ベアトリーチェ讃歌 | この世は舞台、人生は登場

この世は舞台、人生は登場

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ベアトリーチェを描いた絵画

 

   『神曲』では、巡礼者ダンテは、ウェルギリウスを先達として地獄を脱出して煉獄に進みました。そして、彼らはスタティウスを第5環道の出口から同伴させて、第6環道に入りました。その環道において、巡礼者ダンテは、過度の大食と美食の罪を浄めているボナジュンタという詩人の霊魂と出会いました。その場面は、ダンテの「清新体詩dolce stil novo)を知る上に最も重要な個所です。そしてその中で、ダンテは彼自身の詩作法について次のように述べています。

 

   僕は愛から霊感を受けた時、筆を取る。心の内で愛が口授(くじゅ)するままに僕は文字を書き記(しる)してゆく。(『煉獄篇』第24歌 52~54、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

   ダンテの清新体詩は、「愛が霊感を与えた時」に、「愛が口述するまま」に詩作するのです。そしてその代表的な作品として、登場人物ボナジュンタの口を借りて、次のように『愛の知識を備えた御婦人がた』という作品を上げています。

 

   だが言ってくれ、僕がいま見ている君は、あの「女らよ、愛のすべ知る君がたは」に始まるあの新しい詩歌を作り出したあの人か?」(『煉獄篇』第24歌 49~51、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

 

 

   上の詩行は登場人物ボナジュンタの科白ですが、作者ダンテ自身の意見であることは言うまでもありません。そして、ダンテが『神曲』を創作した叙事詩人であることは有名です。ところが、我が国においては余り知られておりませんが、ダンテは多くの抒情詩も書いています。その中でも、『新生(Vita Nuova)』の中に納められている『愛の知識に備えた御婦人がたよ』で始まる詩は最も有名だといえます。なぜならば、上に出した『神曲』の詩の中で、その題名をダンテ自身が紹介しているのですから、彼自身がその抒情詩を最高傑作だと言っているのも同然です。すなわち、その抒情詩は、ダンテ自身の自信作であり、自慢の作品でもあった、と言っても過言ではないのです。そしてさらに、その題名にもなっている“ Donne ch’ avete intelletto d’amore”という詩の一行は、そっくりそのまま『神曲』の一行として挿入されています。ということは、その抒情詩作品も『神曲』と同じ11音節の「エンデカシッラボ(endecasillabo)」という韻律によって書かれているということが分かります。

 

   これから鑑賞しようとする抒情詩は、正式には「『新生』第19章の挿入詩」と呼ぶべきですが、一般的に1行目の詩句をとって“ Donne ch’ avete intelletto d’amore”(ドンネ・カヴェーテ・インテッレット・ダモーレ)と呼ばれています。ただし、日本名は翻訳者によって異なっていて、固定された題名はありません。私個人は、その詩の中にベアトリーチェという個人名は一度も出ていないのですが、熟読するとベアトリーチェの美しさを讃えるものです。それゆえに、『ベアトリーチェ讃歌」と呼ぶことにしています。

 

   以上のことを参考にして、このブログでは、その抒情詩の全詩文を鑑賞してみましょう。そしてまた、冒頭にベアトリーチェを描いた6枚の代表的な絵画を載せて置きました。それらに描かれたどのベアトリーチェの顔も、これから鑑賞するダンテの詩の中のベアトリーチェの美しさには及ばないことに気付くことになるでしょう。

   

 

第1部

 

〔平川祐弘訳〕

   愛の智恵知るみなさま、/わが君についてわたしと一緒にお話しさせてください。/わが君の讃歌を言い尽くせるとは思えませんが、/ただ口に出して語りさえすればそれでわたしの気持は晴れるのです。/わが君の徳の力を思うと、/かぎりない優しさの〈愛〉がわたしの身に沁みます。/だからそのとき気が挫けずにしっかりしてさえいれば、/わたしは口に出して語るだけの力がわたしにはありません、/舌足らずのわたしにはとてもそんな気力はない、/わが君のお人柄について深いことなどとても言えないわたしですが、/愛を知るご婦人方やお嬢さま、みなさま方とでしたら/あえかな君の優しさを是非ともご一緒にお話ししたい、/このことはゆめはかの人々に言うべき筋ではないのですから。

