久しぶりの
どうやら風邪をひいたらしい。
咳は出ないのだが、のどが痛い唾を飲んでも痛いくらいだ。
それと鼻水がすごい。ポーっとしてると、もうたれている。
風邪など5年に1回しかひかない。
もちろん風邪気味になることはあるが、気合で克服する。
今回のは、5年ぶりの本格的な風邪だ。
仕方がないので薬を買いに行った。絶対病院には行かない。
これまた、今まで生きてきて数えるぐらいしか医者にはかかっていない。
今年は怪我をして病院に行ったのでもういい。
年に2回も病院に行ったら死んでしまう。
そう、薬も普通はぜんぜん飲まないのだが、この時抗生物質を処方されて飲んだので
今年2回目の薬だ。考えただけで調子が悪くなってくる。
だから、ほとんど飲まない薬を飲んだ時は、めちゃくちゃ効く。
処方された薬を、飲みきらないうちに直ってしまう。
(決まりらしいので無理やり飲みきるようにはしている)
風邪で病院に行ったら絶対に注射される。
勘違いされると困るのだが、注射が嫌いなわけではない。ましてや怖いわけでもない。
チョット苦手?なだけだ。
とりあえず買ってきた薬の効果を見守ろう。きっとすぐに効いて直るはずである。
とにかく注射だけはごめんだ。
それにしても、久しぶりの病気でいい感じでけだるい。
けだるい感じで仕事するってのもまた格別である。
チャンス
人間一生の中でできることは、そんなに多くない。
とまあ~チョット哲学的にはじめてみましたが、
できることは多くないのだが、するチャンスは結構ある。
今までの自分を振り返ってみても、多くのチャンスに恵まれてきた。
ミュージシャンを目指して東京に来る若者は今も昔も多くいると思いますが
実際に音楽で食べるところまで行く人はごくわずかだ。
今時はこんなステップアップをする人はあまりいませんが
私の場合も、昼間ホテルのアルバイトをしながらキャバレーで演奏ってなところから始まって
ダンスホールの専属バンドに入り、徐々にレベルの高いバンドから誘われるようになり
最後にスタジオミュージシャンが多く所属するバンドに採用された。
するとフリーの仕事も少しずつもらえるようになり、レコーディングにも参加できるようになってきた。
しかしその時、仕事のレベルは上がっているが、自分のレベルが上がっているわけではない事に気が付かず
慢心した私は、せっかくの仕事を断りだし、オリジナルに固執するようになる。
つまり、自分たちでバンドを組みオリジナルの曲じゃないとミュージシャンじゃないと思うようになる。
人から与えられた音楽ではなく、好きなものだけやりたくなったのである。
もともと、若い勢いのあるやつがいると言う事で、本人の技量には目をつぶって
貰っていた仕事だった。
本来しなければならない努力を怠り、勘違いをした若いミュージシャンは
あっという間に干されることになる。
「一生の中で成功するチャンスは少ないので、
少ないチャンスを逃さないように日々努力しなければならない」
とよく言われますが、その通りだと思う反面、違うとも思っている。
誰にでも、いつでも、チャンスは多く訪れているのである。
つかんだチャンスを生かしていないだけだと思う。
たとえ干されても、オリジナルにこだわって突き進んでいれば、成功していたかもしれない。
干されることもまた、チャンスだったのである。
今だって巷はチャンスだらけだ。
夢が無いなんてとんでもない。
目の前にあふれているチャンスをつかんで、生かそうではありませんか!
好きなことをするために。
やめちゃおっかな
喫煙者の肩身がどんどん狭くなっている。
もちろん体に悪いのは承知の上で吸っている訳だが、
世間の冷たい視線は我慢するにしても、巷に吸える場所がどんどんなくなってきている。
”M”と行った焼き肉屋でも、となりに子供がいて
”タバコ吸いずらいね”
と、人としてまともな精神を持ち合わせていない”M”ですら言うくらいだ。
高校生の時いたずらで吸ったタバコは、ドキドキゲホゲホだったが、
隠れて吸うそのスリルがたまらなかった。
しかし、いい歳をしてこそこそ吸うぐらいなら、いっそやめてしまおうかとも思う。
”M”は、”やめてもいいけど、世間のプレッシャーではやめたくない” と
わけのわからん理屈をこねていた。
私自身は、手持ちぶたさでついつい吸ってしまうだけなので
これがチョコレートになっても別にかまわない。
ケムリと言う性格上、どうしても周りに迷惑をかけてしまうタバコに対する風当たりは
弱まることはないし、そんなに嫌われるのなら”やめちゃおっかな”とも思う。
”M”いわく
”そのうち一箱1000円になるよ”
そうなる前においしいご飯を食べられるようになるか!
