1989年7月22日ー日本で一番星がみえるところー
宮崎県だそうだ。
環境庁は昭和62年から、口径50ミリの双眼鏡で
すばる(プレアデス星団)の中の星が、いくつ見えるか、
という「スター・ウォッチング」をやっている。
ことしの1月、38都道府県で、これを行ったところ、
宮崎県の霧島山に近い小林市と高崎町が、
それぞれ19個で1位、2位も同県北郷村の18個と、
3位を独占した。
だが、この星たちも、次々と、ロマンチック性が失われていく。
きのう書いたアポロ11号の月着陸で、当時俳人の一人は
「竹取物語」にもケチがついてと嘆いたものだ。
これに追い打ちをかけたのが、昭和51年の無人探査機
バイキング1号による火星着陸。
火星人など全くいないことがわかった。
でも、きっとどこかにETがいるはずだ。
1989年7月21日ー1年で3.8cm離れて行く月ー
20年前の昭和44年7月20日(日本時間21日)、
アポロ宇宙船が月面に到着、人間が人類史上初めて
月に降り立った。
「大きな第一歩」
○○○ちゃんも、ついこの間、英語で習ったばかりだね。
実は、あの日から、きょうまでに、月と地球との距離は、
76センチも離れてしまったのだそうだ。
実は、あのとき、アポロ11号の宇宙飛行士は、
月に一辺45センチのアルミ製の箱を置いてきた。
中には、二酸化ケイ素が入っていて、地上から
これに向かってレーザーを発射。それが戻って
くるまでの時間を、20年間、正確に測り続けてきたのだ。
その結果、1年に離れて行く距離は3.8cm。
しかし月までは33万4千キロもある。
1万年でも300㍍だ。
お月見は、当分大丈夫だと思う。
1989年7月20日ーだっこちゃんマーク廃止ー
カルピスにつづいて、だっこちゃんマークも、ついに姿を消す。
だっこちゃんは「リカちゃん人形」「チョロQ」などでも有名な
オモチャメーカー「タカラ」のシンボルマーク。
同社が昭和35年に売り出したビニール人形「だっこちゃん」
(当時1個180円)が半年間で240万個も売れるほどに
大ヒット、日本第2位のオモチャメーカーとなった。
このため、翌年、この人形を図案化シンボルマークにした。
そのころ、アフリカで黒人国家が続々独立、国連に
相次いで加盟した。だっこちゃんブームも、
こうした国際情勢を背景にした、黒人への親しみの表れと
お父様も新聞に書いたものだ。
だが黒人への偏見は、その後もアメリカでは一向に
衰えない。黒人の気持ちは傷つきやすくなるばかりだ。
彼らの気持ちを大事にするためにも、やはり、
やめるべきだと思う。
2011年7月
現在のアメリカの大統領のこと、
当時は信じられないことだっただろう。
だっこちゃん、幼いころ私も好きだったので
とても残念だった覚えがある。
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1989年7月19日ーサッチャーとミッテランの不仲と人権ー
イギリスのサッチャー首相とフランスの
ミッテラン大統領との間の中が悪いらしい。
さきのサミットでも、最終日に予定されていた
大統領主催の晩餐会が急遽、取り止めになったが、
これも、2人の不仲が原因ともいわれている。
ことの起こりは、サッチャー首相がテレビのインタビューに
答え「フランスの大革命が自由と平和と人権の起源というが、
あれは単なる虐殺。人権はイギリスがお家元」といったこと。
確かに、これにも理屈がある。
フランス革命より500年以上も前の1215年、
貴族たちが市民の支持を得て、ときの王ジョンとの間で
文書を作成、王の権力を制限、貴族たちの
権利を認めさせているからだ。
これをマグナ・カルタ(大憲章)という。
その後、これが貴族だけではなく、広く国民の自由と権利
を守る基本的文書といわれるようになった。
しかし、重要性は、どちらも同じとお父様は思う。
1989年7月18日ー明治の初めの夏の時候のあいさつ語ー
梅雨明けが遅れ、夏の歩みがたどたどしい。
だが、初夏から盛夏にかけて、この季節の
移り変わりは、バラエティに富む。
清和(5月のすがすがしさのこと)の候
薄暑(すこし暑くなること)
梅月(つゆどき)
黄梅の時節、塾梅の天気(いずれも、梅雨の後半を指す)
出梅、断梅(梅雨明け)
亢陽(こうよう)(きびしいひでり)
溽暑(じょくしょ)(蒸し蒸しと暑いこと)
以上は、明治の初め、手紙文のテキストに出てきた、
夏の時候のあいさつ語だ。
何とも、細かく、書き分けたものだと思う。
日本語も豊富だったし、季節も細かく変わった。
いまは、さしずめ「塾梅の候」といったところか。
「出梅」は近い。
2011年7月
今年は、既に梅雨は明け
溽暑といったところ。
1989年7月17日ー島崎藤村「椰子の実」-
