“結婚=幸せ”の刷り込みは罪
絶賛どうでもいいモード発動中ですが、せっかく書いておいた記事があるので投稿しておきます先日、友人と「そんなに旦那さんのことを悪く言うぐらいなら、離婚すればいいのにね」というお話になりました。友人はそういった愚痴を聞くことが多いらしく。私もそういった話を聞くのが苦手なので、いわゆる“女子会”的なものには参加しません。本気で何とかしたいのか、ただ話を聞いてほしいだけなのか、本当は不満はないのに、周りに合わせているだけなのか…これは女性特有のコミュニケーション方法ですよね。「上辺だけで話を聞く」というのが苦手な私にとって、ちょっと難易度が高すぎるんです(笑)男性のみなさんも、そう感じる方が多いのではないでしょうか。話をしていて、「結婚すれば幸せになれる」という“刷り込み”って、やはりとても強いんだな、と感じました。本来なら、「この人と一緒にいたい」「何があっても支え合っていきたい」と感じるからこそ結婚するものなのに、“結婚すること”の方が先に立ってしまうから、「こんなはずじゃなかった」と愚痴が出る。「本当に愛する人と結婚する」それに、別に結婚しなくたって、人それぞれ様々な“愛のカタチ”があっていいはずです。でもそんなことを言っていたら、ますます婚姻率は下がり、さらに少子化になってしまいますね(笑)そもそも“結婚しなければいけない”という思い込みは、戦前・戦中の「産めよ増やせよ」からきていると私は思っています。愛しているかどうか?自分が幸せかどうか?よりも、とにかく“国のため”に子供を増やす。これは人間にとっては“不自然”なことです。“少子化問題”は、出生率が下がっていることが問題なのではなく、過去に人為的に出生率を上げたことで、バランスがおかしくなっているのが問題。今また、補助金をばら撒いたりして「産めよ増やせよ」と言っていますが、それでは解決にはならないと思います。明治維新の頃の日本の人口は、3,330万人。「産めよ増やせよ」が無ければ今頃、6,000〜8,000万人程度だったと言われています。私には、“自然な形に戻っているだけ”のように見えます。婚姻率が下がっているのは「景気のせいだ」とよく言われますが、本当は多くの人が「“結婚したら幸せになれる”が実は刷り込みだった」と気づき始めているんじゃないのかな。「そもそも“幸せ”って何なのか」ひとり一人が“本当の幸せ”を追求する方向にシフトする時期なんじゃないかな、と思いました。それではまた