第7環道の到着時刻
煉獄門を通過する時、門衛天使によってラテン語の「罪」を意味する「ペッカートゥム(Peccatum)」の頭文字「P」を七つ額に刻まれた巡礼者ダンテは、第6環道を出る時には一つの文字だけになっていました。そして、煉獄最後の第7環道へ向けて出発しました。『神曲』の地獄は闇だけの世界で、天国は光だけの世界なので、現世の時間はありません。しかし、煉獄は現世と同じ時間が使われているので、『煉獄篇』の中ではところどころで時間を示唆する表現が挿入されています。第25歌の冒頭の三行は、煉獄第6環道を通過して第7環道へ向かう時刻を示して、次のように表現されています。
登るのに躊躇(ちゅうちょ)は無用の時刻であった。太陽は子午線を牡牛座(おうしざ)のあたりに、夜は子午線を蠍座(さそりざ)のあたりに捨てた。(『煉獄篇』第25歌1~3、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
次の環道へ登ることが身体の故障を望まない時刻であった(=身体が疲れたとか痛いとか言っている余裕などないほど時刻が迫っていた)。なぜならば、太陽は牡牛座の場所で子午線を後にして、夜はサソリ座の場所で子午線を後にしてしまっていたからだ。
「夜」は、煉獄にのみ存在します。天国にも星はありますが、それは夜のものではなく、天国を形成する光だけの存在です。また、当然のこととして、地獄は暗黒の世界ですが、それは夜とは似ても似つかない漆黒に闇の世界なのです。そして、煉獄の夜は、地獄とは異なり暗黒の世界ではありませんが、上の環道へ登ることは禁じられています。それゆえに、夕暮れが近づくまでに上の環道へ登らなければならないので、「身体の故障(storpio)」など言っている場合ではないのです。
では、今は何時なのでしょうか。ダンテはその時刻を、昼間に関しては「太陽が子午線を牡牛座の場所で去ったところである(il sole avea il cerchio di mereigge lasciato al Tauro)」と表現し、また夜間に関しては「夜がサソリ座の場所で子午線を去った(la notte avea lasciato il cerchio di merigge a lo Scorpio)」と記述しています。その星座の位置から現在時刻を推測してみましょう。まず、煉獄の位置を確認しておきます。
巡礼者ダンテは、煉獄島に入って間もなく煉獄前地でウェルギリウスより天体の運行について教えを受けました。その中で地球の両極について次のように説明されました。
じっくり考えてみるがいい、シオンの山とこの煉獄の山とは、地球上それぞれ別の半球に属しているが、同一の視界を有している (『煉獄篇』第4歌 68~71、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
想像しなさい。シオン山がこちらの(煉獄)山と共通に地球上に位置しているので、双方の山は同一で単独の地平線と別々の半球を持っている。
『神曲』で使われている「子午線」は、煉獄山の真上とシオン山の真上を結んだ天空の線を世界基準子午線としています。それゆえに、ダンテたちが煉獄の第6環道を出る時刻には、太陽が牡羊座を引き連れて自転しているので、煉獄上の子午線には牡牛座が出ていることになります。そして、正反対のシオンの上空にはサソリ座が輝いていることになります。ということは、煉獄の時間は、第8限時(現代時刻午後2時)を少し過ぎた時刻だということになります。(上に添付した地球図を参照)。煉獄の夜は、先へ進むことが禁じられていますので、次の環道に進んで、すべての煉獄の浄罪を成し終えるのに許される時間は、4時間弱ということになります。それゆえに彼ら三人は、次のように道を急ぎました。
私たちは隙間から中へはいり、一人また一人と石段を登ったが、道幅が狭かったから、別れ別れにならざるを得なかった。(『煉獄篇』第25歌7~9、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
そのようにして、私たちは細い通路を通って(次の環道へ)入った。一人の男の前をもう一人の男が階段を進みながら入った。その階段は狭かったので、登る者たちは一列になって進むことになる。
