ホメロス『オデュッセイア』の物語 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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『イリアス』と『オデュッセイア』

 

 ホメロスは、紀元前8世紀頃の『イリアス』と『オデュッセイア』の二つの叙事詩を書いた詩人だと言われています。その二つの作品は、西洋に現存する最も古い作品です。しかも原初の時代に書かれた作品としては余りにも完璧なので、ホメロスの実在を疑う古典学者も多いようです。また創作年代も曖昧です。紀元前750年以前ではないであろうという程度です。その根拠も曖昧で、フェニキア文字を基にしてギリシア文字が作られたのが紀元前8世紀中頃だったので、ギリシア語で書かれたホメロスがそれ以前には創作されることは不可能である、という理由なのです。まさしくホメロスの両作品は、無の中から突然に完璧な状態で現れたので、ホメロス複数人説が当然の如く信じられています。
 ホメロスに挑戦しようとしている人は、『イリアス』から読まれることを薦めます。分類としては「軍記物」に属しますので、トロイアという有名な国で、誰もがよく知っている武将が次々に登場して、戦闘場面が繰り返されます。全15,685行の長編なので読破するには時間は掛かりますが、ストーリーが単調なので読み通すことは容易です。『イリアス』とは対照的に、『オデュッセイア』は多様性に富んだ作品です。冒険・探検談あり、人情話あり、冥界訪問あり、武闘場面あり、恋物語ありと、近代文学のあらゆるジャンルの原型が詰まっています。

 


ホメロス『オデュッセイア』の中のオデュッセウスの漂流譚

ホメロスのオデュッセウスの航路。当然、ほとんどの地名は架空で、その場所は後世の者が推測したものです。

 


 ホメロスの『オデュッセイア』という叙事詩は、オデュッセウスが故国イタケを出てトロイアで戦いって勝利を得るまでに10年、トロイアを出帆してイタケに帰るまでに10年の、併せて20年の出来事が語られています。しかし作品の本筋として使われている時間は20年の内の数ヶ月で、他の年月の出来事は、回想、挿話、逸話として語られます。この叙事詩は、ほとんどの冒険を終えたオデュッセウスが、帰国を前に、オーギュギア島の女神カリュプソに引き留められている情況から開始されています。しかしここでは、トロイアを出てイタケに着き、留守の間に入り込んでいた悪人(妻ペネロペイアへの求婚者)たちを退治するまでの話を、時間に沿って順に並べ替えて物語を作り変えましょう。


ホメロスが叙述したオデュッセウスの漂流譚

 

〔キコネス族の国からロトパコスの国へ〕

 ギリシア軍がトロイアを10年掛けて陥落させた後、オデュッセウスは12隻の船を整えて祖国イタケへの帰路に着きました。先ず、キコネス族の国へ行き、そこの城市を攻略しました。その戦いで若干名(72人?)の戦士を亡くしましたが、財宝や女奴隷を奪い部下たちに分け与えました。そして、そこを出航してイタケに向かいましたが、数日後、暴風にあって、10日間漂流したあげく蓮の実を食べるロトパコス(蓮lōtos食べるphagein)の国に漂着しました。この国の民は友好的で、偵察に送った部下たちを歓待して蓮の実を食べさせました。それを食べた者たちは帰るのを嫌がったので、無理やり船に乗せて出港しました。

 

〔キュクロプスの国〕
 次に着いたのは、一つ眼の巨人キュクロプスの国でした。そこは、樹木も果樹も穀物も野生のまま豊富に茂っていました。そこから少し離れた小島がありましたので、部下の中から腕利きを12人選び、ぶどう酒をたっぷり持って、一隻の船で出向きました。その島の洞窟には海神ポセイドンを父に持つポリュペモスという名のキュクロプスが独りで住んでいました。彼が留守の間に、オデュッセウスたちは、彼が蓄えた食料を奪おうとした時、そのキュクロプスが帰って来てしまいました。洞窟に閉じ込められたオデュッセウスと部下たちは、毎日二人ずつ、キュクロプスに食べられることになりました。二日目に四人が食べ殺されたところで、オデュッセウスは持ってきた酒をたっぷりと一つ眼巨人に飲ませて眠らせました。そして、キュクロプスが寝ている間に、その怪人の一つしか無い眼を先の尖った大きな杙で刺し貫きました。怪人が、眼が見えず慌てている隙に羊を奪って船に乗せて、仲間の待つ港に戻りました。そして再び、12隻の船団を組んで祖国を目指して出港しました。ところがその時、眼を潰された巨人ポリュペモスは父ポセイドンに訴えて「オデュッセウスが故郷へ帰ることが出来ないようにしてほしい。もし帰郷が神の定めならば、艱難辛苦を与えてから帰国させてくれ」と呪いをかけました。

 

