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1988年5月15日ー暗殺「五・一五事件」ー

「暗殺(あんさつ)」

辞書によると「ひそかに、ねらって殺すこと」とある。だから、殺す相手は、だれでもよいのだけど、

普通は政治家や社会的な地位の高い者が、ねらわれて殺されることをいう。


昭和の初めは、日本も、暗殺の歴史だった。

昭和6年は、とくにはげしかった。

2月、3月と、つづいて前大蔵大臣井上準之助、三井という大会社の幹部、団琢磨が殺された。

そして、5月15日。犬養首相が首相官邸で海軍の将校らに射殺された。


その時、犬養首相がビストルを突き付けた犯人にいった、有名な言葉がある。

「話せば、わかる」

けれども、「問答無用」と殺された。

これを「五・一五事件」という。

日本は、これ以後、ますます軍国主義になる。

1988年5月14日ー盧溝橋事件ー

国土庁の、奥野という大臣の発言、中国をおこらせている。

こういうことを言ったからだ。

「この前の日中戦争は日本の侵略戦争ではない」

こうもいっている。

「昭和12年7月7日に中国の盧溝橋で、偶然起きた事件がもとで、戦争になっただけだ。」


たしかに、日中戦争の原因になった盧溝橋事件がどうして起きたのか、いまでもナゾの部分が多い。

どちらかの勘違いが、銃の撃ち合いになってしまったのかもしれない。

けれども、日本は、それをいいことに、どんどん中国を占領していった。


ある新聞がうまいことをいっている。

人を踏みにじっておいて、「私は強い足取りで歩いただけ」といっても、相手の人はおこるだけだーと。

中国にとって、明らかにあれは、日本の侵略なのだ。


1988年5月13日ーレーガン大統領と星占いー

大好き?な星占い。

いま、この、星占いをめぐって、アメリカで、ひと騒ぎが起きている。


レーガン大統領の妻のナンシー夫人が、星占いにこって、大統領が大事なことをする日や時間まで、

星占いで決めていたというのだ。

しかも、これが最近まで大統領の補佐官(大統領の相談相手になる人)だった人が書いた本に、

のっているため、いっそう、話題になっている。

その本によると、この前、ソ連との間で調印された中距離核戦力全廃条約の、その調印の日や、

「午後2時きっかり」など時間まで星占いで決められていたそうだ。

個人的に占いをやるのはいい。けれども、政治のことまで占いで決められたら、大昔逆行だ。

「戦争しろ」ということを星占い師がいったらそうなるのだろう。

アメリカでは、当分、論争が続くだろう。

1988年5月12日ー天明の打ち壊しー

「天明の飢きん(農作物ができなくて、多くの人が、飢え苦しむこと)」

小学校の日本歴史で習ったかしら。

天明2年(1782年)から6年間もつづいた大飢饉のことだ。

日本中の至るところで、洪水がおこったのを手始めに、

浅間山の噴火、天候不順が重なって、農作物がほとんど、とれなくなった。

特に東北地方でひどく、全国で数十万人が死んだといわれる。

なかには人を殺して食べるものまで、でてくるほどだった。

そして、ついに、「天明の打ち壊し」が始まった。

「打ち壊し」というのは、米屋や質屋や金持ちの家を壊して、米や金を奪うこと。

5月10日に大阪で発生した「打ち壊し」は12日になって全国に広がった。

20日には江戸に及び、1万軒の家が破壊された。

お父様のころ、学校では、このことは教えてくれなった。日本の恥だからだろう。

1988年5月11日ー紫雲丸事故ー

この前、瀬戸大橋のことを書いたとき、紫雲丸事故が、

本州と四国を結ぶ橋をつくる、きっかけになった、と話したね。

紫雲丸事故は、昭和30年5月11日の朝に起きた。

宇高連絡船ー岡山と四国の高松を結ぶ国鉄(今のJR)の船。瀬戸大橋ができたので廃止になった。

その中の一隻、紫雲丸が他の船と衝突、修学旅行の女学生ら168人が死んだ。

衝突の原因は霧。

瀬戸内海では、いまごろ、よく発生する。

南の方から移り流れてきた温かくて、湿った空気の塊が、冷たい海面で冷やされてできる。

これを「移流霧」という。現在では、霧観測網が整備されて、霧の発生を予報して

、警報が出せるようになった。けれども、小さくて突出にやってくる「ゲリラ霧」は、

つかまえにくい。この恐さは、車で山の中をドライブするようになったら、わかるよ。

1988年5月10日ーセポイの反乱ー

動物の脂を神聖なものと考える民族は、意外に多い。

インドに多いヒンズー教徒は、牛の脂を、イスラム教徒は豚の脂を、とくに、あがめている。

これが原因で、戦争になったこともある。

1857年の5月10日に発生したセポイの反乱がそうだ。

この日、英国東インド会社(イギリスが植民地であるインドで、かせぐために、つくられた会社)の雇い兵(現地の人たち)が、会社に対して、抗議の戦いを始めた。