彼らは狭い石段を一列になって登り切ると、次のように右手へ曲がります。
私たちははや最後の圏の曲がった道にたどり着いた。そこで右手へ転じたが、私たちは別の事に気を奪われた。(『煉獄篇』第25歌109~111、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
そして、すでに私たちは最後の苦行の場に到着していた。そして右手の方向へ向かっていた。そして他の心配事に気を取られていた。
細い石段を登りきると、第7環道に到着しました。そこで右の方へ曲がると、すぐに彼らに衝撃を与える光景が目に入りました。
そこでは山腹から炎が外に向かって噴き出し、道の縁(へり)では風が下から吹き上げ、それが炎を押し返すので道が辛(かろ)うじて開かれた。それだから私たちはそのわずかに開いている縁(へり)を一人一人進まねばならなかった。私は左手では火をおそれ、右手では下へ落ちることをおそれた。(『煉獄篇』第25歌112~117、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
そこでは、断崖は炎を外側へ向って放出している。そして環道は突風を上の方に向って吹き込んでいる。そして、その突風は炎を投げ返して、炎から道を取り返す。その結果、半分開いた側面を通って私たちは一人ずつ行かなければならなかった。そして、私は左手側では火を恐れた。そして右手側では崖下へ転落するのを恐れた。
コルニーチェとは
上の平川訳では「道の縁」と訳されている原文の単語は「コルニーチェ(cornice)」です。英語では「テラス(terrace)」と訳されることが多いようです。「字義通りの意味は、段状になった台地で「段丘」と訳されるのが適切かと思われます。平川訳では、他の個所では「コルニーチェ」を「環道」と訳されていますが、私個人としては極めて適切な訳語だと評価して、私の批評・論述の中ではその訳語を使用しております。
ウェルギリウスに導かれて煉獄前域を踏破した後、煉獄門を通過して岩山を登った先には、最初の浄罪場がありました。その最初に見た煉獄の模様は、次のように描写されています。
こうして魂の群(むれ)は自分たちや私たちのために祈りを唱えながら、重荷を負って進んでいたが、その重荷は時々夢でおされ、うなされる重みに似ていた。彼らの不安にもそれぞれ軽重(けいちょう)の差があったが、第一の環道に沿い上を目指してもの憂(う)げに、現世で浴びた瘴気(しょうき)を浄(きよ)めながら歩いていた。(『煉獄篇』第11歌25~30、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
そのように彼ら自身と私たちのために良い先行きを、あれらの霊魂たちは祈りながら、ときどき夢で見るところのあれと同じような重荷を背負って進んでいた。すべての霊魂たちは、まちまちの苦悩を抱えて巡回していた。そして、憐れな者たちは、第1環道の上を通りながら、現世の汚れを浄めていた。
さらに、第2環道に到着した時は、次のように描写されています。
私たちは石段の上まで来た、登ると罪がとれ身が浄まる山だが、ここでも山の中腹がまたえぐられていた。ここでも第一の圏と同じように、環道が山腹を取り巻いていたが、前よりも急な弧を描いていた。(『煉獄篇』第13歌1~6、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
私たちは石段の天辺にいました。そこは、(煉獄界の)二番目の場所で、人が登るとその人を浄める(機能を持った)山が削られて(環道が造られて)います。そこには(第1環道と)同じように、ひとつのコルニーチェ(環道)が山の周囲を帯を巻くように通っています。その環道の曲がり具合は前(第一環道)よりも急に曲がっているということを除けば、第1環道と同じです。
以上のように、第2環道でも「コルニーチェ」が使われているので、煉獄の各浄罪場所を示す言葉であることは確かです。
因みに地獄の刑場はチェルキオ