〔アイオロスの国〕
 大勢の部下を亡くした悲しみのうちに航海を続けて、風神アイオロスの島に着きました。その国は島全体が城壁で囲まれた浮島でした。アイオロスには6人の息子と6人の娘がいて、それぞれ兄と妹を夫婦として結びつけていました。それゆえに、アイオロス夫婦と子供たち12人の合計16人がすべて家族なので、みな仲が良く、毎日饗宴を催して楽しく幸せに暮らしていました。そこへ着いたオデュッセウスたちは歓待を受け、一ヶ月のあいだ滞在しました。その後、風神アイオロスは、9歳の牛の皮で作った袋の中に悪さをする風を封じ込んで白銀の紐で結わえて船に乗せてくれました。そのために、帰国の航路で順風だけが吹きましたので、イタケが間近に見える沖合まで順調にやって来ました。そころが、その袋の中身を財宝だと勘違いした部下がその紐を解いてしまったので、嵐がおこって、またアイオロスの島へ逆戻りしてしまいました。再度アイオロスに頼みましたが、今回は風神も愛想をつかしてオデュッセウスの一行を島から追い払いました。

オデュッセウスの船団を襲撃するライストリュゴネス族(紀元前60年から40年の作)

〔ライストリュゴネスの国〕
 今度は祖国へ向かうための追い風が吹いてこないので、船は7日間漂流して、ライストリュゴネス族の国に辿り着きました。そして真っ先に、三人の部下を偵察に出して、その国の様子を探らせました。進む途中に泉があって、そこで国王アンティパテスの王女に出会いました。その姫に、この国のことを尋ねると、高々と聳える城を教えてくれて、そこへ案内されました。そして王が彼らと接見した途端に、そのオデュッセウスの部下の一人を掴み取って夕食のおかずに食べてしまいました。残った二人は、命からがら船のところに逃げ帰りました。ところが、国中からライストリュゴネス族の屈強な者が攻め寄せてきて、オデュッセウスの艦隊めがけて巨大な岩石を投げつけました。その攻撃によって、12隻あった艦船は、オデュッセウスの乗る1隻を残してすべて沈められてしまいました。またほとんどの部下も、この時に失ってしましました。
 

〔魔女キルケの国〕

人間を猛獣に変えるキルケ。ライト・バーカー(Wright Barker)の1889年の作
 

 大勢の部下と艦船を失った傷心のオデュッセウス一行が辿り着いた国は、女神キルケの統治する国アイアイエ島でした。乗組員全員は、疲労の余り二日二晩、眠り続けました。そして三日目に森の中へ食料の調達に入りました。すると巨大な鹿を見つけて、それを槍で仕留めて船の所へ持って帰りました。その晩は、その鹿肉と船に積んできた酒で宴会をして、夜が更けてから睡眠を取りました。四日目の陽が昇った時、部下を二手に分けて島を偵察することにしました。オデュッセウスが指揮する隊とエウリュロコスが指揮する隊とに分け、それぞれに22人ずつの部下が従いました。エウリュロコスの部隊が森の中を進んでいると、沢山の狼やライオンなどの猛獣が犬のようにおとなしくしている光景を目にしました。さらに森の中へ入ると、美しい館から美しい歌声が聞こえてきました。22人の部下全員が屋敷の中へ入って行きましたが、隊長だけは、怪しいと思って外に留まっていました。そして外から覗き込みますと、部下たちが魔薬を混ぜた粥を飲まされて、全員、豚に変えられているのを目撃しました。隊長エウリュロコスは船の所に逃げ帰って、仲間に見てきた様子を話しました。オデュッセウスは全員で仲間を助けに行くことを命じましたが、エウリュロコスは助けることなど不可能なので、少しでも早く逃げようと主張しました。そのために、 オデュッセウスだけ単身で救出に行くことになりました。
 キルケの館に向かう途中で、ヘルメス神が援助にやって来ました。その神は、キルケと戦う方法を伝授しました。そして女神の魔法を封じる薬草モーリュ草を持たせて送り出しました。そのお陰で、オデュッセウスはキルケの魔法に打ち勝ち、部下たちを元の人間の姿に戻すことに成功しました。しかしオデュッセウスはキルケと恋に落ちて、このアイアイエ島に留まることに決めました。それから丸々一年間、オデュッセウスを始め部下たちもキルケの島で快楽に耽って過ごしました。そして一年たった時に、故国イタケに帰る使命を思い出しましたので、キルケに帰国を懇願しました。キルケも快く承諾してくれましたが、帰国前に冥界へ行って、予言者テイレシアスから託宣をもらって来なければならないと指示されました。

 

