『神曲』地獄巡り39.天使と悪魔 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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黒天使の登場

 

 豪勇な智将グイド・モンテフェルトロは、晩年に世俗を離れてフランチェスコ会の修道士になりました。グイドに死が訪れた時、聖フランチェスコが天国へ彼を連れて行くために迎えに来ました。ところがその時、黒天使がやって来て、グイドの天国行きを阻止しました。グイドは、その時の様子を次のように言いました。

 

  私が死んだ時、フランチェスコが迎えに来た、だが黒天使の一人が彼にいった、「連れて行くな、俺の権利を侵すのはやめろ。こいつは瞞着の助言をした以上、下界の俺の奴隷たちの間に落ちるのが定めだ、あれ以来ずっとすぐ後からつけてきたのだ。後悔しない奴を宥(ゆる)すわけにはいかない、また後悔と悪意は、誰が見ても矛盾だ、両方一緒にできようはずがない。」(『地獄篇』第27歌112~120、平川祐弘訳)

 

 聖フランチェスコといえば、ダンテも個人的に傾倒していて、若い頃には信者にもなっていた聖人で、『地獄篇』でも、ときどき名前が出されています。この聖人は、天国でも最上位の至高天にいて、聖母マリア、洗礼者ヨハネ、使徒ペテロ、聖ベネディクトゥス、アウグスティヌスなどの聖者たちに混じって、神を直々に仰ぐことのできる場所にいます。そのような高位にいるフランチェスコでさえも、一目置かなければならない「黒天使」とは、どの様な存在なのでしょうか。

 ダンテが「黒い天使」という表現を使っているのは『神曲』の中では二箇所だけです。第8圏谷第5濠には、間抜けでひょうきん者ではありましたが油断のならない鬼たちが支配していました。その鬼のことを「黒い天使」と呼んでいました。その時の原文は‘angeli neri’と表現していました。まさしく「黒い(nero)天使(angelo)」の複数形で呼んでしました。しかし、上の詩句の「黒天使」は、「黒いケルビム天使たち(neri cherubini)」と書かれています。黒い天使がいるということは「黒くない天使」もいるということなので、天使について少し詳しく見ておきましょう。

 

天使
 

 「天使」は、英語で「エンジェル(angel)」と言い、イタリア語では「アンジェロ(angelo)」で、複数形の「アンジェリ(angeli)」と呼ばれることが多いようです。その語源は、ギリシア語の「使者」を意味する「アンゲロス(aggelos)」で、新約聖書において使われたのが最初です。さらに限定すれば、新約聖書の中で最初に文字化されて著されたのは『マルコによる福音書』であると言われていますので、その福音書の第1章の冒頭で使われたのが初出だと言うことになります。

 

天使の九階級

 

一般的には、天使には九つの階級(ヒエラルキー)があると考えられています。それは、下に添付した図表に示された階級組織です。

 『神曲』の中では、天国の第九天(原動天)に到達したとき、天使たちの階級についてベアトリーチェによってダンテに説明されています。
 天使たちは、九つの階級に分けられています。さらに、その九階級は、それぞれ三群ずつの三つの位階(ternaro)になっています。最高位には「熾天使群」でセラフィ(Serafoの複数形、現代ではSerafinoと呼ぶことが多い)、第二位には「智天使群(Cherubi, Cherubini)」、そして第三位には「宝座天使群(Troni)」がいて、その三群で第1位階(primo ternaro)を形作っています。次の第二位階は、「統治天使群(Dominazioni)」、「徳能天使群(Virtudi)」、そして「威力天使群(Podestadi)」の三群から成っています。さらに最下部の第三位階には、「君権天使群(Principati)」、「大天使群(Arcangeli)」そして「天使群(Angeli)」がいます。ダンテがすべての天使名を複数で使っているのは、どの天使群も莫大な人数になるからです。トマス・アクィナス(1225~1274)は『神学大全(Summa Theologica)』の中で「数千の数千倍(の天使)が彼(神)に仕え(Millia millium ministrabant ei)、十万の一万倍が彼の側に控えていた(decies millies centena millia assistebant ei)」と言っています。ダンテは莫大な人数を表すのに「その数は2を将棋盤の目の回数だけ乗じて得られる莫大な数よりもさらに大きかった(『天国篇』第28歌92~93)」と表現しています。その意味は、チェス盤の64目の上に、第1目には穀物1粒を置き、第2目には2粒、第3目には4粒、第5目には8粒という具合に倍増して盤の目をすべて埋める数よりも多いということです。その翻訳者平川先生は、その数を「1844京6744兆0737億0955万1615粒」と計算されています。現在の世界人口がおよそ73億人ですから、まさしく想像を絶する数です。ギュスターヴ・ドレ(Paul Gustave Doré, 1832~1888)は、『天国篇』のその場面を下に添付しました作品に描きました。
 