煉獄の各浄罪の場所は「コルニーチェ」ですが、地獄の刑罰の場所は「チェルキオ(cerchio)」と呼ばれます。例えば、最初のチェルキオすなわち「第1チェルキオ」は、別名「辺獄(リンボ:Limbo)」と呼ばれて、偉人・賢人ではあっても洗礼を受けていない者たちがいる地獄の一区画です。その辺獄に足を踏み入れたとき、すなわち最初の地獄である第1チェルキオに入ったときの模様は、次のように表現されています。
「さあ行こう、道は長い、急がねばならぬ」こういって歩きだし、こういって深淵を取り巻く第一の圏谷(たに)も私を導き入れた。(『地獄篇』第4歌 22~24、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
「我々は進もう。長い道のりが我々を急き立てているから。」そうだから、彼は入った。そしてそうだから、私を入らせた、地獄の奈落を取り囲んでいる最初のチェルキオの中へ。
「チェルキオ」の日本語訳として最も多いのは「圏(けん)」でしょう。私は個人的には、平川訳にある「圏谷」が最も相応しい日本語訳だと思っています。しかし、その漢字を平川訳では「たに」と読ませていますが、私は「けんこく」とそのまま読むことを好みます。ちなみに、平川訳でも2010年出版以前の旧訳では、上出の『地獄篇』第4歌24行目や同じく第7歌100行目などでは「圏(けん)」と訳されていましたが、新版では「圏谷(けん)」という訳語に訂正されています。
炎の煉獄
ダンテたち三人が煉獄最後の浄罪場所である第7環道に着きました。その環道は一面が烈しい炎に包まれた場所でした。そして、炎が突風によって開かれた隙間を通って、環道の内部へ入り込みました。先に見たように、その時刻は午後2時を過ぎていました。この環道では、霊魂たちは色欲の罪を浄めていました。そこには二種類の浄罪者たちがいました。一つの群は男女の間で色欲に溺れた者たちで、もう一方の群は同性愛で色欲に耽った者たちでした。そこで、ダンテは、彼のボローニア大学時代の師グイド・グイニチェルリ(Guido Guinizelli、1235―1276年)からその環道の説明を受けます。
ダンテたちが最後の色欲の罪を浄めて第7環道の出口に到達した時は、日没近くになっていました。その時の情景は次のように描写されています。
造物主が血を流した土地に朝日がさしそめ、エブロ川は天秤宮(てんびんきゅう)の下を流れ、ガンジスの波は真昼の光にまた灼(や)かれた。太陽はその真上に位していた。こうして〔煉獄(れんごく)に〕日は暮れたが、その時神の天使がにこやかに眼の前に現われた。(『煉獄篇』第27歌1~6、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
それ(太陽)が最初の光線(日の出の光)を、それの創造主が血を流した場所〔エルサレム〕に投射して、エブロ川が高く輝く天秤座の下で流れ落ちて、ガンジス川の波が真昼(の熱)よって熱せられる、そのような時刻に太陽は位置していた。だから、その日(煉獄滞在三日目)も過ぎ去りつつあった。そんな時、神の喜ばしい御使いが、私たちに現れた。
ダンテたちが第7環道に入った時刻は、第8限時(現代時刻午後2時)を少し過ぎた時刻でした。そして、その環道の出口に到達したのは、太陽がガンジス川(インド)の真上にあるので真昼の正午になり、反対側のエブロ川すなわちジブラルタルでは真夜中の零時なります。そして、「太陽が最初の光線を投射する( i primi raggi vibra)」エルサレムは日の出の時刻です。ということは、エルサレムの対極にある煉獄島は日没を向かえようとしているのです。しかも、煉獄の夜は移動が禁止されているので、その先へは進むことができません。それゆえに、夕暮れの薄明かりが残っている間に、煉獄最後の浄罪を行わなければなりません。そのことは、先ほど現れた天使によって、次のように告げられます。
天使は炎の外、道の端に立って私たちよりはるかに甲高(かんだか)い声で歌った、「心の清き者は、幸(さいわい)なり」そして私たちが近づくとこう話した、「この火に咬(か)まれぬうちは、先へ行くことはならぬ。聖(きよ)き魂たちよ、この中へ入れ。彼方(かなた)から響きわたる歌声に耳を傾けよ」(『煉獄篇』第27歌7~13、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
