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1989年7月12日ーバイクの日と三ない運動ー

また、語呂合わせの日ができる。

8月19日。

「バイクの日」だ。

年間の交通事故による死者が13年ぶりに

1万人を突破、なかでもバイクの事故が急増

しているため、この日を決め、交通安全意識を啓発

することになった。

このなかで、日本の警察としては、珍しくいいことを

打ち出している。

「三ない運動」の見直しを打ち出したことだ。


「三ない運動」とは、多くの高校で行っている

①免許をとらない

②二輪車を持たない

③運転をしない

の三つの「ない」のこと。


だが、このため、16歳になってせっかく

バイクの免許がとれるようになっても、とれず、

高校生はほとんど無免許で親にかくれて乗っている。

これがかえって事故を増やしているのだ。

こんな運動はない方がいい。

○○○ちゃんも、ちゃんと自転車に乗っているものね。


1989年7月11日ー7月10日は納豆の日ー

朝日新聞の天声人語によると、きのう、7月10日は

「納豆の日」だったそうだ。


特に、この日が、納豆と縁があるわけではない。

「七・一〇」を「なっとう」と読ませただけだ。


じゃ、なぜ、こんな日をわざわざ、つくったのかー。

これを唱えたのは関西の納豆工業協同組合。


「関西でも、もっと食べてもらいらい」


というのがねらいだった。


そのおかげか、関西での消費は、最近、

伸びてきたらしい。


関西での納豆の売上の伸びは、昨年の首位が

近畿地方。前年の二割以上だ。

東京からの転勤組、東京に赴任して納豆好きに

なった人が、大いに宣伝しているという。


だが、まだ関東の三分の一。

○○○ちゃんは、やはり、東京っ子だね。



1989年7月10日ー日本人があふれるアメリカの大学ー

英検4級の合格、おめでとう。

問題が意外とむづかしいので驚いた。

あのあたりの英語をみっちりやっておけば、

少なくとも会話には困らなくなるだろう。

留学もユメではなくなったね。

だが、最近、気になるリポートが発表された。

読売新聞の「よみうり子供記者団」が、海外へ

行って調べてきたものだ。


アメリカ・カリフォルニア州立大ノースリッチ校の

英語学校に行ったら、1クラス13人中12人が日本人。

寮で2人部屋を希望したら、ルームメイトが日本人。

いま、アメリカの学校も日本人があふれ、

全く英語の勉強にならないそうだ。

けれども名門のハーバード大やペンシルバニア大に

正式に入学して勉強している日本人は合わせて

わずか10人。

他は、結局、遊びに行っているのだ。


1989年7月

1996年に、私もアメリカへ語学研修にいった。

でも、日本人だらけとはいかなくても、日本人が多く、

結局、日本人同士で集まり、語学の勉強がしっかり

できたかというと???。

私は、自分でアルバイトしたお金で参加したので、

授業をサボったりはしなかったが・・・。

まあ、日本人同士で集まって遊んで、それはそれで

楽しかった。

そんな中でも、ある日本人の女の子は、一切日本語を

使わず、日本人とは仲良くせず、一生懸命英語を

身につけようと努力していた。

何事も、強い意志というのが必要だ。

1989年7月9日ー新凱旋門「アルシュ」とサミット-

○○○ちゃんが、この次、パリを訪れるとき、

新しい「凱旋門」を見ることができる。

名前は「アルシュ」。

フランス語で「アーチ」のことをいう。

高さ110㍍、幅112㍍、厚さ18.7㍍と

写真のようなアーチ風高層ビルだ。

いまの凱旋門から北西へ約4キロ。

あのブローニュの森と川一つへだてたところに、

新しくつくられた。


この14日から始まるサミット(先進国首脳会議)は、

新凱旋門の最上階で開かれる。

地上36階。

だから、今度のサミットを「アルシュ・サミット」と呼ぶ。

別名「トントンのサミット」

「トントン」はミッテラン仏大統領の愛称だ。



LETTER-新凱旋門アルシュ



LETTER-新凱旋門アルシュの場所



2011年7月

1987年に再度フランスに訪れたが、

新凱旋門にはいかなかった。というか、

今も、あることすら知らなかった。

うっすら、新凱旋門という言葉を

覚えてたような気もするが・・・。


あのとき、シャンゼリゼ通りにも行ったのに、

気がつかなかったのだろうか?

