こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



先日、ブログを更新しようと思い、1時間くらい粘って記事を書いたのですが、手先が狂い誤ってページを閉じてしまい、オジャンになってしまいました。そして、そのままフテ寝してしまいました。



というわけで、久々の更新。夏の暑さがやっと過ぎ、涼しくて過ごしやすい秋があっという間に終わり、もう寒い冬ですね~。そして、2013年もあと1か月ちょっととなりました。




会社で働く人にとってこの年末時期は、飲み会も増えてきますが、一方で仕事がかなり忙しくなってくる頃だと思います。人によっては、「飲み会なんて行ってる暇ない」状況の方もいることと思います。無理しなきゃいけない場面も出てくるとは思いますが、心身のバランスを大幅に崩さないよう、ご自愛ください。



そう、「ご自愛」ですよ。忙しい時期は5分でもよいので休憩時間を作って、時折自分を仕事の重荷やプレッシャーから解放してあげてくださいね。そう、お勧めは短時間でのプチ瞑想です。通勤時に歩いてるときや、電車の中の時間も使えますよ。



深めに呼吸しながら、頭の中を空っぽにして。自分の体の感覚に焦点を当てる。たったこれだけですけど、スッキリしますよ。またこれ、回数を重ねていくと、すぐにリラックス状態に入ることができるようになります。




とはいえ、飲み会で疲れてる人は睡眠時間を増やすことや胃を休めることの方が効果的かもしれませんね。眠たいと、瞑想しても寝ちゃいますからね。



さあ、残り1か月ちょい。なんとか乗り切っていきましょう!


こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



今、夜中の1時半近く。。。眠たくてしょうがないワタクシです。



それでまあ、ブログを書こうとしてるのですが、睡魔がやってきて、書こうとすると頭がもんやりしてきて、気が付くと夢をみちゃってることが多くて・・・・



・・・・グーグー。すみません、限界なの寝ます。次回はちゃんとした記事書きますので!

こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



久々の更新となってしまいました。ここのところ風邪で体調を崩してましてね。今日も声がガラガラ。ま、すこしずつ良くなってきましたけど。



先日、家族ぐるみで付き合いのあるお友達夫婦達が久しぶりに我が家に遊びに来てくれました。とっても楽しい時間を過ごしたのですが、そのとき、共通の知人であり、僕もよく知っていて以前よくお世話になった先輩夫婦の話を聞きました。



一年前位に、待ちに待って迎えた待望の赤ちゃんが、死産だった、とのことでした。



先輩夫婦はどちらも、二人と接したことのある人なら誰もが口を揃えて言うほど、周囲の人に対して優しく、温かい人柄です。そんな二人が、自分が知らないところでそのような悲しい経験をされて、今もまだ苦しんでいるなんて・・・。



カウンセリングの場面では、カウンセラーとして機能するために、クライアントの話に共感的理解は示しても、クライアントの悲しみに一緒に溺れてしまったり、同情してはいけません。



だけど、今回は一個人として、よく知っている二人の話を聞いて、どうにもやりきれない気持ちになりました。僕が読者登録させていただいている、こちらのブログを二人に紹介したくなりました。

流産・死産を経験して☆天使ママカウンセラー:飯島ゆみこ さんのブログ

(↑この方の活動、素晴らしすぎます)




でも今はまだ、やはりそっと見守ることにします。



こんなときこそ「力になりたい!」と思う一方、(※ケースバイケースですが)他人からの押しつけがましいサポートほど迷惑なものはない、と知っているからです。




でもこんなふうにも思います。カウンセリングってものが、日本でもっと一般的だったらなあ。一人で背負わなくても、いや夫婦二人だけで背負わなくても、安心してサポートしてもらえる場があるということを、二人が知っていたら、少しは助かるんじゃないか・・・(「サポート」って言葉にすると、サポート「する・される」で上の立場と下の立場というニュアンスになってしまいますが、実際のところカウンセリングはフラットな関係性の中でなされます)。



もう少し時間が経って、時が二人を癒して、僕がまた二人と会える機会をもらえたならば。もし必要としてくれたら、カウンセリングさせてもらいたいな。



でも、必要でなければ、それで全然かまわない。また二人と、楽しく話したり、酒飲んで鍋でもつつきたいな。



こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



昨日の続きです。



かつて、職場で味わっていた過度な緊張状態をほぐすために、僕自身にとって一番効果があった方法とは・・・トイレでの瞑想(笑)。昼休み、ご飯を食べる前、または後にやってました。(今もたまにやります)



