死ぬということは、人間性を脱ぎ捨てて神性を身につけるという意味です。女神よ、優しきイブよ、どうか手を伸ばして心おきなく味わって下さい。」(第9巻679~732)

誘惑に負けたイブ
 サタンの奸策を秘めた言葉は、イブの心に易々と食い込んで行きました。イブは手を伸ばして果物をもぎ取り、口にしました。すると同時に、大地は傷の痛みを覚え、「自然」もその万象を通じて呻き声をもらし、悲歎のしるしを示しました。イブをたぶらかした蛇は、こそこそと草むらの中へ隠れてしましました。その後も、イブは神のごとくなりたいを思い、禁断の果実をひたすら貪欲にむさぼり食いました。やがて満ち足りたイブは、酒に酔ったように上機嫌になっていました。そしてアダムにはどう接すれば良いか考えました。「身の上に起こった変化を彼に知らせ、この大きな幸福を共に味わってもらおうか。否、せっかく手に入れたこの知識を誰にも教えないで、自分の武器として独り占めにしておこうか。そうすれば、女として自分に欠けているものを補って、いっそうアダムの愛情を惹きつけることができるかも知れない。それどころか、さらに彼の上に立つ人間になれるかも知れない。」(第9巻795~825)
 イブは、いろいろ楽しいことを考えていましたが、だんだん不安な気持ちが出てきました。「もし神がご覧になっていて、やがて私に死が訪れたらどうしよう。私が死んでこの世からいなくなったら、アダムは別のイブと夫婦になって楽しく一緒に暮らすに違いない。そんなことは考えただけでも死ぬ思いだ。」そして最後に、「幸福であれ不幸であれ、アダムには私と一緒に暮らしてもらおう。私はアダムを深く愛しているから、一緒ならどんな死にも堪えられる。一緒でなければ、たとえ生きていても生きていることにはならない」という結論になりました。
 一方、アダムは仕事を終えて、イブの帰りが遅いのを心配しながら待っていました。しかし アダムは、不吉な予感に襲われたので矢も楯もたまらず、朝二人が初めて別れ別れになってからイブが独りで歩いた道を辿って迎えに出ました。知識の樹の側まで来たとき、その樹から離れて帰りかけていたイブに出会いました。イブはサタンに騙されたとは気付かずに、賢い蛇との出会いをアダムに話して聞かせました。「蛇に勧められて知識の樹の果実を食べたが死ぬことはなかったこと」、「死ぬどころか、心が豊かになり、イブ自身が神性の高さまで昂揚しこと」などを喜々として語りました。この幸福はアダムと共に味わってこそ本当の幸福なので、アダムも一緒に果物を食べてほしいと懇願しました。(第9巻834~885)
 人間にとって致命的な罪科を犯したことにも気付かず、イブが快活な表情を浮かべながら話すのを聞いて、アダムは驚愕し、呆然として立ち尽くしました。冷たい戦慄が血管という血管の隅々を駆け巡り、全身の関節がはずれてゆく感じがしていました。しかしアダムは、最後には運命を共にすることを決めて、平静な気持ちになって言いました。「私はお前と運命を共にし、同じ審判を受ける覚悟だ。死がお前の道連れなら、そのお前の死は私にとって生命と同じものだ。それほど強く私は心のうちに自然の絆を感ずる。なぜなら、まさしくお前そのものが私のものに他ならないからだ。われわれの境涯は切り離しえないものなのだ。われわれは一つだ、一つの肉体だ、お前を失うことは私自身を失うことだ。」(第9巻953~959)

禁断を犯したアダムとイブ
 アダムが神の怒りと死を一緒に受け入れてくれるのを知って、イブは持っていた枝から林檎をもぎ取り彼に渡しました。アダムは、神からの教えに逆らい、躊躇することなく果実を食べました。(ミルトンは「惑わされたからではなく、イブの女としての魅力に愚かにも負けたからに他ならなかった(997~999)」と結論付けています。)大地は震えおののき、自然も呻き声をあげ、空もかき曇り、雷鳴をとどろかせながら人間が原罪を犯したことを嘆き悲しみ、悲痛の涙を流しました。一方アダムとイブは、ひたすら果実を貪り食べていました。すると二人には神のごとき力が湧き、その力がさらに翼を持って、その翼に乗って空高く飛翔しているような幻覚に陥っていました。それは淫乱な視線を投げ合う二人の中に情欲の炎が燃え盛っていたからです。二人は愛の戯れに心ゆくまで堪能したが、やがて性欲の甘い戯れに疲れ果てて眠りに襲われました。理性を失わせた果物の効力が消滅し、二人には悪夢が襲い、重苦しい眠りも去りました。すると正しさを信ずる心も、名誉を重んずる心も失われ、罪に悩む羞恥心が裸体であることの恥ずかしさを感じさせました。そして二人は、互いを非難し合うようになってしまいました。