 

〔野上素一訳〕

  『愛』の智恵を備えた婦人たちよ/私は汝らと私の淑女について語ろう。/私は彼女の称賛を尽くそうとは思わない/ただ心の憂さを晴らしたいだけである。/彼女の善徳を思うときには/『愛』はいとも甘美に感じられ、/もし私が心強さを失わないなら/語りつつ人をば『愛』へ誘うだろう。/だが彼女のことをあまり高尚に語って/そのため臆して力を落としてはならぬ、/ただ彼女に向かい、いとも謙遜な態度で/その高貴なありさまを語るだけである。/愛らしい婦人たちよ、汝らと共に/よそ人にはいうべきことでないから。

 

〔原文解析〕

〔直訳〕

   愛について知識を持つご婦人方よ。私は私の女性(ベアトリーチェ)についてあなた方と一緒に語りたいのです。それも、私が彼女の讃美を言い尽くそうと思っているのではなくて、心の内を吐露するために話すのです。

ベアトリーチェの価値を考えるとき、愛の神は、私に神自身を余りにも甘美に感じさせるので、もしその時に私が心の強さを失わなかったならば、私は人々にそれを語って恋心を持たせることでしょう。

   そして、私は声高に話したくないので、畏敬のために臆病になっていたのでしょう。しかし、私は彼女(ベアトリーチェ)の優雅な有様を、彼女に敬意を払いつつも、気楽に語りましょう。恋する御婦人がたやお嬢様がたよ、(あなたたちとなら気楽に語れましょう)、他人にそのことについて話すことではないゆえに。

 

 

第2部第1節

 

〔平川祐弘訳〕

   天使は聖智(せいち)のうちに主(しゅ)に向かいこう申しました、/「主よ、地上には、/この天上にまで光が届く/一つの魂から奇蹟(きせき)がいままさに生まれました」/天上の人々には不足するものはなに一つありません、ただこの魂を除いては。/だから主にお願いしてこの魂を獲(え)ようといたします、/聖人のみなさまも口々に「お恵みを」と叫んで〔この方の昇天を待ち望んで〕います。/ただ〈慈悲〉の女神(めがみ)だけがわたくしども〔地上の者〕の弁護をしてくれました。/すると神さまはわが君〔が果たすべき地上の努め〕を察してこう言われました、/「天上の皆さま、皆さまの望みであるあの方が、なおしばらく私の心に適(かな)う限り/下界(げかい)に留(とど)まるをご海容(かいよう)ください。/地上にはこの方がいなくなりはしないかと危惧(きぐ)する者がいるのです、/その者はいつか地獄も降りてこう言うでしょう、「おお、罪深き者どもよ、/自分はかつて幸(さち)ある人々の望みの御姿(みすがた)を拝したことがある」と」

 

〔野上素一訳〕

   天使は神の智恵の中に願っていう、/「主よ現世で不思議な業(わざ)がおこなわれ、/ひとつの魂からはるかここにまで/光がとどくのが見えるのです」と。/彼女を待つよりほかに望むもののない/天は、その主に対して彼女を乞い求め、/すべての聖者はそのため神恩を叫ぶ。/ただ『憐憫』のみは私たちを守り/マドンナの心を知り給う神はのたもう、/「わが愛する者よ、汝らの希望には/私も同意はするがしばし忍ぶのだ、/それは彼女の死を待つ人がいるからだ。/やがて地獄で『悪業のやからよ、至福者の/希望を見た』という人の住むところで」

 

〔原文解析〕

 

〔直訳〕

   天使は神聖な知性で懇願して言う。「主よ、現世には、とうとうついに、ここの上(地上)で光り燦めくひとつの魂から生まれる行為の中に、奇蹟は起こされる。天国は、彼女(ベアトリーチェ)を待つと言うことの他は何の不足もなく、それ(天国)の主に対して、彼女を(くださいと)要求する。そして、聖者かたがた各々は、それについて褒美を求めて叫んでいる。ただ憐憫(我らを憐れと思う心)の女神だけが、私たちの側に立って擁護する。なぜならば、神は、私の淑女について良くご存じなので、(彼女について)お話しになっているからである。

