IBMは、1911年に生れた古い企業です。その誕生以降1980年代までは、一人も整理解雇したことがないということを誇りにしていました。そして1950年には、終身雇用制度を確立したのですが、1990年代に入ってそれを完全に放棄しました。今回は、なぜそのようなことになったのか、という話です。
草創期のIBMのリーダー:トーマス・ワトソン・シニア
【画像出展:Wikipedia File:Thomas J Watson Sr.jpg Author:The original uploader was Paul C. Lasewicz at English Wikipedia】
IBMは、当初計算機用のパンチカードのメーカーとして出発しています。1946年にアメリカ初の電子計算機ENIACがつくられて以降、大型コンピュータの普及は進んだのですが、IBMの出足は遅くUNIVACに先行を許していたのですが、1964年にIBMが50億ドル(現在価値で5兆円弱)という巨額を投じてシステム360の開発に成功して以降、コンピュータ産業界を支配するようになります。
それまでの競合機と違って、高性能の半導体(IC)を使って信頼性が高かったうえに、プリンターやテープ・ドライブ、パンチカード・リーダーなどの周辺機器が標準規格化され、ファミリー内のどの機種でも作動でき、一つの機械を交換するときにその周辺機器をすべて取り換えるという必要がなくなり、ユーザーにとても好都合なものになったからです。
IBMのシステム360とICを使ったSLTモデュール
【画像出展:Wikipedia File:Ken Thompson (sitting) and Dennis Ritchie at PDP-11 (2876612463).jpg Author:Peter Hamer(システム360)、File:Slt1.jpg Author:Jim Berlin(SLTモデュール)】
IBMはさらにコンピュータ言語の標準(デファクト・スタンダード)となったFORTRANをつくり、世界中の大型コンピュータはIBMの互換機として発売されるようになり、IBMは世界のコンピュータ産業界を席巻します。
それを最初に脅かすことになったのは、AT&Tベル研究所のケン・トンプソンとデニス・リッチーが開発したコンピュータを動かす基本ソフトであるオペレーティング・システムのUnixです。ヒューレッド・パッカード(1961年設立)などの新興企業が中心となって作ったUnixは、IBMのシステムより高性能な上に安かったため、IBMのコンピュータを標準としなければならない根拠を奪い、サンやヒューレッド・パッカードと言ったコンピュータ専業メーカー、あるいはシリコングラフィックス(SGI)やデジタル・イクイップメント(DEC)といった関連ソフトや周辺機器メーカーからの激しい攻撃を受けるようになります。
ケン・トンプソン(左)とデニス・リッチー(右)
【画像出展:Wikipedia File:Ken Thompson and Dennis Ritchie.jpg】
さらにその後を追うように、パソコンの普及がIBMをさらなる窮地に追い込みます。その頃(1993年)にIBMを救うために外部から呼ばれてCEOに指名されたルイス・ガードナーの言葉を借りれば、「UnixがIBMの土台にひびを入れたとすれば、解体へ揺さぶりをかけだのがパソコンだ」ということになります(ルイス・ガードナー著『巨像も踊る』〈2002年〉より)。
ルイス・ガードナー
【画像出展:Wikipedia File:Lou Gerstner IBM CEO 1995.jpg Author:Kenneth C. Zirkel】
アップル(1976年創立)などのパソコンメーカーのチャレンジを受けたことの上に、OSメーカーであるマイクロソフト(1981年創業)とCPU(Central Processing Unit;演算用半導体)メーカーであるインテル(1968年創立)に性能、価格両面で負けたのです。これらは何れも、伝統的大企業であるIBMにくらべて新鮮なベンチャーでした。
それでは、当時、スイスのGDPと同じほどの売上を誇った大企業が新興企業であるベンチャーの挑戦を受けてやすやすと倒れることになったのか、というのが今回の大きなテーマです。
1950年代にIBMが終身雇用制を確立させたのは、長期に安定した成長を実現するためでした。当時、コンピュータ業界には強い競合社がなかったので、そういう動機をIBMはもったのです。そして考えたのが、人材の育成です。
入社した若者に“延々と”長期にわたる社員教育を施し、IBMという企業についての知識を叩き込むとともに、強烈な企業への帰属意識を植え付けていったのです。そして会社に長く勤めればやがては報われるという信頼を与え、生涯にわたって本人の希望に関係なく、経営者の思うように人の配置や異動を行いました。「IBMは“I’ve Been Moved!(僕転勤させられちゃった!)”の頭文字だ」と言われるようになったのです。