神の裁きと温情
 アダムとイブが罪を犯したことが明らかになったので、ガブリエルを隊長とした楽園守備天使たちは任務を終えて、状況報告のため天国へ撤収して行きました。父なる神は、自由意思を持った人間が、予言通りにサタンの誘惑に負けて罪を犯してしまったことを、天使たちの前で報告しました。そして父神は、いくいくは人間の救い主と定めた御子イエスを、この裁きのために遣わすことにしました。
 御子イエスは、天国の門まで天使たちの見送りを受け、温情豊かな審判者(mild Judge)としてまた同時に仲保者(IntercessorまたはMediator)として、アダムとイブに宣告を下すためエデンの園に降りてきました。アダムとイブは御子の声が聞こえたので、黒々と生い茂った樹々の間に隠れてしまいました。しかし御子イエスは二人に近づき、「アダムよ、どこにいる。以前は、喜んで出迎えてくれたお前が、なぜ隠れる」と大声で呼びかけました。アダムと、その後ろからイブがしょんぼりと出てきました.隠れた理由を「裸でしたから」と答えたので、御子は自らが獣の毛皮で作った衣を二人に着せました。
 この時、イエスが審判者として行った裁きは、アダムとイブに加え蛇に対しても行われました。アダムには、神が食べるなと命じたのに妻の嘆願にまけて食べてしまった罰として、自分で働いて食糧を手に入れなければないという労役の義務を与え、最後には死んで土塊に帰るという定めを与えました。そしてイブには、妊娠と出産の苦しみを与えました。さらに蛇には、死ぬまで地面に腹をつけて這いずり、塵を食べて生きるよう命じました。

サタン誘惑に成功して帰る

サタンの凱旋
 一方、地獄の門ではサタンの娘「罪」と息子「死」が、地球の方から漂ってくる屍の腐敗臭を嗅いで、父の成功を感じ取っていました。そして二匹の妖怪は、混沌界に含まれている鉱物や埃を固めて、地獄門から太陽系宇宙の入口までサタンが通って行った経路に沿って、巨大な橋を建造しました。これによって、宇宙の端から天国に伸びる道(ヤコブの階段)とその端から地球に下る道(空路)と地獄門からその端に通じる新しい道(橋)の三つの路線が完成したことになりました。
 サタンはイブを誘惑した後、近くの森に隠れて、アダムも禁断を犯し堕落したのを見届けてから、混沌界の入口に着いた時、「罪」と「死」の二人の実子が迎えに来ていました。サタンは二人の子に、地球へ行って支配者になるよう命じて、彼自身は二人が造ったばかりの橋を通って地獄への帰途につきました。そして地獄の万魔殿に着いたサタンは、首領の帰りを待ちわびていた悪天使たちに向かって凱旋の演説をしました。
 「私は、望み以上の成功を収めて帰還した。この呪うべき奈落の底から、例の暴君が我らの牢獄と定めたこの悲しみの住み処から、諸君たちを救い出せる希望を持って帰ってきた。我々の故郷である天国にそれほど劣らない広い世界があった。その中には、我々の追放のおかげで造られた人間が幸せに住んでいた。私は奴らをたぶらかして、創造主から堕としてやった。驚くなかれ、神は、林檎ひとつで腹を立て、その愛し子とその世界を我々の餌食として渡したので、我々は神にかわって人間を支配することができる。」(第10巻460~503)
 意気揚々と演説を終えたサタンは、得意満面の表情を浮かべながら、喝采と賞賛の嵐が万魔殿に轟き渡るのを待ち構えました。ところが、沸き上がってきた音は、無数の舌から洩れてくる不気味な「シュッシュッ」という声でした。するとサタンの体がだんだんと変化して大蛇の姿になりなりました。そして他の悪天使も全員が蛇に変身してしまいました。そして悪天使たちは、イブを欺いた罰として、焼け付くような渇きと激しい飢えに苦しめられたので、果物が実っている樹によじ登ってそれを貪り食いました。ところがそれは、美味しそうに見える苦い灰で作られていましたので、食べた天使たちは吐き出しました。さらに飢えと渇きは増幅したので、また灰の果物を食べないわけにはいきませんでした。やがて神は彼らを許して元の姿に戻しましたが、年に一回だけ悪天使たちを蛇に変身させる同じ罰を与えてきました。