   我が最愛の者たちよ、いまは我慢して待つのだ。汝らの望みは、私がその時だと好む時にかなえられるであろう故に。そこには、自分のために彼女を失うことを待っている男がいる、そして地獄へ行く時、この様に言うことでしょう。「おお、悪い生まれの者たちよ、私は至福な人の希望を(昔)見たよ」と。

 

 

第2部第2節第1小節

 

〔平川祐弘訳〕

   わが君の到来は至高の天で熱烈に待ち望まれています。/そんな君の徳性を皆さまにお知らせしたい。/高貴な女性と世間に目(もく)されたいと望む人は誰であれ/あの君が道を行く時は、〈愛〉の神は卑しい人の心中に氷を投げてください、/陋劣(ろうれつ)な思いは凍りついてことごとく滅ぶがいいのです。/また立ち止まって見ることを許された人は/おのずから気高くなるか、さもなくば死にもするでしょう。/あの君にお目にかかるにふさわしい人は/あの君の徳性がお試しになり選ばれた人なのです。/あの君が与えるものは、その人の至福の泉となり、/その人の心はやわらいで仇(あだ)や敵(かたき)はことごとく許されもしましょう。/神はあの君にされに大いなる恵(めぐ)みをお与えになりましたから、/あの君に声をかけられた人には悪い終わり方はないでしょう。

 

〔野上素一訳〕

   マドンナは至高天で慕われているが、/さていま私は彼女の功力を知らせよう。/彼女の高貴性を見ようと願うものは/彼女と共に行くがよい、その道中で/『愛』は賤しい心に霜をなげかけて/その想いをすべて凍らし滅ぼすだろう。/自分が彼女を眺めうると知る人は/彼女の功力を知っている人である。/救済のために彼女の与えるものは彼をば/謙遜にし、すべての恨みを忘れさすのだ。/神も大いなる恩寵をば彼女に恵み給い、/共に語った者の終わりは悪くはない。

 

〔原文解析〕

 

〔直訳〕

   我が淑女は、至高天で待ち望まれています。しかし今は、私は彼女の徳について皆様に知ってもらいたいのです。私は言います。高貴な淑女のように見られたいと欲する者は、彼女(ベアトリーチェ)と共に行きなさい。彼女が道を進むときに、愛よ、下品な心の中には氷を投げ入れてやれ。なぜならば、彼女らのすべての思考は凍りついて滅びるから。そして、ベアトリーチェのもとに留まり、ベアトリーチェを見るところの人は、高貴な者になるか、そうしないのなら死ぬことになるであろう。ベアトリーチェが彼女を見るに値する男を見つける時は、その男は彼女の徳を体験するのです。なぜならば、彼女が彼に与えるものは、彼には救いになるからです。そして、とても謙虚になるので、あらゆる侮辱も忘れるのです。さらに、神はもっと大きな恩恵をベアトリーチェに与えたので、彼女と話した人間は悪く終わるはずがありません。

 

 

第2部第2節第2小節前半

 

〔平川祐弘訳〕

   〈愛〉の神はかの君についてこう申します、「死すべきものが/なぜかくも美しく清らかでありうるのだろうか」と。/そしてかの君を打ち眺め心中で/神は奇蹟を造られたのだと断言(だんげん)なさいます。/真珠に似た肌の色はいかにも女性にふさわしく、/潔白だが度を過ぎることもない。/かの君は自然が造り出した善の極致です、/かの君と比べることではじめて美とはなにかもわかりましょう。

 

〔野上素一訳〕

   『愛』は彼女を見ていう、「現身(うつせみ)の者で/かく美しくかつ清純な者がいるか」と、/また彼女を眺めて神はめずらしいことを/くわだて給うたと心中に誓うのだった。/その色は真珠とまごうばかり、色彩も/淑女にふさわしく、ことさらに艶でなく/自然のつくったよきものをすべて兼ね備え、/美自身も彼女を雛型としておのれをためす。

