肉体的に痛めつけられたい苦しめられたいという願望と精神的に痛めつけられたい苦しめられたいという願望。
2つの要素が合わさった究極の被虐願望に限って・・・という話ですが、「自殺願望」と「殺人願望」に繋がることなのかもしれないなってふと思ったので綴る。
はじめに「自殺願望」において前提条件を足していきます。
まず、死とは手段でも目的でもない、達成後の事象として捉えます。
では目的は何かというと、実際に息絶えるその瞬間までの間を経験してその後死に至る過程のことを指します。
具体的にどういうことかというと・・・
入水自殺を例に挙げるとする。その場合睡眠薬を飲んだり酒を飲んで錯乱状態にしたりすることなく正常心のまま行うということを言いたい。
それだと達成困難になるのでは?と思うかもしれない。
だが、それを断ち切る要素なんていくらでもあるだろう・・・
深い水の中なら身体か足か浮き上がらない重りをつければいい、水底に足枷でもあれば万々歳ではなかろうか?
そしてそこには被虐願望として得るものがある。
絶対に逃れられない中の死ぬまで続く苦しみ・・・
それこそが肉体的苦しみとして最高位に君臨するのではないか、そう思うのです。
次に「殺人願望」。
こちらも色々前提条件を足していきます。
まずこれは「自殺願望」と似ていますが、コチラの場合殺人は過程に過ぎずその結果の先全てが目的となります。
どういうことかというと、事後として犯罪者となるわけですがその後の人生そのものを目的とするということです。
それは、自分以外に味方は一切おらず生涯かけて責め続けられるそんな存在になるからです。
当事者はもちろん、それを知るものもまた自分に対して矛先を向けることになるでしょう。
自分はどんなことをしても名誉回復はできないだろうし、復帰・復活はありない。
犯したが最後、一生這い上がれない底なし沼にひたすら沈み続ける人生を歩む。
それこそが精神的苦痛における最上位だと私は考えています。