〔冥界訪問〕

 死んだ者しか行くことのできない冥界へ、生きたまま訪れ、生きたまま現世に帰ってくる物語が世界の各地に存在しています。まさしくダンテの『神曲』は、全篇が冥界での物語です。その様な物語を「冥界訪問譚」(カタバシス)と呼びます。ホメロスの『オデュッセイア』の「冥界訪問譚」は、ヨーロッパ文学の本家本元で、元祖カタバシスと認定されています。
 キルケの指示に従って、オデュッセウスの船は北風が導くままに進みました。「オケアノス(大洋)の流れを渡りきった(第10巻511)」所で船を停泊させたのち、オデュッセウスは、亡者たちへの供え物とテイレシアスへの生贄として立派な黒い羊を携えて冥界へ入って行きました。そして火の川ピュリプレゲトン(Pyriphlegethōn)と悲しみの川コキュトス(Kōkytos)と憎しみの川ステュクス(Styx)の三川がアケロン(Acherōn)大河に合流する付近で、供物の羊の血を穴に溜めて、テイレシアスが現れるのを待ち受けました。
 まず最初にやって来たのは、オデュッセウスの部下だったエルペノルでした。この男は酒に酔ってキルケの館の屋根から落ちて死にました。しかし、まだ埋葬されていないので、キルケの島に戻ったら葬儀をしてほしいと懇願しました。次にやって来たのは、オデュッセウスの母親アンティクレイアでした。彼女は、彼がトロイアに出征した後に亡くなったので、彼は母の死に目にはあっていません。母の霊は供物に近づこうとしましたが、テイレシアスに面談するまでは許されないことでした。オデュッセウスは、胸が引き裂かれる思いで、母の接近を許しませんでした。
 ようやく、テイレシアスの霊魂がやって来て、オデュッセウスに託宣を伝えました。海神ポセイドンが息子の単眼巨人ポリュペモスの眼を潰されて大いに怒っているので、オデュッセウスは無事には故国イタケには帰ることはできない。しかし、立て続けにおこる艱難辛苦に絶えれば、イタケへの帰還は叶えられる。ところがイタケにはオデュッセウスの貞淑な妻ペネロペイアに求婚を迫って、大勢の悪い求婚者が屋敷を占拠している。オデュッセウスは、帰国後にそれらの求婚者たちを殺害して、国を取り戻すことができる。以上がテイレシアスの予言でした。
 テイレシアスが神託を語り終えて冥界の奥に帰って行ったので、側に控えていた母アンティクレイアの霊魂は、供物の羊の血を飲むことができました。そして飲み終わると、イタケ王家のことを話し始めました。嫁(王妃)ペネロペイアのこと、孫(オデュッセウスの子)テレマコスのこと、年老いた夫(オデュッセウスの父)ラエルテスのことを話しました。オデュッセウスは、三度も母を抱こうとしましたが、手応えを感じることができませんでした。
 オデュッセウスが母の亡霊と話している間に、多数の高貴な身分の女たちの亡霊が集まって来ていました。その箇所では、13名の高貴な女の名前が上げられ、それぞれの女にまつわる逸話が紹介されています。そして遂に、冥界の女神ペルセポネイアが現れて、その淑女たちを立ち退かせると、今度はアガメムノンの亡霊が近寄ってきました。彼は、トロイアから故国ミュケナイに凱旋したとき、妻クリュタイメストラがアイギストスと共謀して彼を殺害したことを告げました。そして、オデュッセウスの息子オレステスは、アガメムノンの弟メネラオスの館に滞在していることを教えました。
 二人の英雄が歓談をしている間に、アキレウスやパトロクロスやアンティロコスやアイアスなどギリシアの勇者の霊魂がやって来ました。その中からアキレウスが進み出て、オデュッセウスに話し掛けてきました。この二人の英雄の懇談の模様は、私のブログ「『神曲』地獄巡り36.ダンテの描くギリシアの英雄たち」の「『イリアス』以後のアキレウス」の箇所を参照してください。
アキレウスの他にも多くの霊魂たちが、現世にいる身内のことを聞くためオデュッセウスの周囲に寄ってきました。しかし巨漢のアイアスだけは遠ざかっていました。彼とオデュッセウスには、生前に悪い因縁が重なりました。アイアスは、パトロクロスの追善競技のレスリング種目でオデュッセウスと戦って引き分けました。しかし、アキレウスの死後に、彼の武具を取り合って二人の英雄は戦いましたが、アイアスは敗れました。そのためにアイアスは遺恨を持っていて、オデュッセウスが和解を申し出ましたが、返事もしないで立ち去ってしまいました。