この雇い兵たちに、新式の銃が渡された。

ところが、この銃の弾薬に、牛や豚の脂が塗ってあるという、うわさが流れたのが、きっかけだった。


錆びたりしないように、銃には油をよく塗るが、たいていは植物油。反乱をおこさせるために、だれかがうそをいったのだろう。


1988年5月9日ーアイスクリームの日ー

きのうは、一応、うまく、ピアノを弾いたようだね。

まがりなりにも、サントリーホールで弾いたんだから、たいしたものだ。


近くだから、お父様も、すぐに行けるので助かる。

次も、サントリー・ホールだといいのにね。

発表会が、おわったので、これからは英語に力をいれないといけないよ。


苦労するのは「R」と「L」の発音。日本人は、うまくない。

だから、戦争中、アメリカ軍は、暗闇の中で、敵(日本軍)とあったとき

、わざわざ、「L」や「R」のはいった単語を発音させて日本人かどうかを聞き分けたほどだ。


きょう9日は「アイスクリーム」の日。明治2年のこの日、横浜で初めて売られた。

このアイスクリームの「クリーム」CREAMの「R」もむづかしい。

1988年5月8日ーディエンビエンフーの戦いー

きょうは「母の日」。

それに、ピアノの発表会。

カーネーションもいいけれど、りっぱにピアノを弾いて、お母様にプレゼントしなさい。


お父様は、いそがしくて、ちょっと、いけないかも、しれないから。


ピアノだけは(英語も)途中で、投げ出さないで、いつまでも、つづけるんだよ。


ところで、前にも書いたと思うけど、きのう7日は、

フランスが支配していたベトナムのディエンビエンフーというところが、

ベトナム軍によって陥落させられた日だ。

昭和29年のことだった。


このニュースを聞いた時、信じられなかった。

けれども、どんなに近代的な国の軍隊でも、

自分の国を守ろうとする現地の軍隊にはかなわないんだ。

その後、同じベトナムでアメリカ軍が、また、アフガニスタンではソ連が、

相変わらず失敗している。



2010年5月

「つづけるんだよ」。

今読み返すと、胸がいたい。

父は私にピアノを続けてほしかったのだろうか?


高校の時、バイトや遊びに夢中でピアノは辞めてしまった。

小学1年生から習っていたピアノを、いとも簡単にやめてしまったことを

少し後悔した。


高校2年の時、偶然にもピアノの先生と会ってしまった。

渋谷から六本木に行くバスの中だった。

その時、私はかなり露出の激しい服を着ていた。

会いたくなかったというのが正直なところ。

幼いころを知る人に、この姿は見られたくなかった。


それからだったかもしれない。

附属高校に通っているにもかかわらず、大学行きがあやしい成績だった私が

改心したのは。

大学にいけたのは、偶然にもピアノの先生に会ったおかげかもしれない。


今、母になってやっと親の気持ちがわかる。

でも、子供は親を裏切って生きていくものだ。

私は、まったく親の期待にこたえられなかった。

まだ、遅くないのだろうか??

1988年5月7日ー武田信玄の死んだ場所ー

「武田信玄」に湖衣姫は、早くも、この次には死んでしまう。

残念だね。

だが、それにもまして、みんながやきもきしているのは、信玄がどこで死んだのか、ということなのだそうだ。


NHKのドラマで、その場所の名前がでると、村にとっては、大変な宣伝になるからね。

信玄は、京都へ進撃途中に、死んだといわれているが、その場所がどこなのか、いまだにはっきりしていない。


なにしろ、いまの豊橋(愛知県)から長野県の飯田までの間に、

5か所も「ここで死んだというところがある。(故郷への帰り道だ)


長野県の駒場、浪合、根羽、愛知県の福田寺、野田城といった具合。


どの村も、いま大PR合戦をやっている。


新田次郎の原作では駒場。どうやら、ここに軍配があがりそうだよ。



2010年5月

当時、NHKの大河ドラマ「武田信玄」で、湖衣姫役として南野陽子が出演していた。南野陽子のファンだった私は、そのためだけに「武田信玄」を見ようと思ったのでした。

1988年5月6日ーニューヨークー

ニューヨークといえば、マンハッタン島。

エンパイアー・ステートビル(摩天楼)。

5番街。

ウエストサイド。

国連本部。

要するに、ニューヨークのすべてが、この島の中にあるんだ。


まえに、アラスカをロシアからアメリカが安いカネで買ったことは前に書いたね。

この島も、イギリスがアメリカを領土にしていたとき、オランダ西インド会社(いまのキューバ、ジャマイカ、ハイチなどで商売していた会社)のミュイトというのが、これも、めちゃくちゃに安い値段でインデアンから買った。


いくらだど思う。

24ドルの価値しかない品物で交換したんだ。

1626年5月6日のことだった。