『神曲』地獄巡り50.悪魔大王ルチフェロと地獄からの脱出 | この世は舞台、人生は登場

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客人を裏切った罪人の地獄トロメーア

 

  ダンテは、ウェルギリウスに先導されて第9圏谷コキュトスの第3区画トロメーアに足を踏み入れました。その地獄は、第1区画カイーナや第2区画アンテノーラよりも重罪人が閉じ込められている場所ですから、当然その責め苦も厳しいものになっています。コキュトスは氷の地獄なので、そこにいる亡者たちはすべて氷結にされています。そしてすべての亡者たちは顔を下へ向けたままにしています。もし下を向いていなければ、彼らは苦悩と苦痛のために常に涙を流し続けているので、「冷気が眼球の中で涙を凍らせて目を閉じてしまう (il gelo strinse le lagrime tra essi e riserrolli)32歌47~48)」からです。アンテノーラにいた亡者ボッカも、ダンテから髪の毛を引っ張れて痛い目にあいながらも、「眼は下に向けたまま (con li occhi in giù raccolti)32歌105」でした。

  では、さらに下層地獄のトロメーアでは、どの様な刑罰が行われているのでしょうか。『地獄篇』の中では、次のように描写されています。

 

  そこでは、顔をうつむけず、仰向けになったまま別の一群が、氷に手荒くしめつけられていた。涙すらもそこでは流すことを許されぬ。苦悩〔の涙〕は、眼のはたで行き悩み、内に戻って苦悩を増した。はじめの涙は氷結して塊り、水晶の目庇(まびざし)のように、眉毛の下の凹みを満たした。 (『地獄篇』第33歌91~99、平川祐弘訳)

 

「トロメーアの亡者たち」グスターヴ・ドレ作

 

 トロメーアの亡者たちは、上を向くことが許されません。ということは、必然的に涙を流すことが許されないのです。もし流せば、涙が目の中や縁で凍り付いてしまいます。そして、最初に流した涙は塊となって (le lagrime prime fanno groppo)クリスタルの目庇 (visiere di cristallo)になっていました。

 

  瞼が凍り付いて視力を失っている一人の亡者が、ダンテとウェルギリウスを下層の地獄へ落ちていく途中の亡者だと錯覚して、次のように話しかけました。

 

  ああおまえら、地獄の最下等席に割り当てられた極悪の亡者よ、この俺の顔から堅い〔氷の〕膜をはいでくれ、俺の心中にわだかまる鬱憤を、涙がまた凍る前に、少しでもよい、外へ洩らしたいのだ。 (『地獄篇』第33歌110~114、平川祐弘訳)

 

  「私の助けが欲しければ、おまえが誰か名を名乗れ」というダンテの言葉に答えて、亡者が次のように名乗りました。

 

  俺は修道士アルベリーゴ、悪の園に生えた例の果物の坊主だ。ここで無花果のかわりに棗(なつめ)を返報に受けている。(『地獄篇』第33歌118~120、平川祐弘訳)

 

修道士アルベリーゴ

 

  アルベリーゴは、ファエンツァ(Faenza)に領地を持つ教皇派の有力貴族マンフレーディ家の一人でした。彼は、1267年頃に「栄光の聖母マリアの騎士団 (Ordo Militiae Beatae Mariae)」通称「陽気な修道士(frati godenti)」という結社に加わったので「アルベリーゴ修道士 (frate Alberigo)」と呼ばれるようになりました。1285年、アルベリーゴが持っていたファエンツァの支配権を狙って、同族のマンフレードが陰謀を画策しました。マンフレードは激論の末に、アルベリーゴに暴力を振るいました。暴行を受けた方のアルベリーゴは、その場では、若気の至りだと許した振りをして、仲直りをしました。しばらくしてその事件が忘れられた頃、アルベリーゴは復讐を謀って、マンフレードと彼の息子を宴会に招待しました。晩餐が終わった時、「果物を持ってこい」という言葉を合図に、壁掛けの背後に隠れていた刺客が一斉に襲いかかり、アルベリーゴの目の前でマンフレード父子を殺害しました。彼の暗殺の時の合図の言葉から「アルベリーゴ修道士の悪の果実 (le male frutta di frate Alberigo)」という悪い諺が生まれました。そしてダンテがその修道士を指して使った「悪の果樹園の果実 (le frutta del mal orto)」が慣用句にもなっています。さらにまた、「無花果のかわりに棗(なつめ)を返報に受けている (riprendo dattero per figo)」とは、イチジク(figo)よりもナツメヤシ(dattero)の方が、大きくて高価なので、「犯した罪よりも重い罰を受けている」という意味であると解釈されています。