さすがに自分のデスクじゃできないし。会社の外に出てもいい場所ないし。どこか自分1人になれる場所・・・といえばトイレです(小じゃなくて大するほうです)。



いろんな人が出はいりするし、会話する声も聞こえるけど、無視して瞑想。時間は5分程度でもOK、長くても10分くらいですかね。



職場のトイレで瞑想するときはですね、とにかくネガティブ思考から離れる。そのためには、色々な方法があります。


 ・自分が置かれている一切の立場・責任から離れる。

  自分の役割を全部降ろし、無責任な人になりきってみる。


 ・自分の心配事が、一晩寝たら全て完璧に解決したら・・と想像し、

  本当にそうなったときの自分になりきってみる。


 ・10年後の自分から今の自分をみて、今心配して気を揉んでいる

  ことが、どれほどのことか捉えなおしてみる。


まあ、なんでもよいわけですね。次から次へと続くネガティブ思考が止められれば。そんで、ゆっくり呼吸をしてみます。吸って、吐くという行為に意識を向けていきます。



繰り返しているうちに、心静かになってくれば成功です。

びっくりするほどリラックスできているはずです。



また、もしもどうしても瞑想が苦手だという方は、ポータブルオーディオで音楽を聴くという手もあります。でも、ただ聴くんじゃないですよ。自分が一番力が出る、あるいは幸せな気分になれる、あるいはリラックスできる曲をちゃんと選んで、その曲と自分が同化して溶け込んでいく、自分の存在が音になったようなイメージをしながら聴くんです。


例えば、青春時代に初恋の人と幸せの絶頂にいた頃に聞いていた曲とか、学生時代の楽しい思い出がよみがえる曲とか。でも当時の自分を思い出すというよりは、リラックスした感覚とか幸せな感覚を全身でしっかりと感じることが大切です。



そんなことを感じていたら、目先の仕事の不安なんてチマチマ考えてなんかいられないはずです。思いっきり曲に入り込むためには、やはりトイレで1人で行うのが僕のおすすめです(笑)。



トイレでのリラックスがうまくいった後、それまであなたを不安に感じさせていた案件や心配事も、少し違って見えてくるはずです。




それは、あなた自身の状態が変わったから。結局、どのような状態の自分でいるか、が物事の捉え方にも影響を与えているわけです。



ちなみに、トイレから出ていくときは、トイレットペーパーの音をカランカラン出してみたり、意味なくトイレを流してみたりすれば、外の人は気づきません(笑)。長めにトイレにこもっていた時は、お腹を押さえて「いてて。。」と演技をしながら出ていくのも有効ですよ。





こんにちは。カウンセラーのジョニーです。



今日は会社で働く方に向けた記事となりますが、職場での昼休みの過ごし方について書きたいと思います。



皆さん、昼休みをどんなふうに過ごされてますでしょうか。休憩時間中はちゃんと心身リラックスできてますか?ちゃんと食べたいもの選んで、食事を楽しめていますか?味わって食べていますか?



忙しくて仕事のデスクで適当な弁当やサンドイッチ食べてすぐに仕事に戻ったりということもあるでしょう。締切や納品直前のタイミングとかだと、昼食もとらずにぶっ通しで仕事する場合もあるでしょう。



ま、そういうときもあるとは思いますが、時間通りに休憩がとれるのであれば、午後からの仕事の効率を上げるためにも、やっぱり有意義に過ごしたいですよね。



僕はかつて、職場での昼休みの間中、頭の中がほとんど仕事上のモヤモヤ・不安・心配事に苛まれていた頃がありました。職場ではいつも気を抜いてはいけない、という思い込みや構えがあって、リフレッシュしようなんて、そんなことする勇気はありませんでした。



ランチを何にするかについてもそうで、自分がいま何を食べたいかなんてほとんど気にせず、決まった弁当屋さんに行って数種類の中から適当に選ぶだけ。



「そうだ!会社の近くにできた新しい店に行ってみよ!」なんて気楽に楽しむことを、まったく自分に許せていなかった。いつだって「そんなにのん気にしてていいのか?」「気を抜いてる暇があったら、例の件のこと考えろ。このままだとお前失敗するぞ?」「油断してるとすぐに客先から急な依頼の電話が来るぞ・・・」みたいな声が、頭の中にこだまするのでした。



