『神曲』煉獄登山30.煉獄の夜 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

ブログの説明を入力します。

煉獄の二日目の夜

 

 

 

   ダンテとウェルギリウスが第4環道に足を踏み入れたのは、復活祭の翌日にあたる4月11日の日没の頃でした。そして、太陽が沈むにつれて、だんだんと身体の自由が奪われ始めました。その様子は、次のように描写されています。

 

   すでに最後の光線も私たちの頭上高くに遠のいていた。夜がその後から引き続き、空のあちらこちらには星が光りはじめた。「おお私の力よ、なぜおまえは立ち去ってしまうのか?」と私は心の内で叫んだ。両脚から力が抜けてゆくのが感じられた。 (『煉獄篇』第17歌70~75、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   夜が後を追いかけている(その日の)最後の光線は、すでに私たちの頭上まで上げられていたので、星々はだんだんと(空の)多くの面に現れていた。

「おお、わたしの身体の力よ、なぜ、おまえはこれ程に消え失せたのか?」と、私は心の中で叫んだ。なぜならば、両脚に力が入らない状態になっていたから。

注:上の箇所で描かれている天空の詳しい模様は「『神曲』煉獄登山29.煉獄第3環道:憤怒の浄化」を参照。

 

煉獄での最初の夜

 

   上で描かれている情景は、ダンテとウェルギリウスが煉獄登山を開始して二回目の夜を迎える時間帯の天空の模様と煉獄で浄罪している霊魂たちの状態です。その第4環道での出来事を見る前に、煉獄の夜の特徴だけに焦点を当てて外観しておきましょう。

巡礼者ダンテの煉獄での最初の夜は、煉獄前域(Antipurgatorio)の高台で、ソルデルロという吟遊詩人と共に過ごしました。その時、ウェルギリウスがソルデルロに「煉獄が本当に始まる場所 ( là dove purgatorio ha dritto inizio)煉獄篇7歌39」、すなわち煉獄の浄罪場所の入口である「煉獄門」への近道を尋ねると、「夜には上に行くことはとてもできることではありません(andar sù di notte non si puote)同歌44」とその霊魂は答えています。さらにそれに対してウェルギリウスは次のように尋ねていました。

 

   それはどうしてか?夜分登ろうとする者は・・・他人に邪魔をされるのか?それとも登ろうにも登れないのか?(『煉獄篇』第7歌49~51、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   それは(登ることができないのは)なぜなのか?夜に登ることを望む人は、他の者によって邪魔されるのか、それとも体力がないので登れないのか?

 

   そのウェルギリウスの質問に対して、ソルデルロの霊魂は、指で地面に線を引いて次のように答えています。

 

   いいですか、この線ですら日没後は跨ぐことはできません。上へ行くのを妨げるものは夜の闇以外のなにものでもないので、闇が能力を奪い、気力を喪失させるのです。水平線の下に日が幽閉されている間は、夜の闇とともに下へ降り、山の麓をさまよい歩くことしかできないのです。 (『煉獄篇』第7歌53~60、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   見えますか?ただこの線ですら、太陽が沈んだ後では越えられないのです。上に行くための妨害となるものは、夜の闇を除いて他には何もないのです。その闇は、無力にすることで意欲を阻害するのです。水平線が昼間を閉じ込めたままにしているその間は、本当にそれ(=麓)に引き返して、斜面の周囲をさ迷いながら徘徊することしかできないでしょう。

 

   「夜」は、煉獄にのみ存在します。天国にも星はありますが、それは夜のものではなく、天国を形成する光だけの存在です。また、当然のこととして、地獄は暗黒の世界ですが、それは夜とは似ても似つかない漆黒に闇の世界なのです。そのことは、私のブログ「地獄巡り」の中で繰り返し述べてきました。そして、煉獄の夜は、現世と同じく憩いの時でもあります。厳しい浄罪の苦行から霊魂たちが休むことのできる安らぎの時間だと言うことができます。先述しましたように、ダンテたちが煉獄登山を開始した最初の夜は、まだ煉獄前域に滞在していた時でした。そこには、まだ浄罪の各々の修行が許されないで煉獄門の手前で待機している霊魂たちが屯していました。ナポリ王マンフレーディの霊魂の言葉では、「慢心のまま生きたそれぞれの時間の三十倍(per ognuno tempo ch’elli e stato, trenta, in sua presunzione)煉獄3歌139~140(私のブログ「煉獄登山3」を参照)」の長きに渡り、浄罪の修行をさせてもらえないで門の手前で無駄な時間を過ごさねばなりません。しかし、その夜は、霊魂たちに安らぎを与えるように美しく暮れてゆきます。

 