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷の岸を離れて
汝(なれ)は そも波に幾月
旧(もと)の木は生いや茂れる
枝は なお影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寝(うきね)の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば
新たなり流離(りゅうり)の憂(うれい)
有名な島崎藤村の詩「椰子の実」だ。
昭和11年7月13日、はじめて放送され
まったく間に国民に愛唱された。
しかし、詩ができたのは、はるかむかし
明治34年のことだった。
柳田国男という友人が明治30年、
愛知県の伊良湖岬(いらこみさき)の浜に
打ち上げられていたヤシの実のことを
藤村に話したところ、そのヒントだけで、
こんな詩ができた。
詩人の豊かな想像力、創造力に驚く。
1989年7月16日ー明神礁で消息を絶った第五海洋丸と無事だった拓洋ー
伊豆諸島・青ヶ島の南 方にある海底火山、
明神礁(みょうじんしょう)の調査に向かった
海上保安庁の測量船「第五海洋丸」は、
昭和27年9月23日午後8時頃、三宅島近くで
無線連絡があったきり、突如として消息を絶ってしまった。
必死の捜索にもかかわらず、5日後に、漂流のブイと帽子を
発見しただけ、船体の一かけらも見つけることはできなかった。
明神礁の火山爆発に直撃され、船も乗組員も、
粉々に飛び散ってしまった。
犠牲者は当時の東京教育大・河田教授ら31人。
この13日の夕、伊豆沖の海底爆発で、1番心配したのは、
同保安庁の測量船「拓洋」のことだった。
そのころ、あの海域を調査したからだ。
「明神礁の二の舞」と思った。
幸い無事だった。
だが五分前に噴火地点の真上を航行していたという。
1989年7月15日ーアルシュ・サミットとアルシュの意味ー
アルシュ・サミット(先進国首脳会議)が
きのうから始まった。
この「アルシュ」。ARCHEと書く。
この前、その意味を「アーチ」と書いたが、
実は、別の意味があるのだそうだ。
それは「箱舟」(はこぶね)。
聖書に出てくる「ノアの箱舟」だ。
ノアで大洪水が起きた時、神が何人かの
人間と数匹の動物を、この箱舟に乗せ、
無事脱出させた。
その子孫が今の人類だという。
だから選ばれた首相たちが会議する場所の名は
「箱舟」こそふさわしいということらしい。
もちろん、あの形から「アーチ」という意味も
持たせていることは確かだ。
またフランス語の名詞には男性名詞と女性名詞がある。
アルシュは女性、古い凱旋門の方は「アルク」といい男性。
男女を一方の道路の両側に向かい合わせて建てたともいう。
「箱舟」は「寄り合い世帯」のことも意味する。
これもサミットにピッタリだね。
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1989年7月14日ー環境がテーマのアルシュ・サミットー
この前、書いたパリでのアルシュ・サミット(先進国首脳会議)
での主要なテーマの一つが、地球的規模の環境破壊問題。
ヘア・スプレーや冷蔵庫の冷却に使われるフロンが
宇宙のオゾン層をこわし、強い紫外線が人間に直射。
皮膚がんを発生させる危険が出ている。
もう一つは地球の温暖化。
南アメリカなどで熱帯林を開発のために大伐採、炭酸ガス
の吸収機能を減らしている。
このため自動車などが出す炭酸ガスが宇宙に充満して、
地球の気温を高めているのだ。
これが進行すると北極の水が溶け、海水が2.3㍍上昇、
東京も三分の一は水没する。
前世紀の初めは、東京(江戸)も小氷期にさしかかり
寒かった。そのころの記録では隅田川も三度氷結したそうだ。
そのころからみれば温暖化はうれしいが、
暑がり屋には住みにくい。
サミットで、よい対策がでることを願う。
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1989年7月13日ーカルピスのマーク廃止ー
「初恋の味」という、名キャッチフレーズとともに、
65年間にわたって、日本人に親しまれてきた、
カルピスのマークが、来年からなくなる。
黒人がストローでカルピスを飲んでいる図案だ。
やまり理由は、もちろん、黒人差別。
昨年も児童書の「ちびくろサンポ」が「黒人への偏見をあおる」
と絶版になったばかりだが、やはり黒人からみると
イヤな感じがするのは間違いない。
このマークができた趣旨はよかった。
カルピスの創業者の三島という人が、第一次大戦で困っている
欧州の美術家を救おうと、ドイツ、フランス、イタリアで
ポスターを募集したのがきっかけ。
そして、ドイツの画家の作品が選ばれた。
だが、時代はかわった。
やめた方がいいと思う。
日本人も差別には敏感になるべきだ。