そしてやがて、「IBMの社員は仕事についてはさほどでもないが、会社についてはよく精通している」と言われるようになります(D. Quinn Mills著“Seniority versus Ability in Promotion Decisions”〈1985年〉より)。そしてその会社の特徴とは、終身雇用制であるほか、「採用、昇進、報酬での差別をなくそうと努めてきた」会社なのです。社員みんな、できるだけ平等に生涯面倒を見る、というわけです。IBMの企業原則の一つは「個人の尊重」という言われ方をしたのですが、これは、「IBMの社員だというだけで十分な福利厚生と終身雇用を当然のこととして期待する考え」として理解されました(『巨象も踊る』より)。
このような文化をもった巨大企業に働く社員は、自分たちより規模の小さい企業という顧客の方ではなく、目は自社内に専ら向けられることとなります。そして社内の人間と足並みを合わせるために、大胆な改革を嫌い、既存の秩序、やり方を守ろうとします。「窒息しそうな文化と、蜘蛛の巣のような検査、承認、確認の仕組みができて、意思決定が遅くなった」のです。そして、「IBMでは製品は発売されるのではなくて、逃げ出すのだ」と世情言われるようにまでなってしまいました。
このような行動型式をとる経営者と社員によって緩慢な動きをとる巨像が、革新的なアイデアという夢をもち、それを社会で実現したいという意欲に駆られた少数の若者によって立ち上げられ経営されるベンチャーとの競争に後れをとるようななったのは、当然といえば当然のことです。
そして、IBMの業績は大型コンピュータがパソコンにとって替わられるようになった1980年代半ば以降急速に悪くなります。終始雇用制をとるIBMは、社員を解雇するのではなく、大規模な異動を行ったのですが、その数は40万人を超える全世界での社員のうちの5パーセントに当たる2万1,500人にも上りました。アメリカ国内に限れば、全社員の1割が異動となったのです。
アップルⅡコンピュータ
【画像出展:Wikipedia File:Apple II Plus, Museum of the Moving Image.jpg(アップルⅡ)、File:Apple Computer Logo rainbow.svg(ロゴ)】
収支を改善するために当初は解雇ではなく高齢になって退職する者のあと補充しないということで対処していたのですが、それでは到底間に合わなくなります。そこで1992、93年には金銭的なインセンティブをつけて依願退職を募り10万人を超える社員数の削減に成功するのですが、それでも事情は好転しませんでした。
そして1994年、1911年の創業以来初のレイオフが行われるに至りました。「IBMの社員数は、最高に達した10年前の40万5500名から、レイオフがようやく終息した時には22万5000名にまで減少していた」のです(ピーター・キャペリ著『雇用の未来』〈1999年〉より)。こうして、IBMの伝統的な終身雇用制は廃止されたのです。
IBMは、アメリカの大企業の中でコダックと並んで最も“家族的経営(paternalistic management)”を行ってきた企業だと言われていますが、しかし20世紀後半においてアメリカの大企業の多くは終身雇用制をとってきていました。その様子は、例えばアメリカの年金制度の改正を揶揄した漫画(下図)にも描かれています。この漫画に示されたように、自分の好きな年齢まで一つの企業で勤め上げたあと、金時計を記念品として社のみんなから祝ってもらって退職する、というのが当時のアメリカの”標準的な”仕事人生の終わり方でした。
アメリカの風刺漫画:「可哀そうに、あいつは値打のない401(K)(アメリカの確定個人拠出年金制度の一つ: 小塩丙九郎註)しかもらえないでいるが、俺がリタイアした時には金時計がもらえたんだ」
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1958年にアメリカ人経営学者のジェームズ・アベグレンがその著『日本の経営』の中で、終身雇用制は江戸時代の丁稚制に始まる日本特異の雇用態勢であると書き、それを日本の経済学者たちが引用し続けていますが、日本の丁稚制は終身雇用制ではなく、アメリカの大企業も終身雇用制をとっていた、というように、二重にアベグレンは故意に(と私は考えています)間違えた主張をしています。その過ちをきちんと指摘して、糺すことがなかった日本の経済学者たちは自らを責めるべきです。
その様に終身雇用制をとってきたアメリカの大企業の多くが、IBMと同様に1980年代半ばから1990年代半ばにかけて終身雇用制を一斉に廃止したのです。それは、その時にそれまで伸びつつあった平均勤続年数が、はっきりと急速な短縮方向に向かったことで統計的にも確認できます(下のグラフを参照ください)。
出典:アメリカの労働統計局(Bureau of Labor Statistics)がネット上に公開しているデータを素に作成。
こうして、アメリカの既存の大企業の大半が、1970年代半ばから始まるアメリカの第3の産業革命を迎えて大変化した、つまり企業構造改革をしたのです。次回は、その全体像を紹介します。