1988年4月24日ー「四週六休」ー
「四週六休」(よんしゅうろっきゅう)
これまで、役所の休み、学校も含めて、
休みは1週間で日曜日の一日だけ。
従って4週間(大体、1ヶ月間にあたる)に
4日しか休みがなかった。
このうち、4週に2回は土曜日も休みにして、
休みを全部で6回にしようというのが
「四週六休」だ。
すでに民間の大きな会社は、ほとんど、毎土曜日
が休みだ。
これを「週休2日制」という。
役所は窓口といって、出生届、住所変更などの
仕事があり、休むと住民が迷惑するというので、
これまでなかなか土曜日を休みにできなかった。
けれども、世界各国から「日本人は休まずに働いて、
もうけすぎる」という批判が強く、ついに役所も
23日の土曜日から、「四週六休」になった。
ただし学校はお預け。
○○○ちゃんは休みがない方がいいんだろ。
1988年4月23 日ー雲の掛け布団ー
きのうも暑かった。
最高気温は20度に近かったのではないだろうか。
けれども、朝夕は、セーターがほしいほどに寒い。
特に、朝がそうだ。
学校に行くとき、そう思うだろう。
それも、夜の天候で、ずい分違う。
夕方6時と翌朝6時の気温の差の平均は、
東京では4月下旬に、こんなに違う。
晴れの時 7度
曇りの時 5度
雨の時 3度
晴れの時寒いのは、空に、地面から宇宙に
逃げて行く熱を遮ぎる雲がないためだ。
風があると、冷えた空気が温かい空気と入れかわるので、
余り冷えない。
快晴のときは10度下がり、
霜がおり、野菜が枯れる。
だから、温度をあげてくれる雲を
「雲の掛け布団」と呼んで農家は喜ぶ。
1988年4月21日ー大正9年東京から大阪まで無着陸飛行成功ー
この前、ロンドンまで飛んだ「神風号」や
世界一周した「ニッポン号」のことを書いた。
でも、その20年前までは、東京から大阪を
無着陸飛行するのが、精一杯だった。
それが成功したのが、大正9年の4月21日。
東京の州崎(江東の方にあった)の飛行場
を飛びたったゴルハム式150馬力の飛行機は
大阪の城東練兵場の上を2度旋回して、
再び州崎に戻った。
午前10時8分に出発、帰ったのは午後4時51分。
約7時間。
片道3時間半だ。
今なら片道50分。
練兵場というのは、むかし、軍隊が戦争の練習を
したところだ。
代々木にもあった。
そのころ、飛行場がなかったので、
よく練兵場が飛行場がわりに使われた。
これも今昔の感がある。
【関連記事】
1988年4月20日ーポストを公衆便所だと勘違いした昔の人たちー
きょうは「逓信記念日」。
明治4年に東京と大阪に郵便制度が始まった日だ。
いまは「郵政省」というが、むかしは「逓信省」といった。
「逓」とは、「つぎつぎに伝えて送る」という意味がある。
手紙も、江戸時代までは飛脚というのが、
走って運んだ。
だから、最初は「飛脚便」と呼ぼうとしたが、
古すぎるというので「郵便」という言葉が考え出された。
これは「郵」という字が、古い中国で宿場や駅を指した
ことから思いついたという。
しかし「郵」を読めない人も多かった。
ポストに「郵便」と書いてあるのを見て、
田舎の人は、こう読んだものだ。
「たれ便」・・・郵の「垂」が「たれ」だから。
そして、小便をしたという。
公衆便所だと思ったらしい。
1988年4月19日ー花吸いー
そろそろ、花の季節。
昆虫たちが、蜜を求めて、花から花へと、
飛びまわることだろう。
この蜜を吸うには、昆虫だけではない。
小鳥の中にも、とても、上手なのがいる。
メジロ、ヒヨドリなどだ。
いま、サクラ並木を渡り、盛んに蜜を吸っている。
この鳥のクチバシは、花を吸うのに、
適した形をしているらしい。
地方によっては、これらの鳥を「花吸い」と
呼んでいるそうだ。
ところが最近、スズメやシジュウガラまで
蜜を吸いだした。