原動天から至高天を見上げた構図だといわれています。

 

聖書の中の二大天使

 

熾天使

 

 新約と旧約を通して、聖書には明白な天使の位階は記載されていません。しかし、天使の名前や名前らしき言葉は、至る所に点在しています。中世の宗教家たちが最高位の天使と定めた「熾天使」は、『イザヤ書』(第6章1~2)に「セラフィム(seraphim)」(seraphの複数形)という呼び名で、次のように描かれています。

 

 ウジア王が死んだ年に、主が高く上げられた御座の上に座り、彼の衣のすそが神殿に満ちているのを、私は見た。その神殿の上にセラフィム(seraphim)たちが立っていた。どのセラフィムも六つの翼を持っていた。その二つの翼で顔をおおい、二枚の翼で足をおおい、二枚の翼で飛んでいた。

 

イザヤ書のセラフィムを図像化したもの
ベリー公でポワティエ伯ジャン1世(1340~1416)の依頼によって作られた 『時祷書』(正式名は「ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Les Très Riches Heures du Duc de Berry)」の作品

 

智天使

 

 聖書の中では、熾天使よりも智天使(ケルブ、ケルビム)のほうが登場する頻度が高く、重要な役割を演じています。まず、旧約の最初に天地創造の場面で登場します。アダムとイブが禁断の樹の実を食べてエデンから追放された後に、その楽園を護るために遣わされた天使が智天使でした。その箇所は、「神は人間を追い出して、エデンの園の東にケルビムたちと、回転する炎の剣を置いて、命の樹の道を護らせた」(『創世記』第3章24)と描かれています。
 次は、『出エジプト記』の中で、モーセが十戒を受けたあと、神が彼に贖罪所を造ることを命じました。そしてそこに祀るものとして「2体の金の智天使を、打ち出し細工で作らなければならない。そして神の御座の両端に置かなければならない。・・・智天使たちは彼らの翼を高く伸ばし、また翼で神の御座を覆い、顔は互いに向かい合って、智天使の顔は神の御座のほうへ向かうべし」(第25章19~20)と神はモーセに命じました。
 その他にも『サムエル記下』(第22章11)、『詩篇』(第18章10)、『イザヤ書』(第37章16)、『エゼキエル』(第10章1~22)などに描かれています。さらに智天使は新約聖書にも言及されていて、「(モーセの契約の)箱の上には、栄光に輝く智天使たちがいて神の御座を覆っていた」(『ヘブライ人への手紙』第9章5)と記述されています。
 この二大天使の特性に関しては、ダンテが簡潔に言い表しています。太陽天に入ったダンテは、トマス・アクィナスから聖フランチェスコと聖ドミニコのことを、次のような喩えで説明されました。

 王子(principe)の一人は熱情(ardore)において熾天使のようで、もう一人の王子は英知(sapienza)において地上に降りた智天使の光輝かと思われた。(『天国篇』第11歌37~39)

 

 ダンテの記述から分かるように、熾天使は「信仰の熱情」を象徴し、智天使は「信仰の叡智」を象徴する天使です。


その他の天使群

 

 熾天使の英語名「セラフ(Seraph)」やイタリア語名「セラフィ(Serafi)またはセラフィーニ(Serafini)」も、また智天使の英語名「ケルブ(Cherub)」やイタリア語名「ケルビ(Cherubi)またはケルビーニ(Cherubini)」も両天使名はヘブライ語をそのまま自国語にして使っています。おそらくその理由は、二種類の天使だけがヘブライ語(旧約)聖書に登場しているからでしょう。しかし、その他の位階の天使群名は、近代語の各国語をそのまま擬人化して使用しています。ということはすなわち、旧約聖書には登場していないが、新約聖書にのみ名前が言及されている天使群だということです。ただし、それほど頻繁ではありません。重要な箇所を二つ引用しておきましょう。まず、『エペソ人への聖パオロからの手紙』(第1章20~21)には次のような表現があります。

