スイートコーン。
梅雨の中休み。
事務作業をしながら、今日は予定が全く入っていなかったので、スイートコーンを
この時期作っているHさんに電話をして、久しぶりに手伝いをすることにしました。
1月ほど前に訪ねた時は種蒔きを午前中しました。その時に蒔いたスイートコーン
がどれ位の大きさになっているのかも楽しみでした。
今回はコーンの根元に生えている雑草を取り除くことと、畑の周囲にぐるっとカラス
除けのテープを張り巡らすことでした。
Hさんの畑はくじゅう連山と阿蘇の山々が両方望める小高い丘の上にあって、風が
貫ける非常に気持ちの良いところにあります。
“草刈=ビーバー(草刈機)、もしくは鎌”と思っていた僕に渡されたのは鋏でした。
コーンの根元に生えている雑草の根元を、一本一本鋏で切っていくんです・・・。
見渡す限りコーンの大きな畑を見れば見るほど気の遠くなるような話ですが、ここ
にこだわりの一つがありました。
雑草の根を無理に引っ張って抜くと、すぐ隣に生えているコーンの根に影響がある
からです。
『除草剤を撒けばこんな手間も掛からないんだけどね』って言うHさんの汗が光って
輝いていました。
Hさんのスイートコーンは地元の某デパートで、その美味しさを認められ、夏ギフト
商品として大々的に取り上げられています。
帰り際にキャベツと白菜、新じゃがとキュウリ、沢山いただきました。Hさん、いつも
有難うございます。
あと、誰も気にしていないかもしれませんが、前回書いたピオーネの塩漬けですが、
アレは、、、ないです。実験は失敗に終わりました。
また別の方法を試してみようと思います。
実験。
今朝、ピオーネ農家のAさんから電話をもらいました。
『ピオーネの間引きをして落ちた実を使って何か作りたいって言ってたでしょ?
あげるから取りにおいで。』
ということで午後、それまでしていた作業を中断してAさんのところに行きました。
ただ欲しいと思っていた実をもらうだけでは悪いので、愛車に常備している長靴
と手袋を着けて鋏を持ってビニールハウスの中に入っていきました。
1時間ほどお手伝いをしながら、まだ青く渋みがあってすっぱい実を袋に詰めて
持ち帰ることにしました。
改めてその青い実をかじりながら、何に使えるか考えていました。熟せば糖が
入って甘くなる実を、その前のすっぱい状態で使うんだから、グラニュー糖を
加えてジャムとかじゃなく別の方法で、、、。
喜多屋に帰る途中で100均ストアに寄って、315円の“つけもの器”なるものを
買って、、、塩漬けにしてみることにしました。
実験です。
ワクワクです。
子供のことから実験大好きでした。
少し渋みがあったので、灰汁があるのか塩水にしばらく漬けてみました。その後
この“つけもの器”にピオーネの青い実と適量の塩、水と醤油少々を入れ冷蔵庫
に入れています。
さて、食べられるものになるか?
また結果を書き込みます・・・。
町中での存在。
喜多屋に移り住んで、ちょうど1月ほど経った頃に地元の老舗和菓子屋の社長
に長湯温泉にある老舗旅館を紹介してもらい2年数ヶ月勤めることになりました。
旅館の仕事はもちろんサービス業なので、朝早くに出勤し、夜遅くに
退社していたので、城下町に住みながらなかなか城下町との接点がありません
でした。
面白いのは、ごく一部知っている方から『昨夜も貴方のことが話題になりました』
とか、『喜多屋に若いヤツが帰ってきたらしい』みたいな話をメールでもらったり、
聞いたりする機会がありました。
でも、仕事が休みの日にちょっとした買い物や、町を歩くことがあっても話しかけ
られることも一切ありません。それが2年数ヶ月当たり前でした。
それでも竹田市の人たちが素晴らしいのは、小さな小学生や高校生でも、大人
も多くの人が、見知らぬ人であろうが『こんにちは!』と挨拶してくれます。
沖縄の離島を出て、喜多屋に着いた初日に家の前に当時の愛車を停め、荷物
を降ろしていると、『こんにちは!』と大きな声で目の前を通る高校生に挨拶され、
戸惑いながら『こんにちは・・・』と小さな声で返していた自分がちょっと恥ずかしく
思えるほどでした。
当然生まれ育った東京では消えてしまった習慣だろうし(下町には残っているの
かもしれないけれど)、沖縄の離島はもっと人懐っこくて挨拶というより、いきなり
『あい、何処に行くわけ?』とか話しかけられる方が多かったんです。
この礼儀正しく大きな声で知らない人でも挨拶することが町の習慣となっている
のは本当に素晴らしいと思ったし、これが当たり前となっていればアチコチの町
で起きてしまっている事件や事故はもっと減らせるんじゃないかと思いますが。
・・・少し話しが脱線しましたが、町で広がっていく『喜多屋の若いヤツ』と僕自身
の顔が一致していなかったんです。実際に歩いている僕は、町中の人には観光
している人と同じだったでしょう。長湯温泉での方がまだ顔が知られていました。
旅館を退職して喜多屋に拠点を移してからは、少しずつ町中の事業にも参加が
できるようになったし、周辺の農家さんにも繋がりができてきているので、だいぶ
手を上げて動き回ることが普通になりつつあります。
これから僕の喜多屋を通じての活動の中で、少しずつでも町に溶け込みながら、
竹田市の喜多屋を知ってもらえたら嬉しいです。
まあ、ほどほどに、、、。


