JAZZ&Coffee kikiのブログ

JAZZ&Coffee kikiのブログ

国分寺のJAZZ&Coffee kikiのブログです。

国分寺で営業中のJAZZ&Coffee『kiki』です。
50年代~60年代のジャズをレコードでお楽しみ頂けます。

JAZZ好きの方、美味しいコーヒを飲みたい方、ぜひ一度kikiにご来店下さい。

- - - - - - - -

JAZZ & Coffee kiki

〒185-0012 東京都国分寺市本町 2-2-11 龍光堂ビル B1F
Tel.090-1610-3249
※ライブ出演に関してはお問い合わせ下さい。

プロのアスリートは自らが商品だから、オファーの価格がすなわち、その価値だろう。当然、需要が多ければ価格は上がる訳で、大谷翔平の移籍に関連した米メディアの「総額6億㌦(約880億円)」との推定は、あながち法外な金額ではなく、素直にそれだけの値打ちがあるとみて差し支えないかもしれない。

その大谷の移籍先がいよいよ決まるかもしれない。今、テキサス州ナッシュビルで開かれているウインターミーティングに熱い視線が送られている。

マルチ契約というのは複雑、多岐にわたるだろうけど、基本的に先行投資だからその選手の実績を踏まえた可能性が今後、どのくらいあるかということの”値踏み”が極めて重要になる。では野球選手のアスリートとしてのピークは年齢的にどのくらいか。大谷に絡めてそれを推測してみる。例えば、イチローは30歳でメジャー最高打率を記録し、36歳まで3割超える打率を残し続けた。例えば、松井秀喜は33歳と37歳でメジャー最多本塁打を放った。例えば、野茂英雄は34、35歳の両年で16勝の自己最多勝利を記録した。もちろん、個人差が出て多少、ピークの幅は異なるが、概ね、一流選手の残した軌跡をたどると20歳台で一流たる実績を刻み、30歳台の前半にそのピークを迎えるということになる。これにならえば、来季で30歳を迎える大谷はいよいよ選手としての円熟期に入っていくことになる。その価値が総額約880億円に見合うかどうか。

いずれにしてもファンの立場から言えば、大谷の選手としてのピークがこの先にやってきて、過去3シーズンで見せたパフォーマンスを超える成績を残してくれることをひたする祈る。こんなにワクワクすることはめったにない。夢のような金額が、この男には似合う。(12月8日)

白球に目を凝らして勝負の行方に固唾をのむのはもちろんいいけど、ちょいと距離を取って見るとまさにいろいろな思いが交錯した舞台だったのが分かる。日本シリーズは阪神がオリックスを破り、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。

時空を超える思いは指揮官にあった。岡田監督は1985年の中心選手で吉田監督を胴上げした。そして今年、当時、まだ生まれてもいなかった選手たちを率いて、今度は宙に舞う立場に回った。「選手として、監督として日本一になれたことは本当に幸せだと思う」。38年の時を経て、野球人として最高の思いがよみがえった。再びの、人生のハイライトだった。

一塁ベンチで試合の成り行きを見つめていた山本由伸投手はどんな思いだったろう。第6戦で完投勝利を挙げたが、3年連続で出場しながら、不思議なことにシリーズ初勝利だったという。もう日本でやり残したことはないかもしれない。日本一という有終の美は飾れなかったが、来季は新たな戦いの舞台をメジャーに求めて、未踏の地平を目指す。胸に去来するものは何か。

打率・483でMVPに輝いた近本光司外野手は一流への道を上り始め、充実感を手にした。春先のWBCで史上初の独立リーグ出身の日本代表投手となった湯浅京己投手は、6月から戦列を離脱していたが、シリーズで見事に復帰し、来季への希望を胸にした。ルーキー森下翔太はつかんだものの大きさをやがて実感する。

そして、胴上げでは「背番号24」がふんわり宙に浮いた。7月に脳腫瘍のため他界した横田慎太郎投手のユニホームだった。ナインの思いは天に届いたはずだ。

最終戦、ゲームセットの瞬間、京セラドーム大阪に集った選手、ファンの思いは弾けて、それぞれの感慨とともに宙に消えた。余韻を映し出すドームの照明灯が消されれば、それぞれが新たな道への歩みを始める。2023年のシーズンの幕は下ろされた。(11月7日)

ジャズ喫茶というと棚いっぱいにレコードがあって、家では揃えられないようなオーディオシステムが鎮座ましてて、偏屈なオヤジがいる。ちょいとステレオタイプかもしれないが、実際、こんなところが結構あったりする。しかし、日本はまあよくこんなサブカルチャーの代表みたいなものを生み出したと感心する。全盛期はとうの昔に過ぎ去ったんだろうけど、多分まだ一定のファンはいると思う。