 

 父なる神は、その力をキリストの中で働かせた。彼を死人の中からよみがえらせ、天国において自分の右座に置いた。そこは、すべての君権天使、威力天使、徳能天使、統治天使のはるか上で、この世だけでなく来ることになる世においても、唱えられるあらゆる名前の上であった。

 


 第2番目の箇所は、『コロサイ人へのパオロからの手紙』(第1章15~16)の次の箇所です

 

 御子は、目に見えない父神の似姿(the image of the invisible God)であり、すべての創造物より先に生まれた。なぜならば、すべての創造物は、天にあるものも地にあるものも、目に見えるものも目に見えないものも、たとえ宝座天使や統治天使や君権天使や威力天使であろうとも、それらすべてのものは、御子によって、御子のために作られたのであった

 

 この二つの箇所で言及されている天使の順序は、一定ではありません。すなわち、聖書には、天使の位階は存在しないか、または固定されてはいないということです。

 


トマス・アクィナスの業績

 

 天使の九つの階級組織(ヒエラルキー)が成立したのは中世時代で、その確立の貢献者はトマス・アクィナスだといえます。この階級制度の成立は、擬ディオニュシウス・アレオパギタ(Pseudo-Dionysius Areopagita)という文献に遡るようです。しかし、聖ディオニュシウスという人物は6世紀に活動した聖人だといわれていますが、その実在が曖昧で、彼の名がついた文献で現存するものも15世紀ごろの別人のものであることが判明しています。それゆえに、ディオニュシウスの文献を呼ぶときは「擬(pseudo)」を付けます。天使の位階の成立過程で年代が確かなものは、聖アクィナスの『神学大全(Summa Theologiae)』(1265年ごろから執筆開始)だと言えるようです。


天使の名前は知られていない

 

 どの聖書も、どの宗教家も、どの詩人も天使の数は、想像を絶する多さだと言います。しかし、天使群の人数と名前はほとんど知られていません。名前と人数が公認されている天使は熾天使だけです。しかしそれも推測の域は出ません。『ヨハネ黙示録』の「御座より数多の雷光と雷鳴と雷電を発す。また御座の前に燃える七つの燈火あり、これ神の七つの御使いなり」という記述を根拠にして、神の御座に最も近くにいる天使である熾天使は7人であるというのが定説になっています。その中でも新約聖書の正典に名前が出ているのは、ミカエルとガブリエルの二天使だけです。その正典には名前が出ていないのに、熾天使として公認されているのはラファエルだけで、通常はその天使を三大熾天使と呼んでいます。その他にも、一般的キリスト教徒が見ることのない聖書外典の中に登場するウリエルという天使も熾天使と見なして四大熾天使と言うこともあります。その他にも、ラグエル、ラミエル、サマエル、オリフィエル、ザカリエルなどの名前も登場しますが、すべて宗教家や詩人たちのお気に召すままに自分たちの著述に登場させているに過ぎません。


熾天使ガブリエル

 

 三大熾天使の中で最も有名なのはガブリエルだといえるでしょう。この天使は、マリアに受胎告知をしたことで、一躍その名が知れ渡りました。ミルトンの『失楽園』では、楽園の守護天使として描かれています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ作『受胎告知』


熾天使ミカエル

 

 ミカエルは、天国では神の軍隊の総大将として、キリスト教軍の先頭に立って戦います。ミルトンでは、天国の戦争の時、サタンと一騎打ちをして勝利をおさめています。また、罪を犯したアダムとイヴをエデンから追放する役目も負いました。

 

『サタンを退治するミカエル』グイド・レーニ(Guido Reni、1575~1642)作


熾天使ラファエル

 


 ラファエルは、ガブリエルやミカエルのように聖書の正典には名前が出ていません。しかし、ほとんどの人は、ラファエルを最高位の天使として認めています。この天使は、旧約聖書外典の『トビト記』に登場しています。その物語は次のようです。

 

