官僚の大逆襲
55年体制以降霞ヶ関におんぶに抱っこだった政治が、小泉政権でようやく力技ではあるが官僚と四つに組んで戦えるところまで来て、公務員改革でその首根っこを抑える事ができたはずだった。
麻生”お調子者”内閣が、霞ヶ関と族議員にのせられて次々に先祖返りをしようとしている。
本当のところはわからないが、これが”お調子者”独自の考えで、のせられたのじゃないとしたらビックリである。
渡辺行革担当大臣を更迭して、”あれっ”とは思っていたのだが、まさか郵政民営化までとは。
ご存知の事とは思うが、郵政民営化の本丸は今では埋蔵金などと言われている隠し金の元、特別会計の資金源財投改革である。郵便貯金や簡易保険の掛け金など正当に運用すべき資金を、財投債に投資させた。年金で明らかなようにジャブジャブ箱物に使って税金で補填していた。
霞ヶ関が自由に使えるサイフ ”特別会計”に、一矢報いる第一歩の財投改革だった。
そして、とどめを刺す公務員制度改革だった。
ところが、ようやくフォール寸前まで追い詰めたのに、霞ヶ関の大逆転である。
それに気が付き、本来大キャンペーンをすべきマスコミときたら、社会保険庁の事は”タニマチ”トヨタに脅かされ口をつぐんだのは良いとして、その後も官僚のリーク情報でどうでもいいことを次々と騒いでいる。
今はくだらない簡保の宿だ。
今現在もだらだら赤字を垂れ流している。売却額の問題ではない。
良い物と悪い物を併せて売らずに個別対応していたら、当然良いものだけ売れて不良物件だけが残り、また多くの税金が使われる。監督官庁の総務省にとっては、数多く残れば残るほど天下り先が残ると言うわけだ。
入札に不正があるのであれば正せばいいのであって、セット売りの物件を1000円だ10000円だと個別に叩いて喜んでいる。本当に叩くべきは、2500億円も使って作りまくったほうだ。
ルールや法律に違反するなら裁判その他で、公明正大に正せばよい。
本質から目をそらさせるために一般受けしそうな情報を次々とリークし、官僚サマ様の癖に”正義面”したマスコミが騒いであおる。まるで、軍と一緒になって戦争をあおった当時そのままだ。
でも、本当はわかっているのかもね?
でも言えないんだよね?
だって特に総務省には弱いモンね!
もちろん小泉改革の問題はたくさんある。痛みが伴うと小泉元総理本人が言っていた通りである。
出血覚悟で大手術をしたのだからその後の政権は、丁寧に止血をしなければならないのに、官僚の反転攻勢に完敗寸前である。
民主党じゃなあ~と思っていても、こうなるとヤッパリ政権交代しかないのかと思ってしまう。大統領が変わると官僚のトップまでごっそり入れ替わるアメリカがうらやましい。民主党に変わっても霞ヶ関に勝てるのであろうか?
それにしても、わかりやすいリークや、あからさまに反抗する人事院総裁を見るにつけ、官僚の質の低下を痛感する。
だって、昔はもっとうまく政治家や国民をだましたモンね!!!
懲りずにまた!!!
なんてこった!
性懲りもせず、またマスコミの集団ヒステリーに踊らされてしまった。
ここ でも散々書いてきたのに、どうしても影響されてしまう。
つくづく自分がいやになる。
イージス艦漁船衝突事故の雲行きがどうも怪しくなってきた。
イージス艦が一方的にに悪者になっていたのだが、どうもそうとばかりは言えないかも知れない。
もちろんあれだけの性能を持ちながら、発見が遅れたのはイージス艦に責任がある。しかし、目の前で多数の漁船に右往左往されたら、たとえ手動操縦であっても大型船が回避行動を取るのは不可能だろう。
模型まで使い、「右の船に優先権があり、イージス艦が回避しなければならない。」などと、これ見よがしにイージス艦を悪代官に仕立てるマスコミに、まんまとはめられ便乗記事 まで書いてしまった。
赤灯が見えただの、緑灯が見えただのはどうでもいい!
漁船団に」突っ込んで、蜘蛛の子散らすように逃げ回っていたのだから、そりゃあ赤が見えたり緑が見えたりするわ!!!
