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こんにちは、タンジです^^

 

昨日は予定を変更して、「星詠み」の体験についてお伝えいたしました。

 

今日は学生編ラスト!「大学生活(試練編)②」です。

 

・就活失敗→大学院進学を画策するも、試験に落ちる→公務員志望に切り替え

 

・試験留年を決めたその年に、東日本大震災が起きる

 

の2テーマに沿って書いていきますね。

 

 

※震災当時の描写がありますので、強いストレスを感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

ご心配な方は、読むのをお控えくださいますよう、お願いいたします。

 

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私にとって、大学生活のほぼ8割を占めていたサークル活動。

 

でも、それも3年生の12月に行われる定期演奏会で一旦一区切り。

 

終わりがあるとわかっていたから、それまで以上に全身全霊で練習して、仕事をして

 

最後は達成感いっぱい、感動いっぱいで運営学年を終えることができました照れ

 

 

で、問題はその後。

 

就職活動にシフトしなければならない時期だったのですが、

 

完全に燃え尽き症候群になってしまっていたんですよねえーん

 

 

そもそも大学を出たらどうしたいかをあんまり考えていなかったんですが、

 

勉強を続けたいな、という気持ちもあり、なんとなく大学院進学も考えたりしていて

 

でも、経済的な理由などから、両親に反対もされていたので、

 

これまたなんとなくの気持ちで、ゆるーく就活を始めたんですよね。

 

 

しかし、時はリーマンショックの翌年。就職状況の厳しい時代です。

 

そんな状況なのに、「なんとなく」の気持ちでやっているようじゃ、うまくいくはずがないんですよね。

 

1つも内定がもらえないまま4年生の4月を迎え、

 

「これはもう無理だろうな」

 

と判断した私は、親の言うことも聞かず、大学院受験を決意します。

 

 

 

それからは、かなり勉強モードにシフトして、

 

ゼミは最大2つまでしか所属できないところを、教授に頼み込んでもう一つ参加させてもらい

 

研究計画書を考えるために、同じゼミの院生の方に相談したり

 

それまでとは別人のように勉強していました笑

 

 

でも、いくら勉強しても、いくら人に相談しても、どんな研究をしたいのかが、全く描けなかった。

 

私が求めていたのは、「勉強をつづけたい」という、大学時代の延長のような状況。

 

大学院でやるべきことは、「研究」ですから、そもそも目的も違っていたんですよね。

 

 

結局自分ですら納得できない研究計画書を出すことになってしまい

 

試験当日の面接では、当時の指導教官からその点を厳しく指摘され

 

「もうだめだ…ショボーン

 

とめちゃめちゃ落ち込んで帰宅。

 

結果も案の定、不合格でした。

 

 

人生で不合格通知を受け取ったのが生まれて初めてだったこと

 

大学生活を終えた後の行く先が決まっていない不安

 

周りのみんなは就職先を決めているのに…と、周りの状況と比較することによって生まれた恥ずかしさ

 

 

そんな感情がぐちゃぐちゃになり、かなり落ち込みました。

 

合否発表の当日、指導教官が電話をくれたのですが、こらえきれず泣きながら話すことに…

 

でも、そのおかげで自分の思考を整理することもできたんです。

 

 

私はやると決めたら、たとえ失敗するとわかっていたとしても、実際にやらないと納得できない。

 

やってだめだとわからなければ、次に進めないんだ。

 

就活も、大学院入試も、やってみてダメだったから、ようやく次に進めるんだ。

 

 

そんな風に気持ちを切り替えられたんですよね。

 

 

この時、「意外と私って強いのかも?」って思いました。

 

ずっと自分はネガティブで心配性で、不安定な人間だと思ってたんですけど、

 

失敗したらしたで、意外と腹を決めて進めるもんなんだなあと。

 

 

その日のうちに両親にも電話で結果を伝え、1年留年させてほしい、とお願いしました。

 

もともと両親から「公務員になれば?」といわれていて、でもずっと反抗していたのですが

 

就活も大学院進学も叶わなかったことで、次の道はそこなのかな?という気がしていました。

 

 

留年するのは、民間企業就職の選択肢も、念のため残しておきたかったから。

 