 紀元前700年頃、アッシリア王サルゴン(Sargon)2世によってニネヴェ(Nineveh)に移住させられたイスラエル民族の敬虔なトビト(Tobit)は、後任王センナケリブ(Sennacherib)によって殺害されたユダヤ人を埋葬しようとしました。ところが、その行為が王の知れるところとなり、トビトは家財没収の上、国外追放となりました。しかし、センナケリブ王の死後、ニネヴェへの帰国が許された時、真っ先に王に殺害された敬虔なユダヤ人の埋葬を行いました。その時に鳥の糞がトビトの目に入り、失明してしまいました。その失明のために婚姻もなくなり、彼は死んでしまいたいと思うようになりました。
 一方、遥か遠くのメディアの地には、サラ(Sarah)という美しい娘がいました。アスモデウス(Asmodeus)という好色な悪魔がサラに取り憑いて、彼女が結婚する度に初夜の床で夫を絞め殺しました。そんな事が7度も起こったので、サラは悪霊憑きという評判が立ちました。そのために、彼女は絶望して死んでしまいたいと思っていました。
 それを見た神は、天使ラファエルをアザリアという名の青年に変身させて、トビトの息子トビア(Tobiah)を誘ってメディアへ行かせました。そしてアザリアは、トビアにサラと結婚するようにと命じましたが、トビアは死ぬわけにはいかないと言って断りました。しかし、アザリアは、魚の臓物を香炉で焼いておけば悪魔を追い払うことができる、といって励ましました。
 トビアは、サラとの結婚の初夜のとき、寝屋の中で魚の内臓を炊きました。すると悪魔アスモデウスは部屋から逃げ出したので、アザリアが本来の天使の力で追い掛けて悪魔を捕らえました。そしてアスモデウスをエジプトの奥地に閉じ込めました。
 そしてその後、アザリアと共に、トビアとサラの夫婦は、ニネヴェにいる盲目の父親トビトのもとに帰って来ました。そして今回は、アザリアは、魚の胆汁でトビトの目を治しました。そしてすべてが終わったとき、ラファエルは青年アザリアの姿から天使の姿に戻って、神のもとへ帰って行きました。

『天使ラファエルとトビア』 アントニオ・デル・ポッライオーロ(Antonio del Pollaiolo, 1429~1498)作

 ラファエルは、『トビト記』には病を癒やす天使として登場していました。それゆえに、新約聖書の『ヨハネによる福音書』に、次のように記述されている天使は、ラファエルのことであると言われています。

 

 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕 (『ヨハネによる福音書』第5章2~4)
注:「主の御使」は、英語の欽定訳聖書では「一人の天使(an angel)」となっています。


天使のまとめ

 

 天使の数は、数えられないほど多く、ほとんど無限だと考えられています。しかし、天使には九つの位階(ヒエラルキー)がって、最上位階を形成しているのは「熾天使」です。そして前述したように、その天使の数だけは、ある程度まで限定されていて、『ヨハネ黙示録』を根拠にして「7人」とするのが定説になっています。さらにその名前も、「ガブリエル」、「ミカエル」、「ラファエル」の3人までは確定していて、時には「ウリエル」が加わり4人になることがあります。その他の熾天使は、時代と宗教家によって、天使名が入れ替わってきました。

 

ダンテが考えていた天使の使命

 

 『神曲』を読む限り、すべての天使たちは、原動天に控えていて、神から使命が与えられたときには、それを全うするために全宇宙や全世界へ出張していく、と考えるのが妥当です。原動天の中の神の御座から近い順に、位階の高い天使から低い天使へと位置を占めるのです。しかも、三階級の天使群がそれぞれ一つの円形を作り、全部で三つの円を形成
しています。『天国篇』でダンテが叙述した天使群組織を最も適切に図像化した絵画は、下に添付したフランチェスコ・ボッティチーニ(Francesco Botticini、1446~ 1497)の作品だと言えるでしょう。


神に最も近いところの円には、熾天使と智天使と宝座天使がいます。真ん中に円には、統治天使と徳能天使と威力天使がいます。最後部の円には、君権天使と大天使と天使がいます。


ダンテの天使の居所

 

