暴力はいけません。
虐めはいけません。
一般的な家庭、もしくは一般的な学校等の教育の場で子供たちが学ぶ事柄の1つとして挙げられるもので、寧ろ子供たちだからこそ徹底している部分でもある事象。
その一方で、人間という動物の本能的部分に関わることだと私は考えています。
そうは教えられても、倫理的道徳的社会的にそれを一般化されても尚・・・
人に対して暴力で訴えようとしてくる人はいます。
それはよく、その人のこれまでの家庭環境育ってきた環境に起因しているものがあると言われていますがそれだけとは私は思いません。
結論から申し上げますと、私は『性悪説』を唱える人間です。
とはいえ、生まれながらにして悪だ!なんて言いたいわけではありません。
私が言いたいのは、人は誰しも破壊衝動にも似た感情を持ち合わせているということです。
それを社会や道徳、倫理、マナーと言った壁で閉ざし知らず知らずのうちに眠らせているという考え方です。
その結果、内に秘めた思いに気づくことなく成長し一生を終える人もいると・・・
なので、私は常にこう考えています。
「皆人のことを殴ってみたいって思っているんじゃないかな?」と。
でも、法律で禁止されてるし、マナーとしてよくないし、人としての道理でよくないから止めようといった要素が無意識レベルで心に壁を作り相まみえることなく生活しているのではないか?
その一方で、イジメに明け暮れる子供たちは純粋無垢だと考えています。
そこに一種の喜びを見出していることが何よりも証拠。
でも、一般的にその向こう側には何一つ良いことはありません。己の快感のみ得られる代物、それに気づいたとき成長したと考えているわけです。
その考えでいくと、大人になっても尚暴力に訴える人というのは成長しない幼稚な子どもと言えるのか?
私は半分そう、と答えます。
では、もう半分とは何か?成長して1つの在り方を見つけた末路と答えます。
結果として、暴力に溺れその未来をやむを得ず望んだことだと・・・
例えばDVという言葉がありますが、それを行う人は「本当はしたくない」と言うことがあるそうです。または、「一時の感情のゆるみで爆発し後悔している」なんてことも・・・
その場合、当人が望んでいるようには思えないと考えるかもしれません。
しかし、その行いを繰り返し行ってしまう側面があるからこそ『当人が無意識レベルで欲しているナニカ』なのかもしれないと考えています。
逆もしかり、殴られたいと考えている人。
これは『性悪説』相反しそうな嗜好だと思うかもしれませんが、人の悪意に触れてみたいという願望の表れ・・・
敵意を引き出そうとする表れと取れます。
トンチではありませんが、それこそ悪意の所業ではないでしょうか?
暴力を振るって見たいという好奇心を引き出そうとする、その感情が存在する人間こそ『殴られたいと考えている人』だと言えるのではないでしょうか?
では、そもそも人何故暴力を振るおうとするのか?振るいたいと思ってしまうのか?
それは純粋な興味そのモノだと考えています。
殴ってみたい、蹴ってみたい、壊してみたい・・・といった欲求こそが加虐癖の根幹であり、『性悪説』を唱える素といえる部分だと思っています。
ってところで今回は終わりたいと思います。
次はその『欲求』について語っていこうかな~