楽園からの追放
 御子イエスは、悔い改めたアダムとイブのために、父なる神に許しを乞いました。父神は御子の願いを聞き入れて二人を許しますが、楽園に住み続けることは許しませんでした。なぜならば、不潔で不調和で不純な混ぜものを知らないエデンの純粋不朽の諸元素は、今や穢れ果てた人間を吐き出そうとするからです。父神は、最高位天使ミカエルに人間の楽園追放と楽園の警護の任務を命じました。ミカエルは天使たちの中から屈強のものを選りすぐり遠征隊を編成してエデンに向かいました。(第11巻1~125)
 楽園に着いたミカエルは、神から命じられたように、アダムとイブに楽園からの永久追放を宣告しました。また同じく神の依頼により、二人が悲報を聞いて絶望に沈み込んでしまわないように、慰めを与えてから追放することにしました。アダムとイブは、二度と楽園に戻ることはできないが、将来、イブの血を引くマリアから生まれた子がサタンに打ち勝って、またアダムの子孫たちがエデンに住むようになると伝えました。(ここでは余談ですが、ダンテ『神曲』ではアダムとイブはエデンに帰ってきたかも知れません。知りたい人は『神曲』のところを読んでください。)そして更に、ミカエルはアダムを高い山に連れて行き、彼が犯した原罪が彼の子孫たちに起こる悲惨な出来事を映像として見せました。
 非道な暴力に傷つく民たち、色々な病気に苦しむ者たち、贅沢を貪る者たち、性欲に溺れる者たち等々、アダムとイブが林檎を食べたことが原因で起こる悲惨なことを、ミカエルはアダムに見せました。そして希望を与えるため、ノアの箱舟の出来事を詳細に見せました。(ノアのエピソードは第11巻712~869)。
 派遣天使の隊長ミカエルは、洪水の後に続いて起こることを話し続けました。傲慢で野心満々な人間が現れて、瀝青と煉瓦とを材料にして天に達する巨大な都とバベルの塔を建造したために、神は彼らが話す言葉をコミュニケーションのできないものにしてしまうだろう。その他モーセの偉業など、現代人の私たちなら旧約聖書ですでに知っていることを、ミカエルはアダムに将来に起こる出来事として見せました。そして最後に、神の御子がアダムとイブが犯した罪を贖うため、人間の肉をまとって地球に現れる。すなわち、神の律法への服従というアダムにはできなかった努めを、救世主はアダムにかわって果たされることになる。主は、肉の形をとってこの世に来て、アダムが受けるべき罰をお受けになる。だから主は、人々に憎まれ、冒涜され、暴力によって逮捕され、裁かれ、死刑を宣告され、十字架に架けられ、釘を打たれ、殺されることになる。つまり、アダムと全人類の罪をイエス自らが背負って磔にされることによって、逆に十字架にその罪を釘付けされるだろう。(第12巻400付近) 
 アダムは、天使ガブリエルに連れられて山を降りました。そしてイブに語って聞かせようとしましたが、すでに神は眠りの中で夢のかたちを取ってイブに話していました。二人はエデンから出る覚悟を決めました。天使たちの一隊が見守る中を、ミカエルに急き立てられて、アダムとイブは楽園の東門から出て、急坂を下っていきました。『失楽園』の長い物語は、以下の詩句で閉じられます。
 「アダムとイブの眼からは、おのずから涙があふれ落ちた。しかし、それをぬぐった。彼らの眼の前には、安住の地となるべき世界が広々と横たわっていた。そして、摂理が彼らの導き手であった。二人は手に手を取って、さ迷いの足取りも重く、エデンを通って二人だけの寂しい道を辿っていった。」
(『失楽園』からの引用文は基本的には平井正穂訳ですが、私流に多少変形してあります)