犠牲者が出ているのに救助もせず、後手後手の対応を繰り返す防衛省を、今更かばい立てするつもりはさらさら無いが、イージス艦だけが悪いかと言われれば、どうも違うようだ。
いずれ正式な審判が下るであろうが、そもそもどんな事故でも複数の当事者がいる場合、10-0の過失割合などと言うものはほとんど無い。
そんな事はわかりきっているつもりだったのに、ついつい ”防衛省=悪者” キャンペーンに乗せられてしまった。
ホント、くやしいー!!!
お上に楯突く事は出来ない癖に、なんでも悪いのは国、悪い事をするのは役人、裁判すら始まっていないのに、逮捕されたら悪い人って言うのは、いい加減なんとかせんといかんのォー!
それにしても、
これだけ自由にたくさんの情報を吟味して判断する事ができる現代でも、ちょっとキャンペーンを張られるとまんまと乗せられるんだから、まじめで素朴でしかも新聞以外何の情報も持たない戦前の人たちが、戦争キャンペーンに乗せられても、責める事はできませんね!!!
まぁ、戦争キャンペーンが先か、大衆のムードが先か、つまり軍部や新聞による開戦に向けてのプロパガンダに国民が乗せられたのか、国民の開戦気分の高揚に反戦では売れなくなった新聞が迎合したかは、コロンブスの卵ってとこですかねぇ~
いずれにしろ、近代装備の塊であるイージス艦が漁船すら発見できないようでは、
戦争どころじゃないけどねっ!
われ王道を突き進む?
湾岸戦争、9.11テロ、拉致問題等を経て、戦後の戦争アレルギーや一国平和主義といわれるボケた状態からようやく脱却し、”憲法9条教”と言うカルト教団の熱狂的信者社民党も風前の灯になった今、ようやく冷静に自国の安全保障を考えられるようになったと思った矢先、防衛省の度重なる不祥事でアレルギーが再発しないかと心配になってくる。
機密の漏洩や事務次官の不祥事などは、安全保障などと大げさに言わなくても論外の事だが、今回のイージス艦の漁船衝突事故は、災害派遣などでせっかく身近に感じてきた自衛隊対する気持ちに、冷水を浴びせることになりそうである。
安全保障を考えるに当たって、この”身近に感じる”事は非常に大事だと思う。
60年以上も”考えないようにしていた”事を考えるには訓練が必要で、「ある日突然、自分の子供が外国に連れ去られた。」など、身近なこととして感じやすいものなどで、少しずつ練習しなければならない。自衛隊の特殊能力が災害派遣等で発揮され、具体的に被災者の助けになった時、あるいはニュースで見た時、当然親近感が沸く。しかし今回の事故は、せっかく近づいてきた国民を突き放すことになってしまいそうである。
さまざまな不祥事で言われてきた防衛省や自衛隊の驕りを、今回の事故にも強く感じる。
ここからはまったくの想像である。根拠は何もない。ニュースで見ただけの印象である。
”そこのけそこのけ王様が通る!”
的な事を自衛艦が日常的にしていたのではないか?
”天下のイージス艦様だ! どけどけ!!!”
これが、海での暗黙の常識ではなかったか。
偏った軍事力を持つ日本の自衛隊。最先端の技術が詰まっている艦とはいえ、イージス艦ごときでも戦中の戦艦武蔵や大和、アメリカ海軍の原子力空母的なプライドを持っていてもおかしくない。
国防を担う主要艦としてプライドを持つ事はそんなに悪い事ではないが、プライドが驕りに変わった時、海でのその振る舞いはまるで”王様”のようだったのではないか?同じ海を航行する他の船が、そんな”王様”に日常的に手を焼いていたのではないか?
その事は、苦々しい表情を浮かべながらインタビューに答える、漁協の漁師たちのイージス艦に対する辛らつな言葉を聞いただけで想像に難く無い。普通海に生きるもの同士、事故の調査結果も出ていないうちから、一方的にイージス艦批判はしないであろう。同じような危険を、常に感じていたに違いない。
近い将来、事故の調査も終わりその結果もきちんと出る事と思うが、どちらが悪いにしろせっかく芽生えた親近感にしこりが残る事は確実で、そのしこりが膨らんで”考えない国”に先祖返りする事だけは勘弁してほしいものである。
それにしても、
どちらかと言えば後方支援的なイージス艦が、いかに最新鋭とはいえ”王様”とはお笑い種である。それとも全ての自衛艦が”王様”航行をしていたのか。
そうであれば、あまりの”意識に低さ”に、笑うどころか泣けてくる。話をするだけで平和になれると信じていた旧社会党に勝るとも劣らない。
まさか非武装中立などと言い出す輩が出てこないだろうねえ~!
