先日、久しぶりにお会いしたお客さまが「実は入院していたんだよね〜」とお話して下さいました。
血管に穴があいたり、血栓が詰まったり。
そんな小さなことで、人間って死んでしまう。
人間の身体はとても繊細にできているのに、メンテナンスやアップグレードをしなくても、勝手に生命を維持してくれます。
勝手に心臓は動くし、食べたものを消化してくれる。
皮膚や組織も勝手に再生してくれる。
それは生まれる前から始まっていて、受精した瞬間から勝手に細胞分裂を繰り返し、勝手に臓器が作られ、“人間”が出来上がる。
目に見えないほど小さな受精卵が、感情を持ち、自分で考えて行動するまでに成長する。
「人体って“奇跡”でしかないんだな」と気がつきました。
よく「存在していること自体が奇跡」と言われますが、何事もなく生活していると、なかなか実感することって難しいんですよね。
お話を聞いて、自分のことを思い出しました。
10年ぐらい前に、自動車の後部座席に乗っていて事故に遭ったのですが、頭を強く打ったため、事故の前後数時間の記憶はありません。
それでも身体はしっかりと記憶していて、いまだに左側の後部座席に乗ると、身体が勝手に緊張して、ドアハンドルを掴んでいないと不安を感じます。
“トラウマ記憶”というやつですが、記憶には残っていなくても、勝手に身を守ろうとしてくれているんですね。
これも本当に凄いことです。
アダルトチルドレンのトラウマ記憶も、これと同じです。
幼い頃の「見捨てられるかもしれない」「怖い」「不安」といった体験を、頭では覚えていなくても身体が覚えている。
大人がいなければ生きていけない幼い子供にとっては、それがそのまま“生命の危機”になるからです。
それを大人になっても引きずり、特に危険でもない場面で発動するので、私は今までトラウマ記憶を“厄介なもの”としか捉えていませんでした。
でも、「“危ないから!”といつまでも守ろうとしてくれていたんだな」と思うと、健気で愛おしくさえ感じられます。
「奇跡でも起きないかなー」と、つい奇跡って“外側からもたらされる”と思いがちですが、生まれた時からずーーーっと、奇跡と一緒だったんですね。
そんな奇跡と奇跡が出会って、また様々な感情が生まれて成長していく。
“生きる”というのも、案外悪くないかもしれませんね。
それではまた