同僚と外食に行っても、心ここにあらず。食べる時だって、ほとんど味わってないから、その日何を食べたかなんて全く覚えていない。そんな有様でした。



そして、こんなような状態ってやっぱりストレスなんですね。こういうものが、このブログのタイトル「やっぱり会社行きたくない」気分にもつながってくるんですね(笑)。



今は大丈夫。しっかり自分の感覚に焦点を当てて、どんなものを食べたいか、心身とちゃんと会話して決めています。といっても、たんに自分が本当に食べたいものを選んでるだけですけど。それでも、しっかり味わって食べられるようになりました。



結局、自分自身の感覚を鈍くしていたのが、やっぱり思考なんですね。とくに、ネガティブ系の思考です。仕事上やらないといけないことは、この先いくらでもあるから、先々のことを考えて心配しようと思ったらどこまででも無限にできてしまう。



全然「いまここ」にいない状態です。

だからこそ、そんな時には・・・・・!!



続きはまた書きますね。



こんばんは。ジョニーです!



いや実は、先週から仕事上のトラブルが勃発してまして、お客さんに謝りだおす毎日を送っているワタクシでございます。今日はフラフラになって帰宅しました。



精神的にも疲れてます、ハイ。帰り道では、自分がどんなところにストレスを感じるかに焦点を当てながら帰ってきました。ハートの部分が、「やだやだやだ~もう怒られるのはいやだ~」と言うております。



やっぱり、相手の顔色を気にすることに疲れて、ストレスを感じてるんだなあ。こんなとき、相手の方ばかりをみていて、自分自身の姿をみれてない。我に返り、自分を見つめてみる。できることをやるしかない。過ぎてしまったことに自分に責任があれば、それはもう謝るしかない。



ひとしきり自分の中の葛藤を感じきった後は、「ヨシヨシ。お前はよくやってるよ」と自分を慰労しながら家に着きました。



家に帰ると奥さんがまだ起きていて、今日の子供たちの様子を話してくれて、なんだかとても癒されましたとさ。

こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



今日は真ん中の娘(3歳)の七五三で、大宮の氷川神社に行ってきました。静岡に住んでいる僕の両親も昨日から、サポートに来てくれています。



娘の着付けやら何やらで、朝からバタバタでしたが、なんとか一通り済ませて、昼過ぎに帰ってくることができました。息子(6歳)もまあ、よく付き合ってくれました。



その後は家で少し休んだ後、近くのショッピングモールにおやつを食べに行ったり、また家に帰ってテレビを観たり、晩御飯を食べてのんびり過ごしました。



のんびりとはいっても、気持ち的には全くのんびりしていませんが(笑)。何しろ、息子(6歳)と娘(3歳)がワンパク過ぎて・・・。もうヘトヘトです。じいじ、ばあばがいてくれてるので、相当助かってますが。



それで、今日の本題ですが。今日買ってきた仮面ライダーの本を読んで息子を寝かしつけながら、僕の胸には罪悪感が湧き上がっていました。



今日一日、何回息子を怒鳴りつけただろう。。。



・人が多いところで走らないで!

・こんなところで飛んだり跳ねたりしない!

・こんなところに登らない!

・さっき本買ってもらったんだから、もうガチャガチャはダメだよ!

・こら!水たまりの中にジャンプするな!

 周りの人に水がかかったらどうするの!?

・傘を振り回すな!危ないだろう!

・なんで「やるな」って言ったことをすぐにやるんだ!?

 何回も同じことを言わせるな!

・リビングの床におもちゃを置きっぱなしにするな!

 今度みつけたらどっかにやっちゃうぞ!

・妹を叩くな!妹に怒鳴るな!

・TVを観るときはもっと離れろ!言うこときかないとTV消すぞ!

・ご飯を食べながらウロウロするな!

・ばあばにそんな口の利き方をするな!