 

「トロメーアの修道士アルベリーゴ」ジョヴァンニ・ストラダーノ(Giovanni Stradano、1523~1605、フランドル生まれでフィレンツェで活躍)作

 

生きながらにして地獄にいる亡者

 

   目の前にいる亡者がアルベリーゴだと知って、ダンテは「おまえはもう死んだのか? (or se’ tu ancor morto?)」と奇妙な質問をしました。地獄は言うまでもなく煉獄も天国も、この世で死んだ者のみが行く場所のはずです。『神曲』という物語の世界でも、巡礼者ダンテを除いてすべての登場人物は、すでにこの世を去った者たちです。それにも関わらず、まだ生存しているはずのアルベリーゴに「おまえは死んだばかりか (sei morto:morire「死ぬ」の近過去)」と尋ねています。すると彼は次のように答えました。

 

   一体どうして俺の肉体が未だに現世にとどまっているのか、学がないから俺にはわからない。こうした特権をこの地獄第九圏第三円は有している、〔命数が尽きて〕アトロポスが魂を飛ばす前に、この国にはしばしば魂が落ちこんでくる。(『地獄篇』第33歌122~126、平川祐弘訳)

 

  アルベリーゴは「俺の肉体が現世にとどまっている (mio corpo stea nel mondo sù)」と述べているので、彼の霊魂がトロメーアを巡礼中のダンテと出会っている時には、まだ生存しているということです。すなわち、アルベリーゴの死亡年月は不明ですが、少なくともダンテが地獄で出会っている1300年4月9日聖土曜日の午後の時点では、彼は生存していたということです。そしてまた、「こうした特権をこのトロメーア(地獄第九圏第三円)は有している (Cotal vantaggio ha questa Tolomea)124」と書かれています。ということは、トロメーアに墜ちている亡者は、運命女神のアトロポスが現世で命を奪う前に、魂だけが地獄に落ちて肉体は現世に留まっている、という意味です。すなわち、その地獄にいる亡者は生きながらにして地獄に落ちているという意味で、しかも地獄の最底層にいるのですから、現在でも現世では最も重罪人として生き続けている人間なのです。しかも、アルベリーゴという亡者は、現世と地獄に同時に存在することを「特権 (vantaggio)」だと虚栄を張っているのです。

 

 

 

   1302年早々、ダンテはフィレンツェを追放されて以来、1321年9月13日に亡くなるまで北イタリアの国々を客人として過ごしました。彼が客人を裏切った者に対して(イエスとカエサルを裏切った者に次ぐ)最も重い罪を与えてトロメーアに閉じ込めた理由は、彼の亡命生活に起因していると思われます。モンタネッリは『ルネサンスの歴史(上)』の中で、ダンテの流浪の足取りは完全には追うことができないが」と前置きして、彼の亡命先を記述しています。フィレンツェを追われたダンテは、まずアレッツォに逃れました。次はヴェローナ、ルニジアーナ、カセンティーノの庇護を受け、後にフランスまで旅をして、またトスカーナ、ロンバルディーア、ロマーニャを点々としています。そしてまた、ヴェローナの専制君主カングランデの元に身を寄せてから、ダンテの終焉の地ラヴェンナに迎え入れられました。ダンテが多くの地(国)から迎え入れられた理由を、モンタネッリは次のように書いています。

 

   この(ダンテの)時代、ダンテのような亡命政治家は概して厚遇を受けた。だれの身にもいつ亡命の悲運が見舞うか知れぬ時勢だったから、客人を尊重するというルールは守らねばならぬ。その上、聖職者以外に読み書きのできる者が稀な時代だから、一定の教養をもった亡命者は実際の役にも立つ。ダンテはマラスピーナ家のためにも外交使節として働いている。(モンタネッリ&ジェルヴァーゾ著、藤沢道郎訳『ルネサンスの歴史(上)』中公文庫、72頁)

 

   ダンテは自身の身の上と当時の時勢を鑑みて、客人を裏切る行為を許すことができなかったのでしょう。ましてや騙し討ちにして殺害するなどという行為は極刑にあたいするものだとみなしていたことは確かです。ダンテはその罪の重さを、修道士アルベリーゴの口を借りて次のように語っています。