 ダンテは、天使に関してもう一つの学説を持っていました。ダンテは、『新生(Vita Nuova)』を書き終えてから『神曲(Divina Commedia)』を書き始める前までの間に、すなわちおよそ1304から1307の間に、『饗宴(Convivio)』という論文集を執筆していました。彼は、その著書の中で、それぞれの天使に別々の天国を統轄させています。熾天使は原動天を、智天使は恒星天を、宝座天使は土星天を、統治天使は木星天を、徳能天使は火星天を、威力天使は太陽天を、君権天使は金星天を、大天使は水星天を、そして天使は月光天を、それぞれ統治しているとダンテは論じています。ダンテが『饗宴』を執筆しているときは、同時進行で『神曲』の『地獄篇』を創作していたのですが、『天国篇』を書き始めるまでには、10年ほどの年月があります。『神曲』の天国と天使に『饗宴』のそれらを当てはめると、説明できない矛盾が発生してしまいます。それは、それぞれの天国にいる魂たちの善行の種類とそこを統轄する天使の特性が一致しないことになるからです。
 ダンテの『神曲』の第1天の月光天から第7天土星天までは、大まかな所ではローマ神話の神の特性を持っています。確かに、天国を下から上に向かって神に近づけば近づくほど、ダンテが正義の魂として高く評価した順ではあります。しかしまた、それぞれの天国界にいる偉人の善行とその星に名前を与えたローマ神の神性が、完全とは言えないのですが大よその所は一致しているということも事実です。例えば火星天のローマ神は軍神マルスなので、十字軍で戦死したダンテの自慢の祖先カッチャグイダがいます。また太陽天の神は知性や文化の神アポロなのでトマス・アクィナスがいます。さらに金星天の神は愛と美の女神ウェヌスなので、愛に溺れたが回心して善良になった魂がいます。さらにまた、水星天に名を与えたメルクリウス神は、富と幸運の神で文字や天文や数字などの発明神とも言われていますので、その天国にいるのは『ローマ法大全』の編纂者として有名は皇帝ユスティニアヌスです。彼は、軍事面は部下のベリサリウスに任せて、本人は文化面に尽力しました。

 

 

 

悪魔

 

 悪魔は天使ほど真剣には考えられてこなかった、と言うべきでしょう。まさしく、悪魔の姿や名前は、宗教家や詩人によって千差万別です。おそらく、悪魔がもっとも生き生きと描かれた作品は、ダンテの『地獄篇』とミルトンの『失楽園』でしょう。両者の叙事詩から悪魔の姿を見る前に、『聖書』の中に登場している悪魔の原型を見ておきましょう。
 英語では「悪魔」のことを「デーモン(demon)」または「デヴィル(devil)」と呼ぶことを、たいていの人は知っていることでしょう。では、その違いはといえば、前者「デーモン」がギリシア語源で、後者「デヴィル」がヘブライ語源でるということだけです。さらにその語源の真意のほども確かではありません。

 

悪魔デーモン

 

 旧約聖書の原典はヘブライ語で書かれていますが、新約聖書はギリシア語で書かれています。英語の「デーモン」は、ギリシア語では「ダイモーン(daimōn)」といって、元々は神と人間の間に存在して両者のコミュニケーションを円滑にする存在でした。古代ギリシアにおいての「ダイモーン」の特性は、プラトンの『饗宴(Symposion)』の中で的確で簡潔に説明されています。

 

 (ダイモーンは)神々へは人間からのものを、また人間へは神々からのものを伝達し送り届けます。つまり人間からは祈願と犠牲とを、神々からはその命令と犠牲の返しとを。そして、これら両者の真ん中にあって、その空隙をみたし、世界の万有が一つの結合体であるようにしている者です。また、卜占術にしても、さらには、犠牲・祓い・呪禁(まじない)・あらゆる預言と妖術とにたずさわる聖職者の術にしても、すべてこれら事が運ぶのは、この、神霊(ダイモーン)を通してのことなのです。神は人間と直接に交わるのでなく、神々にとって人間との交際と対話とは―相手の人間が目ざめているときでも、眠っている間でも、―すべてこの者を通じてです。(『饗宴』202E~203A、鈴木照雄訳)


 ギリシア・ローマ神話で、神と人間の間を結びつける「神霊」であった「ダイモーン」は、新約聖書の中では「悪霊」という存在に変容させられました。そして聖書では、もっぱら「ダイモーンのような存在」という意味の「ダイモニオン(daimonion)」という言葉で使われています。『マルコによる福音書』(第1章32~39)や『ルカによる福音書』(第8章1~38)や『ヨハネの黙示録』(第16章13~14)などでは「ダイモニオン」という言葉が「悪魔」または「悪霊」という意味で使われています。聖書の中で悪魔の特性を最も良く著している箇所は『使徒行伝』(第17章18)で、次のように記述されています。

