「人間とは己の欲求に愚直な生き物」と持論している私の最大の疑問がタイトルにある、『興味から行動までの距離』

 

人はあることに興味を持つと直ちに空想し、妄想の下シミュレートして、欲望を理解し、その思いに応える意志を蓄え、決断し、実行するという流れを長い歴史の中ずっと繰り返してきている・・・そう考えています。

 

それが、良いことであれ悪いことであれ。

たどる道は大小規模は違えどこの流れを歩むのではないか?と。

 

 

さて。

例えば、ここに悪意に対して興味を持つ人間がいるとします。

その人間は妄想でシミュレートし、欲望を認識、手を伸ばそうと努力しようと意志を固めました。

その先のもう一歩は確かに決断というプロセスですがそれは実行とほぼ同時期に発生するようなものだと認識しています。

つまり、何かがきっかけで背中を押されるようなことがあればその途端、決断し直ちに実行するのではないか?

私はそう考えます。

 

ではきっかけとは何か?

それは正確には分からないですが、刺激になるものであればなんであれ何かしらかの効果発揮しそうです。

 

 

 

さて、ここで問題が生じます。

刺激を受けた途端行動にプロセスが動きますが、刺激を受けなければ何も生まれません。

意志を固めた単なる妄想野郎の戯言に過ぎないのです。

実行を仄めかすような雰囲気を節々に感じるだけの頭お花畑野郎。

 

 

 

第三者視点でどう捉えることができるでしょうか?

そこまで露骨に思いを寄せていれば実害はなくとも他者に異常な雰囲気は察知できるかもしれない?

それはあり得るでしょう。

 

たかだか妄想でしかない戯言、何の問題にはならない。だって思う分には自由で誰にもその邪魔はできないから・・・

それは確かに納得はできます、が言うなれば時限式の爆弾を持っているようなモノ。

存在自体が危険因子という解釈であればどうだろうか?

 

 

 

たかが妄想、されど妄想。

たかが興味、されど興味。

侮ること勿れ、人は人の脳内を読み解くことは現状不可能。

貴方の隣人は悪意に興味ある人間・・・かもしれない。

 

 

私は常にそういうことを考えながら生きています。

だって私自身そうなのだから。

他人から見た私はいたって普通に見える・・・と思う。

少なくともそういった特殊な思考を持っているとは考えない。

 

だからこそ、私は私以外に対してこんな思考を持っている。

みんなそれぞれの考える悪意の興味は何なんだろうか?と・・・

 

え?悪意の興味がある前提過ぎるって?

私は「性悪説」を信じていますから、ひた隠しにしている悪意について人一倍興味があるのです。

悪意剥き出しの本性を知りたい、見て見たい、そんな思いが脳を支配します。

とんだ被害妄想ですが、それが私という人間なのです。