不思議だ。


【関連記事】

1989年7月14日ー環境がテーマのアルシュ・サミットー

1989年7月15日ーアルシュ・サミットとアルシュの意味ー

1989年7月8日ー東京タワー来塔者一億人突破は?-

いま、新しいクイズが行われている。

それは、東京タワーに関すること。

「入場者が一億人に達する日はいつか?」

すでに何万通ものはがきが寄せられているそうだ。

昨年暮れ、開業30周年を迎えた東京タワーは、

最近、超高層ビルの林立で、展望台としての

人気は下降気味だった。


しかし、照明をふやし、ライトアップしてからは、

また人気を回復、この一日からは、

東京湾一周と組み合わせた夜間観光バスコースも

登場して、皇居、浅草とともに、東京三大観光名所

の地位を保っている。


5000万人突破したのは昭和48年。

今年の6月15日現在で9977万人に達した。

1日平均5千人、夏休みに入ると1万3千人になる。

さて、1億人目は7月の何日だろう。

1億人目には記念品が贈られる。

何をくれるかは電話○○○ー○○○○に聞いてごらん。



1989年7月7日ー余の辞書には不可能という言葉はないー

7月7日、小暑。

「七夕まつり」でもある。

それはさておき、1807年のこの日、

あのナポレオンは有名な言葉を残した。


「余の辞書には“不可能”という言葉はない」


プロイセン・ロシアの連合軍を破りロシア皇帝

アレクサンドル一世と、この日、和約を結んだが、

その時、38歳。

向かうところ敵なしの彼が、こういうのも不思議ではない。


しかし、5年後の1812年にはモスクワ遠征に失敗して敗走。

それからケチがついてついに1821年にセントヘレナで死ぬ。

そのとき、多分、彼の辞書にも「不可能」という言葉が

のっていたに違いない。

けれども、この言葉は不滅。

よく引用される。

「私の辞書には、“失恋”という言葉はない」

といった具合だ。



1989年7月6日ーサラダ記念日ー

きょうは何の日。

「サラダ記念日」

神奈川も高校の国語の先生だった俵万智(たわら・まち)という女性が

24歳のとき、こんな歌を発表した。


「この味がいいね」と君が言ったから

7月6日はサラダ記念日


だから、きょうは「サラダ記念日」。

そして、同じ題名の歌集を発売したところたちまち、

ベストセラーになってしまった。


そして、和歌にも大革命を起こした。

こんなのがある。


愛人でいいのと うたう歌手がいて

言ってくれるじゃないのと思う。


「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ 

二本で言ってしまっていいの


数学の試験監督する我の

一部始終を見ている少女


○○○ちゃんも、つくってみたら。


1989年7月5日ー台風観測機ー

むかし「台風観測機」というのがあった。

台風が来るごとに、グアム島にあるアメリカ軍・気象観測隊の

大型軍用機が飛びたち、台風の目のなかにまで入って、

中心気圧や移動方向を観測していた。

それは、命がけの仕事だった。

台風の目に入ってしまうと、無風状態なのでいいが、それまでは

暴風雨に木の葉のようにほんろうされた。

何人かの犠牲も出ているはずだ。

それが昭和62年から中止になった。


だから、いまは各国でバラバラ。

昨年10月4日の台風24号の中心気圧は日本915、

台湾930、中国955ミリバールといった具合。


そこで、ことしからは、日本の気象衛星ひまわりが

送ってくるデータを基準にすることになった。

でも、台風の目の中まで入っての観測ではないから、

少し誤差がある。

アメリカも、いいことをしていた。


1989年7月4日ー自民党の厄日「半夏生」-

都議会議員選挙は3日、開票の結果、自民党が大敗し、

社会党は、これまでの議席の3倍も伸びた。

自民党にとっては、全くの厄日だったといっていい。


それもそのはず、投票日の2日は、余りいい日ではない。

暦のうえでは「半夏生(はんげしょう)」という。

この日、「半夏」といわれる「カラスビシャク」が生え出すので

この名がある。

同時に、むかしから、毒気が降るといい伝えられ、

一切、野菜を食べてはならない日になっていた。


だから、自民党は社会党という“毒気”にあてられたというわけだ。

もちろん、本当はリクルート汚職、消費税、特に宇野首相の

女性問題が敗因。女性候補者が過去最高の17人が当選した

のでもわかる。



1989年7月3日ーフランス革命200周年記念行事に反対する人々ー

フランスは、いま「革命200周年」の祝賀ムードに包まれている

と書いたね。だが、必ずしも、そうでない人たちもいるようだ。

なかでも、大西洋岸のバンデ地方の人たちは、革命に対する

ウラミは大きい。


革命から3年8ヶ月後の1793年3月、バンデの農民たちは

大反乱を起こした。

革命のおかげで、それまでになかった徴兵令(一般の人間から

兵隊を強制的にとること)がしかれたため、これに反対したのだ。

結局、軍隊に破れ、30万人が虐殺されたといわれる。

民衆による革命が、逆に民衆を虐殺したのだから、

革命の200周年に反対するのも当然だ。

また、あのとき断頭台にかけられた王族や貴族の子孫の

なかからも「記念行事には参加しない」という人も少なくない。

革命も、誰かが虐殺され、虐殺している。