「凍」 沢木耕太郎著
沢木耕太郎の本は何冊か読みました。長編小説はあまりありませんが、印象に残っているのは、「彼らの流儀」、檀一雄のことを書いた「檀」、それと自分の生まれた年を本の名前としている「1960」です。そして今回の「凍」です。いずれも壮絶に生きる人物をクローズアップしています。結構生き方を考えさせられる本たちです。
「凍」は単独で冬山登頂を試みるアルパイン・スタイルにこだわった主人公とその妻の壮絶で、しかも自然体な生き方をたんたんと書き記しています。遭難に遭い、冬山の壁にぶら下がってブランコ状態で寝なければならない状態から帰還し、地面で寝るということだけで「これまでの人生でいちばん幸せかもしれない」と言わせています。私たちは、このささやかな幸せに比べてなんと多くの幸せを感じないまま生きているのでしょうか(私はけっして宗教人ではありませんよ。念のため。)。
きっと、苦労とか苦痛とか努力とかの裏返しには神様(けっして特定の宗教を言っているわけではありません。)がご褒美をくれることとなっているのだと思いました。
だから、サロマにはあんな思いをしてまで毎年たくさんの無謀なチャレンジャーが集まるのではないでしょうか? (やっとランニングに結びつきました。)
冬へと向かうこの時期に奮い立たせてくれる1冊をご紹介させていただきました。
厳冬に 向かって走れ 北国ランナー(「南国ランナー」でも可。)
ネットで追い込まないと朝ランも大変です。明日はマイナス5度だとか。ふ~、起きられるだろうか?
今日のラン
正直に申し上げます。寒くて気が萎えて走れませんでした。
鶴居ラン
今日は、午前中に帰宅しようと思い、朝4時起床、4時半出発、5時半スタートというスケジュールとしました。これは、前回、このコースを夜中に走り、とても暗闇に恐怖を感じたためであります。過去に暗闇を走ったことはあったのに、満天の星がなかったせいか、本当にこわっかたのです。
さて、出発時の気温は0度だったのですが、6キロ走った所にある鶴見台ではマイナス5度に下がっていました。このため、いつも長距離のときに背負うモンベルのハイドレーションのチューブが凍結してしまい、水をすうことができなくなってしまいました。
このため、ほぼ中間地点となる下久著呂小学校を超えたあたりの自販でファンタグレープを飲むまで水分が取れず、とても困りました。ファンタグレープのおいしかったことといったらこの世にこんなおいしい飲み物があったのかというくらいでした。
飲めるようになったのは、ゴールまで14キロ手前の24キロ地点で9時過ぎだったと記憶しています。回りはまだ寒く耳かけもはずせないくらいでした。
ただ、この酪農地帯の風景はすばらしく、北海道の自然を十分に堪能できるものでした。走っている道路の左手には緩やかに下り気味の草原があり、ずーと向こう側には小高い丘が見え、その遙か向こうに冠雪した阿寒の山並みが聳えています。つい立ち止まってしまいました。
このように走っているときの楽しみの大きなポイントに景色やその風を感じることがあります。
このコースでは、人にあまり会うことはありません。頭上をタンチョウヅルが3羽、4羽と優雅にゆっくりと餌場である鶴見台に向かっていたり、農場にはウシがいっぱいいます。私がウシの横を通過するたびにこっちを見るのです。ただ、見ているだけですが。あまりウシは愛想をふりません。犬はあんなに吠えるのに。
それと今回はじめて実験したのが、キネシオテープを右膝だけでなく、左足のふくらはぎにも付けてみました。最近30キロを超えたあたりから、足がまえにいかず、立ち止まって屈伸をしないと復活できないということが続きました。それで、実験してみました。効果絶大です。立ち止まりませんでした。ただ、同時に思ったのが、スクワットなどの練習もしないとだめだなあ、ということでした。今年のサロマ大会のときには、スクワットを少しやったことから完走できたと思っています。
鶴居ラン 空にタンチョウ 白い息
今日のラン