 アイアスがオデュッセウスの呼び掛けを無視して去ってしまった後、冥界の判官ミノスの姿が眼に入りました。そして次には、不凋花の野(asphodelos leimōn:英語the field of asphodel)で、巨人オリオンが青銅の棍棒を持って野獣を追っているのが見えました。次は、二羽の禿鷹に肝臓を啄まれるているティテュオスの姿が目に入りました。次に見かけたのはタンタロスで、すぐ近くに水が湧いても飲むことができず、熟した果実があっても採ることができないで苦しんでいました。さらに進むと、巨岩を山の頂に押し上げた途端に転がり落ちてしまうので、また麓から押し上げる行為を永遠に繰り返しているシシュポスの姿が見えました。最後にヘラクレスに出会いました。この英雄の本体は不死なる神々の中にいますが、幻像(ギリシア語eidōlon)の方は冥界にいました。ヘラクレスは、従兄のアルゴス王エウリュステウスから押しつけられた12の難業に苦労したことを、オデュッセウスの苦難と重ね合わせて同情を寄せました。

 

 

三大怪物との遭遇

 

 オデュッセウスは、これ以上冥界に滞在してゴルゴンのような怪物が出るのを恐れましたので、仲間の船に戻りました。そして船は順風に乗って、再びアイアイエ島へ戻りました。その島の女神キルケは、死者の国から帰ったオデュッセウスたちの労をねぎらい、宴を催しました。そして慰労の宴が終わり、キルケはオデュッセウスとの最後の夜を二人きりで過ごしました。その時、女神は、イタケに辿り着くまでの苦難とその対処法を教えました。そして出港したオデュッセウスは、キルケの教示に従って船を進めました。
 まず、魔女セイレンの海に差しかかりました。通り過ぎる海岸には、セイレンたちの美しい声に魅せられて命を落とした者たちの遺骸がいっぱい散乱していました。オデュッセウスは魔女の声に引き寄せられないよう、部下に命じて彼の身体を帆柱にきつく結わえさせました。そして、部下の漕ぎ手たちには魔女の声が聞こえないように蠟で耳栓をしました。そのために全員が無事に通過することができました。
 

「オデュッセウスとセイレンたち」ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1891年作

 

 次は、両岸が切り立った岸壁に挟まれた海峡を通過することになりました。(メッシーナ海峡説が定説化しています。ウェルギリウス『アエネイス』のアエネアスは、この海峡の通過を避けてシシリア島を迂回しました)。その海峡の一方にはカリュプディスという怪物がいて海水を飲み込んでは吐き出して、猛烈な渦潮を発生させていました。もう一方にある断崖にはスキュラという怪物がいました。その怪物は、六つの頭を持っていて、それぞれの口には三列に並んだ鋭い歯が尖っていました。そして、胴体には12本の手足が付いていて、空中で動かしていました。キルケの助言は、渦巻を通ることは不可能なので、スキュラ側を一目散に漕いで通過せよ、というものでした。そして、その怪物と闘っても勝ち目などはなく無駄なことなので、スキュラが6つの口で6人の部下を噛み殺している間に逃げのびよ、という残酷な助言でした。

 


太陽神の島トリナキエ

 

 6人の部下を犠牲にはしましたが、かろうじて難関を通り過ぎました。怪物たちとの死闘に疲れて漂着したのは、太陽神ヘリオスの島トリナキエでした。現在のシシリア島であろうと推測されています。その島への上陸は、テイレシアスの神託でも、キルケの助言でも禁じられていました。それゆえに、オデュッセウスは、この島には上陸しないで通過するよう命じましたが、エウリュロコスをはじめとしてすべての部下が、疲労も限界なので上陸させてほしいと訴えました。その願いに負けてオデュッセウスは、船に積んできたものは飲み食いしても良いが、島のものには手を着けないことを条件にして上陸を許しました。ところが、一ヶ月も風が吹かず出港することができなかったので、船の食料が底をつきました。そのために、オデュッセウスが寝ている隙に、エウリュロコスが主導して部下全員で太陽神の牛を捕らえて食べてしまいました。6日間、神の牛を食べ続け、7日目に航海に好都合な風が吹き始めました。
 オデュッセウスたちは船に乗り込み、祖国へ向けて出帆しました。しかし、大海原に出ると大風が襲って来て、船は難破してしまいました。さらにゼウスの雷霆に打たれて、船はこっぱ微塵に崩壊してしまいました。部下たちは全員、海の藻屑となりました。オデュッセウスだけは命が救われて、海に浮かんでいた竜骨(ギリシア語はtropis、英語はkeel)と帆柱を結わえて筏を作り、それに乗って漂流しました。すると南風が吹いて、オデュッセウスはふたたび怪物カリュプディスの大渦巻の所へ引き戻されましたが、九日間、波に揉まれたのち、十日目にカリュプソの島オギュギエに漂着しました。

 

 

カリュプソの島にて

 

