こんばんは。ジョニーです。
今日は何を書こうかな・・・と考えていたら、1つ思いついたので書きますね。
僕自身が過去に強く持っていた、「同調グセ」についてです。
なんでしょうね。これ、結構小さい頃から記憶があるんですが、覚えているのは小学生くらいかな。会話しているときに、とにかく相手に合わせるクセがありましてね。
相手:「それでさあ、・・・・ってさ、絶対×××だよなあ。」
ボク:「(え!?それ違う・・でも・・いいや)ああ、そうだよね。」
のような感じで。逆に、ボクが「ねえねえ、〇〇ってこうだよねえ」と言ったとき、「いや、でもそれは××だよ。」とか言われると、なんだかバカにされたような、自分を否定されたような気持ちになってしまう。「そこは『そうだよね』って言っとけや、ボケェ!!俺を否定しやがって!」と、不満に思い、怒りまで込み上げてくる。
今ではだいぶマシ、というかほとんどなくなってきたけど、なんで治ってきたんだろう。自分の考えや意見と違う反応が返ってきても、「ああ、なるほどね・・・」と受けとめることができるようになりました。でもやっぱり、昔はとくに抵抗感が強かったわけです。
ほんのちょっとの意見の相違を相手が示しただけで自分がそんな気分になるから、自分が相手に対して「いや、それは違う」とか、「でも俺はこうだと思うよ」ということ自体に抵抗があるわけです。
相手の意見に対して、「自分は違う」と答えることは、僕にとっては“相手を否定する行為”であり、ケンカを売るに等しい行為だったわけです。
結果、「相手の意見」はそのまま受け入れ、「自分の意見はとりあえず置いておく」ということを長らくやってきたような気がします。でもそれは、自分を尊重していません。自分で自分を大切にできていない。
ただ、当時の自分にとっては、大事な処世術だったのでしょう。小学生の頃、周囲と仲良くやることは、僕にとっては「生きていく」ことに等しかった。
自分がどう思うかよりも、身の安全が大事だった(別に、いじめられていたわけではないのですが、臆病な少年だった僕にとって、小学校は「戦場」で、とにかく毎日必死だったのです・・・)。
そしていつの間にか、「自分が本当はどう思っているのか」「自分はどうしたいのか」が自分でもわからなくなっていったように思います。そういう自分の状態に、思春期の頃はあまり気づかずに成長しちゃうんですね。でもなんとなくこう、「生きづらい感じ」はもちろんあるわけです。
それがエスカレートしてくるとどうなるか。いつでも『相手の言うこと=正しい』となってしまう。面と向かって批判されようものなら、それをそのまま自分の中に取り込んでしまう。自分の感じてるモヤモヤはそのまま処理されないで溜まっていく。苦しくなって当然です。
学生の頃なら、気の合う連中とだけ付き合っているから、あまりわからない。だけど、社会に出たら、色々な人と付き合っていかなければならない。当然、相手から批判されるような場面も出てくるわけです。自分の意見を表明することも、もちろん求められる。
そうなってくるといよいよツラくなってきて、20~30代あたりで、ピークに達する。そして、心身に異常が出始める・・・・。
とまではならずに済んだ僕は、割と早い段階から「こころ」に関することに興味を持ったのがラッキーだった気がします。最近「勉強のため」と受けてみたカウンセリングも、やっぱり自分に効果があったし。
いや、待てよ。29歳の時に、前触れもなく突然発症したⅠ型糖尿病。あれは自分の考え方を見直せというサインだったのかも・・・・。思えば、自分自身の「こころ」に積極的に取り組み始めたのも、それ以降だったかも・・・。
真相はわかりませんが、まあそれはさておき、そもそも「同調グセ」が何をきっかけに始まったのか、それも自分自身よくわかりません。
ただ、35才になって、たまに他人のカウンセリングもするようになった僕が、いま大事にしていることは、とにかく「自分がどう感じているのか」に焦点を当ててやることです。周囲との関係性の中においても、それをできるだけ大切に、丁寧に扱う。
そのことは、自分を尊重することです。自分を大事にしてやることです。自分を好きになってやることです。
そういうことなんです。そういうことです。
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