炎の外側の土手の上に(天使は)いた。そして、「心が清らかならば祝福される」と、私たちの声よりもさらに生き生きとした声で歌っていた。それに続いて、「もし、聖なる霊魂たちよ、まず最初に、この火が咬まないならば、何人も更に先へ進むことはならぬ。それ(=火)の中へ入れ。そして向こう側から歌っている声に聞く気のない状態であってはならない。」と、私たちが彼(=天使)の近くに行くや否や、彼は私たちにそう言った。
その天使の言葉を聞いた時のダンテの恐怖は、次のようでした。
それを聞いた時、墓穴に〔逆吊(さかつ)りに〕埋(いけ)られた者のように、私は〔蒼(あお)く〕なった。(『煉獄篇』第27歌14~15、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
そのことのために、その彼(の言葉)を聞いた時、私は穴の中に埋められた人がそうであると同じ様になった。
〔注〕「穴の中に埋められた人」=「墓穴に埋葬されて人」=「死人のように青ざめた人」=逆さ埋めの刑罰に処せられた人」
ダンテが恐怖でためらっていると、ウェルギリウスが次のような言葉で励ましました。
ウェルギリウスがこう話しかけた、「息子よ、これは苦痛であるかもしれぬ。しかし死にはせぬ。思い出してみろ、思い出してみろ、私は前におまえをゲリュオンの背にのせ、無事に案内した。いま神の御近(みちか)くで私がいまさら何をするというのか?おまえがたとえ千余年、この炎の胸中に居残ろうが、髪の毛一本焼けも抜けもせぬ。それは確かだ、信ずるがいい。」(『煉獄篇』第27歌20~27、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
そしてウェルギリウスが私に言った。「我が息子よ、ここには苦痛があるかもしれないが、死はない。覚えているだろう、覚えているよな!私は汝をゲリオンに乗せて安全に導いたのだから、今はさらにもっと神の近くにいるのだから私が何をするというのか?確実なことを信じなさい。もし汝がこの火炎の内部で千年以上留まったとしても、(その火炎は)汝を一本の髪の毛においても禿げにすることはできないであろう。
ダンテは、ウェルギリウスの説得にも火炎の中へ入る勇気が出ません。そしてウェルギリウスは、火の中へ入ることをためらうダンテをさらに次のように励まします。
さあ心配はよせ、いっさいの危惧(きぐ)の念は捨てろ、こちらを向き、安心して先へ進め。」しかし私は心ならずも突っ立ったままだった。(『煉獄篇』第27歌31~33、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
「もう捨てよ、もう恐怖心を捨てよ。この中へ向って進め。そして、ためらわずに入れ。」だがところが、私はそれでもやはり動けない。(入ろうとする)自覚に反していた。
ウェルギリウスがいかに熱心に励まして火炎の中へ入らせようとしても、ダンテにはその勇気が湧きません。ところが、最後の次の一言がダンテの勇気を奮い立たせる決定的な言葉になりました。
いいか、息子よ、これがベアトリーチェとおまえの間の壁なのだぞ。(『煉獄篇』第27歌35~36、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
今こそ、考えろ、息子よ。この障壁はベアトリーチェと汝との間に存在しているのだ。
ダンテは、ウェルギリウスのいかなる激励や説得にも、恐怖のあまり火炎の中へ入ることができませんでした。しかし、ダンテに勇気を奮い立たせた唯一の言葉は「ベアトリーチェ」という名前でした。そして、ダンテとベアトリーチェの間に存在していた「障壁(muro)」は、この第7環道で浄罪すべき「色欲邪淫の罪(peccato di lussuria)」であると解釈するのが自然です。では、ダンテはベアトリーチェにどのような色欲の罪を犯したのでしょうか。実際には、ダンテはベアトリーチェの手に触れたこともありません。ただ挨拶を交わしただけなのです。唯一ダンテが彼女に色欲の罪を犯したとするならば、夢で彼女の裸体を見たことぐらいです。(私のブログ『ベアトリーチェ讃歌』を参照して下さい。)ということは、ダンテはベアトリーチェの裸体を夢で見ただけの罪を第7環道の火炎で浄めたいと願った、と解釈するのは、矮小過ぎるかも知れませんが、現実的です。
