人はいつか死ぬ、でもそのいつかは分からない。
それに原因も分からない。
寿命を全うして死ぬのか、病気を患って死ぬのか、事故か事件か災害かで死ぬのか・・・
誰かの手によって故意に死に至らしめられるのか、必然的な運命に従ってやむを得ない死を受け入れることになるのか・・・それは誰にも分からない。
分からないから、ある日の突然大切な人の死についての在り方を見直す隙は存在しえない。
明日、貴方の家族の誰かが死ぬ可能性は0じゃない、あるかもしれないで生きろ!
明日、私の家族の誰かが死ぬ可能性も0じゃない、だから私は常に死を意識しながら生きている。
死後平静を保っていられるように。
「ほら、思った通りだ!」
そう楽観、或いは達観できれば・・・きっと死による絶望も乗り越えられるだろう。
そう信じている。
そして、他人に対しても私はそれを求めている。
「あり得ない、なんてことはあり得ない」
明日貴方の知る誰かが自殺する可能性、或いは犯罪を犯す可能性は0でない。
そこに意識を向けろ、私はそう言いたい。
人は欲に関しては酷く貪欲だ、それは他者を蹴落としても得ようとする事象の他ならない。
それが貴方の知っている誰かの可能性は0ではないことを理解して生きてほしいと私は勝手に思っているのだ。
何故かって?
理不尽な運命を平静を装って、楽観し、或いは達観して傍観できると信じているから。
「あぁこの人そういうタイプの人だったのね~」で終わらせることができる。
世間はそうでなくても身内、或いは知り合いならその程度の解釈で飲み込めるはず!
あらゆる事象に対して最悪の結末を前提条件として受け入れる生き方は私の理想だ。