 

   俺がやったように、裏切りを働くと、肉体はすぐさま悪魔の手に取られてしまう。それからは命数が尽きるまで、悪魔が肉体を支配する。魂はまっしぐらにこの溜池へ落ちこむ。だからこの俺の後ろで寒い目にあっている亡霊の肉体の方は多分現世で見かけるはずだ。(『地獄篇』第33歌129~135、平川祐弘訳)

 

   客人を裏切って殺害するという罪を犯せば、その行為と同時に、「肉体は悪魔によってそれ(魂)を取り除かれて (il corpo suo l’ è tolto da un demonio)130~131」、魂だけトロメーアの氷の池へと投げ込まれるのです。そして現世には悪魔に支配された肉体だけが残っているのです。そしてアルベリーゴは、自分と同じ罰を受けているブランカ・ドーリア(Branca Doria、正式にはd’Oria)という亡者を紹介しました。ダンテはブランカが生きていることを知っていたので、「お前は私をだましているのを知っているぞ (Io credo ・・・ che tu m’inganni)139」と指摘しました。それに対して、修道士アルベリーゴは次のように説明しました。

 

  瀝青が粘っこく煮えたぎる上の方の悪鬼の濠の中に、まだミケーレ・ザンケが着いていないころの話だ、こいつはそのころ自分のかわりに悪魔を、自分の肉体ともう一人の男の肉体の中に置いてきた。そいつは親戚の枠で一緒に組んで裏切りを働いた。(『地獄篇』第33歌142~147、平川祐弘訳)

 

   瀝青が煮えたぎる「悪鬼の濠」の原文は「マレブランケ(Malebranche)」です。それは、第8圏谷第5ボルジャの鬼たちを総称して呼ぶ名前です。その地獄の鬼たちが鉤を使って罪人を罰するところから、「悪(male)」と「鉤爪(branca)」の単語を合成して造ったその地獄にいる悪魔たちの総称でした。その地獄の中の詐欺と欺瞞の罪人たちと共に、ミケーレ・ザンケという亡者がいました。ミケーレとブランカ・ドーリアとの怨念のこもった暗殺事件とは、サルディニア島のログドロ(Logudoro、ダンテでは「ロゴドロ、Logodoro」)王国とジェノヴァ共和国の両国を舞台に起こりました。

 

  サルディニア (Sardinia、現在のサルデーニャ、Sardegna)島のロゴドロ国の当時の王は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(Friedrich、1194~1250、イタリア名はフェデリーコFederico、英語名はフレデリックFrederick)の庶子であったエンツォ(Enzio、1220~1272)でした。エンツォ王が亡くなった(または、ボローニャの教皇軍との戦いに敗れて捕虜になった)のち、ミケーレ・ザンケは自分が仕えていた王の生母と結婚してロゴドロ王国を私物化しました。そして、王国の官職や聖職を売買して巨額の富を築きました。彼は、その汚職・収賄罪で第5ボルジャに閉じ込められているのです。さらにミケーレは、二人の間に生まれた娘をジェノヴァの貴族ブランカ・ドーリア(Branca d'Oria)に嫁がせました。

ところが、このブランカという貴族は、義父ミケーレに輪を掛けた悪党で、義父ミケーレの財産を狙いました。そして、1275年(1290年という説もあり)、ミケーレを晩餐に招待して、殺害しました。ブランカ・ドーリアという客人殺しは、その罪によってミケーレよりも重い罪人のいるトロメーアに閉じ込められているのです。ところがダンテは「彼と共謀して裏切り行為を行った彼の血縁者 (un suo prossimano che ’l tradimento insieme con lui fece)146~147」がいると言っています。明らかではありませんが、その共犯者は、ブランカの甥か従弟であろうと推測されています。因みに、ブランカは1325年にこの世を去ったと言われていますので、1321年に亡くなったダンテよりも長生きしております。

注:フリードリッヒ2世の一族については「地獄巡り40」の「第15代神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世」の箇所を参照。

 

 ダンテは、眼を覆っている氷を取り除いてくれという修道士アルベリーゴの願いを無視して、トロメーアを去って行きました。その無視した行為を、ダンテは「彼(アルベリーゴ)を乱暴に扱うことが礼儀だった (cortesia fu lui esser villano)150」と言っています。このダンテが言葉と無視した行動に対しては、未だに議論されています。神が与えた罪罰に人間が関与してはならなのでしょう。

