前回と被るんですがまぁ他にも言いたいことある、ということで。

 

何なんでしょうね、この感情。

よく聞くのが過去の体験に準えて錯覚よろしく慣れさせられた結果歪んだ癖というのがありますが、私の場合それには当てはまりません。

 

暴力を受けた経験ってないんですよね~

自ら渦中に飛び込むなんて馬鹿げた行動を取ったことを除いては・・・

 

それにそれは大分こじれた後の話なので尚更関係ないっていうww

 

 

ただしいて言うなら、いじめられっ子体質だったっていうのはそうなのかもしれない。

要するに、コミュニティの輪の中に入るのが苦手でずっと1人。

複数で楽しそうにしているのをしり目に孤立を極める。

極めたい意思があったかどうかはさておき、そんな学生生活を送っていました。

あぁ、幼稚園の頃から虐められてたので十何年という歴になりますでしょうか?

そういう話はどうでもいい?

 

まぁどうでもいいです。

っていうのも正直気にしていなかったのが事実。

私自身精神的ないじめ、或いは陰湿ないじめはあまり好きではありませんでしたが気に病むほどのダメージは皆無でした。

あ、なんか嫌だなって思う程度。その程度なら人間子供頃とはいえ味わうことがあることでしょう、その程度の感情しかありませんでした。

その異常性は他の部分にも如実に表れています。

 

例えばニュースとかでいじめが取り扱われるのを見ると、大けがをしてどうの死亡してどうの、自殺してどうのといったものが取り沙汰されていて・・・私がもしその渦中にいたらどう思っていたのか?ついつい考えてしまいます。

 

私は本当にそんな非人道的な運命を望んでいたのか、それとも至極まっとうな人としての反応の下その運命に身を委ねたのか?

当事者、被害者、加害者には本当に申し訳ないですが、そんな気持ちが身体中を駆け巡ってきます。

 

許されない思想、行為というのは頭で理解しても、中々ね?という・・・

そんなことを思いなさんな、考えなさんななんてことが四方八方から聞こえますがそれでも私は声を大にして言いたい、不幸のないものねだりは残酷味あるが、そういう思想を持つ人はいると。

世界は広い、そんなの存在する訳がない・・・訳がないんです!!

 

 

SMはOK、イジメはOK!の謎理論提唱したいくらいには飢えてます。

とはいえ、イジメは被害者の9.9割は望んでいないはずなので何も言いません!!

しかしながらその過激さに憧れを抱くドMも少なからずいるというのは理解してくれたらありがたいと思っています。

それと同時、若気の至りだからこそ理解がないからこそ歯止めが効かないからこその加虐心をくすぐる幼少期の加害者側の心理もまた理解してほしいと思ったり?

 

 

そんなことを考えるからいじめは無くならないだの、頭のおかしい人が存在するだの出てくるんだっていうことにも繋がる件なのでこれ以上は何も言いませんが・・・

 

 

 

頭のおかしい人代表として言わせてください。

これはどうしようもないです、多分生まれつきイカレてるんです。

両親や家族などの家庭環境によって変化する場合もあるでしょうが、そうでない場合、可能性もあるということを理解してください。

 

それを受け入れろとは言いません。

そんなことしたら無法地帯になって誰も幸せになりませんからね・・・

そんなことは言いませんが・・・

 

そういう人間が確かに存在すると、理解していただけたら嬉しいです。

 

 

でもこういう意見を言うときに限って一般傍観者はこういうんでしょうね。

こんな糞野郎こそ死ぬべきだって。

さて、そんなバックボーンを抱えた通行人一般男性Aが君の目の前で自殺しようとしています、止めますか?止めませんか?