 オデュッセウスは、全ての部下を亡くして、一人きりでオギュギエ島の浜に流れ着きました。その島は、不死なる神々でさえ心を慰められるという美しい地上楽園でした。オデュッセウスは、その島を支配する美しい女神(妖精、女王とも呼ぶ)カリュプソに愛され、夫にするために引き留められました。滞在は7年にわたり、8年目に、ゼウスとアテネの両神はヘルメスを伝令としてカリュプソのもとに遣わして、オデュッセウスの帰国を促しました。カリュプソ女神はゼウス大神の命令なので、泣く泣くオデュッセウスを送り出すことにしました。しかし、その島には船もなく櫂を漕ぐ男もいなかったので、20本の木材で筏を造り、それにカリュプソから与えられた布で帆を付けて、大海を渡ることになりました。

 

 

スケリエ島の清純な王女ナウシカと善良な王アルキノオス

 

 17日の間、追い風に乗って筏は順調に進みました。18日目に、エチオピア人の宴会に行って不在にしていたポセイドンが帰って来て、オデュッセウスの航海の模様を見つけました。そして、その大洋神は、オデュッセウスをさらに苦しめるために、三叉矛で海面を掻き回して暴風雨を起こしました。そのために筏が崩壊してしまったので、その残骸となった木材の一本に跨がって進みました。そして最後は、泳いで進むことになりました。嵐に遭って三日目に、スケリエ島の浜辺に泳ぎ着きました。そして、清流の小川の畔まで行って、海水でただれた身体を真水で洗い清めたのち、疲れのため深い眠りに落ちました。
 スケリエ島は、アルキノオス王が治めるパイエケス族の国でした。彼は善良なる王で、格別に美しいナウシカという王女がいました。アテネ女神は、王女の夢枕に立って、オデュッセウスが倒れている小川へ行くように仕向けました。ナウシカ王女は、アテネ女神に指示された通りに、父王や兄たちの汚れた衣服をロバの引く荷馬車に積み、侍女たち連れて、オデュッセウスの眠る小川へ洗濯に行きました。洗濯物が乾いた頃合いをみて、アテネ女神はオデュッセウスを長い眠りから起こして、ナウシカの元に行かせました。それからオデュッセウスは、王女たちに導かれて町外れまで辿り着きました。そこからは、王女たちと別れて独りで国内に入ることにしました。
 オデュッセウスが都へ入ろうとしたとき、アテネ女神が若い娘の姿に変身して彼の前に現れました。そして、その英雄を霞で覆い隠し、他人からは見えなくして、館の女王アレテの側まで連れて行きました。そして、女王も度量の広いアルキノオス王も、オデュッセウスを歓待しました。スケリエ島での歓待の内容は、歓迎の競技会と吟遊詩人による竪琴の弾き語りでした。歓迎競技の種目は、短距離走、レスリング、幅跳び、円盤投げそしてボクシングの5種目でした。そのあと饗宴が催され、そこに呼ばれた吟遊詩人はデモドコスという名人で、オデュッセウスのリクエストにより「木馬の建造の段」を歌いました。その時、アルキノオスは、客人がその歌を聴いて大粒の涙を流しているのを見て、その人こそオデュッセウスであることに気付きました。そして彼を祖国イタケに船で送り届けることにしました。
 

 

テレマコスは父オデュッセウスの消息を求めてる旅に出ます

 

 オデュッセウスがトロイアへ出征してイタケ島を不在にしている間に、近隣諸国の王侯貴族たちが貞淑な妻ペネロペイアに求婚を迫って国に住み着いてしまいました。その求婚者たちは、贅沢三昧を繰り返してイタケの財産を食い潰していました。求婚者たちの横暴狼藉に絶えかねたオデュッセウスの息子テレマコスは、行方知れずの父を探すため、アテネ女神の助けを得て、こっそりとイタケ島を抜け出して、ギリシア本土へ旅立ちました。
 先ず、テレマコスは、ピュロスの港に着きました。そこは、父オデュッセウスと共にトロイア戦争を闘った老将ネストルが治める国でした。テレマコスは、ネストル王に面会して手厚い歓待を受けました。そして、王からトロイアでの父親の活躍振りを聞かされましたが、王自身はトロイア以後のオデュッセウスのことは知りませんでした。しかし、スパルタ王メネラオスが長く漂流して、近ごろ国に戻ったばかりなので、オデュッセウスの消息も知っているかも知れないと、ネストルはテレマコスに伝えて、スパルタ行きを勧めました。そしてネストルが準備してくれた二頭立て馬車に乗り、王の息子ペイシストラトスの案内でスパルタへ向かいました。
 メネラオスは、ヘレナをトロイアから連れ戻して、今は夫婦として仲良く暮らしていました。このメネラオスもまた、キュプロス島、フェニキア、エジプト、エチオピア、アラビアなどを8年間も流浪して、2年前に帰国したばかりでした。(メネラオスの漂流譚は作品の第4巻351~386で語られています。)流浪の途中でナイル河口に着いた時、オデュッセウスはカリュプソの館に引き留められている、という話を海の老人プロテウス神から聞かされたと、メネラオスはテレマコスに教えました。その情報を得たテレマコスは、メネラオスが逗留を勧めましたが、すぐさま帰国することを決意しました。そして、ピュロスの港を経由してイタケへの帰国の途につきました。しかし、求婚者たちが待ち伏せしていることを、アテネ女神から知らされたので、都から離れた所に上陸しました。