 

地獄の底の底ジュデッカの入口

 

   『神曲』の『地獄篇』最終歌は、「地獄の王の幟旗(のぼりばた)が現れる (Vexilla regis prodeunt inferni」と、ラテン語で書き始められています。この詩句は、ローマ帝国の国教になった初期キリスト教時代の司教であり詩人でもあったウェナンティウス・フォルトゥナートゥス (Venantius Fortunatus、530頃~610頃)によって書かれた賛美歌の第1節の第1行目の詩句に、ダンテが「地獄の (inferni)」の1語を加筆したものです。ウェナンティウスの第1節の全文は次のような詩行になっています。注:‘infernus’は名詞も形容詞も同じ語形です。それゆえに、‘regis’が男性名詞属格単数形なので、‘inferni’は、形容詞とすることも名詞とすることも可能です。後者すなわち名詞の属格単数形と解釈するほうが、臨場感あふれる映像が生まれると思われます。

 

  王の幟旗が現れる。

十字架の神秘がひらめいている。

十字架によって命は死を持ちこたえた。

そして死によって命を獲得した。

 

    原詩は下に添付したものです。ラテン語で読んでみたい人のために、文法的解説を付けておきました。

   ウェナンティウスの時代には、キリストが磔刑になったといわれる十字架が発見されて、その木の破片は「聖十字架 (True Cross)」と呼ばれる聖遺物として、エルサレムからヨーロッパに運び込まれていました。上の賛美歌は、569年11月19日に、フランク王国ポアティエ (Poitiers)に十字架の木片が持ち込まれた時に詠まれた作品であると言われています。とすれば、「王」はイエス・キリストであり、また「幟旗」は「十字架」を象徴しています。そして当時、その「聖十字架」の木片は、「十字架の神秘」によって色々な奇跡を起こしていたと伝えられていました。

   ダンテは、ウェナンティウスの賛美歌の一文の「王 (rex)」に「地獄の (infernus)」という修飾語を付けることによって、悪魔大王ルチフェロを「地獄の王」と呼んで、天国の王キリストと対立させていると解釈できます。

   ダンテの地獄巡りは、地球の中心に向かって下へ下へと降りる行程でした。そして。その地獄の形状から推測すれば、悪魔大王の幟旗は、上の方から見下ろしたことになります。そして、地獄の淀んだ空気の中で、その姿は次のように見えました。

 

   濃い霧がかかり、私たちの半球に夜のとばりが降りるころ、遠くで風にまわる風車がぼんやりとみえるが、ちょうどその様に一つの建造物らしき物体が見えたように私には思われた。(『地獄篇』第24歌4~7、筆者訳)

 

    「私たちの半球 (l’emisperio nostro)」については、この地獄を出て煉獄へ向かう時に、ウェルギリウスから説明されますので、その時まで待ちましょう。徐々にその物体の輪郭がはっきりしてきました。遠くからは「幟旗 (vexilla)」に見えていたものは、近づくにつれて徐々に、風車の羽根とその巨大な「建造物 (dificio、現代イタリア語では‘edificio’」の輪郭になってきました。このダンテの記述から、セルバンテス(Cervantes、1547~1616)の『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(Don Quijote de la Mancha)の主人公が巨人だと思い込んだ巨大な風車が、ダンテの時代にも存在していたことが推測されます。

 

ジュデッカの冷凍亡者

 

   第9圏谷コキュトスは氷地獄なので、カイーナ、アンテノーラ、トロメーアの三つの区画に閉じ込められている亡者たちは、全員が氷漬けにされていました。しかし、その亡者も身体の一部は氷の上に出すことを許されていました。ところが、最下層のジュデッカの亡者たちは、次のように氷の中に埋め込まれています。

 

   ここでは亡霊たちはみな氷漬けにされ、ガラスの下の藁みたいにすけて見える。ある者は横たわり、ある者は起立し、ある者は頭で、ある者は爪先で突っ立っている。そしてある者は弓なりに顔と足とを向けあっている。(『地獄篇』第34歌11~15、平川祐弘訳)

 

   ジュデッカの亡者たちは、地獄へ落ちてきた姿のままで全身が氷の中に凍結されているのです。

 

悪魔大王〔Rex Inferni〕

 

