『失楽園』といえば | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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 以前、あるカルチャースクールで『神曲』に関する講座を一年間担当したことがありました。初日に会場を訪れたとき、挨拶かたがた使用教室を尋ねようとして、事務局の若い女性に「講座担当の宮川です。よろしくお願いします」と挨拶しました。すると、愛想良く「ああ、カミキョクの先生ですね」と答えてくれました。私は、今の若者たちは『神曲』は知らないのだと悟り、「これは、正式にはシンキョクと読みます」と答えておきました。後になって知ったのですが、私がその講座を担当したのが2011年でしたので、その前年にはAKB45の『神曲たち』というアルバムが発売されていて、売れに売れていた最中でした。そのアルバム名が「カミキョクたち」と読んだので、若い人たちにとって『神曲』は「シンキョク」ではなく「カミキョク」が普通だったのです。
 日本語訳でもよいので『神曲』を全巻読み通した人は極めて少ないでしょう。2010年AKB 48のアルバム発売以来、『神曲』といえばダンテの作品を連想する日本人は極めて少なくなりました。『神曲』よりも以前に『神曲』と同じ運命を辿っていた作品がありました。それは英国詩人ミルトンの『失楽園』です。それだけ聞けば、もう誰もが分かります。渡辺淳一の同名の小説が、1995年から約一年間『日本経済新聞』に連載され、1997年『講談社』から単行本が出版され、不倫することを「失楽園する」という流行語になるほど評判になりました。その時から、我が国において『失楽園』といえばその不倫小説を指すようになってしまいました。
 ミルトンの『失楽園』の内容については次の機会にゆずることにして、今回は「失楽園」という言葉だけを考えてみましょう。
 ミルトンの作品を「失楽園」という訳語で呼んだのは、文久元年(1861)にまで遡ります。その年は、井伊直弼が桜田門で暗殺され、開国か攘夷かの選択が定まっていない年でしたが、すでに我が国に入ってきた漢語訳本『英国志』に「失楽園」という翻訳名が使われていました。それ以後、渡辺淳一の小説が出るまでの130年以上、『失楽園』といえばミルトンの神聖叙事詩のことでした。
 『失楽園』の原題(英語名)は“Paradise Lost”です。映画『失われた世界:ジュラシックパーク』の原題は“The Lost World: Jurassic Park”ですし、ゴルフで行方不明のボールを“lost ball”といいます。‘lost’は形容詞なので、英語では名詞の前に付けるのが普通ですから『失楽園』も“Lost Paradise”と書くべきです。なぜミルトンは“Paradise Lost”と語順を逆にしたのでしょうか。その答えは、ミルトンが英語をラテン語文法で使ったからです。かなり難しくなりますが、その謎を解明してみましょう。
 「失」を表す形容詞‘Lost’は、本来は「失う」という意味の動詞‘lose’の過去分詞で、ラテン語では完了分詞と呼びます。そしてラテン語で「失う」は‘amitto’と言います。(注:ラテン語の読み方はおおよそローマ字式です)。そしてその完了分詞形は‘amissus’なので「失われた楽園」は‘amissus Paradisus(アミッスス・パラディースス)’となります。(ラテン語は語順が自由ですが形容詞を後ろにつける‘Paradisus amissus’の方が自然です)。そうであれば、ミルトンはわざわざ倒置などせず、英語の語法通り“Lost Paradise”と表題したことでしょう。しかし『失楽園』を読むと、失われた楽園について書かれた叙事詩ではなく、アダムとイブが楽園を失うことを書いた物語なのです。そのことは叙事詩の主題を明らかにする序歌で明記しています。その部分の要約は、「人間の最初の不従順について(原詩:Of man's first disobedience)と、禁断の果実を食したことでエデンを失って死と悲しみをこの世にもたらしたことについて、天なるミューズよ歌え」となります。
 ラテン語には動詞から作られる形容詞がもう一つあります。ラテン語を勉強した人であれば、難解な文法項目の一つなので、その習得には苦労されたことでしょう。日本にはまだ決定的な文法名が存在していないので、原名のまま「ゲルンディーウム」と呼んでいる教科書もあれば、その機能から名付けて「所相的(受動的)形容詞」と呼ぶものもあります。最も新しいところでは、他言語との兼ね合いで「動形容詞」が定着しそうです。
 その動詞的形容詞を使えば‘Paradisus amittendus’となります。ラテン語の達人ミルトンの頭には、作品の表題として‘de Paradiso amittendo’が浮かんだことでしょう。このラテン語の表向きの意味は「失われる楽園について」ですが、この動形容詞の用法の真の意味は、動名詞の代用として使われて「楽園を失うことについて」という意味になります。英語にはラテン語の動形容詞に相当する品詞がないために、ミルトンは“Lost Paradise”とはしないで“Paradise Lost”と倒置したのだと私は推測しています。すなわち、‘Lost Paradise’の‘lost’は英語の過去分詞ですが、“Paradise Lost”の‘lost’はラテン語の動形容詞なのです。伝統的な表題『失楽園』は語調も語形も良いのでほとんどのミルトン専門家が使っています。しかし藤井武氏や新井明氏などは、『楽園喪失』と名付けています。その呼び名は、作品の本質からすれば正しいのですが、やはり少数派です。
 最後に一言付け加えたいことがあります。渡辺淳一氏は自分の小説に『失楽園』という伝統ある表題を付けるのは避けてほしかった。彼の小説に『失楽園』は相応しくありません。内容的には『求楽園』か『究楽園』と付けるのが正しかったのでは。