 

オデュッセウスは20年振りにイタケ上陸

 

 オデュッセウスは、スケリエ島で歓待を受け、パイエケス人たちから沢山の贈り物を受けました。そして歓迎の饗宴が行われた日の夕方に、オデュッセウスをイタケへ送り届ける船が、港を出ました。船は順調に進み、夜明け前にイタケに着きました。乗組員たちは、まだ眠り込んでいるオデュッセウスと贈り物を岸に降ろして、またスケリエ島へ帰る航路を取りました。しかし、それに怒ったポセイドンは、その船を大きな岩に変えてしまいました。
 深い眠りから覚めたオデュッセウスは、この岸がどこの国か分からず、泣きながら彷徨っていました。そこへアテネ女神が、王子のように優雅な若い羊飼いに変身して近づいてきて、ここは祖国イタケであると教え、そして求婚者たちを成敗する手だてを伝授しました。
 まず、オデュッセウスをよぼよぼの年老いた物乞いに変身させました。しなやかな手足の皮膚をひからびさせ、頭の黄色の髪の毛を落とし、身震いするほど嫌いになるほどのぼろを着せ、眼をどんよりさせました。この変身の目的は、当然のことながら、求婚者たちを油断させるためですが、その他にもう二つあります。まず一つめは、求婚者たちを退治する方策を考え出すための時間を作るためです。オデュッセウスは、帰国した途端に殺されたアガメムノンの二の舞を踏むところでした、とアテネ女神に感謝しています。二つめの目的は、誰が敵で、誰が味方かを偵察するためです。
 まず、オデュッセウスは、女神の勧めで豚飼エウマイオスの小屋を訪れました。変身しているので自分の主人だと分からなかったのですが、ねんごろに歓待しました。オデュッセウスは、自分がクレタ人だと名乗り、主人の帰国は近いと言ってエウマイオスを喜ばせました。都から離れた岸に着いていたテレマコスも、忠実な豚飼の小屋に辿り着きました。
 テレマコスは、無事に帰国したことを母ペネロペイアに知らせるために豚飼を館へ遣わしました。オデュッセウスとテレマコスが二人きりになった時、アテネ女神の配慮によりオデュッセウスが元の姿に戻って父子が再会しました。そして二人は、求婚者を退治する方策を練りました。翌朝、テレマコスは父に先だって館に入りました。その後から、物乞い姿に戻ったオデュッセウスと豚飼エウマイオスが館に入りました。館の門で年老いた忠犬アルゴスは主人を認めて、高齢と喜びの余りその場で死んでしまいました。屋敷内に入ったオデュッセウスは、余りのみすぼらしさのために皆から嘲笑を受けました。物乞いのイロスがやって来て、商売敵のオデュッセウスを罵り、求婚者たちにけしかけられて拳闘を挑みました。結果は明らかで、オデュッセウスに打ちのめされたイロスは口から血を吐いて倒れました。侍女イロスは、妃ペネロペイアに我が子のように愛情をかけて育てられたにもかかわらず、求婚者の頭目的存在のエウリュマコスの愛人となっていました。彼女は、オデュッセウスを口汚く罵りました。


 オデュッセウスは、息子テレマコスと共に、近くにあるすべての武器を密かに納戸の中へ仕舞い込みました。物乞い姿のオデュッセウスに対する仕打ちの余りの酷さに同情したペネロペイアは、彼を慰めるために呼び寄せました。そして老女エウリュクレイアに命じて彼の足を洗わせました。その老女は、むかしオデュッセウスの乳母でした。その老女が彼の足を洗っているとき、子供のころ猪の牙で足に受けた傷跡をみて、主人であることに気付きました。しかし、彼は、他の者には黙っているように命じました。この場面は、作品の第19巻にあって「老女の足洗の段」と呼ばれています。求婚者の横暴狼藉に苦しんでいる最中に、死んだものと諦めていた領主が目の前に現れるという、感動的な名場面です。

 

 忠実な豚飼エウマイオスが三匹の肥った牡豚を連れて邸内にやって来ました。そして次に、山羊飼のメランティオスも肥った山羊を連れて来ました。この山羊飼は不忠者で、連れてきた山羊はすべて求婚者にご馳走するためだけのものでした。そして山羊飼は、物乞い姿のオデュッセウスに罵詈雑言を浴びせかけました。最後にやって来たのは善良な牛飼ピロイティオスで、物乞い姿のオデュッセウスをみて同情しました。また国を出て帰らない領主オデュッセウスも、放浪してこの様な惨めな境遇になってはいないかと心配しました。テレマコスが旅先から連れ帰ってきた予言者テオクリュメノスが、この屋敷は間もなく、悲歎の叫びと涙で満たされ、血潮に染まり、亡霊の姿で満たされる、と予言して、屋敷を出て行ってしまいました。しかし求婚者たちは、その予言をあざ笑うだけでした。
 