それにしても、風邪をひいてしばらくタバコが吸えなかった時の、ご飯のおいしさったらない。
それにもまして、ご飯の後のタバコのうまさもまた、格別なんだよなあ~
よみがえるゾンビ
道路特定財源の見直しに対して、反対する声が再び大きくなってきた。
そもそも、ガソリン税や自動車重量税を道路のために使うのであったら
一般財源化などする必要がない。
国会の目の届かないところで、好き勝手に使ってきたから
予算と言う枠にはめななければならないからだ。
道路に使う税だからユーザーは高い税率でも負担してきたなどと言うのは詭弁以外の何者でもない。
健康保険料は病院に行く人だけ払えばいいのか?もちろんそう言う事ではない。
だいたい、道路ユーザーって、道路ユーザーじゃない人なんかいるのか?
免許も持たず車にも乗らない人でも、スーパーで買い物するだろう。
これらの商品は、道路を使って運ばれてきている。
便利になった交通網は、流通コストを下げその恩恵を消費者が受ける。
普段道路を使う使わないなど関係ない。
一般財源化しても、必要な道路は国会で審議して予算を組めばいい。
そのほうが国の基本の事業であるインフラの整備が
今よりも進むのではないかと思っている。
この好き勝手に使える特別会計をナントカしないともうどうにもならない。
ゾンビのように息を吹き返して来た道路関係団体や関係会社から
後押しされた族議員を再び墓に眠らせないと、
必要のない建物だらけになってしまいます。
それにしても。家賃9000円なら道路から離れられんよなあ~
死に物狂いで天下るはずだ!
恥ずかしい?
毎年12月はヤナ事件が多いけれど、どうしてこうも悲惨な事件が起こるのだろう。
せっかく、難病と戦う家族愛のドラマ 「1リットルの涙」 にハマッてるというのに
水をさされてしまう。
「1リットルの涙」 だってノンフィクションなのに、現実の出来事が悲惨すぎて
まるで作り話のように感じてしまう。
なぜまわりと同じじゃないと恥ずかしいのだろう?
顔や性格が同じ人などいないのに、違うことがなぜ恥ずかしいのだろう?
病気になったのがなぜ恥ずかしいのだろう?
人より発育が遅くたっていいじゃないか!
五体満足でも、世間に対して恥ずかしい子供ははいて捨てるほどいる。
そんな子供を持つ親は偉そうにしてるのに、
本人にはまったく責任のない病気が恥ずかしいなんて、私には理解できない。
我が子のためなら命すら惜しくないと言うのが親だと思っていた。
せめて私が生きている間ぐらいは、
”今時そんな親はいないよ”
なんて事にはならないでほしい。
人殺しに人権?
犯罪者に対する人権が叫ばれて久しいが、
このところ続いている子供を狙った痛ましい事件の犯人にも、人権があるのだろうか?
頭ではわかっている。
人間の基本的権利である人権は、誰でも平等に有する。
わかっちゃいるけど、こうも子供が狙われると
全員死刑にしてやりたくなる。
ましてや、バカな法務大臣が死刑執行命令書にサインしないなど論外だ。
もし自分の子供だったら、必ずこの手で犯人を殺してやる!
それで死刑になってもかまわん!
最近、あだ討ちを復活させたほうがいいんじゃないかと、かなり本気で考えている。
恨みは、恨みの連鎖を生み、近代社会を営む上で支障になるので
法律によって国が代わって裁くと言うのもまた、頭では理解している。
しかし、人間の感情は理屈通りいかないのである。
これ以上痛ましい事件が連鎖しないように切に願う。
しかし、こういうバカ共には見せしめが必要だ。
人でなしは、恐怖によって押さえつけるしかない。
ホント、公開処刑でもいいくらいだ!!!
こうなったら、イスラム教徒になって ”目には目を” を実行するか!
辞書で調べると同じ?