 

〔原文解析〕

〔直訳〕

   愛神は彼女(ベアトリーチェ)について言う。「死すべき存在(人間)でありながら、どうしてこの様に美しく、またこの様に純粋であることができるのか?」さらに、(愛神は)彼女(ベアトリーチェ)を吟味して、神が彼女について新しい事をなそうと意図している、と自分自身の中で断言する。彼女は、自然が作ることのできる良い存在物の全てである。美人の基準は、彼女の規範によって(彼女を模範にして)推し量られる。

 

 

 

第2部第2節第2小節後半

〔平川祐弘訳〕

   かの君がまばたくときその両の眼から/愛の霊は燃えあがって外に出ます、/そしてかの君を眺める者の眼を射(い)、/貫いて人みなの心に達するのです。/みなさまもおわかりでしょう、〈愛〉がかの君の顔に描かれているのを、/人がじっと見つめることのできない、かの君のあの場所に。

 

〔野上素一訳〕

   彼女が、眼をめぐらすときは、そのなかから/燃える『愛』の霊がでて来て、たまたま/彼女を眺めている者の目を撃ち、ついで/その中にはいって心にまで達するのだ。/きみたちはその顔に描かれている『愛』を/見るだろう、何人も凝視できぬところに。

 

〔原文解析〕

〔直訳〕

   彼女(ベアトリーチェ)がどこで目を動かそうとも、彼女の目から愛の霊が、火が着いて出て来る。その時、彼女を凝視する者は誰に対しても、その者の目を傷つける。そして、(目を)通過しておのおのの霊は心臓を見つける(=愛の霊は各々の人の心臓を見つける)。あなた達は彼女の顔の中に描かれている愛神を見ます。そこ(彼女の顔)は、誰ひとりとして動揺しないで彼女を見つめることのできない場所です。

 

 

 

第3部

 

〔平川祐弘訳〕

   歌よ、わたしが送り出したら、君は若やかに、静かに/多くの女性たちのもとへ飛んで行って話をするだろう。/お願いだ、わたしが〈愛〉の神の娘として/そのようにはぐくみ育てたのだから、/どうか旅先で言ってくれ、/「道をお教えください。讃美の言葉で飾るべき/ご婦人のもとへ私はつかわされた者です」と。/だがいいか、意地悪をするような/そんな人には出会(でくわ)さぬよう道すがら気をつけろ。/そしていいか、心優しい方以外には女であれ男であれ迂闊(うかつ)に正体を露(あら)わすのでないぞ。/心優しい方は近道をしてあの方のもとへ連れて行ってくれるだろう。/〈愛〉の神はあの方とともにおられるだろう、/どうかこのわたしを、君は心得ていると思うが、なにとぞよろしくとりなしてくれ。

 

〔野上素一訳〕

   カンツォーネよ、許可(ゆるし)が下れば汝は婦人たちと/語るために歩き廻るのを私は知っている。私は汝を『愛』の年若い謙遜な娘として/育てたのであるから、教訓を与えるとしよう。/汝はいたるところで「讃美で飾られている/かの淑女のもとへ遣わされた者であるから/道順を教えてください」と頼むがよい。/そして行ったことが無駄にならないように/賤しい人のもとへとどまってはならないのだ。/もしできることなら礼節のある男女にだけ/知らせるように努力するがよい。/彼らは近道を教えるだろう、『愛』が彼女と/いっしょにいるのを見るだろうが、彼に私のことを/頼みこむことが汝のつとめなのである。

 

〔原文解析〕

〔直訳〕

   カンツォーネよ、私が汝を(書き)進めた時に、汝は沢山のご婦人たちと話ながら散策するであろうことを、私は知っている。いま、私は汝に忠告する。なぜならば、私は汝を愛神の未熟で素直な娘として育ててきた。なぜならば、辿り着くその場所で、汝が懇願して、次のように言うようにと。「私に道順を教えてください。なぜなら、あの人(ベアトリーチェ)への讃歌で私(カンツォーネ)が飾られるところのあの人(ベアトリーチェ)の所へ私は派遣されているのだから。