  ダンテは、中に亡者たちが凍結された氷の表面を踏みしめながら進みました。そして遂に、巨大な風車に見えていた建造物の前まで来たとき、それは悪魔大王であることが分かりました。そして、その羽根に見えていた物は悪魔大王の大きな翼でした。ダンテは、悪魔大王のことを、昔は天国にいた「美しい容姿をしていた被造物 (la creatura ch’ebbe il bel sembiante)18」であったと表現しています。悪魔大王が本来は天国にいた身分の高い天使であったことは、ミルトンの『失楽園』を構成する重要なテーマです。ミルトンは、悪魔大王の名前を「サタン (Satan)」と呼んでいます。しかし、ダンテは、『地獄篇』第34歌では「悪魔大王」を三種類の名前で呼んでいます。ここでは「ディーテ (Dite)」で、この後、「ルチフェロ (Lucifero)89」と「ベルゼブ (Belzebù)127」の名前で登場します。まず「ディーテ」という悪魔大王の呼び名は、ギリシア神話の冥界の王「プルートン」のローマ神話名「ディース (Dis)」のイタリア語名です。ただし、ダンテは「プルートン」という名称を第3圏谷から第4圏谷へ抜ける出口にいた臆病な門番の名前で使っています。さらにまた、「ディース」という名称も、第6圏谷の地獄都市の名前に使っています。次に、『神曲』の中で、悪魔大王のもっとも有名な呼び名は、「ルチフェロ」だといえます。この呼称は、旧約聖書の『イザヤ書(14:12)』に、「黎明の子、明けの明星(ルチフェロ)よ、あなたは天から落ちてしまった」と悪魔大王を呼んでいることが起源だと言われています。まさしく、早朝に輝いているが陽が昇ると共に消えていく姿が、天国ではひときわ輝き、今は地獄にいる魔王の姿に似ていることから、「ルチフェロ」と呼ばれたのです。さらに、ダンテは悪魔大王を「ベルゼブ」とも呼んでいます。旧約聖書『列王記下』第1章では「エクロンの神バアル・ゼブブ(Ba‘al zəḇûḇ)」という名で登場し、また新約聖書でも『マタイによる福音書』(第12章27)、『マルコのよる福音書』(第3章22)、『ルカによる福音書』(第11章19)などにも登場している悪魔名です。ダンテはベルゼブをディーテやルチフェロと同一視していますが、ミルトンでは魔王サタンの副将として登場しています。因みに、ダンテにも「サタン (Satàn)」の名が出ていますが、魔王を指すかどうか定かではありません。

 

悪魔大王の容姿

 

  ダンテは、悪魔大王のことを、先に見たようにラテン語では「地獄の王 (rex inferniまたはinfernus)」と呼びましたが、イタリア語では「苦悩の王国のその皇帝 (lo ’mperador del doloroso regno)28」(imperadore=imperatore)と呼んでいます。『地獄篇』第1歌では、天国の神のことを「高き彼方を治めるあの皇帝 (quello imperador che là sù regna)124」と呼んでいたことと照応させているのでしょう。しかしダンテは、悪魔大王の姿を間近に見た時の恐怖については、「どの言葉も不十分なので、私はそれを描くことができない (io non lo scrivo, però ch’ogne parlar sarebbe poco)23~24」と告白しています。それと同じ告白を至高天で三位一体の神を目前に仰いだ時も、「ここ(神の御座)では、高きものを空想する能力は衰える(a l’alta fantasia qui mancò possa)天国篇第32歌142」と言います。すなわち、「神」を見た時の感動も、その対極にある「悪魔大王」と対峙したときの恐怖も具象化して描写することは不可能であると言っているのです。

 

悪魔大王の巨体

 

 悪魔大王が地獄の中心で君臨している状態は、次のように描写されています。平川訳の名文で鑑賞してみましょう。まず、悪魔大王の巨体に言及します。

 

   この苦悩の王国の帝王は、胸の半ばから上を氷の表へ表している。その腕の長さは巨人の背丈をはるかに凌ぎ、まだしも私の背丈の方が巨人に近いといえそうなくらいだ。こうした部分に相応するような全体が、いかなるものであるかを考えてみるがいい。(『地獄篇』第34歌28~33、平川祐弘訳)

 