とにかく、ダンテは「ベアトリーチェ」の名前を聞いたことで勇気が湧いて、色欲の罪を浄めるために火炎の中へ入る決心をしました。次に紹介する個所は、『煉獄篇』の中で最も強烈な印象を与える場面です。私自身は、その場面を特別に差別化するために「炎のコルニーチェ(環道)」と呼ぶことにしています。その場面を鑑賞してみましょう。
炎のコルニーチェ
それから先生は、その時までずっと私たちの間にいたスタティウスに殿(しんがり)を頼むと、先頭に立って烈火の中へはいっていった。
私が中にはいるや、火勢はめっぽう激しさを増し、この体を冷やすためなら煮えたぎった玻璃の中へ身を投じる方がまだましかと思われた。
優しい父は、私を力づけるために、しきりとベアトリーチェのことを話ながら進んだ、「もう彼女の眼が見えてくるような気がする。」向かい側から歌声が聞え、それが私たちを導いた。そしてひたすらその声をたよりに、私たちは猛火をくぐり、ついに坂の下の口へ出た。
「来(きた)れ、わが父に恵まるる者よ」とそこに輝く浄光(じょうこう)の中から声が響いた。眼もくらみ、仰ぎ見ることもできない光だった。(『煉獄篇』第27歌46~60、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
その後、(ウェルギリウスは)私の前に身を置いて火炎の内部へ入った。ここにつくまでの長い道中を私たち(ダンテとウェルギリウス)を分断していた(間に入っていた)スタティウスに、最後尾から来るように頼んだ。
まさしく、私が(火の)中に入るとすぐに、涼しくなるなめなら高熱で熔解したガラスの中でさえも身を投げたであろう、あそこの火炎はそれほど測り知れなかった。
私の愛情ある父は、私を力づけるために、ただベアトリーチェについてのみ話しながら歩き進んでいた。そして、「彼女の両眼がもうすでに見えるように、私には思えます。」と話しながら(歩いた)。あちら側から歌う声が私たちを案内していた。そして、私たちは、もっぱらそれ(声)に対して注意を向けて人が登っていた場所のその(火の)外側に到着した。
「来たれ、私の父の祝福された者たちよ」と言っている声が、そこに存在していた一本の光の内部で鳴った。それは、私を打ち負かして、私がそれ(光)を見ることができないほどであった。
以上のように、最後の罪を浄め終えた時、煉獄の最後の夜が近づいていました。そして、ダンテたちが夜の闇の訪れと共に眠りの床につく様子は、次のように描写されています。
まっすぐに道は岩間を上の方へのびていた。すでに低く傾いた太陽の光が私の真前(まんまえ)へ影を落としたが、そのような方角に向かって私は坂を登った。そして石段をまだわずかしか登らないうちに、背後で日が沈んだことに私も先生方も気がついた。岩に落ちていた私の影が消えたからだ。
限りなく拡がる水平線がいずこも一色となり、夜がすべてを闇黒(あんこく)の中へ包む前に、私たちはそれぞれ石段を寝床とした。山の定めでこれ以上は登る気力も体力も失せてしまうのだ。(『煉獄篇』第27歌64~75、平川祐弘訳)
〔原文解析〕
〔直訳〕
道は岩壁の間を通ってまっすぐに登っていた。すでに低くなっていた(=沈みかけていた)太陽の、私の方へ向かって射していた光線を私がさえぎっていた方角へと(道は登っていた)。私たちは僅かな階段から実例を取り出した(=わずかに階段を上がったときに次のことが分かった)。消えた影によって(=ダンテの影が消えたことによって)私と私の智者たち(ウェルギリウスとスタティウス)は、背後に太陽が沈むのを感じ取った。
水平線がその広大な部分を、全体でひとつの様相にしてしまい、そして夜がすべての彼女の領土を所有してしまう前に、私たち一人一人が(それぞれ)一つの階段を寝床とした。なぜならば、その山の特質は、私たちからもっと上の方へ登ろうとする気力も喜びも弱めてしまったからだ。
悪魔大王ルチフェロの身体を使って地獄を脱出してから、煉獄に辿り着き、長い浄罪の旅を続けました。第7環道の炎のコルニーチェ通過した時、ようやくダンテはすべての罪を浄め終えて、最後の眠りの床に就きました。そして目が覚めると、いよいよそこは、エデンの楽園です。