絢香?それとも
絢香のライブにどうしても行きたくなったが、いい歳こいてくるとなかなか一人では行きづらい。
しかたなく”M”を誘うと、
「いいよ。」と、珍しく二つ返事だ。おかしいなと思っていると、
「もちろんチケット代は、君持ちだよね。」
「なんでだよ!」
「よりゃそうでしょ。友達の少ない君にわざわざ付き合ってあげるんだから。」
ヤッパリか!
散々イヤミたっぷりに教育しているせいで、最近ではレジで”形ばかり”ではあるのだが、財布を出すようになった。
とはいえ、その本性
は変わっていない。
そんなこんなで、東京国際フォーラムに行って来た。
追加公演の最終日と言うこともあり、とてもいいライブで、二人分のチケット代も気にならないくらい楽しんだ。
長いアンコールの拍手の後、ようやくアンコールが始まると思ったら、立っていた客が座ってしまった。
おかしいなと思っていたら ”M”が、
「最後は、デビュー曲のジュピターを歌うんだよ。バラードだからみんな座ったんじゃないの。」と、
したり顔で言うので、
「そうなの? 絢香のデビュー曲ってジュピターだっけ?」
「あなた、紅白見なかったの? 物知らないねぇ~」
私としたことが!
ここで気が付かなければならなかった。
絢香の歌声に酔っていたため、まったく気が付かなかった。
デビュー曲と紅白に何の関係があるのかわからないが、あまりに自信たっぷりのコメントに、無理やり納得してアンコールを聞き始めた。
新曲の「Jewelry day」でその幕を閉じライブの余韻に浸りながら帰ろうとすると、
「ジュピターじゃなかったね。」と、”M”
せっかくの余韻に薄い霧がかかってしまったが、電車で座れたこともあり、どこかで調べてきたらしい”M”の絢香談義が始まった。
「絢香って音楽一家らしいね。」
「そうなの?」
「お母さんは音楽の先生かなんかで、お父さんはプロのサックス奏者だって。」
「へぇ~」
いつもバカ扱いされているだけに、私を感心させたことに鼻をヒクヒクさせながら喜んでいる”M”に、カチンときながらもふと思い出して、
「そういえば、お母さんのことは知らないけど、平原綾香のお父さんも有名なサックス奏者だよね。」
「・・・・・・・・・・」
さすがの私も気が付いた。
こやつは、今の今まで ”絢香” と ”平原綾香” を間違えていたのである。
私の侮蔑に満ちたまなざしに、顔を真っ赤にしながら、帰りがけに一杯行こうと言っていたのに
「今日は帰ろうか。」だって。
バカはどこまで行ってもバカだなと思いつつ、ずっと胸にかかっていた霧がスッキリして、借りてきた猫のようになっている”M”に、
「ジュピターって!」と、
ネチネチいじめて遊んでいると、
「だいたい、顔も見えないあんな遠い2階席しか取れないあなたのせいでしょ。」
「オーロラビジョンもあるし、入り口でもらったチラシも始まる前に、君見てたじゃない。」
「・・・・・」
「もうあなたとは、コンサート行かない!」
「友達が少ないから仕方なく付き合ってあげたのに!!!」
逆ギレである。
それにしても、
いいライブで結構感動した後に、実は自分が思っている人とは違う。
”平原綾香” だと思っていたら ”絢香” だったって。
そりゃあ~ ショックだよなあ~
オジサンは、若い娘の顔と名前が一致しないって言うけど、
とうとう”M”もオジサンって事か!
でも30過ぎたぐらいで、そりゃ無いんじゃねえの~!
”絢香” と ”平原綾香” の違いくらい 覚えてよぉ~!!!
くたばれ高野連
おかしい! ホントおかしい!!!
才能のある学生が奨学金をもらって何が悪いのか。
才能のある若者が特別待遇を受けて何が悪いのか。
前回の衆院選で、自由主義社会を選んだ。
自由主義を選んでおいて最近では格差格差と騒いでいるが、高福祉高負担ではなく自由競争自己責任を選んだ以上、結果に責任を持つべきだ。
正当に競争すれば、奨学金をもらえる人間とそうでない人間が出るのは当たり前である。なぜ野球の才能がある学生はだめなのか、理解できない。
プロ野球のスター選手になれなかった高野連のジジイどもの意地悪としか思えん!