    悪魔大王の巨体を比較している「巨人」とは、第8圏谷と第9圏谷の境の領域で鎖に縛られている旧約聖書由来のニムロデやギリシア神話由来のアンタイオスなどの巨人たちを念頭に置けば良いでしょう。私の試算が正しければ、あの地獄の領域に閉じ込められていた巨人たちの身長は、およそ20メートルでした。ダンテは、悪魔大王の腕の長さだけで巨人の身長よりも長いと言っているのです。ということは、巨人の2倍から3倍の巨体をした悪魔大王の図像を想像するようにと、ダンテは読者に強いているのです。

 

 以上のように悪魔大王の巨体を描写した後、次は彼の容姿の醜さに言及します。

 

   いまはまことに醜いが昔はそれだけ美しかった、それが造物主にたいして昂然と叛いたのだ、いっさいの災いが彼に淵源を発するのも当然の道理だ。(『地獄篇』第34歌34~36、平川祐弘訳)

 

     前行で「美しい容姿をしていた被造物」と言及した悪魔大王の堕落の原因が明かされます。ミルトンの『失楽園』によれば、悪魔大王(天国では高位の天使サタン)は天国で三分の一の天使を味方に付けて神に対して戦いを挑みます。しかし、惨敗して天国から突き落とされて地獄に閉じ込められました。そして、「彼に淵源を発する (da lui procedere)いっさいの災い (ogne lutto)」とは、「罪」と「死」のことです。サタンが神に反逆したとき、世界に初めて「罪」が発生し、人間が禁断の木の実を食べたときに初めて「死」が生まれました。ミルトンでは「罪」はサタンの「娘」で、「死」はサタンと「罪」との間に生まれた「息子」ということになっています。そして、不幸、悲哀、苦悩、飢餓などあらゆるこの世の悪は罪と死から発生するもので、その源はすべて「サタン」ということになります。

 

悪魔大王の三つの顔

 

作者不明、14世紀頃の作品

 

     悪魔大王は「一つの頭に三つの顔 (tre face a la sua testa)38」を持っていました。その「三」という数字は、神の三位一体と対極をなす悪の姿に図像化するためだと言われています。正面を向いている顔は「朱色 (vermiglia)」をしていました。そして、左と右の肩の上に、それぞれ一つずつの顔が付いていました。右側の顔の色は、「白と黄の間 (tra Bianca e gialla)43」でした。一方、左側の顔は、「ナイル川がそこから流れ下る所から来ている人々 (quali vegnon di là onde ’ Nilo s’avvalla)44~45」と同じ顔色でした。ダンテの時代には、ナイルの源流が知られていませんでした。恐らくダンテはエチオピア人の黒い肌を想定していたと言われています。そしてさらに、それぞれの顔の下には船の帆よりも大きな翼を二枚ずつ(合計6枚)供えていました。ダンテは、トロメーアを歩いていた時、厳しい風がどこから吹いてくるのかを先達ウェルギリウスに尋ねました。すると先達は、「じきにおまえは、この風を吹き降ろす正体 (la cagion che ’l fiato piove)を目で見、それで納得がゆくはずだ(第33歌106~108、平川訳)」と答を避けました。その答えは、ここで悪魔大王を目前にして、次のように解き明かされました。

 

   羽毛ははえておらず、こうもりと同じような形や作りで、これを羽ばたくとたちまち三つの風がまきおこり、それでコキュトスの氷がすっかり凍てつくのだ。六つの眼から涙し、三つの顎から血のまじった唾と涙が滴り落ちた。 (『地獄篇』第34歌49~54、平川祐弘訳)

 

    コキュトス一面に張り巡らされている膨大な氷の水源は、悪魔大王が流す涙でした。そして下流に行くに従って、そこで仕置きされている罪人たちの涙が加わって巨大な湖を形成していたのです。そして、その涙を凍らせる冷気は、悪魔大王の六枚の翼が送り出していたのです。

 

悪魔大王が直々に罰している罪人

 

「三つの顔を持つルチフェロ」の作品に三大罪人を加筆したもの(フェラーラの細密画、ヴァティカン図書館所蔵)

 

   悪魔大王は、世界最悪の犯罪者として、誰よりも重い刑罰を受けていますが、また同時に、帝王として地獄に君臨して、自らの手で最大の重罪人に刑罰を与えています。すなわち、彼は、神から罰せられている側にも、罪人を罰する側にもいるのです。悪魔大王は、三つの口を使って、三人の地上最悪の罪人に刑罰を与えています。その三大悪人とは、ダンテが最も忌み嫌った「主人への裏切者」で、イエスを裏切ったユダと、カエサルを裏切ったブルトゥスとカシウスでした。その模様は、次のように描写されています。