けれども、クチバシの形が違うので、
花を食いちぎって、ガクごと、蜜を食べてしまう。
花が無残な様で落ちていることがあるが、
そのためらしい。
大雪などで食べる物がなくなり、花を食べ始めたのだ。
人間もひもじいと何を食べるかわからないものね。
1988年4月18日ーワープロー
ワープロ。
いっぺんに、うまくなってしまったね。
では、ワープロって、どういう意味なんだろう。
正式には、こういう。
ワード・プロセッサー。
ワードはWORD。
言葉のことだ。
プロセッサーはPROCESSOR。
普通、加工業者と訳される。
「文章に手を加える機械」とでもいったらよいだろうか。
つまり、「編集」することだ。
タイプライターと違って、一度、書いた文章を、
訂正したり、位置を変えたりしてくれるからね。
アメリカでは新聞記者は、ほとんど、これを使い、
電話機とつないで、直接に、本社に原稿を
送っているよ。
1988年4月17日ー国民を熱狂させた「神風号」「ニッポン号」-
少し前の日付になるが、昭和12年4月10日未明、
多くの日本国民は熱狂した。
朝日新聞の2人乗りの飛行機「神風号」が
無事、イギリス・ロンドンのクロイドン空港に
到着したからだ。
6日に立川を離陸した同機は何度か給油しながらも、
ロンドンまで1万5千キロを94時間の世界新記録
で飛びきった。
この時間を正確にあてた人には賞金まで出るほどだった。
これに負けじと、毎日新聞社は2年後の昭和14年8月26日
に、今度は双発の飛行機「ニッポン号」で世界一周。
これも10月20日に、56日をかけて無事、
羽田に帰って来た。乗員は7人。
どちらも純国産機だったから、日本人は
鼻高々だった。
しかし、いずれも、同じ型の飛行機が戦争に使われ、
確か「神風号」の乗員の一人は戦死したはずだ。
何でも戦争のためだったんだ。
1988年4月16日ー川端康成の自殺はノーベル賞が引き金か!?ー
「国境の長いトンネルを抜けると
雪国であった。夜の底が白くなった。
信号所に汽車がとまった」
あの有名な「雪国」の書き出しだ。
これほど、多くの国語の教科書に引用され、
また、文章の書き方のお手本になった小説文章は
ないだろう。
わずか3行を、ああでもないこうでもないと、
何十枚の論文にした者もいる。
作者、川端康成。
昭和43年に日本人として初めて、ノーベル文学賞をもらった。
そして4年後の47年4月16日、仕事場にしていた逗子市のマンションで
ガス自殺した。72歳。
多分、ノーベル賞をもらったために、生活が乱れ、それがまた、
重荷になったのだろうといわれている。
トンネルを抜けることができなかったのだ。
1988年4月15日ー世界共通言語エスペラント語ー
いよいよ、英語の勉強が始まるね。
単語のつづりの複雑さ、動詞の変化、
熟語前置詞の難しさ、など、本当にいやになると思うよ。
そして、こう考えるに違いない。
「なぜ、もっと簡単で、覚えやすい、世界共通の
言葉ができないんだろう」
それが、あるんだよ。
エスペラント語。
ポーランドの眼科医ザメンホフが発明した。
彼の故郷は多くの民族が住んでいて、お互いの
言葉が通じないことから、この言葉を考え出したという。
英独仏、ロシア語からやさしい言葉を選び出し、
発音も文法も簡単で、ずいぶん普及した。
一時は40万人が使っていたといわれる。
でも、いまはストップしている。
やはり、人工語は無理があるんだろうね。
エスペラントは「希望をいだく者」の意。
ぞのザメンホフは1917年の4月14日に亡くなった。
2011年4月21日
上記の通り、父はエスペラント語が現在ストップしている
と書いていたが、現在も使用されている。
100万人ほどの話者がいるそうです。
ツイッターで、指摘がありました。
情報をお寄せいただいた方々、ありがとうございます。