   そして、もし汝(カンツォーネ)がまことに無駄な所へ行くことを望むとしても、人々が下品である所には留まっていけない。(=下品な人々がいる所には滞在してはいけない。)もしできるならば、礼節を知った女と男と共にいる時だけ、明らかにすることに頑張って全勢力を注ぎなさい。その人たちは、迅速な道を通ってあなたをそこへ連れて行くだろう。あなたは(カンツォーネ)は、まさしく愛神が彼女(ベアトリーチェ)と一緒にいるところを見つけるでしょう。あなたは私を彼(愛神)に推奨してください。あなたはそれをすべきなのですから。

 

 

 

〔あとがき〕

   私の個人的な意見ですが、中世・ルネサンス以後の西洋文学の中で、『神曲』は余りにも輝かしいので、ダンテ自身の他の作品も、また他の詩人たちの作品も霞んでしまっています。私の目には、そのダンテの光輝の隙間から微かに光りが見えるのは、シェイクスピアの戯曲だけです。英国の叙事詩人ミルトンも専門家ぶって論じてきましたが、彼の『失楽園』も『神曲』にはとても及ばない、と私は評価しています。

   ダンテは、『神曲』の創作を始めるまでに、多くの執筆活動をしてきました。若い頃は、清新体派詩人運動の中心人物として、多くの抒情詩を書いてきました。ダンテは、9歳の時に1歳年下(または同じ歳)のベアトリーチェを見初めました。それから更に9年後のフィレンツェの花祭りの日(1274年5月1日)に再会して片思いの烈しい恋に落ちました。そして、その日の夜にダンテは彼女の夢を見ました。

 

   その主の君の腕(かいな)の中に、紅(くれない)の布一枚をかろうやかにまとった裸体(らたい)の女性が眠っていた。その姿をわたしは見たような気がして、注意深くかく眺める、その方こそ昼間忝(かたじけな)くもわたしに会釈してくれたあえかなる君、わが救いの淑女ではないか。(『新生』第3章、平川祐弘訳)

〔原文解析〕

〔直訳〕

   ひとりの裸の人が、彼(愛神)の腕の中に見えたように思えた。それは、薄く血色の織物だけにくるまれているように私には見えた。私が目を凝らしてもっとしっかりと見直したところの女は、私が挨拶をした婦人であって、先刻、昼間に私に挨拶をして下さったご婦人であった。

 

   上の「彼の腕の中で・・・ひとりの裸の女性が眠るNe le sue braccia・・・una persona dormire nuda)」という表現の中の「裸の女性」のことを、平川先生は「純粋無垢」という意味であると解釈されています。あくまでもベアトリーチェを美しく汚れのない聖女と解釈するのは、正しい考え方でしょう。しかし、ダンテが文字通りにベアトリーチェの裸体を夢で見た、と解釈するのもあながち間違いとは言えないでしょう。ダンテは、『神曲』を執筆したので、仁徳にも知識にも卓越した聖人君子のイメージが優先しているかも知れませんが、実在のダンテはその正反対であったという説もあります。おそらくダンテはベアトリーチェだけには手も握ったことはなかったことでしょう。詩を書くためにはベアトリーチェが必要だったので、彼女は理想の女神ままの存在でなくてはならなかったのです。その時のダンテとベアトリーチェの関係を、モンタネッリは、次のように風刺を込めて述べています。

 

   ダンテが自分を理想の女神に仕上げていることをベアトチーチェはよく知っており、かれが詩想の柱として自分を必要としていることもよく知っており、さらに皆がそれを知っていることをもよく知っていたはずだ。それでも、何の代償も払うことなく一人の詩人に崇め奉られて、悪い気はしなかったろう。だがこの詩人が街角を曲って他の女のところへ遊びに行くのだと分かれば、機嫌をそこねて当たり前である。

 