止めますよね?だってバックボーン知らないんだもん。

 

つまりはそういうこと。

何も知らない前提で受け止めてください、偽善者を演じたければ好き放題言っても構いませんがそれが嫌ならそっとしておいてください。

 

 

脱線が過ぎましたね~

ってことで、イジメられたい人間の戯言でした^^

一番王道と言えば王道な異常性癖。

SMプレイの王道とも考えられる、所謂人間サンドバッグという奴です。

 

被虐側は完全に拘束され、加虐者の思うがままボコボコに嬲ることができるそういうプレイというのを想像している方が9割いるかと思います。

 

 

しかし、私の想う。

私の願望、妄想に浮かぶその異常性癖はそうではありません。

いうなれば、実現不可能なプレイという奴になります。

どういうことかと言うと、そういうプレイとかではなく格闘家などその手の者に精通するものからの執拗な打撃を喰らいたいというものです。

 

こう言うと、こんな反論が返ってくることでしょう。

そんなの、ボクシングジムとかに通えばいつでも体験できるじゃないかと。

そうではないのです、私は決して殴りたいわけじゃない。

殴りたいわけじゃないし、必要最低限の護身術欲しさに体術を学ぼうという気もございません。

というより、これはいつかまた別の機会に話そうと思っているのですが・・・

思わぬ出会いで異常な加虐癖に目覚めないか怖くて手が出せないでいるというのが本音だったりします。

要するに精神のコントロールができるかどうか、です。

よくボクサーが試合中アドレナリンが分泌されまくって興奮状態で闘争本能の赴くまま試合を嗜むと聞きます。が、その一方で確かな理性の下精神を安定させている。

正直不思議でなりません。

まぁそんな話はまた別の機会にでもぶん投げといて・・・

 

 

とりあえず私が言いたいのは、ボクサーをはじめとする格闘家が練習で使用するサンドバッグ打ちやミット打ちでいう、打撃を喰らいたいということなのです。

 

しかし、それらはプロ級に鍛え上げた肉体を以てしても当たり所が悪ければ死ぬし、激しい打撃の連打を何百発も受け続ける猛者はそうそういないでしょう。

何より、殺意増し増しの意思で打撃を叩きこむなど普通は考えられません。

まぁそれくらいの勢いという比喩ならあり得るかもしれませんが・・・

 

私はそういう意味でサンドバッグになりたいという願望、妄想の性癖を持ち合わせているのです。

だから、射精という話になってきますがそれはもっぱらサンドバッグ打ちです。

この手のものは大抵腹責めとかgutpunch系でやるかと思いますが、勿論私もその手のものでもやったりしますが・・・

かなり過激なものでないと中々というのが正直なところ。

 

 

何が言いたいのか、これもまた別の機会にお話ししたいと思うのですが・・・

私の異常過ぎる異常性癖の根幹にあるのは『人間に気にしてもらえない無機物になりたい』ということに通じるこということ。

サンドバッグというプレイではなく、サンドバッグそのものになってムエタイや空手などと言った猛者の格闘家の練習の道具で殺意あるミット打ちサンドバッグ打ちを体感したいということにあるのです。

 

なので、もう1つ異常性癖の根幹を語るなら、『不死身の身体を得てあらゆる死を延々と体験したい』というのがあります。

とはいえ、なんでもかんでも良いというわけでもないのですが・・・

 

 

ともあれ、今回はここまで。

今日風呂に入ってるときにふと考えたことなんですが・・・

 

明日自殺すると仮定した時の今日は最強ですよね?という話をしてみたい。

どういうことかというと、明日死ぬつもりなら今日病気になろうが事故に巻き込まれようが事件に巻き込まれようが関係ない!と大手を振って歩けるよね?ッということ。

 

そりゃ、自殺願望者にも好みはあるだろうから・・・

轢かれたいという酔狂な人は少ないだろうし、意味不明に病気で死にたい変人も正直いるか不明レベル、殺傷事件に巻き込まれて死ぬなんて以ての外っていうのが自殺願望者のポリシーにあったりするだろうから勝手なことは言えないけれど・・・

 

 

要するに私が言いたいことは、明日死刑宣告を受けた人の今日はいつも以上に気楽に生きられるのではないかということ。

 

最初に言っているのとあまり変わらない?