   老ティトノスの女〔曙:アウロラ〕は優しい男の腕を離れて、はや東の高台で白んでいた。彼女の額には宝石が、尾をはねて人を打つ冷たい生物の形をして輝いていた。そして私たちがいた南半球では、夜がもう二歩登り、三歩目もすでにその翼を下に向けていた。その時私は、アダムから譲り受けたこの体が、睡りに負け、私たち五人が坐っていた草の上に横に臥した。 (『煉獄篇』第9歌1~12、平川祐弘訳)

〔直訳〕

   老人ティトーノスの内縁の妻は、彼女の愛しい恋人の両腕を離れて、東の高台の上ですでに白けていた。すると、彼女の額は、尾で人間を殴打する冷たい生物の姿をした宝石で輝いていた。そして私たちのいた場所では、夜が登る歩みを二歩進めて(8時になり)、すでに三歩目も(9時に向かって)その翼を下に向けていた。するとその時、私は、アダムのもの(=肉体)を受け継いで持っていたので、眠気によって打ち負かされて、すでに私たち5人全員が安らいでいる場所の草の上に、私(だけ)が横になって眠った。

 

   「ティトーノスの愛人(La concubina di Titone)」は「アウローラ」であることに関しては誰も異論を唱えません。しかし、上に描かれた光景は夜なので、そのアウローラを夜明けに現れる現象の「曙」と解釈すると矛盾が生じます。その矛盾を解消するためには二つの解釈法があります。まず最初の方法は、アウローラの現れている場所はイタリアであり、夜を迎えているのは煉獄である、と場所を分けることです。ダンテは『神曲』を、冥界訪問から無事帰還して、それを回想しているという設定で描写することがあります。(参照:煉獄登山27.第2環道出口の通過時間)。下に添付した「地球の時間と天宮図」によって、おおよその地球上の時間と位置関係を見ることができると思いますが、魚座は太陽の前を、そしてサソリ座はおよそ月と共に回転しています。ということは、イタリアで曙と共に魚座が見える時刻は、「私たちがいた場所(il loco ove eravamo)」すなわち煉獄では夜の9時頃ということになります。

 

 

   またもう一つはエドワード・ムーア(Edward Moore)の説です。日の出前のアウローラを「太陽のアウローラ (solar Aurora)」と呼び、日没後の月の出る直前に東の空が明らむことを「月のアウローラ (lunar Aurora)」と呼んで、二つの「アウローラ」を想定することです。月の出と共に東の空が明るくなる時刻にはサソリ座も現れます。それゆえに、前出の描写は、ダンテたちが迎えようとしている煉獄の夜の情景なのです。

 

 

煉獄最後の夜

 

   巡礼者ダンテが煉獄に滞在したのは三日間でした。そして、その三日目の煉獄最後の夜を迎える前に、最後まで残った罪業を浄化しなければなりません。それは「色欲の罪」で、それを浄化するためには猛火に焼かれなければなりません。その炎の烈しさは次のように、沸騰したガラスよりも高熱であると表現されています。

 

   私が中へはいるや、火勢はめっぽう激しさを増し、この体を冷やすためなら煮えたぎった玻璃の中へ身を投じた方がまだしもましかと思われた。  (『煉獄篇』第27歌49~51、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   まさしく、私が(火の)中に入るや否や、涼しくなるためになら、高熱で熔解したガラスの中へ身を投げていたことでしょう。あそこの火炎はそれほど測り知れないものであった。

 

   そしてついに、その猛火に焼かれて最後の罪業「色欲」を浄化して完全に無垢な存在になったダンテには、安らかな夜が訪れます。その夜が訪れる模様は、次のように描写されています。

 

   まっすぐに道は岩間を上の方へのびていた。すでに低く傾いていた太陽の光が私の真前へ影を落としたが、そのような方角に向かって私は坂を登った。そして石段をまだわずかしか登らないうちに、背後で日が沈んだことに私も先生方も気がついた、岩に落ちていた私の影が消えたからだ。限りなく拡がる水平線がいずこも一色となり、夜がすべてを闇黒の中に包む前に、私たちはそれぞれ石段を寝床とした。山の定めでこれ以上は登る気力も体力も失せてしまうのだ。 (『煉獄篇』第27歌64~75、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   道は岩壁の間を通ってまっすぐに登っていた。すでに低くなっていた(=沈みかけていた)太陽の、私の方へ向かって射していた光線を私がさえぎっていた方角へと(道は登っていた)。

   私たちは僅かな階段から実例を取り出した(=わずかに階段を上がったときに次のことが分かった)。消えた影によって(=ダンテの影が消えたことによって)私と私の智者たち(ウェルギリウスとスタティウス)は、背後に太陽が沈むのを感じ取った。