才能に値段がつくのは、いまどき社会の常識ではないのか。
年功序列で、仕事ができようとできなかろうと、自動的に給料が上がっていく時代は終わった。
仕事のできない人間の給料が低いのは、格差ではなく結果である。
優秀な人間の給料が高いのも、格差ではなく結果である。
しかし、学生の奨学制度にかかわることとなると、チョット違ってくる。
仕事のできない人間の子供の中にでも、何かの分野で輝く才能を発揮する可能性がある。
そういった子供たちが、環境のせいで才能を伸ばす場が無くなるのは、どうしても我慢ならない。
特待生が甲子園に出れないと言うことは、野球の才能があっても貧乏なら私立の名門校にいけない。つまり、親の自由競争の結果で子供の将来が決まると言うことである。
親は親、子供は子供だ。
優秀な学生が、環境のせいで自由競争を阻害されるなんて事があってはならない。
それは、決して自由競争社会ではない。
親が負け組でも、才能と努力によって正当に競争できるようにするのが奨学制度だ。
”野球は人気スポーツで、飛び交う金額が他のスポーツと違う。”
などは、とても自由経済の中で生きているとは思えない意見だ。
自由主義経済ならば、価値のある(需要のある)ものに高値がつくのはあえて言うまでもない常識であって、大人であろうと子供であろうと、商品であろうと才能であろうと変わらない。
もちろん、価値があろうと無かろうと、どんな教科・科目でも平等に奨学制度が適用されるべきであり、人気スポーツでも、基礎研究のような地味なものでも等しく評価され、優秀であるならどんな分野でも等しく奨学金を受けられるべきである。商品価値によって差があっても、最低ラインがきちんと決まっていれば問題ない。
今回出場辞退した高校の中に、松坂のような才能があったらどうするのか。
その失ったかもしれない才能の価値たるや、西武が配った金額など足元にも及ばない。
機会が平等であれば、皆同じである必要は無い。
自由の履き違い、間違った平等は、世界に誇れる日本の才能をその芽が出ないうちに潰し、普通の人間を大量生産し一部の受益者が大して才能も無いのに支配する、味気ない二流国に成り下がるしかない。
一流が良いかどうかはわからないが、せめてさまざまな”きらめく”才能を持った人たちが世界中で活躍するような、活力のある日本であってほしい。
もともと高野連は気に入らなかったが、今回ばかりはどうにも我慢がならなかった。
才能を伸ばすにはお金がかかるのである。努力と才能だけでは、オリンピックで金メダルは取れないのである。
しかも、今さまざまな分野で活躍している一流の才能は、若いうちにその芽を出していた。
才能を育てるのに早すぎることは無い。親が子供を餓死させたり、給食費を払わない時代である。
せめて奨学金ぐらい、子供に対して自由平等であってほしい。環境に左右されないものであってほしい。
給食費を払わない親の子であっても、自己破産した親の子であっても、一流企業の社長の子供でも、旧財閥のご子息でも、親がいなくても、国民的人気のスポーツでも、誰も知らないような学問でも、本人の努力と才能によって、等しく奨学金の支給の対象者であってほしいものである。
それにしても、
憲法ですらあれだけ柔軟に解釈しているのに、高野連のジジイどもときたら頭がかたいのなんのって!!!
なにも、たかが学生野球憲章、一字一句キッチリ遵守しなくても。
”頭のやわらかい”内閣法制局の爪の垢でも煎じて飲ませたいね!
まったく ”マスコミ” ってやつは!
久間防衛大臣の発言が波紋を呼んでいるようだ。
内容やその是非に関しては、さまざまな意見があるだろうが
そもそもマスコミは、偽情報に踊らされた政府に対して
ブレアやブッシュがしたように
正式に認めるように詰め寄っていたのではないのか?
久間大臣の発言を受けて、
”やっと認めたか!”
と喜ぶものと思っていたら、どうやら非難ごうごうである。
これでは何でも反対の旧社会党と同じではないか。
政府に対して、批判精神を持つのは大事だと思うが
”認めろ認めろ” と言っておいて、いざ認めると ”けしからん!”
これじゃあ筋が通らない。
なにより気に入らないのは、アメリカ政府が不快感を示したから
一斉に批判しているように思われてならない。
そりゃあ、アメリカ様にたてついちゃあ
この地球で生きていけないのはわかってはいるが、
政府ならまだしも、マスコミまでアメリカ様の
ご意向にしたがうことはないじゃないか!
かつては大本営発表、いまはアメリカ様
マスコミはまったく変わっていない。
と言う事は、”日本人”もまったく変わっていないのか?