38.45km 4時間53分30秒 7:38/km 2800キロカロリー
今月の累計 106.75km
体重 59.6kg
(長距離のみでは、体重減は難しいようだ。今月号のランナーズに書いていたような。)
大楽毛ラン(完全版)
今日は、先日変則的に走った大楽毛ランの完全ルートを辿ってきました。先日も紹介しましたが、再度説明すると、自宅から鶴見橋を渡り、雄鉄線通りをジャスコを横目で見ながらひたすら走り、国道38号線にぶつかったら、帯広側に右折し、そこから約6キロのところにある大楽毛駅で折り返し、国道38号線を鳥取橋を渡り、イトーヨーカドー釧路店(今はイトーヨーカドーとはいわないんでしたでしょうか?)を左折し、市民文化会館の前を通り、自宅へ向かいました。
以上が」コース説明ですが、この説明で、「あ~、なるほどね。」と分かる方は地元の方だけでしょうね。分からない方はご容赦ください。
昨日の息子の学校の担任の先生のコメントと、雑誌「トライアスロン」を見て、こんな程度の練習にも言い訳をしているようでは話にならない、と自責の念を持ちながら(実際はあまり持ってない。)、走りました。息子も日々定期テストに向けて頑張っています。その横で父親がテレビを見ながら横になっているわけにはいきません。
そんなわけで、週末大決算として、本日の24キロ走と日曜日に、鶴居ラン(38キロ)を決行することとしました。しめて62キロという帳尻あわせ的ランですが、息子にはもっと計画的に勉強したら効率的なのに、といっていながら、父親はこの有様です。世の中うまくはいきません。ただし、その気持ち(父親である私が息子の努力を共有したいという気持ち)を汲んでやってください。
息子とは 言葉でなくて 行動で
今日のラン
24.34キロ 2時間49分37秒 6:58/km 1,869kcal
今月の累計 68.3キロ
今日の体重 59.6kg(非常に瞬間的です。ただいまアイスとビールの真っ最中)
回想 2005年サロマウルトラマラソン(その6)
最近は残業が続きまして、帰ってホッとしたら11時になってしまい、夜ランもままならなくなっています。という言い訳です。
帰宅して遅い夕食を頂きながら、ふと、息子の学校のお便りを見ていたら、こんな事がかいていました。実力テストについての担任の先生のコメントです。
「評価に関係しないからやらない、という言葉は学級担任には言い訳に聞こえてきます。このようなことを言う人は、本気で取り組もうと思っても、本気になれないとてもかわいそうな人です。そして、すぐに言い訳を探し、必ず逃げ道をつくってしまう人です。」
明日から少し走ろう・・・。
外も雨ですので、それでは回想記を書かせて頂きます。・・・「必ず逃げ道をつくってしまう、とてもかわいそうな人」。
「第8話 釧路→サロマ
私は大会のコース、受付会場、宿泊する民宿などの勝手が分からないことから、早めの出発をして、早めに受け付けをしようと、釧路を朝6時30分に出発しました。このときの気持ちは不安とワクワク感が2分の1づつといった感じでした。
阿寒湖畔経由で津別→北見で、国道39号に入り、国道333号に入り、ルクシ峠を下りて、まっすぐ道々(どうどう=北海道庁が維持管理する道路)を走って、サロマ湖の計呂地の集落に入って、とうとうサロマ地区に足を踏み入れたのでした。
最高の天気です。気温もドンドン上がっていました。(天候は1週間前くらいからネット上で今年のサロマ当日は暑くなるゾーということが書き込まれており、完走率の低下がやりとりされていました。)
その後、受付のある湧別町の体育館まで直行です。ほぼフルの地点にある芭露の集落を過ぎて、ホクレンのガソリンスタンドを右に折れ、しばらく行くと受付会場でした。
第9話 受付会場
受付会場にはアシックス、ランナーズ、湧別町のテントがありました。参加賞のTシャツは長袖なのでアシックスでサロマ湖マラソンの半袖のTシャツを買いました。4000円くらいでした。また、ランナーズでも記念Tシャツを売っていました。