穐吉敏子の自叙伝「ジャズと生きる」(岩波新書)を読むと、1956年に26歳で渡米する前、既に「東京のあちこちにジャズ喫茶があり、(略)レコードを聴いて曲を覚えたり、好きなプレーヤーのソロを覚えたり…」というくだりがある。ミュージシャンにとってレコードは貴重な情報源だったことがうかがえる。その後、1960年代から70年代にかけて全盛期を迎えるようだが、当時の学生運動の高揚感が、前衛に流れていくジャズの気分とシンクロして、学生がより出入りするようになったと思う。コルトレーン、大音量、長髪、タバコ、文庫本、これらがないまぜになってジャズ喫茶は独特の文化を形成する。一関「ベイシー」の店主、菅原昭二はその著書「ジャズ喫茶 ベイシーの選択」(講談社)で「レコードを真面目に聴かせる…変な店の形態は、日本が世界に誇っていいもの」と著している。

自らの体験に重ね合わせると、本格的にジャズ喫茶に行くのは1980年代からである。都市部ではもちろん、旅先でも時間ができるとお目当ての店を探しに出かけた。それがやがて自ら店を持ちたいと思うようになっていく。買いためたレコードもそれなりの枚数になり、ジャズの関連本も増えていった。時間とともに何かが熟成されていくような感じだった。

機を見るに敏というわけにはいかなかったが、夢想を大事にしまい続けて念願を叶えたのは2012年だった。国分寺に「kiki」という小さな店を出し、2014年9月に閉めた。思えば、人生の中の「一瞬の夢」だったような気もするが、2年半の時間は貴重な経験と、かけがいのない友人を与えてくれた。(1月19日)

生来の呑兵衛で、気ままな旅先で探すのは銭湯と居酒屋と決まっている。その土地々々のものを安酒とともに味わう気分は無上の喜びに近く、翌朝に反省が来るのが分かっていながら、飲めば気が大きくなって知らぬ間に時間ばかりが経っていくという次第である。

「居酒屋兆治」(1983 降旗康男)は別に居酒屋というタイトルだから見たというわけではない。山口瞳の書くものを好み、高倉健、降旗康男のコンビだから見ないわけにはいかないという感じだった。山口瞳の原作がどうなるのか、という興味も少しあった気がする。原作の舞台は国立だが、映画では函館に移し替えた。それはともかく、小さなもつ焼き屋の店主・英治(高倉健)が不器用で実直な主人公で、その店主と元恋人のさよ(大原麗子)のやるせないような、切ない生き様が描かれる。しかし、脇に回る常連客や周辺の人たちの人生模様にも共感がいく。安酒場に集う市井の人たちは誰も実生活の周りにいるような人たちである。それぞれに小さな悩みを抱え、思い通りにいかない人生のうさを、いっとき晴らしに暖簾をくぐる。

山口瞳のコラム「男性自身」の中にあった「人生、どうにもならないことがある」という昔、目にしたフレーズを今までずーっと心にとめているが、この作品はそんな逞しくも強くもない人たちへの共感のエールに思いがいってしまう。さらに今、根拠もなく昭和のありふれた一コマなのかなと思ったりする。

ちなみに小説の方では「あきらめは天辺(てっぺん)の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる」という歌人・山崎方代の一首が紹介されている。この歌に接したときは単に面白いと思っただけだが、人生の年輪を重ねていった時に、ふと思い出した。この諦観の感じがよく分かる年代に入った時だった。幸い、天辺はまだ安泰ではあるが…。(1月16日)

 

どの分野でもそうだろうが、同好の士が集まればすぐに「談義」が始まる。記憶と知識を総動員して、無責任の言いたい放題は楽しいことこの上ない。今、関西方面ではおそらく「野球談義」があちこち(特に夜の酒場)で花盛りではないのか。何しろ日本シリーズがオリックスー阪神になり、59年ぶりの関西対決というのだから西の野球ファンが落ち着かないのはよく分かる。

それでは59年前の1964年の日本シリーズはセ、パどこが対戦したかというとセは阪神で今季と一緒だが、パは南海という懐かしい名前が出てくる。古い大阪のファンは、これはこれでまた盛り上がると思う。当時の監督は「グラウンドには錢が落ちている」と言って選手を鼓舞した”親分”こと鶴岡一人がにらみを利かし、選手も強者ぞろいだった。広瀬叔功、野村克也、ハドリ、井上登などの打線、杉浦忠、スタンカの投手陣と戦力は強力だった。

1964年は最初の東京五輪の年でプロ野球は五輪に配慮して日程を早めた。10月10日の五輪開会式前に終了するべく、同1日に開幕したが、雨天中止を挾み、第7戦までもつれたことで結局、最終戦と開会式が重なってしまった。結果は南海がスタンカの3完封という、うそのような活躍で勝つが、シリーズの余韻は五輪の喧騒にかき消されてしまったと思われる。

と、ここまで書いてきてある人を思い出している。パ・リーグの元記録部長で野球アナリストだった故千葉功氏(残念ながら一昨年に亡くなっている)である。週刊ベースボール誌上に61年から56年間、2897回「記録の手帳」を連載した”記録の神様”の一人だった。この千葉さんとは晩年まで親しくさせていただいたが、野球談義の達人でもあり、本当にいろいろなことを教えてもらった。千葉さんの、59年ぶりの関西決戦にまつわる縦横無尽の蘊蓄ぶりを聞きたかった。(10月27日)