 オデュッセウスの貞節な妻ペネロペイアは、執拗に結婚を迫る求婚者たちへの回答を遅らせるために、舅(オデュッセウスの父親)ラエルテスが死んだ時に使う葬儀の衣を織るまで待ってほしいと要望しました。そして昼間に機を織り、夜には解くという生活を3年前から続けてきました。そして4年目のある日、アテネ女神の勧めでペネロペイアは求婚者たちに弓の腕試しをさせることにしました。柄の先端に穴のあいた鉄斧を12本並べて、オデュッセウスがむかし愛用した強弓で、その全ての穴を射通した者の妻になるとペネロピアは宣言しました。最初は、テレマコスが、求婚者たちに母親との結婚を諦めさせることを条件に挑戦しました。しかし、彼には弓に弦を張ることはできませんでした。
 求婚者たちの最初の挑戦者はレオデスという司祭を務める男でしたが、弓はびくともしません。その他のどの男も弦さえ張ることができなかったので諦めました。ただ、求婚者たちの大将株のアンティノオスとエウリュマコスの二人は、再度の挑戦をするために準備をしていました。その間に、豚飼のエウマイオスと牛飼のピロイティオスが二人一緒に建物の外へ出て行きました。それを見たオデュッセウスも後を追って屋敷を出ました。そして二人を呼び止めて、彼らが本当に自分の味方になるかどうかを試しました。その結果、オデュッセウスは、この二人の召使いだけは信頼できることを確信したので、猪の真っ白な牙で負った足の傷跡を見せて、自分がオデュッセウスであることを明かしました。嬉しさの余りに泣き続ける豚飼と牛飼に、求婚者退治の作戦を指示しました。
 エウマイオスには、求婚者たちに気付かれずに、彼の強弓と矢の詰まった箙を彼の所に運んでくるように言い付けました。そして侍女たちに命じて広間の扉を閉じさせ、部屋の中で何があろうと決して開けないようにと命じました。そして牛飼には、中庭から出る戸を閉めて、かんぬきを掛け縄で縛っておくように指示しました。

 一方、館内では、エウリュマコスが、何度も挑戦していましたが、弓弦を張ることさえできなかったので、彼の自尊心は傷つきました。そのために、もういちど翌日に試みることになりました。しかしその時、オデュッセウスが自分にもさせてほしいと名乗り出ました。しかし、求婚者たちは馬鹿にしてまともに取り合おうとしません。作戦を知っているテレマコスはその老人に挑戦することを許しました。そしてすぐさま、豚飼がその強弓と矢筒を持ってオデュッセウスの脇に置きました。求婚者たちの罵声を浴びながらも、オデュッセウスは、椅子に座ったままで大弓の弦を張り、矢をつがえて、12本並んだ斧の柄の先に付いた穴を全部貫通させました。そして、息子テレマコスに作戦の実行を告げると、その息子は剣と槍を持って父の脇に立ちました。

 

 最初の矢は、アンティノオスの喉笛に狙いをつけて射られたので、鋭い矢尻が柔らかな首を貫通しました。求婚者たちは、武器を求めて部屋中を探しましたが、すでに隠されたあとでした。そこでエウリュマコスは、皆が恐怖に震えている中でただ一人、言葉を返して「悪いのはアンティノオスだけ、今まで奪ったものは弁償するから許してくれ」と頼みました。しかし、オデュッセウスが交渉に応じなかったので、態度を一変させて「みな力をあわせてあの男に対抗しよう」とけしかけました。そして彼は腰に差していた剣を抜いてオデュッセウスに襲いかかりましたが、オデュッセウスの矢の方が早く、胸の下の肝臓の部分に刺さって絶命しました。三番目のアンピノモスは、オデュッセウスに跳びかかりましたが、テレマコスの投げ槍で胸を射し貫かれて命を落としました。そしてオデュッセウスは、次から次へと求婚者たちを矢で射続けました。
 ところが、不忠者の山羊飼メランティオスが、納戸に隠してあった武器を取ってきて求婚者たちに渡しました。再度、山羊飼が納戸へ武器を取りに向かったのを、豚飼のエウマイオスが見付けましたので、牛飼のピロイティオスと二人で山羊飼を捕らえて縛り上げました。求婚者たちは、山羊飼が最初に持ってきた武器を手にしていました。そして闘争心を掻き立てて迫ってきましたので、オデュッセウスは弱気になって戦う気力が薄れかけました。そこへアテネ女神が訪れて、トロイアで戦ったことを思い出して勇気を出せ、と励ましました。女神に勇気付けられたオデュッセウスは、息子テレマコス、豚飼エウマイオス、牛飼ピロイティオスの三人と協力して戦い、求婚者を全滅させました。