まぁ理解していただければそれで結構ですww

 

明日にこだわらなくてもいい、今後自殺する予定があると仮定した時のそれまでの期間はある意味最強を演じられるのではないか?という話にもなってくる!

生きる希望を見出そう!っていう話じゃないですが、要するにふと思ったんです。

 

確実に死ぬのならその間はなんでもしちゃえってなれそうだなってww

え?それって普通に寿命謳歌する場合でも使える理論?

そうなんだよね、これそこに抜け穴あるの。

 

だから補足。

本当に最強なのは意図的に自ら死を選ぼうとする意志が確実にあり、それが明日以降に実行される可能性を考えている人なんじゃないかっていう・・・

結構限定されるけど、まぁそういうことをね今日ふと思ったのです。

 

以上!

今日は性癖について語ります。

とはいえ、この一回で全てを語れるわけではありませんのでそこはご了承くださいw

 

というのも、プロフィールにある通り異常中の異常を抱えているため一言で説明するのはとてもじゃないですが不可能だからです。

 

それでも一言でまとめて言うのであれば、『究極のマゾ』を求めている人間ということになるのでしょうか?

マゾヒズムにおける持論として『究極のそれは自殺』を例に以前挙げましたが、それに匹敵するものだと考えていただいて構いません。

しかしそれは単なる自殺願望というのも違ってきます。

あくまで比喩的な意味合いの方が強いです、自ら死を求める行為という点でその言葉が当てはまったというだけなのです。

 

 

とはいえ自殺という行為に興味がないわけでもないというのが私の性癖・フェチと言った部分を難問化させている要因だと考えられるでしょう。

その場合でもやはり普通の自殺とは違った切り込み方をします。

 

単純に死にたいわけじゃない、具体的に言い表すのなら『自分自身望む苦しみの中で絶対に救われない環境の下死ぬ』ということになります。

しかし、それを行動に移すには現実的ではないと考えざるを得ないハードルが存在します。

まず前提として、いくら苦しんでも最終的には死を得ることができるということ。

そして、長い苦しみの中で助け出される可能性が0%であるということ。

 

一般的暮らしを送る中でこの2つは非常にハードルが高いです。

一人暮らしをしている人なら楽にこなせるミッション?

そうかもしれませんね。しかし私の場合はそれでも難しい環境と言えるので、やはり行動不可能なものだと考えています。

 

またそう考える理由の1つに、手段そのものというのも深くかかわってきます。

つまり、どういう方法を選ぶのか?

それもまたこの実行を困難化させます。

 

あたかもそれこそが私の生との結びつかせようとしている唯一の要素だと言っているかのようですが、それだけではないのでそこはご安心ください。

死ぬのは難しいから死ぬのを止めようだけで生きているわけではないので・・・

 

 

さて自殺と聞いて真っ先に例に挙げられるものといえば、首吊りや練炭といったものでしょうか?

しかし私の場合、そもそも赴きが異なるので凍死・溺死・投身と言ったものが真っ先に挙がりました。

自殺願望者が普通は選ばない方法です。

凍死と溺死の場合は場所と時間を有し、完遂保証の環境下を準備することがそもそも困難だと考えられます。

投身にしても、完遂保証の高さの定義が曖昧でこれもまた行動を難化させます。

 

 

そういう意味で自殺願望者とは違うナニカなのかなと思っているのです。

 

 

まさに究極の被虐と言えるでしょう。

凍死にしろ溺死にしろ投身にしろ、後戻りができない且つ逃げ出せない環境下でそれを実施したいという願望が候補となるわけです。

 

とはいえ私のマゾヒズムはこれだけではございません。

自身を傷つける術は他にもあります。

今回挙げた『自殺』というのは、あくまで死を着地地点とした場合の候補に過ぎません。

 

