いつかの神戸八社巡りの続き、
私、神戸八社巡りをしたことがなくて、
昨年の今頃、順に参拝してました🚶
1日で全部まわられる方もいらっしゃいますが、
自分は一社をゆっくりまわりたかったので、
一社ずつ、のんびりと。
のんびりと、とか言ってたら、
ブログの方は、最後の一社を書かないまま
少しブログを休むという😅
神戸八社巡り、
八宮神社は、六宮神社と合祀されていたので、
最後の一社、七宮神社⛩️
🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾
神戸八社巡り。
「生田裔神八社」とも呼ばれる
一宮神社から八宮神社。
201年、
神功皇后が生田神社を祀られた時に、
生田神社を囲むように、大神に縁のある八柱の神々を祀る宮を巡拝されたそうです。
ご祭神はコチラ↓↓↓
神社や古事記、好きな方で詳しい方は、
あれ?となるかもですね🤔
五男三女神で並ぶなら
田心姫命(たごりひめのみこと)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
湍津姫命(たきつひめのみこと)
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
▶活津彦根命(いくつひこねのみこと)
熊野杼樟日命(くまのくすひのみこと)
七宮は、
「大己貴尊」ではなく「活津彦根命」では?
となるかもです🌀
(マニアックなところ、すいません💦)
どこかで御祭神が変わったんだろうな、
と歴史好きには、ほんの少し残念な思いも
ありつつ、
JR神戸駅から、国道2号線を西に向かって歩いていきました🚶
(上を走るのは、阪神高速3号神戸線☝️)
途中、MAPを見ていて、
ふと気になった神社へ寄り道🐾
猿田彦神社。
神社前の由緒によると、
平清盛の時代に福原に遷都するにあたり、
兵庫築港が難航していたのを、
元矢田郡白川村の猿田彦の神様にお願いすると、
無事に築港できたとか。
(元矢田郡白川村、今の須磨の名谷のあたりでしょうか🤔)
七宮神社の由緒によると福原遷都の時、
「経が島」という島を埋め立てるのに難航したとか。
この猿田彦神社、
もう1つ興味深い由緒☀️
この佐比江という場所、200年前、
遊郭があり、栄えていたそう。
ただその遊郭の遊女が信仰心が篤く、
毎月24日、この猿田彦大神の元宮のある
白川の山伏山神社にたくさん人を引き連れて
参拝するようになったらしい。
(その遊女の遊女仲間やお客さんでしょうか😅)
さすがに、毎月遠路1日がかりで
出かけられては困る、というわけで、
この地に勧請されて神社ができたらしい。
(上の偉い人も、神様のことやし無下にあかんと言えんかったんでしょうね)
民の信仰心で建てられた神社🙏✨
この北側にある会下山の一部、塩槌山を削って
埋め立てられたとか🌲
ただ工事が進まず難航🌀
どうやらこの塩槌山に祀られていた神様、
大己貴尊の怒りをかったのだろうと、
この地に祀られるようになったんだとか。
この兵庫の浜の北風家、
祖先は会下山に集落があったそうです。
神功皇后の時代の七宮神社の神様は、
そちらに祀られていて、後に、
このお社に遷座されたのかもしれませんね😌
私、最近、ふと思います。
時代、時代によって神社との向き合い方、
いろいろだったんだろうなと。
食べていくのも必死で田畑に向き合った時代、
領主の争いに捲き込まれて生活した時代。
何かにすがるようにだったのか、
ただひたすらに平和を祈るだったのか。
「神社で手を合わせて」祈る
ということをしてきたのかなと。
私たち、戦後の教育世代。
学校で、神道のこと、神社のこと、
教育として、深く教えられることはありません。
それでも、
年の初めには初詣で神社に参拝するし、
安産祈願や七五三、受験シーズンも神社参拝。
やっぱり
「神社で手を合わせて」祈ってる。
お読み頂きありがとうございます🌳