アメリカ産の牛肉が、再び輸入されるようになりそうである。
こういった日米の貿易摩擦が生じたとき、
公平な自由競争を求められるのだが、
この”公平”と”Fair(フェア)”には同じようでちょっと違う意味があるようです。
日本では、公平と言うと平等の意識が強く、談合などがいい例で
”前回はA社だったから今度はB社”と言うようにみんなで分け前を平等に配分する。
まあ談合は犯罪なので例としてはイマイチですが、日本語の公平にはこのような意識が強い。
しかし、Fair(フェア)は自由競争のルールに基づいた機会の公平であり、
入札に参加する自由があり、その審査もきちんとしたルールに基づいて行われたならば
落札できなくても、日米摩擦になることはない。
”公平”に入札を行った事になる。
日本語の公平の意味合いから、アメリカから自由貿易を求められると
日本市場を荒らされる、日本のルールを壊されるような気になるのですが
そんなことはないのである。
世界中どの国も、自国の産業を守ることは当たり前なので、
日本だけがむやみに市場開放をすることはありませんが
また、必要以上に恐れることはないのです。
市場に参入する機会がFair(フェア)に与えられれば、消費者に拒否されて撤退することになっても
”公平”な自由競争だったと言う事です。
そう言えば、Justice(ジャスティス)と正義もずいぶん意味合いが違うときがあるモンなあ~
広島・長崎の原爆投下は、アメリカではJustice(ジャスティス)だけど、
日本じゃあ、どう転んでも正義じゃねえよなあ~
上を向いて歩こう
”M”と打ち合わせをしている時、ふとしたきっかけで坂本九の「上を向いて歩こう」話になった。
”上を向いて歩こう、涙がこぼれないようにだよ!”
と突然言い出し
”こんないい歌詞ないよね!”
だそうだ。
人でなしの”M”が歌の話をするのにも驚いたが
歌詞がいいとはコリャもっと驚いた。
”なんせ唯一、全米ヒットチャート1位になった日本の曲だからね!”
”あっ、そうなの?”
こんな有名な話を知らない”M”に、驚きを通り越して目がテンになった。
”今日のブログのテーマはこれね! 坂本九の「スキヤキソング」 決まり!!!”
ってなわけで「スキヤキソング」について書く羽目になったのだが、
なぜ世界中の人に愛されるようになったのか、ヒットの理由はいろんな人がたくさんの説を書いている。
英語版の歌詞は原曲とは似ても似つかないこともあり、曲の力だと言うのが一般的であろう。
しかし本当にそれだけなのだろうか。
英語訳の「スキヤキソング」ばかりではなく、坂本九の歌う日本語の「上を向いて歩こう」も
ヒットしているのである。
実際に、エド・サリバンショーに出演した坂本九は、日本語で話し(もちろん通訳されています)
日本語で冗談を言い(隣の塀に垣根が・・・ 有名なシーンですが、どうやって訳したんだろう?)、
日本語で歌っている。
アメリカ人に聞いたことがないのでわかりませんが、日本語の歌詞がメロディーとひとつになり
言語は違っていても意味がわからなくても、歌の心は通じていたのではないでしょうか。
歌と言うものは、歌詞とメロディーが一体になった時たとえ意味がわからなくても
十分心に響くものです。
実際に、歌詞がわからなくてもいいと思う歌はたくさんある。
「上を向いて歩こう」は歌詞とメロディーがひとつになって
世界中の人々に、歌の心が届いたに違いありません。
そんな歌は、人種、性別、年齢、そして時代までをも飛び越えて
人々の心に響き続けるのでしょう。
それにしても、日本にだって結構いい歌がたくさんあるのに
いまだに1曲しか1位を取った歌が無いとはねえ~
弱虫
公園のそばで車椅子の男性が立ち往生していた。
何か困っている様子で、携帯を取り出しどこかへ電話をしようとしていた。
声をかけようとしましたが、結局黙って通り過ぎてしまいました。
”何かお困りですか?”
なぜ言えないのだろう。
別に今更、格好つけるのが恥ずかしいわけではない。
勇気が無いだけなのかも知れません。
電車に乗るときも、前にお年寄りが来て
席を譲る勇気がないために、座らないようにしている。
”何かお困りですか?”
どうして言えないのだろうか。
勇気などと気負うことなく、普通に口にできたらどんなに良いか。
当たり前のことを当たり前にできない事を、弱虫と言うのだろう。
さあ、はじめましょう!
プランマニアは意外と多い。
つまり、計画を立てる事が楽しい人たちだ。
行ったつもり、見たつもり、やったつもり。
思い立って計画を立てるのが楽しいわけだから、実践はしない。
しかし、どんなにすごいプランでも、実践者には勝てない。
エライ評論家のセンセイでも、アーティストには勝てない。
映画評論家は映画監督には勝てないし、音楽評論家はプレーヤーには勝てない。
実践して体験することは、頭の中だけの理屈ではわからない。
旅行がいい例だ。
どこかへ出かけることを思い立ち、計画を立てることもまた楽しい。
しかし、実際に旅に出て遭遇する思いがけないハプニングこそ、旅行の醍醐味だ。
計画だけ立てて、実際に旅立たない人にはわからない。
作戦を練って十分準備することも必要ですが、
何はともあれ、始めようではありませんか。
失敗したらしたで、また始めればいいのです。
実践すれば、何かが必ず生まれます。
なんでもいいのです。
あれこれ考えるより先に、
さあ、はじめましょう!