明日も引き続き、マゾヒズムについて語っていこうと思います。

前回の『性悪説』にも通じる話になるんですが、私は人間は欲深い生き物だと考えています。

己の欲求に愚直な生き物だと・・・

 

思いやり、相思相愛、以心伝心、と言ったもの全ては各々のエゴの末うまくかみ合っただけの産物だと・・・

 

自分にとっても思いやりは大多数より賛同を得るもの、その結果美化される事象として昇華される。

自分が相手を好きになり相手が自分を好きになる、それだけの関係が相思相愛の実態だと考えています。

 

以心伝心は微妙に今回のテーマとズレますが、いずれにせよ自身の想いがどう他と絡むかによって見え方が変わるものだというのは変わりないと思っています。

だから何だという話ですね・・・

自分の思い描いたモノだから何なんだと・・・

 

 

私が言いたいのは、それは色々な分野に派生していくものでもあるということ。

他者を陥れたり、虐げることもまた一つの欲求に過ぎない代物だということを言いたい。

 

 

人間は考える脳を持っています。それは地球上或いはこの世の中で最も優れているモノかどうか・・・までは分かりかねますが、それでもある程度考える脳はあると言えるでしょう。

その脳で考えた結論に、『これを経て得するものはあるのか否?』というのがあると考えています。

つまり、選択肢です。

「私は破壊したいかもしれない、がそれで得られるものは私にとっての利益をもたらすのか?」

 

それは無意識の中で処理される事象だと考えています。

その結果、大抵は選ばない。

そしてそれは選ばない理由として、道徳的によくない・法的にout、倫理に背く等々の言葉を並べた結果だと普通は想うことでしょう。

端的に言えばそれは良くないことなんだと・・・

 

しかし本当にそうなのでしょうか?

もっともらしい理由を並べただけで、実際は違うのではないでしょうか?

どこかにその感情があるはず、私はそう信じています。

 

 

暴力はいけません。

虐めはいけません。

 

一般的な家庭、もしくは一般的な学校等の教育の場で子供たちが学ぶ事柄の1つとして挙げられるもので、寧ろ子供たちだからこそ徹底している部分でもある事象。

 

その一方で、人間という動物の本能的部分に関わることだと私は考えています。

そうは教えられても、倫理的道徳的社会的にそれを一般化されても尚・・・

 

人に対して暴力で訴えようとしてくる人はいます。

それはよく、その人のこれまでの家庭環境育ってきた環境に起因しているものがあると言われていますがそれだけとは私は思いません。

 

 

結論から申し上げますと、私は『性悪説』を唱える人間です。

とはいえ、生まれながらにして悪だ!なんて言いたいわけではありません。

私が言いたいのは、人は誰しも破壊衝動にも似た感情を持ち合わせているということです。

 

それを社会や道徳、倫理、マナーと言った壁で閉ざし知らず知らずのうちに眠らせているという考え方です。

その結果、内に秘めた思いに気づくことなく成長し一生を終える人もいると・・・

 

 

なので、私は常にこう考えています。

「皆人のことを殴ってみたいって思っているんじゃないかな?」と。

でも、法律で禁止されてるし、マナーとしてよくないし、人としての道理でよくないから止めようといった要素が無意識レベルで心に壁を作り相まみえることなく生活しているのではないか?

 

その一方で、イジメに明け暮れる子供たちは純粋無垢だと考えています。

そこに一種の喜びを見出していることが何よりも証拠。

でも、一般的にその向こう側には何一つ良いことはありません。己の快感のみ得られる代物、それに気づいたとき成長したと考えているわけです。

 

その考えでいくと、大人になっても尚暴力に訴える人というのは成長しない幼稚な子どもと言えるのか?