 

   口ごとに罪人を一人ずつくわえ、歯でもって、まるで砕麻機(あさほぐし)のように、噛み砕いている、都合三人がこうした痛い目にあっているのだ。正面の男の場合、その爪の裂き方がともかく酷い、皮がはがされ背骨があらわに見える、こうなると口で噛まれるのなど物の数にも入らない。

   「あの高い所でもっとも重い刑に処せられているのが」と先生がいった、「イスカリオテのユダだ、頭は悪魔大王の口の中に、足は外に出している。ほかの二人は頭の方を外に出しているが、黒い頭から垂れているのがブルトゥスだ、見ろ、身をよじり悶えているが声一つたてぬ。もう一人はカシウスだ、筋骨隆々としている。」  (『地獄篇』第34歌55~67、平川祐弘訳)

 

    正面を向いた赤い顔の口にはイスカリオテのユダが頭から噛まれて、両足は外に出ていました。右側の黒い顔の口にはブルトゥスが、そして左の黄色い顔の方にはカシウスが、両者とも共に足の方を噛まれていました。キリストを裏切って死に追いやったユダが最も厳しい極刑を受けているのは理解できます。しかし、共謀してカエサルを暗殺したブルトゥスとカシウスがこの場で刑を受けていることには意外性を感じます。ダンテはユリウス・カエサルがキリスト者ではないので辺獄(リンボ)に置いています。さらにダンテは、カエサルを同性愛者だと考えていたのではないかと思われる点があります。「かつて、カエサルは、凱旋してきた時に、彼に対して《女王様》と呼ぶのを耳にした (già Cesar, trïunfando, ‘Regina’ contra sé chiamar s’intese)煉獄篇第26歌77~78」という記述があります。その言葉は、カエサルが男色であることを暗示している文言だと言われています。確かにダンテは、カエサルを初代ローマ皇帝だと見なして敬意を表していたことは確かです。だとしても、彼を暗殺したブルトゥスとカシウスを、人類史上最も大罪を犯した三大悪人に加えることには矛盾を感じます。

 

地獄からの脱出

 

  「夜がまた近づいて来た。もはやこの場を離れなければならない。なぜならば、我々はすべてを見てしまったのだから (la notte resurge, e ormai è da partir, ché tutto avem veduto)68~69」とウェルギリウスに促されて、ダンテは先達の首にしがみつきました。


ボッティチェリの描いたルチフェロ画に筆者が加筆

 

     上に添付したイラストを参考にして、ダンテがどの様に地獄の最深部ジュデッカを脱出したかを、ダンテの証言に従って検証してみましょう。

 

     先ず、ダンテはウェルギリウス先生の首にしがみつきました。すると先生は、悪魔大王の翼の動く速さと位置を確認しました。そして、翼が一杯に広がった瞬間に、毛むくじゃらの肋骨の部分にしがみつきました。すると、毛の房を伝わりながら下へ降りて行き、氷の面まで来ると、魔王の毛深い胴体と氷との間が隙間になっていました。

     その空洞を抜けて、魔王の巨体の真ん中まで着きました。「身体の真ん中」のことを原文では、極めて抽象的になっていて「臀部の太い部分で (a punto in sul grosso de l’anche)腿が曲線を描く部分 (la dove la coscia si volge)」と表現されています。確かにこの表現から、その部位を特定することは困難です。しかし、私がニムロデとアンタイオスのプロポーションを推測したとき、レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci、1452~1519)が、古代ローマの建築家ウィトルウィウス(Marcus Vitruvius Pollio, 紀元前80/70年頃~紀元前15年以降)の著作『建築について(De Architectura)』を基本にして完成させた『ウィトルウィウス的人体図』を参考にしました。その時、身体の中心は、臍ではなく男根の付け根の部分であると判明しました。上に添付したサンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445~1510)の描いた悪魔大王の立体像も、下に添付するダ・ヴィンチの人体図と同じプロポーションによって描かれている可能性が極めて高い、と言えます。なぜならば、中世時代からそのプロポーション理論は知られていたからです。ダンテが描いた「臀部の太い部分で、腿が曲線を描く部分」とは、ボッティチェリとダ・ヴィンチが想定した身体の中心部のことだと考えられます。

 