戦前戦後の”戦争バンザイ”記事は、政府や軍部の圧力ばかりではない。
”大衆の圧力”が非常に大きかった。
売れないから売れる記事を書かざるを得なかった。
戦争指導者の戦争責任を否定するわけではないが、
政府にもマスコミのも、抑えきれない”大衆の圧力”があったのは否定できない。
”アメリカ様が問題だと言っている。 大変だ! 大変だ!”
大衆の動揺を敏感に感じ取ったマスコミは大騒ぎする。
マスコミが騒ぐから大衆がさらに動揺する。
前に言っていたことをサラリと忘れ、正義の味方のごとく騒ぐマスコミには
いまさらながら辟易する。
って言うことは、一般大衆である”自分”にも辟易しているってことか!
多数の自由な意見を集約して、進むべき方向を決めるのが民主主義だ。
決して多数決ばかりではない。
少数意見でも正しい事はある。
”大衆の気分” に流されないマスコミが一社ぐらいあってほしいものである。
まっ、インターネットで世界中とつながり、その膨大な情報の中から
真実を見つけ出す訓練をしている現代人にとって
マスコミののウソを見抜くことなど、そのうち簡単な事になるに違いない。
そうなった時、プロの目から見た上質の情報を提供するようになるのか
はたまた、さらに大衆迎合に走るのか見ものである。
それにしても、
”何しにきた!” と言いながら
ぞろぞろアニータにまとわりついている日本のマスコミを見るにつけ
”まったく マスコミ ってやつは!”
ってな気分になるのは、私だけでしょうか?
あまりににひどい!
NHKの紅白に勝てなくなり、ついに放送日まで動かした
”日本レコード大賞”
CDすら無くなるかもしれないこの時代に
いまだに”レコード”のネーミングにこだわるその姿勢を見ても
その権威が無くなってしまったのも仕方がない。
しかし、権威が無くなったのは何も”レコード”がその名前についているからではもちろんない。
ご存知のとおりビッグアーティストが賞を辞退するようになったのと、
その年ヒットした曲(歌手)とその受賞曲(受賞者)に隔たりが出たからだ。
聞いたことも無い曲(特に演歌がひどかった。)がノミネートされたり
トップヒットしたとはとても思えない曲が大賞に選ばれるようになって
かつての”大権威”の座から滑り落ちていった。
年末いくら暇をもてあましていても、ここ十数年”レコード大賞”などまともに見たことなど無かったが、
今年はたまたま見てしまった。
最優秀新人賞に絢香の「三日月」、最優秀歌唱賞に倖田來未の「夢のうた」が選ばれ
レコ大も”まとも”になったか。
と、思った矢先
なんと!
大賞が氷川きよしだって!!!
一瞬、目が点になった。
そして、ばかばかしくなってチャンネルを変えてしまった。
レコ大は、まったく変わっていなかった。
もちろん、氷川きよしにまったくうらみは無い。
演歌の中じゃあ人気もあるしCDも(演歌の中じゃあ)そこそこ売れているとは思う。
でも、
辞退されるために、最初から金賞に選ばれていないトップアーティストが多数いる。
そんな金賞受賞者の中ですら、CDの売り上げトップじゃねーだろー!!!
トップどころか上位でもねえー!!!
”レコード”ってえー名前にこだわってるんなら、
その選考理由の第一はCDの売り上げじゃあーねえーのか!!!
かつて”大権威”だった大昔だって、疑惑の”大賞”が無かったわけではない。
しかし、トップ争いの中での”政治介入”であって
今回のようなことは無かった。
あまりにひどい今年の”日本レコード大賞”に、
名実共に納得の受賞者(絢香や倖田來未)の涙が、汚された気がしてなりませんでした。
別に誰が大賞を取ろうとまったく関係ないし、
いまどき”レコード大賞”など、世間に何の影響も与えないけど
”CD”売り上げトップ10の常連が”レコード”大賞じゃあーなくて
誰が大賞だって言うんだよ!!!
ガンガン?
”どうなってるのよ!!!”
”M”から電話だ。
”何が”
”何がって、ちゃんとやってるの!”
”全然更新されてないじゃない! ”
”家でポーっとしてないで、早く進めてよ!”
”もういい歳なんだから、早くしないと。”
”歳は関係ないと思うけど?”
”俺なんか、ガンガン更新してるよ”
”ガンガンって”
”とにかくガンガン進めてよ! 年内が期限だからね!!!”