キリがない・・・・・。きっとこれだけじゃなくて、もっと言ってます。時には頭をぽかり(軽くですが)と叩きながら。こんなに言われたら、ウンザリだろうなあ・・・。妹にキツく当たるのも無理がないのかな。そうさせてるのは俺かも。しかも、娘に手を出したりしたら、また俺が怒るから、息子は苦しくなるばかりだろうなあ・・・。



子育てしてるとブチあたる、いつもの自己嫌悪です。「親業パパ」が聞いてあきれます。思いっきり息子を非難・批判してるし、「脅し」もいれてるし。しかも、一度イライラし始めると、息子がやることなすこと問題に見えて、口出ししたくなってしまう。注意したらしたで、今度は自分が言ったとおりにさせることに躍起になっている自分。



こんな自分イヤだ・・・。そう思い、布団にくるまる息子に謝りました。「今日一日、パパずっとガミガミ言っててごめんね・・・。せっかくのお休みなのに、こんなに色々言われたら楽しくなくなっちゃうよね・・・・。」



息子は「うん。」と答えた後に、一言「さみしい。」と言いました。



息子は、明日じいじとばあばが帰ってしまうのがさみしかったようでした。

「そうか、じいじばあばと明日お別れするのがさみしいんだね。」と言うと、息子の目から涙がこぼれました。



今日初めて、ちゃんと息子の気持ちを聴いてあげられた瞬間でした。



親としてまだまだ課題だらけですが、一日の最後に、自分の正直な気持ちを伝えられて、息子の気持ちを聴いてやれてよかった。明日からまた親業やり直しです。風呂上がりにベランダの庭に出て、冷たくて澄んだ空気を吸いながら、夜空の星を見上げるワタクシでございました。


こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



楽天、遂に日本一になりましたね~!

昨日、今日は我が家でも珍しく、子供たちを寝かしつけながら日本シリーズの中継を観ていました。かっこよかったなーマー君。



ところで、今朝も僕は骨折した指のメンテナンスのために、駅前の整形外科まで行ってきました。通勤の時と同じ道を通るため、前に書いたような「歩きながら瞑想」をしながら行きます。



毎朝やっているせいか、歩いているときの呼吸の深さや体全体で感じる心地よさが以前よりアップしている感じがします。前方に危険がないのを確認してから、ほんのちょっとだけ目を閉じて歩いたりもしています。(僕の場合、目を閉じると体の感覚が敏感になる気がするので。でも十分注意が必要です)



でも、体の気持ちよさは、↑こんな風な動作をしているから感じるのではなく、どちらかというと「もともとある、気持ちよい感覚」を探す、焦点をあてる、そしてその状態を継続していくと、少しずつわかるようになってきます。すると何やら、口元も自然に柔らかくなり、意識していなくても口角があがってきます。また、歩きながらみぞおちの辺りに自分の中心があるようなイメージでいると、体全体のバランス感が整って楽な感じがします。



途中で「あれどうしよう」とか心配事が始まったり、思考が回り始めちゃいそうな時もあります。その時には自分が何を怖れているのかについて考えるようにしてます。そして、心配思考の原因となっているその恐れの感じを、ただ感じます。




また、無思考状態であることや「気持ち良い状態に早く入ること」にこだわりすぎて力が入っちゃうのは本末転倒でよくない。だから最終的には、今の自分の状態に注意を払い、感じて、それをとにかくそのまま認めることでより深くリラックスできる感じです。



とはいえ、向こう側から歩いてくる人が、目を閉じてニヤニヤして歩いてきたら、結構気持ち悪がられるかな~、しかも今は左手の手首の上から包帯ぐるぐる巻きだし(笑)。



*メールでの無料相談を受け付けます。ご希望の方は、jonyjoyjony@yahoo.co.jp までメールをください。ご相談の内容をなるべく具体的に書いてくださいね。タイムリーな返信ができないこともありますが、できるだけ早くお返事いたします。




こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



今日は朝から息子の小学校のバザーでした。



あらかじめ頼んで購入しておいた食券を、引換所でおにぎりやパンと交換してもらい、息子のクラスの教室で昼食として食べました。



久しぶりに小学校の教室で、給食のときと同じように机を班ごとに向い合せて、家族で座りました。机の高さが微妙に違っているのが懐かしかったです。



思い出すなあ。小学生の頃は小学校での生活をいかに無事に過ごすかが僕にとっては重要課題でした。友達もいたし、好きな子もいたし、楽しい時間もあったけれど、正直なところ、毎日しんどかった。。。