   水平線がその広大な部分を、全体でひとつの様相にしてしまい、そして夜がすべての彼女の領土を所有してしまう前に、私たち一人一人が(それぞれ)一つの階段を寝床とした。なぜならば、その山の特質は、私たちからもっと上の方へ登ろうとする気力も喜びも弱めてしまったからだ。

 

   先導者ウェルギリウスと第5環道の出口から同伴したスタティウスの二人に付き添われて、色欲と情欲を浄化するための火炎の修行場である第7環道を通過したダンテは、エデンに登るための岩間の道を進むうちに日が暮れました。その時の太陽とダンテたちの位置関係を「私たちは背後に太陽の沈むのを感じた(il sole corcare・・・sentimmo dietro)」と言っていますので、彼らは西に沈む太陽を背にして、東に向かって進んでいたことになります。そして、霊界においては、ウェルギリウスが霊魂たちに「この男の身体は本物の肉である(il corpo di costui è vera carne煉獄5歌33」と告げているようにダンテだけが肉体を持っています。それゆえに、ダンテだけが影を作ることができるのです。(私のブログ「『神曲』煉獄登山3.煉獄前域の入口」の「霊魂たちには影がない」の箇所を参照。) そして、その影が消えたことによって霊魂であるウェルギリウスとスタティウスは太陽が沈んだことに気付いたのです。

 

 

煉獄の夕暮れ時刻:第7環道の進行方向

 

 

煉獄最後の眠り

 

   地獄は、その入口の門に刻まれているように、「堕落した人間たち(perduta gente)」が「永遠の苦悩(eterno dolore」を受け続けるための「憂いの国(città dolente)」です。一方、煉獄は、「遅かれ早かれ、極楽の境遇を手に入れることが保証されている霊魂たち(原文解析は下に添付)」が罪の浄化に専念する場所です。それゆえに、ダンテは、彼らに対しては「幸福な魂たち(anime fortunate)煉獄篇2歌74」とか「聖なる魂たち(anime sante)同歌17歌11」などと敬意を込めて呼んでいます。

 

 

   しかし、その煉獄の霊魂たちは、いかに恵まれていようとも、彼らに科せられた浄化のための修行自体は、地獄の責め苦と大差はありません。たとえば、高慢の罪を浄めるために巨石を背負って歩き続ける霊魂たちや嫉妬羨望の罪を浄化するために両眼を針金で縫い合わされて涙を流し続ける霊魂たちなど、地獄の責め苦にも劣らない拷問をうけています。しかし、煉獄では、夜だけは安らぎを与えられて休息することが許されようです。それゆえに、ダンテが煉獄に滞在した夜は、三日とも美しく安らぎを与えるものでした。その最後の夜も安らかな眠りに入る様子が、次のように描写されています。

 

   そこから外部はごくわずかしか見えなかった。しかしそのわずかな隙間から見えた星々は、平常(ふだん)よりも明るくまた大きくもあった。いろいろと考え反芻(はんすう)を重ね、星空を見ているうちに私は睡りに堕ちた。事件が実際に起こる前に、その報せをしばしば予告してくれる睡りであった。 (『煉獄篇』第27歌88~93、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   そこ(階段の寝床)から外の物が僅かに見ることが可能であった。しかし、あの僅かな(隙間)を通して、私はいつもの星よりも明るくもっと大きな星を見た。その様に思いを巡らし、またそれら(星々)を眺めていると、眠りが突如として襲って来た。事件が起こる前に、その新しい出来事をしばしば知っている眠りであった。

 

   ダンテは、その眠りから覚めると同時にエデンの園に入っていて、またそれは同時にウェルギリウスとの別れになります。私のブログでは、その場面はさらに後になります。次回は、もう一度、二日目の夜の場面に戻って、煉獄の旅を再開しましょう。

 

ブログの主な参考文献:

チャールズ・シングルトン編注の『神曲:煉獄篇』のテキストおよび注釈書(プリンストン大学出版)。

パジェット・トインビーの『ダンテ辞典』。

エドワード・ムーア『ダンテ研究』(第3双書:論文集)『ダンテの天文学(The Astronomy of Dante)』(1903:(1968年復刻)。

原文:C.S. Singleton(ed.) “Purgatorio”2:Commentary, Vol.2.Pt.2 of Dante Alighieri, The Divine Comedy, 3 vols, Princeton U.P.

P. Toynbee (Revised by C.S. Singleton) “A Dictionary of Proper Names and Notable Matters in the Works of Dante”Oxford U.P.

Edward Moore.  Studies in Dante. Third Series:  Miscellaneous Essays, 1903 (reprinted 1968).