   モンタネッリの見解は、多くの読者が抱いているダンテとベアトリーチェの神聖な愛の理想像を壊すかも知れないのですが、意外に真実かも知れません。

   ダンテはベアトリーチェが1290年に25歳の若さで病没したのちに、ドナーティ家のジェンマ(Gemma Donati)と結婚しました。そして、妻のいとこフォレーゼとは悪友で、ふたりつるんで放蕩三昧をしていたと言われています。ダンテは、その乱れた生活の間にも『新生』をはじめ多くの抒情詩を作っています。

 

『神曲』の創作年代

   フィレンツェが白党と黒党に分列して勢力争いをしていた時、ダンテは白党の重鎮でした。ところが、黒党のクーデターにより、1302年1月27日に死刑宣告を受けたので、フィレンツェを脱出して永遠の流浪生活に入りました。

 

ダンテ流浪の道筋

 

   亡命の初期には、ダンテは『饗宴(Il Convivio)』や『抒情詩集(Le Rime)』に収められた多くの抒情詩を書いています。しかし、まだその時点では『神曲』の執筆は始められてはいませんでした。『神曲』の創作に関して私が最も信頼する説は、前出のモンタネッリの次の記述です。

 

   ボッカチオの伝えるところによれば、ジェンマ夫人は、打壊しの前に家を片付けていた時、文箱の中に夫の詩稿を見つけ、何気なく取りのけておいた。のちにそれをディーノ・フレスコバルディが見て感嘆し、ぜひこの稿を続けたまえという手紙を添えて、ルニジアーナのダンテに送り届けた。それが『神曲』地獄篇冒頭の七歌だったということです。

 

   ダンテがルニジアーナを亡命先にしていたのは、40歳頃であったと推定されていますので、『神曲』の執筆開始は1305年頃であった推測することができます。では、冒頭七歌を書き始めた動機は何かというと、教皇ボニファティウス8世(Bonifatius:イタリア名ボニファチョ、Bonifacio)によって1300年2月22日に発令された「聖年」(ラテン語:Iobeleus、伊語:Giubileo、英語:Jubilee)の勅令だと思われます。その大勅令は、1299年のクリスマスから1300年のクリスマスまでの一年間と定められて、その年の間にローマを訪れて、サン・ピエトロとサン・パオロの両寺院を参拝するすべての者に免罪が与えられると宣言されました。ヨーロッパ中の教会がその宣伝をしましたので、すべての国々から、こぞってローマにやって来ました。特別な日には、一日3万人もの参拝者が集まり、その期間中は20万人が巡礼にやって来たと言われています。ローマ在住者は、30日間連続で参拝し、外来者は15日続けてお参りをすると、すべての罪が許されて完全な免罪が得られると宣伝されていました。大聖堂は賽銭で、商人たちは巡礼者がおとすお金で巨額の利益を得たと言われています。聖年の巨大な経済効果によりボニファティウスの権勢は盤石になりました。ダンテも、聖年の祭典で盛り上がっているローマの都に滞在して、その神聖な中にも華やいだ雰囲気を満喫していたようです。『神曲』執筆の発想は、その時に浮かんだのではないかと推測することができます。

   以上の理由から、『神曲』の創作開始は、広義には聖年の体験からであり、狭義では亡命地ルニジアーナに滞在中の1305年以後ということになります。ダンテは、亡命生活の苦境の中でも『神曲』を創作し続けました。いやむしろ、亡命生活だったから『神曲』が書けたと言えるかも知れません。多くの国を流浪して得た幅広い見識が役立ったに違いありません。全篇の完成は1318年ぐらいだろうと推測されています。ただし、『煉獄篇』の方が『天国篇』よりも後に書かれたとも言われています。そのために、最初の予定では『煉獄篇』を創作するつもりはなかったのではないかという意見も出ています。当然のごとく、ダンテは、1321年に亡くなるまで推敲を加えた形跡も見られるようです。

 

このブログの主な参考文献:

Dante Alighieri: VITA NUOVA, The University on Norre Dame Press.

平川祐弘(訳)、『新生』(河出書房新社)

野上素一(訳)、『ダンテ』(筑摩世界文学大系:11)

モンタネッリ&ジェルヴァーゾ『ルネサンスの歴史』(中公文庫)。