私は半分そう、と答えます。

では、もう半分とは何か?成長して1つの在り方を見つけた末路と答えます。

結果として、暴力に溺れその未来をやむを得ず望んだことだと・・・

例えばDVという言葉がありますが、それを行う人は「本当はしたくない」と言うことがあるそうです。または、「一時の感情のゆるみで爆発し後悔している」なんてことも・・・

その場合、当人が望んでいるようには思えないと考えるかもしれません。

 

しかし、その行いを繰り返し行ってしまう側面があるからこそ『当人が無意識レベルで欲しているナニカ』なのかもしれないと考えています。

 

 

 

逆もしかり、殴られたいと考えている人。

これは『性悪説』相反しそうな嗜好だと思うかもしれませんが、人の悪意に触れてみたいという願望の表れ・・・

敵意を引き出そうとする表れと取れます。

トンチではありませんが、それこそ悪意の所業ではないでしょうか?

暴力を振るって見たいという好奇心を引き出そうとする、その感情が存在する人間こそ『殴られたいと考えている人』だと言えるのではないでしょうか?

 

 

では、そもそも人何故暴力を振るおうとするのか?振るいたいと思ってしまうのか?

それは純粋な興味そのモノだと考えています。

殴ってみたい、蹴ってみたい、壊してみたい・・・といった欲求こそが加虐癖の根幹であり、『性悪説』を唱える素といえる部分だと思っています。

 

 

ってところで今回は終わりたいと思います。

次はその『欲求』について語っていこうかな~

早速重たいテーマでお送りします。

『死』

生きている限り、必ず付きまとう事象。

生あるモノは必ず死も迎えます。

 

そんな『死』ですが、皆さんは意識したことはありますか?

私は毎日あります。

 

今日死ぬかもしれない、明日死ぬかもしれない。

そんな思いを抱きながら日々生きています。

と言っても、決して死に対して強迫観念じみたナニカを抱えているわけではございません。

 

ただ、死は皆に平等でいつどこでも誰と一緒にいても迎えてしまうものは迎えてしまう不条理な運命ですら受け入れるしかない強力な事象です。

不条理な運命。

 

例えば、自然災害による事故

例えば、人工的被害における事故

例えば、交通事故

例えば、殺人事件

例えば、病気

例えば、未知の死

 

未知の死だけよく分からない?

霊とか超常現象、人間の理解に及ばない何らかの力で死を迎える可能性は私は0だと仮定しない主義なので敢えて候補に入れているだけで他意はございません。

 

 

さて、ここで驚愕の事実を発表いたします。

先に挙げた不条理な死とも取れる例のほとんどは私の欲求に通じるものがあります。

言い換えるなら自殺願望ということになるでしょうか?

先ほどの例をそれになぞらえてみると・・・

 

自然災害における事故で死にたい。

人工的被害における事故で死にたい。

交通事故で死にたい。

殺人事件に巻き込まれたい。

未知の死を体験したい。

 

省いたいくつかは、私の望まない死ということになります。

とはいえ、挙げた5つについても言いたいことはいくつかあります。

が、それについてはまた今度の機会にでもお話したいと思います。

 

 

さて、そんな『死』ですが先ほどから申し上げているようにどんな人にもぴったりとくっついてくる事象であります。

政治家であろうが、著名人であろうが、芸能人であろうが、なんであろうが関係ない。死ぬときは死にます。

それは、交通事故かもしれない、何らかの事件や事故に巻き込まれてかもしれない、病気かもしれない。それは分からない、分からないが必ずいつかは死ぬ。

一般的な幸せな死を定義するなら、それは寿命を全うした死。

いずれにしても死は不可避である。

 

しかし、人々は日々の忙しさにかまけて死というものについてあまり考えない。

だから唐突な死というものに必要以上に衝撃を受ける、そう私は考えています。

明日、親が死ぬかもしれないと考えながら生きるのと、何も考えずに生きるの。

実際、翌日親が死んだ時のショックの度合いにどれだけ違いがあるのか、それは手元にデータがありませんので正確なことは分かりませんが過程が違うので結果も恐らく違うのではないでしょうか?

