故郷の好きな町。
僕は生まれ育ちが東京です。
東京には実家から自転車で15分くらいのところに大好きな町があります。
都内でも有名なその町は、新宿や渋谷などと比べても規模は小さく、庶民的な町です。
学生が中心の町で、小さな劇場なんかもあり、他の町にない独特な雰囲気があります。
学生の頃からよく通っていました。一人でぶらっと行くのも大好きなところでした。
その頃から感じてはいましたが、ショップの入れ替わりの激しい町でした。
新しいショップができては消え、お気に入りのショップができても、次訪れた時には既に
なくなっていて別のものに変わっていたり。
今思えばテナントとして入ったショップが流行によって生まれ、それが去ると同時に消えて
いったんだと思います。
それを当たり前に見てきた僕にとって、ショップはいかに時代の波を捉え、またその変化に
合わせ波に乗り続けるか、、、みたいなことを勝手に思っていました。
あらゆるものが溢れ、当たり前のように手に入る、その中で自店の存続のためにアンテナ
を張って流行をキャッチし儲け続けるか、、、本当はそうでないのかもしれませんが、当時
の僕にはショップ経営とはそういうものであるように解釈していました。
僕は社会人一年目から『いつか自分で何かショップを持ってみたい!』そう思っていました
から、少なからず心のどこかで『この町ならこんなショップがいいな』とか、『僕ならこんな
店作りにしたい』とか、町を歩いていても、どこかに旅に出た先でも意識は持っていました。
僕が東京から直接、喜多屋のある竹田に移り住み開業することになったら、今考えるもの
と全く違ったことをしていたでしょう。
成功してるか、失敗しているかは別にして。
4年間の沖縄の離島生活を経て竹田に来て、長湯温泉にある老舗旅館に勤めることで、
その意識が大きく変わります。
“地域”と言うものを考えるようになります。
移住した頃。
そんな喜多屋のある竹田市の城下町に移り住んだのが2年半前。
僕の記憶の中にある城下町、、、実際はだいぶ変わってしまっていました。
町の中を歩くと、今地方の町の昔ながらの商店街が抱える問題は全国的なもので
あるとは思いますが、ここも同じでした。
喜多屋自体も30年ほど前に叔父さんが喫茶店を閉じてからは営みを止めてしまい、
僕が見たその場所は一面に埃をかぶった、まさに夢のあとでした。
もともと喜多屋の復活が目的の一つで、自らのルーツのある竹田に帰ってきました。
だから移り住むのを決めた時から、喜多屋の歴史にもう一度火を灯すことが課題と
なり楽しみとなりました。
しかし、2年半前に城下町を歩いた時、喜多屋をこの町で復活させるというだけの
簡単な問題ではないことに気づき始めていました。
ただ、気づいただけでしたが、、、。
この後、町の老舗和菓子屋社長の紹介で、城下町から車で20分程度のところにある
長湯温泉のこれまた老舗旅館に2年と数ヶ月勤めることになります。
喜多屋のあるところ。
憧れていた田舎生活。
とは言っても喜多屋のある城下町は、江戸時代には豊後岡藩中川氏の城下町として
栄えた町です。
いわゆる『自休自足』や『田舎暮らしの本』に出てくるような、田園風景の中での生活
ではありません。
自分自身の素質としても、自給自足に向いているかと言えばそんなことはありません。
ただ、最近訳あって、農家さんの作業をお手伝いさせていただいています。(←これに
ついてもいずれある程度形になった時に、この場でお話しようと思います。)その中で、
もちろん農家さんの大変さを体感しながらも、ひっそりと面白みを感じていたりします。
だから東京に生まれ育った僕にとっては、このくらいの田舎がちょうど良いのかもしれ
ません。城下町のトンネルをくぐれば広がる自然や田園風景。
今ある竹田市は3年前に、それまでの竹田市と直入郡(直入町・久住町・荻町)が合併
しました。僕が喜多屋に住み始めたのは2年半前なので、すでに竹田市は今の新しい
竹田市でした。
新しい竹田市にはたくさんの魅力が詰まっていました。
城下町にはその歴史から生まれた文化あります。そして周辺に日本百選に選ばれる
湧水、世界でも屈指の良質な温泉や、世界遺産にもなり得る大草原があります。
喜多屋は、こんな恵まれた大自然の中にある城下町の、そのまた中にあります。