小中の義務教育はもちろんその後も、物事をよく頭の中で考えて判断すると言う
人として基本的な脳の訓練をせずに、直感だけで生きてきた”M”にとって
目に見えることが全てだ。
ホームページを自分で立ち上げている方なら、わかって貰えると思いますが
ある程度形が出来てきた時、細かな修正がたくさん出てきて
サイトが大きくなる前に、一度整理して修正しておかなければならないことがたくさんある。
細かなことを言うつもりはないが、サイトに使っているファイルの名前から
階層の作り直し、果てはCGIのプログラムの修正まで。
今のうちにしておかないと、後で大変なのは目に見えているので
ここいらでいっぺんにやってしまおうと、チマチマ作業をしていた。
しかし、、チョッカンだけで生きている”M”には、わからない。
目に見える更新がない = 何もやってない! ってな事になる。
なんせ、脳みそが新品なので、新しいものはスイスイ入るのだが
理屈で説明しても理解できない。
結果、この理不尽な罵倒を甘んじて受けざるを得ない。
しかたがないので、そのガンガン進めていると言うヤツの担当ページを見てみる事にした。
前回、ここ で書いた面倒な作業とは、一つ一つ自分で作らなければならない案内用の地図のことなのだが
今回はチャンとやっているらしく、一応表示されている。
”ホ~” と思って見ていると、なんかおかしい。
”パクってる!”
そう。
自分で一から作らなければならない所はさておいて
コピーできる所の地図だけ張ってあるのだ。
”ヤッパリか!”
ヤツの罵倒を、こめかみがちぎれる思いで我慢した挙句
一瞬でも感心した自分に腹が立つ。
ヤツの脳みそ、外国にでも売ってやろうか!
高く売れるぞ~
なんせ新品だから!!!
久しぶりの更新
久しぶりの更新である。
なぜかというと、一年も毎日書かなければならなかった(自分で決めた事なのだが)後遺症があまりにも大きく、なかなか書く気にならなかった。
目標を達成して10ヶ月、書くネタ(世の中や自分のまわりの出来事が、ネタとしか認識できなくなっている。これも一年間毎日書いた後遺症だ。)は、たくさんあったが、どうしても書く気にならなかった。
今回、当サイト のリニューアルがやっと始まり、またグチリたくなるだろうと言う事で再開した。
とは言っても、リニューアルそうそうグチなどないと思っていたら、やっぱり”M” が私を悩ませる。
面倒な作業をどんどん後回しにして進めている。
人それぞれ作業の手順があるからいいじゃないかとお思いでしょうが、”M”の場合はそう楽観視していられない。
なぜなら、その後回しにしためんどくさい作業を、私にさせようと虎視眈々と狙っているからだ。
”面倒な作業を後回しにすると、後でつらくなるよ”
この私の愛情あふれる忠告をまったく無視して、簡単な作業だけどんどん進めている。
”絶対、やつの策略には乗らんぞ!!!”
と、心に誓う毎日である。
祝 目標達成!!!
思い起こせば、去年の今日このブログを書き始め
、無謀にも”一年間毎日書く”と宣言し
その後の苦しみなど知る由も無く、能天気にも一日で3件も投稿している。
今ではとても考えられない。なんせネタは命ですから!
有頂天で書き始めたはいいけれど
あっという間にネタも無くなり、一日中文章を考え、挙句の果ては自分の恥をさらけ出し
いいネタを見つけるとシリーズ化して時を稼ぎ、ついに困り果てると作り話まで書く。
本当に、ドタバタの一年でした。
それでも、やってよかったと思っています。
何かを毎日コツコツ続けることは、
自分にとって決してマイナスにはならないと思っています。
自由気ままに好き勝手生きてきた私が、目標を立てることも無かったし
立てた目標を達成するなんて、ホント感無量です。
ズルズル涙に暮れています。
と言っても、目標を達成して感無量でズルズルってなわけではない。
このブログを書きながら、留守録しといた「一リットルの涙」
の最終回を見ているからだ。
集中するとヤバイと思って、これを書きながら横目で見ているのに
ズルズルだ!
”M”ススメられて見始めったってのが、チョット引っかかるが
いいものはいい!
目標達成もどこえやら、最初っから見直そっと。
それにしても、しばらくは何かに追われることなく安らかに眠れそうである。
まあ、せっかく始めたブログだから一週間に一回ぐらいはなんか書こうかなあ~
まっ、ネタがあったらだけどね!
