先日ようやく最後の一社のブログを書いた
神戸八社巡り。


今回は、神功皇后が、
その生田神社や神戸八社を祀る前に
寄られた場所へ。

参拝は今年の秋に参拝したんですが
先日のブログの繋がりで。
神戸八社巡りの「エピソード0」
みたいな感じでしょうかねー



三宮の花時計前から、神戸ハーバーランド、
新長田へと繋がる地下鉄海岸線🚋

の、和田岬駅。



その駅を降りてすぐ見えます、
三石神社⛩️


柔道の阿部一二三さん、阿部詩さんが
崇敬されてる神社みたいですね。


200年、
神功皇后が、廣田・生田・長田・住吉、
それぞれの地に神を祀る前、この地で
三つの石を立て、神占いの儀式をされた
そうです。



602年、
推古天皇がこの地でミソギをされたので
祓殿塚と呼ばれ、その玉座にされた石が
「三石(みついし)」だそう。

その後、730年頃、
僧行基が和田泊を整える時、神功皇后の神霊を
見て祓殿の旧跡に祠を建て、大輪田泊の鎮護
とされたとか。


西宮に伝わる西宮大神本紀には、
平安時代に、廣田・西宮・南宮の三社の祭礼で
和田岬に御神幸され、この祓殿のことも記されているんだそうで、
そこには奉安される三石も描かれているのだとかうーん

元三石という旧跡は、
今は三菱造船の工場の敷地内にあるそうです☝️


(お借りしました)





その三石神社のおとなり、
和田神社⛩️

↓こちらは和田神社の由緒より、

太古の昔、
淡路島から蛭子大神が来航、
初めて着いた地を霊地として、
「蛭子の森🌳」と呼ばれていたそうです。



廣田神社、西宮神社から御神幸🛶が、
「産宮参り」と呼ばれていたのは、
そのことが由緒によるものだとか。


1173年、
兵庫津の港が完成した時、平清盛が
安芸の厳島神社から、市杵嶋姫大神を勧請して
兵庫津の七ヶ所に、兵庫七弁天として
祀ったうちの一社。


↑七宮神社の由緒と合わせて考えると、
築港に10年以上かかったんですね🤔

(お借りしました)

その後、1658年、
西宮の東、武庫川が大水害🌀
その際、その地の岡太神社の天御中主大神を
祀る神輿がこの地に流れつき、
翌年、1959年、
天御中主大神を祀る神社となったそうです。


蛭子大神。

ワカヒメヒルコ様。

私が少しずつ学んでいるホツマツタヱ。
ホツマツタヱの1アヤ、1番初めの章にも
少しそのことが。


イザナギ様、イザナミ様の長女として
お産まれになったものの、

3才になる時、
イザナギ様、イザナミ様、
どちらの厄年も重なることから、
その頃、西宮あたりを治めていた
重臣カナサキ(後の住吉の翁)に
預けられ育てられます。

若きイザナギ様、イザナミ様が、
初めの開拓地として淡路島にいたのは、
海をへだてた、すぐそばの島で、
我が子を祈り、見守っていた
のかもしれませんね😌


その後、アマテル様が産まれた後に、
両親のもとに戻られたのでアマテル様の
妹君とされているようです。



そんなワカヒメヒルコ様が、西宮に行く前に
着いた「蛭子の森🌳」、

この和田神社より南東800mあたりだったとか。



その蛭子の森があったとされる霊地の真北
神功皇后が祀られた生田神社、

御祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)
天照大神の和魂、妹神が祀られています。

生田神社の神輿もこちらに来ていたそうです。


和田神社の鳥居、
蛭子の森の元地に向いているんでしょうかね。

太古の蛭子の森、
神功皇后の儀式の地、
兵庫津、和田岬の歴史、



いつもいつもの歴史妄想をする
神社ヲタクでしたとさ。



和田神社、御朱印。






お読み頂きありがとうございます🌳