しかし、絶対欠かせないのが完走したウルトラマンだけが手に入れることができるTシャツです。早速これを申込みました。もらえるかどうかわからないけど、どうせならタイム入りがいいとお願いしました(8月24日に来ました。)。
湧別町のテントでは、ついつい塩キャラメルを買いました。おいしかったです。後は漁協の無料ホタテ提供がありましたが、私は早く到着したので、まだホタテは食べられませんでした。来年は余裕をもって食べようと決意しました。
また、コースの下見をしたかったので、そそくさと会場を後にし、一路宿泊地である常呂町栄浦の「船長の家」に向かいました。
第10話 船長の家
「船長の家」といっても普通の住宅ではありません。まったくの民宿というか旅館です。しかも、その名称から食事は船長自慢の海の幸を思い起こさせるネーミングです。
「船長の家」は74キロ地点のサロマ鶴雅リゾートの向かいにあり、下見をしながら行きましたが、チェックインが午後3時なので、先にお風呂に行くことにしました。
向かえが鶴雅なので早速入りに行きました。1,000円でした。露天風呂は鉄分で真っ茶色になっていて、風呂からでてくると身体が茶色になっていました。サウナからはサロマ湖が見えて絶景のようでした(私は眼鏡をかけないのでぼんやりしか見えませんでしたが。一緒に入ったおじさんが(自分もおじさんだが。)しきりに絶景、絶景と言ってました。)。
お風呂を出たあとにある足マッサージのコーナーにいる女性からは「マッサージしていきませんか?」と言われるのではなく、「明日出るんですか?頑張ってくださいね。」と言われました。これは途中の道の駅で買い物をしたときもそうでした。町全体がサロママラソンの応援体制になっていました。20回もやっている歴史を感じつつ、このような歓迎ムードの中で走らせていただけるのがランナーの最高の喜びだと痛切に感じました。この歓迎ムードが選手を高揚させて、終了後もまたサロマに来ようと思わせるんだと実感しました。
お風呂に入った後は、「サッポロクラシック(北海道限定ビール)」を飲んでホテルの前で時間を潰してから、やっとのことでチェックインの時間になり、早速カウンターに行き、名前を告げました。
部屋に行く前に確認しなければならないことがありました。それは、朝に起こしてもらえるのかということでした。しかし、残念ながら、それは叶わぬ夢でありました。自力でおきなければならずちょっと不安を感じました。だって朝の1時に起きるという非日常的生活行動に自信を持てませんよ、普通。まあ、目覚まし時計ももってきたのでいいかと思いつつ、部屋に行きました。民宿内は複雑で階段を上ったり、廊下をいったりとやっと部屋にたどり着きました。」
走ろうと 思うと外は 雨ザアザア
上記の先生のコメントの続きには、
「来週金曜日は、みなさん方の言うところの「評定に関係する」定期テストです。定期テストは、出題されるところが決まっている、いわばよい点を取れて当たり前のテストですよね。「どうだ、がんばったぞ」という結果をぜひ見せてください。」
あ~、耳が痛くて読んでいられない。
回想 2005年サロマウルトラマラソン(その5)
今日は、インフルエンザをしたので、ランオフです。サロマ回想記の続きです。
「第7話 サロマの装備
そうそう、なんで御走足倶楽部のカイチョーミホさんからこの話(第6話の膝痛対策の話です。)を聞いたかというと、サロマ当日は持参するのにどういうものがいいですか、という質問をネットにしたことからでした。この回答を聞いて、私は次のものをウエストポーチに入れて本番に臨みました。ただし、私は日頃からリュックを背負って弟子屈や阿寒まで走ったり、ウエストポーチもほぼ常に付けて走っているので、気になりませんが、気になる方は別の方策もあるようです。ゼッケンの裏に貼り付けたりとか。
サロマ当日の私のウエストポーチはモンベルのもので、ちょうどペットボトルが入るほどの大きさのものです。ポケットがもう一つあり、そこには薬などを入れました。当日は恐らく最終ランナーになると思ったので途中で水がなくなるおそれもあるかと思い、水のペットボトルを持参しました。しかし、私は最後から数えて10人くらい前でゴールしましたが、十分に給水を受けられましたので、水を持参する必要はないと思いました。