 

 エピクリス派やストア派の哲学者の者たちは彼(パウロ)に出会いました。そしてある者が言いました。「このおしゃべりは何を言おうとしているのか?」他の者が「彼は異国の神々の唱道者(kataggeleus)のようだ」と言いました。なぜならば、彼は、イエスとその復活(avastasis)を説法していたからである。(『使徒行伝』第17章18)

 

 上の文言から分かることは、「悪魔」とは「異国の(xevos)神々(daimonion)」のことです。ここで「異国の神」と呼ばれているのは、エピクロス派やストア派の哲学者からみた神なので「イエス・キリスト」のことです。すなわちギリシア・ローマの古典宗教からすれば、イエスは「異国のデーモン(神または悪魔)」なのです。この箇所は「悪魔」を知る上に重要なので、ギリシア語原典を読んでみたい人のために、注釈・解説文を下に添付しておきましょう。

 

悪魔デヴィル

 

 「悪魔」を英語では「デヴィル(devil)」と呼ぶことに関しても諸説があるようです。しかし、通説になっているのは、アングロサクソン語(別名:古代英語)の「デーオフォル(dēofol)」が中世英語で変化して「デヴェル(devel)」になり、現代英語の「デヴィル」になったという説です。ただしその「デーオフォル」も、ギリシア語の「ディアボロス(diabolos)」からラテン語化した「ディアボルス(diabolus)」を古代のゲルマン諸語が借用したものだと言われています。さらにそのギリシア語も、元々はヘブライ語からの借用語であったということです。当然、ラテン語系の言語であるイタリア語では「ディアヴォロ(diavolo)」、フランス語では「ディヤーブル(diable)」、スペイン語でも「ディアブロ(diablo)」と言います。

 「デーモン」が「異教の神」という意味を含んでいましたが、「デヴィル」はギリシア語の「誹謗中傷する(ディアバッロー:diaballõ)」という意味を持っています。英語名「デヴィル」という「ディアボロス」は、『ルカによる福音書』(第8章12)、『ヨハネによる福音書』(第6章70と第8章44)、『エペソ人への手紙』(第4章27)、『ヤコブの手紙』(第4章7)、『ユダの手紙』(9)などに登場します。新約聖書の中でディアボロスという悪魔が最も多く描かれているのは『マタイによる福音書』だと思われます。その福音書の中では、第13章(39)や第25章(41)などに登場しますが、デヴィル型悪魔の特性を最も顕著に表している箇所は、『マタイによる福音書』の第4章の冒頭だと言えましょう。そこでは「悪魔によって挑戦を受けたので、聖霊に導かれて荒野に来た」と書かれてあります。この時の「悪魔」は、イエスに対して言葉で戦いを挑む存在として描かれています。この箇所も、ディアボロス型の悪魔を描いた代表的な描写ですから、ギリシア語の原典で確認しておきたい人のために、語学的注釈を付けたものを下に添付しておきます。

 

 

悪魔は天使の成れの果て


 『地獄篇』の中で、聖フランチェスコが武芸に秀でたグイド・モンテフェルトロを天国へ連れて行こうとしました。しかし、黒天使が現れて「連れて行くな、俺の権利を侵すのはやめろ」と制止しました。フランチェスコといえば、天国でも最上界の至高天で神の近くに位置している聖人です。(『天国篇』第32歌34~36を参照。)そのような高位の聖者さえも一目置かなければならない「黒天使」とはどの様な存在なのでしょうか。

 日本語の翻訳では「黒天使」と言っていますが、原詩では「黒いケルビーニ(neri cherubini)」と書かれています。その「ケルビーニ」とは、前出の天使の説明箇所で、天使の位階(ヒエラルキー)の第2位に位置した智天使のことです。そのことからダンテは、地獄の悪魔にも天国の天使と同じ位階が存在している、と考えていたかも知れません。または、その悪魔が天国にいた時の位階だったと考えることもできます。即ち、「元智天(ex-cherubini)」という意味で使ってると推測できます。
 地獄にいる悪魔たちは、もともとは天国にいた天使でした。『ヨハネの黙示録』(第12章7~9)に描かれているように、天国で戦争が起こり、ディアボロスと呼ばれるサタンを総大将とした天使たちは、ミカエルを総大将とした天使たちに負けて大地の中へ突き落とされました。『黙示録』の中では次のように描写されています。

