記憶の中の城下町。
僕の知る喜多屋のある竹田の城下町は、20年近く前の記憶の中にありました。
僕が中校生くらいまでは、毎年夏休みに家族みんなで帰省していました。
生粋の江戸っ子とは違って、夏休みに田舎に帰るという一大イベントを持っている
自分たちを誇らしく思っていました。
昔の家は夏をいかに快適に過ごすための造りとはいえ、都会のエアコンの利いた
部屋に比べたら、竹田は盆地なので夏は非常に暑く、当時の写真を見ると服という
ものはあまり着ていない状態がほとんどです。
それでも庭には都会では見ることのできないカラフルな昆虫がいたり、近くを流れる
川の水はきれいで冷たくて、鮠みたいな小魚が泳ぎ回るのが見えて、もやしっ子の
経験値ではとうてい捕まえられるはずもないのに追い駆けまわしていました。
それから、曾御祖母ちゃんが田町通りに面した窓からタバコを売っていました。
東京では、その頃はまだ喫煙家だった父親のタバコを自販機に買いに行っていました
から、目の前の道を行き交う人たちに声を掛けてタバコを売るという手伝いをするのも
楽しみだったりしました。
憧れの田舎生活。
高校生、大学生と大人に向かうにつれ、その気持ちもだんだん薄れていきました。
・・・薄れていくというよりは、仕舞いこんでいたのかもしれません。
移住。
喜多屋のある大分県竹田市に移住したのは2年半前くらいになります。
もともとは東京の生まれ育ちで、ここには祖父母が住んでいました。
田舎が好きな僕は子どものころからマイペースで、都会の中にある僅かな
自然の中でよく遊んでいました。
ここに移り住む前は、友人と訪れた沖縄の文化と自然の美しさに魅せられ、
そのまた離島に4年ほど住んでいました。
沖縄離島生活の話は始めたら限がないので、別の機会に書き込むことに
しましょう。
毎年夏休みに帰省で、喜多屋に来るのを楽しみにしていた子どもの頃。。。
僕の体の中を流れる半分の血が、自然にここに導いたのかもしれません。
とにかく、僕は喜多屋を継承するために、ここ竹田に戻ってきました。