だから何だという話ですが、そうです特に何もございません。

勿論軽薄な人間でいろと言いたいわけでも、当然ございません。

私が言いたいのは、死は常に隣り合わせにいることを意識することの大切さを説いてみたいのです。

 

例えば車を日常的に運転する人は細心の注意を払って日々運転をしているかもしれませんが、こう考えたことはありませんか?

第三者が意図的に交通事故を起こして巻き込まれ自分が死ぬ確率はどれくらいか?

 

まぁ普通は考えないでしょうが、私は考えます。

まぁ私の場合運転免許は持っていないので家族に乗せてもらっている中で考えているだけですが・・・

 

私はそんな思考に囚われています、今のところその思考で得することは無いという判断が勝っています。勝っていますが、だからと言って止める理由にはなりません。

 

そんな思考に陥ってからというもの、抜け出すことができない迷宮に取り残されているのです。

 

事故をニュースで見ると、私がそこにいたら死ねたのかな?と考えたりします。

事件をニュースで見ると、加害者の思考が気になって仕方ありません。

それは逆を言えば殺される動機探しになります。

こういう動機で殺す人がいるのなら、そんな人と私が出会えたらばもしかしたら・・・という思考です。

また、未知の死についてもアレコレ考えます。

 

 

 

『死』を意識して生きる、その極地は『どんな死に方を私は望むか』それを日々押し問答する人生・・・なのかもしれない。

 

ってところで締めたいと思います。

今回はあくまで自己紹介の延長でございます。

私の思考の一部、嗜好の一部をご紹介しただけでございます。

 

それでは、また。

初めまして、『究極のサドは殺人、究極のマゾは自殺』を持論としている狂人・pull(プル)です。

初っ端からぶっ飛ばしておりますが、まぁ要するにこれから本ブログでどんな事が綴られていくのかなという丁度いい目安となっていただければ幸いです。

 

とはいえ、あまりに過激すぎる発言はブログ終了のお知らせになりかねないので自重は致しますがまぁこんな感じでやっていこうかなと思います。

 

 

さて、ブログタイトルにある『異常性癖』についてお話ししたいと思います。

自分は生粋のマゾです、ドマゾの男性と認識していただいて構いません。

それなら最初に述べた持論と照らし合わせるとどうなのか?っていうところになってくるかと思いますが・・・それはまた別の機会にでもお話したいと思います。

 

今回は、私がどういうタイプのマゾでどういう異常性癖を抱えて生活しているか・・・その概略について軽く説明したいと思います。

 

さっそく倫理観道徳的思考ぶっ壊して申し訳ないのですが、決して暴力を推奨しているわけではないのですが・・・

所謂肉体的被虐願望を持っている、極々ノーマルなマゾヒズムというものがございます。

私の場合もそのような癖で所謂暴力を振るわれたいと言った願望を持っています。

 

しかし、肉体を傷つける行為はあまり喜ばしいことではない為中々性癖の解消という機会に恵まれることがありません。

それが募りに募ってドマゾの極地に行こうとしている、そんな状態にあります。

 

所謂精神的疾患というやつでしょうか?

私生活を送る上でそれなりに支障があるので病院に通ってたりしているわけですが、これがなかなか厄介。

ただのマゾ男ならこうも悩まずに済んだのかもしれない。

 

アレコレ考えて思考を巡らせ、性的嗜好を拗らせるあまりとんでもないところまでやってきているようなそんな感覚に陥っています。

ポジティブな思考なら問題はあまりないのかもしれないが、ネガティブな思考ならドツボにハマると魔の手に引きずり込まれてしまいます。

 

そんな、狂いに狂った人生録をちびちび綴っていこうかと思います。

どうぞよろしくお願いいたします^^