 

 天国の中で戦争が勃発しました。ミカエルと彼の天使たちは、竜と戦いました。竜と彼の天使たちは戦いましたが勝つことができず、もはや天国に彼らの居場所は見つけられなかった。巨大な竜、またの名を古代の蛇、またはディアボロスとかサタナース(=サタン)と呼ばれた者は投げ倒された。全世界を惑わす者(サタン)は、大地の中へ投げ込まれた。そして彼(サタン)の天使たちも彼もろとも投げ入れられた。(翻訳は筆者の独断)

 

 原文で読んでみたい人は、下に添付しました注釈を参考にして挑戦してみて下さい。ただし、画像が大きすぎますので、、「画像をコピー」して「ペイント」などの画像処理ソフトに貼ってから、分割して使うことを薦めます。

 

 ミルトン『失楽園』の悪魔

 

 天国の戦争とサタンの堕落を鮮明に描いている文学作品は、ミルトンの『失楽園』です。その叙事詩の中で描かれたサタンの地獄堕ちの原因は神への反逆でした。

 

 あるとき、平穏と栄光に満ちた天国において、父なる神が天使たちを集めてキリストの誕生を宣言しました。ただし、誕生はその時でしたが、すでに父なる神と同じく原初より存在していて、今後は父なる神に代わって世界を治めることになりました。そのことに不平を抱いた天使がいました。それがサタンでした。彼は、自分への同調者を集めて、神に戦いを挑みましたが、惨敗して地獄へ堕とされました。ミルトンは、その傲慢不遜な反乱軍に加わった人数を「天の息子たちの3分の1(the third part of heaven's sons)第2巻692」とか「神々の3分の1(a third part of the gods)第6巻156」と明言しています。それは先に言及しました『ヨハネの黙示録』の第12章に登場した「竜」が尾を使って「天の星の3分の1を引き寄せた(4)」という記述に由来しています。
 サタンに味方して戦ったがために天国から追放された天使たちが、地獄へ落ちて悪魔になった、というのが定説です。しかし、その時に一緒に落ちてきた堕落天使の名前に関しては、サタン以外には知られていません。宗教家や文学者などによって、いろいろな名前が使われています。しかし、そのほとんどは、キリスト教からすれば異教の神々だと言えます。ミルトンは、彼の叙事詩『失楽園』の中で、地獄に落ちて気絶した天使たちがサタンの呼び掛けに目覚めて集まってくる光景を描いています。そして、その堕落天使たちを名前を上げて紹介しています。モーロック、ケモシ、バアル、アシタロテ、アシトロテ、ダゴン、リンモン、オシリス、イシス、ホルス、ベリアル、マンモン、ベルゼバブなどの名前が上げられています。そのほとんどが新・旧聖書に登場するキリスト教的人物ではありますが、厳密にいえばキリスト教からすると異教の神か、またはキリスト教に仇をなした人物です。結局のところ、堕落天使で名前が明らかな存在はサタンだけです。ベルゼバブもベリアルの名前も聖書に出ているのですが、その中ではサタンの別名だと言われています。


悪魔は異教神の成れの果て

 

 キリスト教において悪魔と呼ばれているものとは、結局のところキリスト教からすると異教の神や王のことです。特にミルトンの『失楽園』では、旧約聖書においてエホバの神に反する行為をした王たちが、悪魔として登場しています。ただし、『失楽園』の時間は、反逆天使たちがまだ地獄へ落ちたばりという設定なので、それらの堕落天使たちが悪魔となって人間界に現れ、旧約聖書の異教の神や王になったということになります。たとえば、『失楽園』にはモーロックという堕落天使が登場しています。その天使は、後の世に悪魔となって、旧約聖書の『レビ記』や『列王紀(下)』に描かれている人身御供を要求して子供を火の中へ入れたアンモン人の王となった、と解釈しなければなりません。
 
悪魔たちの居城伏魔殿

 

 悪魔たちの居城のことを「伏魔殿」と呼びます。英語では「パンデモニウムPandemonium)」と言います。「パン」はギリシア語で「すべての」という形容詞で、「デーモン(demon)」は「悪魔」という意味で、それに「イウム」を付けて「すべての悪魔の場所」という単語になります。それゆえに、「万魔殿」と訳した方が適切かも知れませんが、「外務省は伏魔殿だ」とか「都庁は伏魔殿だ」というコメントをする人が多いので、「伏魔殿」とするのが通例になっています。また一見、語源がギリシア語かラテン語のように見えますが、ミルトンの造語ですから、歴とした英語です。『失楽園』第1巻(668~711)に、その建造の模様が描かれていて、その概要は次のようです。

