責任追及より
最近は日本でも訴訟が一般的になり、大きな事故があると
その責任追及が大きく取り上げられる。
責任がありそうな監督官庁、会社、責任者などを、
つるし上げ報道をし、被害者の訴訟を大きく取り上げる。
被害者自身やその遺族にとって、
やるせない気持ちを何かにぶつけたいと思うのは
当たり前であり、私自身がその立場に立ったら
同じようにするだろう。
しかし、その関係者は被害者や遺族の気持ちを
考えるのはもちろんですが、それにじっと耐えながら
原因究明、再発防止に全霊を傾けるべきではないだろうか。
どうも、訴訟が終われば解決済みになっているように思えてならない。
どうにも二度と同じ過ちを犯さないと言う決意が感じられないのは
どの事故も、原因究明が甘いからだと思います。
難しいのは承知の上ですが、
誰もが納得できる調査と、
その結果を包み隠さず公開すべきだと思います。
それこそが、同じ苦しみを味わう人たちを
二度とつくらない為の近道ではないでしょうか。
責任追及より大事だと思うのですが ・ ・ ・
正体見たり!
郵政民営化法案に反対した、野田聖子元衆議院議員が、
”あんな小さな法案で、こんな大きな亀裂になるとは!”
と言っていた。
郵政民営化法案が、ただ単に郵便局を株式会社にすることではなく
諸悪の根源である、財投にメスを入れるための第一歩であることは
そこいらのオジちゃんオバちゃんでも知っている。
財投改革は、決して小さな問題ではなく、行政改革の本丸である。
財投がらみのおいしい利権が、どうしても手放せない
反対派の本音であろう。
反対派のマドンナ(?)である、このオバちゃんの発言は
国民をナメきったものであり、相当大きな発言である。
まさに、反対派の ”正体見たり!” である。
結構重要?
郵政法案の参院否決により、衆院の選挙が行われる。
争点は、郵政民営化に賛成か反対かと言うことだが、
ひょっとして私たちの将来をかける選挙になるかもしれない。
郵政民営化に象徴されているが、
反対派の根本的な考えである、何から何まで政府がやるのか、
賛成派の考えである、出来るだけ民に任せるのか。
つまり、大きな政府を目指すのか小さな政府を目指すのか。
これは、憲法改正の是非を問う選挙が、近い将来行われる可能性が高いが
それに匹敵するほどの争点ではないだろうか。
収入の半分以上を、税金として納めながら
ゆりかごから墓場まで、政府に面倒を見てもらうのか、
最小限の行政サービス分だけ負担して、自己責任において生活するのか。
大きな政府(高福祉高負担)は、官の規制にがんじがらめにされて、
今までどおりの成長が見込めない。
つまり現状より生活レベルを下げながら、しかし死ぬまで面倒見てもらう。
小さな政府(低福祉低負担)は、官がなるべく余計なことをしない。
民の自由経済活動を妨げないので、今後も成長するだろう。
しかし、間違いなく勝者と敗者の格差が出て階級化する。
本当の、民主主義と自由主義を選択する大事な一歩になるかもしれない。
そう考えると、今回の私たちの一票は、
かつて無いぐらいに自分の生活に直結する
結構重要な選択をする事になるかもしれません。
自然豊かはいいけれど
以前、我が家の周辺の自然の豊かさを自慢した。
東京にあって、緑豊かでとても住み心地がいい。
がしかし!
セミがうるさい!
昼間ならまだしも、夜中まで
ミンミン ミンミン 泣きじゃくっている。
緑豊かってえ~ことは、木々もたくさんあって
そりゃあ セミのとって住みやすいでしょうけどね、
夜中まで ミンミン 鳴かなくてもいいんじゃねえ~の?
自然の音っちゃあ~、自然の音だけどさあ~
うるさくって眠れやしない!
またミンミンゼミの鳴き声って、甲高い音で
耳障りが悪くてよく通るんだよね。
よくもまあ~ 一日中そんなに鳴けるもんだね~!
せめて昼間だけにしてくれよ!!!
