人はいつでも、どこでも、誰とでも簡単にコロッと死ぬことができる。
確かに手段によっては確実性が失われたり、時間を必要としたりするかもしれない。
一つ例を挙げるとすれば、首吊り自殺は一番メジャーにして一番楽に実行できる難度の方法だと思う。
それが成功するかどうかは別として・・・
吊り下げられたロープが取れたり、うまく吊れなかったりしてという話をネット上で見たことがある。
後は、ドアノブとかで低い位置での首吊りも可能という話も聞いた。
だから何だっていう話?
最初に言ったことに関係する、死ぬのは簡単だということだ。
手段として首吊りを選ぶとする。
必要なのはロープとそれをひっかけられる場所と少しの時間だけだ。
後はどこででもできるだろうし、誰とでもできる、いつでも可能だろう。
それを実行するという硬い意志と強い決意さえあれば・・・
意思と決意意味ほぼ一緒だって?
とにかく、本気でそれを望んでいるのならすぐにでも実行できるようなことなのだ。
そう私は考えている。
一方、生き抜くというのはそれよりもはるかに難しい。
日本の現代社会、生きるためには働かなければいけない。
人間は生きるには食べて寝てというサイクルを繰り返す必要がある。
でもそれを得るには現代ではお金が必要だ。
そのお金を得るにはどうしても仕事をしなければいけない。
それかもしくは・・・まぁその話はまたいつかするとして。
生きるために生きる努力を継続する必要がある、それこそが生き抜く上での苦痛と言えよう。
しかし!
世の中には生きる努力を楽しみに変え楽しく生きている人もいるだろう。
世の中には生きる努力自体が楽しみそのもので来ている人もいるに違いない。
でも、全員が全員そうなのか?
いやな仕事でもしなければ生きていけないと考え生きている人が大体を占めているのではないか?
私も生き続けているが、残念ながらそのどれにも属さない。
就労者にひたすら依存しているだけの身である。
働くことが困難なため仕方ない・・・とはいえ、どこか後ろめたさがある。
それは、働くことの困難を極める所以が精神的なモノだからだ。
それで更に肩身狭い思いをしながら日々苦痛に生きている。
自殺は嫌だという話は昨日したと思う。
私の望む自殺は、長い苦しみの末確実に死ぬ行為に尽きるからだ。
中々実行できる環境はないし、贅沢な悩みとして選びたい手段が多すぎる。
まぁその話は繰り返しになるので気になるなら昨日の記事を見ていらしてくださいなww
だから、死ぬこともできない。
ただただひたすらに生き続けなければいけない。
その上で私は働けない。
精神疾患という目には見えない世間が納得するようなモノかどうか曖昧。そんな疾患で生き続けている。
働く苦痛と働かない苦痛。
どちらがより苦痛なのだろう?
比べるベクトルが違うから測れない、だからそれで比較はしてほしくないと訴えたい。
アレ?これ何の話だっけ?
いずれにせよ、生きるのがつらいという話で終結させていただきますww
働く苦痛と働かない苦痛についてはまたいずれいつか・・・