友達とうまくやらなければならない(とくにクラスの中心人物とはうまいことやらないと仲間外れにされそう)というプレッシャー。水泳とか持久走とか家庭科とか、苦手なことも嫌いなことも全て一律に努力や成長を強要される環境。何かの罰なのか、「明日までに漢字の書き取り30ページ」を宿題にする鬼ババ教師、鈴木先生(隣のクラス、クラス替えが怖い・・)。



大人になった今はなんと自由で気楽になったことか。でも、当時の状況や意識を、少しまだ引きずっている気もする。



職場の上司や同僚とうまくやらなきゃいけない。

会社員として、会社の利益を上げるための努力を強要される。

あの、傍目に見てもバカで無茶苦茶な人の下にだけはつきたくない・・。



なんだこりゃ。あんまり変わってないやんけ。とも思いますが、深刻さの度合いが全然違います。視点も子供の頃より広がっている。



やっぱり子供の頃は、目の前のことが全てだもんなあ。だからこそ、その当時の経験のインパクトが強くて、それによる思い込みや価値観・ビリーフってのが生まれてくるんだろうなあ。



そんなことを考えながら、今も昔も人気NO.1給食、「揚げパン」にかじりつくワタクシでございました。



*メールでの無料相談を受け付けます。ご希望の方は、jonyjoyjony@yahoo.co.jp までメールをください。ご相談の内容をなるべく具体的に書いてくださいね。タイムリーな返信ができないこともありますが、できるだけ早くお返事いたします。

こんばんは。カウンセラーのジョニーです。



カウンセリングの場では、とことんまで話を聴いてもらえます。どんなに個人的な話であっても、どんなに整理されていない脈絡のない話でも。



自分の話を1時間くらいずっとしゃべり続けて、しかもそれにしっかりと耳を傾けて聴いてもらえる経験を、僕はずっとしたことがありませんでした。



自分の話をするのは苦手な方で、「こんな話退屈じゃないかな」とか「こんなこと言ったらどう思われるかな」とか、いつも相手の反応を気にしていたし、会話って双方向なものだから一方的にしゃべることに抵抗があったし。



だから、初めてカウンセリングを受けた時、カウンセラーさんにブワァァっと個人的な話を聴いてもらって、それだけでものすごくスッキリしたのです。



それまでは自分のことを、「聞き上手」だと思って生きてきました。だけど、ほんとはこんなに話したいことがあるんだ、と驚きました。



「xxxは良い」とか、「xxxはこうでなきゃいけない」とかいった議論の場においては、結構熱をこめてしゃべることもこれまでにはありました。気に入らない人の悪口で大いに盛り上がったことも。



だけど、自分の気持ち、内面の感情の動きについて、誰かに話そうともあまり思ってなかった。そもそも、それにふさわしい場面なんて、日常のなかであまりなかったし、なんかそういうことってカッコ悪いように思っていた。自分の感情を迂闊に人にさらすことはむしろ「恥ずかしい」ことだと思って抑圧していた。



それに気づかず、自己啓発本を読んで研究して、自分なりにワークに取り組んだりしていたけど、結局いつも、あんまり効果的ではなかった。



でも、カウンセリングという場において初めて、自分の気持ちを言葉で表現して(しかも一気にどばっと思いついたことをカオスな状態でえんえんとしゃべりまくって)、それをひたすら聴いてもらい、しっかり受けとめてもらうという体験をした。そこでは、自分の感じていることを、認めてもらえた。許してもらえた。大切にしてもらえた。



すると・・・・・。必ずしも、自分が悩んでいる状況自体は変わらなくても、自分には少し変化を感じてきた。



自分が感じていることを、自分自身が認めてやれるようになってくる。自分の感じていることを、自分自身が許してあげられる。自分の感じていることを、自分自身が尊重してやれる。



それで、以前に比べて、すごく自然体で楽な状態が増えた自分に気づく。そして、そうなった頃、悩んでいた状況はすでになくなっている。



僕が体験したカウンセリング体験を簡単にまとめるとこんな感じでした。自分を大事に扱うことができるようになると、安心していられるようになってきます。他人に対する恐怖感がとれてきて、とてもオープンでいられます。



一人で悩んでいる方、誰かのサポートを受けてみるのも、悪くないですよ。



*メールでの無料相談を受け付けます。ご希望の方は、jonyjoyjony@yahoo.co.jp までメールをください。ご相談の内容をなるべく具体的に書いてくださいね。タイムリーな返信ができないこともありますが、できるだけ早くお返事いたします。