特別 な存在
仕事、特に会社勤めをしていると、
今の仕事にとって、自分が必要不可欠であるような
錯覚をしてしまいがちである。
私もそうであった。
しかし、どんな仕事でも必要不可欠な人間などいないのである。
自分で全部切り盛りしているつもりでも、自分がいなくなれば
ほかの誰かが代わりをして、仕事はまったく止まらない。
自分しか出来ないと思っていた事でも、
自分抜きで、仕事はどんどん進んでいく。
会社あるいは仕事にとって、特別な存在などいないのである。
世の中も同じで、誰がいなくなっても
まったく変わりなく世界は進んでいく。
そんな中で唯一、特別な存在があるのは家族である。
家族の中でのみ、特別な存在が成立する。
親にとって子は特別であり、子にとって親は特別である。
しかし今、家族の中ですら特別な存在が
なくなってきている。
特別な自分を見つけられない人間が
人の死を見て、快感を得るようになっていく。
特別な自分と、特殊な自分を取り違えているのである。
音作り
1980年ぐらいに日本のレコーディング技術が劇的に変わった。
特に、ドラムの音作りが変わった。
カシオペアと言うフュージョンバンドがあり、
当時、大学のサークルのバンドがこぞってコピーしていた。
そのカシオペアの初期メンバーのドラマーが脱退して
現在の神保彰が加入して最初のアルバム”サンダーライブ”が発売される。
その時の神保彰の演奏に、度肝を抜かれるわけだが
当時、ドラマーが変わるだけでこんなにバンドの音が変わるのかと
驚いた記憶がある。
しかし今、DVDなどで当時の演奏を冷静に見てみると、
初代のドラマーが、下手だった訳ではない事に気が付いた。
生音重視の古いジャズ用のPAで録音された初期のアルバムは、
電気楽器に比べてドラムが物足りなく感じる。
それに比べて、現在のPAと同じようなピックアップをされている
サンダーライブは、リズムが低音で鳴っていて迫力が違う。
演奏者の技術の違いではなく、音作りが違うのである。
当時、自分もへたくその癖に、
カシオペアの初代ドラマーの悪口を、散々言っていた。
今、反省をこめながら当時のライブをDVDで楽しんでいる。
いきなりうまくなる?
楽器でも運動でも、練習でその技術や記録が
一定のレベルを超える時は、ある日突然来る。
日々の練習によって右肩上がりのグラフのようにはうまくならない。
特に、高いレベルになるにつれて突然うまくなる。
不規則の階段のような成長の仕方をする。
この突然の変化が無い人が、いわゆる”才能の無い人”と言うことになる。
ただ、突然の変化が起きるまで”我慢出来なかった人”と
”本当に(?)才能の無い人”の区別は難しい。
比較的早くこの”突然の変化”を体験出来た人は、
その後の進歩も早く、天才と呼ばれ
なかなか体験できない人は、あきらめてしまうことも多いに違いない。
しかし、あきらめてしまう人の中にも天才はいるのである。
遅咲きの天才は、例外なく我慢強いものです。
CG
広島の原爆投下を再現するCGのすごさに改めて驚いた。
一軒一軒の建物をリアルに再現するだけでなく、家の中の家具まで
出来るだけ忠実に再現し、原爆の爆破によって町がどう壊れるか
計算によって映像化する。
原爆実験を実際に毎回行わなくても、コンピューターの中だけで
再現するとはこの事かと、改めて目の当たりにする映像だった。
ニュースのオープニングのCGを一年がかりで作っていた時代があったことなど
信じられないほどの進歩だ。
技術の進歩は、素人が想像できないほどの勢いで進んでいることを
実感させる出来事だった。
それにしても、ヒロシマの話は別の物(CG)に神経を集中させないと
まともに見ていられない。火垂るの墓以上だ。
最先端の技術は、
いつまでも平和のために使い続けられることを、切に願います。
火垂るの墓
またこの季節がやってきた。
毎年のように終戦記念日が迫ってくると、
火垂るの墓 が、テレビで放送される。
とてもいい映画なのだが、見ていられない。
冒頭の、清太が駅で朽ち果てるシーンからボロボロになる。
最後まで見ていられない。
節子が出てきただけで、またボロボロ。
涙と鼻水で、観るどころではなくなってしまうので
ここ数年あえて、火垂るの墓には近づかないようにしている。
間違ってチャンネルを合わせようモンなら
一瞬見えたシーンでもうグッときてしまう。
ただ、戦争がなくならない限り
放送し続けて欲しいとも思う。
いまだに同じような子供たちが、世界のどこかにいるうちは ・ ・ ・
人生のビタミン
学生時代に何かに打ち込むことはとても大事だと思う。
勉強でもいいのだが、それを簡単に体験できる仕組みが
部活動だ。
音楽だろうと、演劇だろうと、もちろんスポーツだろうと、
何でもいい。
そして出来れば大会に出場することだ。
コンクールでも、競技会でも、大会に出場して競い合うことは
とても大事であり、出場までの過程も出場自体も結果も
その後の人生にとってかけがえの無い影響を与える。
そしてそれは、必ず人生のあらゆる場面でひとつのヒントを与えてくれる。
決して生きるための糧ではないですが、ビタミンのような役目をします。