 

冷徹で残忍なオデュッセウス

 

オデュッセウスは、漂流中に残酷な目にあってきましたが、また彼自身も、残忍な行為を行って来ました。この「求婚者退治の段」の結末では、正義の英雄と呼ぶには相応しくない行為を行っています。求婚者たちも求婚者に味方した者たちも、ほとんど皆殺しにしています。命を助けたのは、吟遊詩人のペミオスと伝令使のメドンの二人だけで、祈祷師レオデスなどは、必死に命乞いをしましたが、許されることはなく首を切り落とされました。また先程、豚飼と牛飼に納戸で捕らえられた山羊飼メランティオスは、中庭へ引き出されて、鼻と両耳、それに両手と両足を切り落とされて、更に陰部まで引きちぎられて犬に喰わせました。さらに残忍なのは、およそ50人いる侍女たちの中で、長年にわたりテレマコスと母君ペネロペイアを侮り、求婚者たちとベッドを共にした12人の女たちを絞首刑にしました。その方法も残酷で、青黒い舳先の舟の綱を大柱に結びつけ、円い御堂に巻き付け、足が地面に届かないように、高くピンと張った輪縄に女たちの首を掛け、一列に吊り下げました。
 

 

オデュッセウスとペネロペイアの20年振りの再会

 

 求婚者たちの屍を片付けた後、乳母エウリュクレイアは、オデュッセウスが帰ったことをペネロペイアに知らせるために、喜び勇んで二階へ上がって行きました。しかし奥方は、乳母が気でも狂ったのだと思って信じませんでした。次はテレマコスが説得に行きました。するとペネロペイアは、夫オデュッセウスとの間に二人だけが分かる秘密のしるしがあるので、確認しましょう、と前向きになりました。
 オデュッセウスは、沐浴で身体を清めた後、妻が疑っているので、一人で寝るから寝床を用意してくれるように侍女に申しつけました。すると妻ペネロペイアは、夫自身が作ったベッドを寝室の外へ持ち出して、毛皮と毛布をひいて寝床を作りなさい、と乳母のエウリュクレイアに申しつけました。しかし、そのベッドはオデュッセウスが自らの手で作ったものでした。庭の太いオリーブの木を囲んで石を積見上げてベッドにした後から、屋根や扉を付けて部屋にしたものでした。それゆえに、自分の作ったベッドであれば外へは出せない、と答えましたので、ペネロペイアはその男を夫のデュッセウスだと認めました。そして夫婦は、互いに20年間の辛苦を語り合いながら眠りました。そしてその翌日、オデュッセウスは、息子テレマコスや牛飼、豚飼たちを連れて、帰国の報告と見舞のために、町外れの荘園にいる老父ラエルテスを尋ねました。

 

求婚者たちの冥界下降

 

 殺害された求婚者たちの霊魂は、ヘルメス神に導かれて冥界へ降りて行きました。そこで、アキレウス、パトロクロス、アイアス、アガメムノンなどの亡霊たちがいました。アキレウスとアガメムノンがトロイアでの思い出話に花を咲かせている最中に、ヘルメス神がオデュッセウスに討ち取られた求婚者の亡霊を連れてやって来ました。アガメムノンは、その中に顔見知りのアンピメドンという男を見付けて、死んだ原因を聞くために呼び止めました。するとアンピメドンは、求婚者側から見たペネロペイアへの思いと、オデュッセウスによって引き起こされた惨状の模様を語りました。その話を聞いたアガメムノンは、帰国と同時に彼を殺害した妻と比較して、オデュッセウスの貞淑な妻ペネロペイアの高徳を称えました。
 一方、地上では、求婚者たちの親族が、オデュッセウスが滞在するラエルテスの荘園に、復讐のために押し寄せました。小競り合いの後に、両陣営は、アテネ女神の仲裁で和睦しました。この求婚者たちの冥界下降と親族との和睦のことは、『オデュッセイア』の最終巻第24巻に書かれています。しかし、全体の物語から判断すると、かえって存在しない方が作品としては重厚になるという評価が定着しています。即ち第24巻は蛇足感が強いので、後世の加筆であるとする説が有力です。さらに、オデュッセウスと妻ペネロペイアとの再会の場面も後代の加筆であると主張する意見もあります。

 

 ダンテも『地獄篇』第26歌90行目からその段歌の最終行142行目まで、53行を使って、ダンテ流の「オデュッセイア(オデュッセウスの航海譚)」が叙述されています。