ダ・ヴィンチによる『ウィトルウィウス的人体図』を使ったダンテのアンタイオスの予測身長

 

 では、なぜ悪魔大王の身体の中心部位が必要かというと、そこが 「すべての重力が集まる中心部 (lo mezzo al quale ogne gravezza si rauna)73~74」すなわち、宇宙の中心であると同時に、地球の中心部でもあるからです。すなわち、悪魔大王の身体の中心部を境にして地球の重力が変わるのです。それゆえに、ダンテたちは、魔王の中心部位までは下へ降りていたのですが、そこを境にして昇ることになるのです。

 

地獄からの脱出に成功

 

「地獄界からの脱出」フェラーラの細密画(1474~1482)ヴァティカン図書館所蔵

 

  (ダンテたちは、)そこから岩の穴をくぐって外へ出ると、先生は私をその縁におろしてまず坐らせ、自分もすぐどっかりと私のそばに腰をおろした。私は目をあげた、上の方に悪魔大王が、いま最後に見たままの格好で見えるかと思ったのだが、なんと両の大脚が上の方に向かってのびている。私が狼狽しなかったかどうか、判断してもらいたい、頭が粗雑な人には、私がどこをどう通り抜けたか見当がつかないはずだ。 (『地獄篇』第34歌85~93、平川祐弘訳)

 

  ダンテが地獄の出口の穴を出た時、悪魔大王の両脚が上の方に聳えていました。しかし、その脚の形は、穴の外から見れば逆立ちをしているように見えました。その原因は、天動説の宇宙で天国から「真っ逆さま」に落とされれば、下に添付した図のような落下軌道になるからです。そのために、悪魔大王の頭が地獄の内部へ、脚が天国へ向くことになったのです。

 

  悪魔大王を地獄の内側から見た姿と外側から見た姿を結合すれば、下に添付した図形になります。

 

私たちの半球

 

   ダンテたちが悪魔大王の密集した体毛を伝って地獄の穴を抜け出した時、ウェルギリウスによって、次のような説明がされました。

 

  私が降りていた間はおまえはあちら側にいたのだ、私が引っくり返った時、重力があらゆる方向からそこに集まるその地点を通過した。あちら側の天の下には乾いた土地がひろがり、その天の頂点の真下〔エルサレム〕で原罪なく生まれ生きた人〔キリスト〕が殺されたが、いまおまえはそれと向かいの天球の下に来た。いまおまえが立っている小さな球は、〔ユダの国〕ジュデッカのちょうど裏面をなしている。向こうで夕方の時はこちらでは朝となる。そしてこいつはこの毛が梯子の役に立ったが、依然突き刺さったままで前と同じ姿勢をしている。こちら側まで奴は天から落ちてきたのだ。もともとここにあった土地は、奴を恐れて海の中へもぐって北半球に逃げた。多分、こちらの南半球の表面にあらわれた土地も奴を避けてここに空間を残したのだろう。(『地獄篇』第34歌109~126、平川祐弘訳)

 

  上の詩行の平川訳は解説に近いほどの分かりやすい内容になっていますが、それでも難解な箇所です。原初の地球は全体が土で覆われていました。「もともとここにあった土地 (la terra che pria di qua sporse)122」とは、南半球も陸地でおおわれていたという意味です。ということは、原初の地球は、円形の陸地の周囲を大洋(オケアノス)が取り巻くようにおおっていたと考えられていました。天国から突き落とされた悪魔大王は、真っ逆さまに落ちて来たのですから、地球の南極付近に衝突したことになります。その勢いで、地中を突き抜けて「こちら側(地球の中心)まで天から落ちてきた (Da questa parte cadde giù dal cielo)121」のです。その時、南半球にあった土は悪魔大王の落下の衝撃で北半球へ移動して、一部の土が盛り上がり、隆起して煉獄山となった。そして南半球を「水の半球 (Emisfero dell’ Acqua, Hemisphere of Water)」、北半球を「陸の大陸 (Emisfero della Terra, Hemisphere of Land)」と呼びました。上の引用文で「北半球」と訳されている原文は、「私たちの半球 (l’emisperio nostro)」となっています。下に添付した地図は、筆者が想像した『神曲』の地球の姿です。『神曲』の地球を考えるときは、南を上に、北を下に設定したほう好都合です。煉獄を登ってから天国へ上るので、現代の地図のように南を下にすれば、天国へ降りる印象になってしまうからです。