 マモンの率いる一隊は、山腹に穴を開け、続々と金塊を掘り出した。第二の軍勢は、穴の中で、驚くべき技術を駆使して膨大な金の鉱石を溶かし、純金を選別した。第三の軍勢は、不思議な技法で穴の中に金を流し込む。思う間もなく、流麗なシンフォニーの調べと甘美な歌声につれて、神殿風の壮大な建物が、地中から悠然と霧のように浮かび上がった。

 

 

『伏魔殿』ジョン・マーティン(John Martin、1789~1854) 作


ダンテの悪魔たち

 

 ダンテもまた、新・旧聖書に登場していたダイモーンはイタリア語名「デモーニオ(demonio)」という名前で、ディアボロスはイタリア語名「ディアヴォロ(diavolo)」という名前で使用しています。しかしダンテの『地獄篇』の中の悪魔は、三種類に大別することができます。先ず中心となる最初のグループは、「天国を追放された者たち(cacciati del cielo」と呼ばれる反逆天使です。前述したように、ダンテは全天使数を1844京6744兆人以上という天文学的人数だと想定しています。ということは、反逆天使としてその三分の一が地獄に落ちているので、地獄の全悪魔に締める元天使の悪魔は、圧倒的多数派であるはずです。しかし、その親玉の悪魔大王だけはベルゼブとかルチフェロとかという固有の名前が付いていますが、その他の悪魔は名前で呼ばれることはないようです。辛うじて黒智天使(neri cherubini)とか黒天使(angeli neri)とかと、その位階名で呼ばれる程度です。
 二番目のグループは、ギリシア・ローマ神話では神であったり怪人または怪物であったりしたものたちです。この種の悪魔は、当然に全員がローマ神話時代からの固有の名前を持っています。例えば、三途の川の渡し守カロン、第2圏谷にいた地獄の判官ミノス、第3圏谷で大食漢に噛みついているケルベロス、その圏谷の出口で訳の分からないことを喚いていたプルートン、ステュクス河の船頭プレギュアス、その他にもゴルゴン・メデゥーサ、ミノタウロス、ケンタウロス、ゲリュオンなどは、ギリシア・ローマ神話由来の悪魔たちです。
 三番目のグループは、ダンテ自身が創造した悪魔です。いわゆる、ダンテによる造語法によって作られた新悪魔のことです。たとえば、地獄の第8圏谷は『地獄篇』の中でも最も重要な場所で、その描写にはその篇全体の38パーセントが使われています。それゆえに、イタリア語の「悪(male)」と「袋(bolgiaの複数形bolge)」を合成して「マレボルジェ(Makebolge)」という特別な名前が付けられています。ダンテは、それと同じ方法で新悪魔を作り上げています。とくに第8圏谷第5ボルジャ(第21歌第22歌)には、そのような新悪魔が屯しています。悪い(male)しっぽ(coda)という意味の「マラコーダMalacoda)」、髪を乱す(scarmigliare)という動詞から作った「スカルミリオーネ(Scarmiglione)」、霜(calaverna)を踏む(calcare)という言葉から「カルカブリーナ(Calcabrina)」、「野蛮な(barbarico)」という形容詞から作った「バルバリッチャ(Barbariccia)」、竜(dragone)のように嘲笑する(ghignare)という意味から「ドラギニャッツォ(Draghignazzo)」、犬(cane)を引っ掻く(graffiare)という意味から「 グラッフィアカーネ(Graffiacane)」という、それぞれの新悪魔が創り出されました。その他にも明らかにダンテによって創出された新悪魔であると判断されるのに、その意味は「ダンテのみが知る」と思われる名前が多く存在しています。ダンテの『地獄篇』を豊かにしているものは、多種多様な悪魔の存在だと言っても過言ではありません。その作品の中には、恐ろしい悪魔だけではなく、狡賢い悪魔、間抜けな悪魔、ひょうきんな悪魔、賢明な悪魔など色とりどりの特性を持った悪魔が住みついています。