当時、既卒の就活はかなり厳しいとされていたので、留年することで新卒カードを残しておきたかったんです。

 

 

今こうして書いてみると、めちゃめちゃ自分勝手だったなあと感じます笑い泣き

 

休学期間は授業料がかからないことだけが、せめてもの救いだったかな…

 

 

 

大学院の結果が出たのが確か9月だったと思うのですが、

 

その直後から、公務員試験に向けての勉強を開始します。

 

 

大学5年生の期間は、お友達とルームシェアをしたい!という話になり、

 

2月ごろにお部屋を決め、3月の頭にお引越し。

 

 

そして、忘れもしない、2011年3月11日を迎えます。

 

 

その日私は、翌日行われるサークルの追い出しコンサートに向け、ルームメイトと一緒に買い出しに出かけていました。

 

お世話になった指揮者さんへのプレゼントを選び、会計を済ませたころ

 

それまでに経験したことのない揺れを感じました。

 

 

立っていられなくなるほどの揺れで、叫んでいるお客さんもいれば、大声でなく子供もいて

 

なにがなんだか、わからない状況でした。

 

 

 

1分近く揺れが続いていたでしょうか。

 

揺れがおさまったとき、

 

「東京が震源地だったのかな?実家のみんな、心配してるだろうなあ」

 

なんて考えていたんです。

 

 

その後、テレビで震源地が東北だと知り、津波が起こる様子なども目の当たりにして

 

一気に強い恐怖と緊張感を覚えました。

 

 

いままでたぶん書いてなかった気がするのですが、私の実家は福島県なんですね。

 

内陸なので、津波の心配はなかったものの、きっと家は大変なことになってるだろうし

 

確認しようにも、電話もつながらない。家族の安否が気がかりでした。

 

 

当日は自宅に帰ることができず、出かけていた先の近くに住む後輩のおうちに泊めていただいて、

 

翌日どうにか帰宅。

 

ほっと一息ついたその時、東京電力福島第一原発爆発のニュースが飛び込んできたんです。

 

 

このときは、本当にパニック状態で

 

チェルノブイリ原発事故のことを、いろいろな本を読んで知っていたこともあり

 

 

私の故郷も同じようになってしまうんじゃないかと

 

もう二度と帰れないかもしれない、下手をしたら、家族を失ってしまうかもしれない

 

そんな恐怖感と、何もできない自分の無力さと

 

それまで家族や故郷をないがしろにしてきた後悔と

 

 

震災そのもののショック、映像をみることで受けていたショック、いろんなものが相まって、

 

ベッドから起き上がれなくなってしまいました。

 

 

 

そこから立ち直れたのも、周りにいてくれた人々のおかげでした。

 

 

ルームメイトがいてくれたおかげで、ひとりでこの状況に耐えなければならないわけではなく

 

サークル仲間とスカイプでやりとりをして、励ましてもらえたり

 

追い出しコンサートも、延期の上規模を縮小して開催されたのですが、仲間達に大きな活力をもらえて

 

ゼミの先生がみんなの想いを話せる場を設けてくれて、気持ちを吐き出すことができ

 

 

つくづく、人に恵まれているなあと、今でも感謝していますえーん

 

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1カ月ほどで、ほぼもとの精神状態を取り戻し、いくつかの公務員試験に臨みました。

 

最終的に、母校の職員と神奈川県の某市役所に合格したのですが、

 

いろいろ悩んだ結果、「いままでに見ていない世界を見たい!」という気持ちから、

 

市役所のほうを選択。

 

 

就職までは、バイトに精を出したり、サークルの演奏会に参加させてもらったり、卒業旅行に行ったり

 

比較的に穏やかに楽しく過ごすことができました。

 

 

そして2012年3月、就職のため神奈川県に引っ越し。

 

就職という一大イベントに向け、ワクワクドキドキしながら準備を進めていくことになります。

 

 

 

今回も大変長くなってしまいました…

 

次回は、公務員時代①。

 

就職して早々、数々の試練に見舞われ、人生のどん底を味わうことになります…!

 

 

本日もお読みいただき、ありがとうございました^^

 

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