それと塩飴6個くらい。これは食べませんでした。雨具(手足の出るゴミ袋みたいなのですが、一応アシックスの製品を持参しました(200円位だったと思います。)。)、アミノバイタルタブレット、これはBCAAの補給のためです。1回に4粒のむので4粒持参しました(これも飲みませんでした。これは飲めば良かったと反省していました。)。それと足のまめがつぶれたときのために「リガードスキンケア」というバンドエイドみたいなので人間の皮膚に近い商品も持参しました。私はあまり肉刺ができないので苦しまないで済みました。この商品も使いませんでした。それと保険証のコピーも入れました。
更に絶対欠かせないのがエアーサロンパスです。私の膝痛には必須です。今回ツルハに行ったら50ml位で小さいのがあったので、それを入れました。が、これはよろしくありませんでした。80mlでも足りませんでした。120mlの大きさのものがいいとですね。
それというのも今回の大会でずっと伴走していただいた方のご主人からかなりの量をかけていただいたので(タイツの上からでも効いたような気がします。)。帰ってから、ふとクリール8月号(2005年)の裏表紙を見ると、いま流行りのつらい痛みを取り除くインドメタシン1.0%配合の「エアーサロンパスID」というのが新発売されたようで、新商品に弱い私は次回の札幌支笏湖ウルトラチャレンジには持参することを決意しました(これは仕事が入って参加できませんでした。来年は是非。)。
それとティッシュです。これは色々な方が是非持つようにと書いています。要はサロマの場合はお腹を壊す確率が高く、小便は男の場合はどうにでもなりますが(できるだけトイレに行くことにしましたが。)、大はどうにもなりません。そのため、その辺で処理する場合にはこのティッシュが欠かせません。これは保険みたいなものです。
それと薬です。今回は、前述のロキソニン2錠、イブ(頭痛薬~職場で毎年支給される普通の薬です。カイチョーミホさんには「バッファリンやノーシンでもいいと思います。」と言われました。)2錠、腹痛用にガスター20(病院から女房がもらったものを頂戴しました。)2錠。これだけを持参しました。「6時間おきに飲みましょう。」という注意書きがありますが、全く無視しました(というか知りませんでした。)。結局全部飲みました。薬はサロマ大会を始めとするウルトラマラソンには欠かせません。必ず身体的な故障を伴うからです。私はこれでも足りなくて、先ほどの伴走していただいた方から痛み止め、元気になるドリンク剤をいただきました。ほとんど薬漬けでした。
準備したものは、それと、制限時間の書き込みです。これは私のように制限時間ぎりぎりですり抜けることとなるランナーにとっては欠かせません。私は、自分の走力を考えて、フルまでキロ7分で、80キロまで7分半で、後はゴールまで9分でという設定をして5キロごとのタイムを書いた紙(縦横8センチ→もう少し大きいほうが見やすかった。)を作り、これを汗で見えなくならないようにラップで包んでセロテープで止めて、シャツのポケットに入れて走ることとしました。結局タイムは大はずれでしたが、制限時間と現在の状況を計算しながら走るためには非常に役立ちました。
非常に役立ったと言えば、前述のフォアアスリートです。あまりこれを付けている人はいませんでしたが、この機械は今の走行状況が分かるスグレモノです。つまり、今キロ何分で走っているのかもわかるので、序盤のペースがつかみ切れていないときには常にこれを見ながら走ることにより、徐々につかめるようになりますし、ペースの確保には欠かせませんでした。」
今から考えれば、無駄なものをいっぱい持っていったような気がします。水を持って行ったのは大失敗でした。重いし、使わなかったので。
言い訳の 雨も気まぐれ 月と星