ジャズ・ベースの奏法は大まかにいって指ではじくか、弓を使うかだろうけど、もうひとつ口を使う(?)方法があるのはその時まで知らなかった。「Hawkins! Alive!」(Verve C・ホーキンス)の「ジェリコの戦い」を聴いたとき、最初は何だか分からなくてちょっと動揺したのを覚えている。それが”ハミングベース”との出会いだった。

ベースのアルコ(弓)のアドリブにハミングをかぶせてしまうのは、言ってみればジャズならではの芸当かもしれない。即興へのアイディアに満ちて、聴く側を驚かせて、喜ばす。言わば、エンターテインメントの要素にあふれている。「ジェリコ…」のメジャー・ホリーは2分を超えるソロでジャズの歴史に自らの存在を刻みつけたと思う。

次のハミングとの出会いはスラム・スチュアートだった。「Stardust」(Decca L・ハンプトン)のタイトル曲で名人芸を聴かせる。後で知ることだが、スチュアートがどうもハミングの始祖のようで、このライブ盤で、そのテクニックを知らしめたような気がする。1947年の録音の、名盤に数えられる1枚だろう。そして最後が鈴木勲だ。リーダーアルバム「Blue City」(TBM)の「Play Fiddle Play」で気持ちよさそうにハミングしている。2022年、コロナに感染して肺炎で没しているが、日本のベーシストの”ビッグネーム”の一人だった。

この三人に共通しているのは、いずれも自ら楽しんで”重奏”をやっているように聴こえることだ。それが聴く側にも伝播し、自然と心が弾んでくる。つい最近、Youtubeでメジャーとスラムの”ダブル・ハミング・ベース”を発見した。ライヴのヴィデオで「I Got Rhythm」をやっている。名人の掛け合いに思わずうれしくなった。そして、アルバムも出していることが分かった。題して「Shut Yo' Mouth!」、「お黙りなさい!」とは何とも粋なタイトルではないか。(1月12日)

 

幸せってなんだろうな、とふと思うことがある。別に哲学的な考察ではなく、漫画の吹き出しのように頭にポッと疑問符がつく感じである。そして、別に食い意地が張っているからでもないだろうけど、おいしいものを食べたときのことが思い浮かんだりする。幸せって意外に身近なところで感じることはできるかもしれない。

「バベットの晩餐会」(1987 ガブリエル・アクセル)は荒涼とした風景の中に、小さな幸せが広がる物語である。デンマークの北の海に面した寒村に流れ着く、訳ありの女性シェフが一晩限りの晩餐会を催す。見ようによっては”さすらいのガンマン”という雰囲気もなくはない。実は、このシェフはパリの動乱を逃れてやってきて、信仰心のあつい牧師の娘姉妹のもと、家政婦として働き始める。そこに宝くじに当たった知らせが届く。そして晩餐会ー。

招待された姉妹と村人たちはそれぞれが負の過去を持ち寄ってテーブルにつく。さらに食材の生きたウミガメにショックを受けた姉妹が天罰を恐れ、食への不信感も携えている。しかし、選び抜かれたワインと丹精込めた一皿一皿が徐々に招待客の頑なな心を解きほぐしていく。やがて、柔らかな表情に笑みが広がっていく。いがみ合いは思いやりに、心のすれ違いは修復に変わる。パリを知り、シェフの正体を見破っていく地元の士官の存在が、貧しい村人と豪華な料理の間に入ってストーリーを展開させる。何も豪勢な食事がいいというわけではないが、一流シェフの手になる魅惑の料理の魔法を見るようでもある。

個人的には晩餐会の食前酒として用意された「アモンティリャード」が気になって、後日、買い求めた。空っぽの胃が甘さを伴ったアルコールに刺激されて、とてもおいしかった。小さな幸せがそこに確かに広がった。(1月9日)

音楽のバラードは、どうも中世のフランスに源流があるようだが、ジャズにおいては厳格な定義は多分、ないと思う。あるいはミュージッシャンの間ではテンポの数値の目安があって、共通の認識があるのだろうか。いずれにしても知らないので、おおよそバラードとはこんな感じかと、自分勝手に定義する。バラードは「悲しみをくるむ優しさを核心とする」と。

例えば、ゆったりとした曲想を特徴とする。それは遠い昔の、母親の胸に抱かれた心地よさを想起する。時間は流れず、ひとときの永遠がある。「The nearness of you」でも「I should care」でも、ズート・シムズでもベン・ウエブスターでも、そのふくよかな音色に酔いたい、と時にどうしようもなく思う。

さらに例えば、素敵な旋律を備えている。コール・ポーターでもジョージ・ガーシュインでも、スタンダードに名をとどめる作曲家たちが、あまたの印象的なメロディーを残してくれた。好みの旋律を口ずさみ、お気に入りの奏者で聴く楽しみはかけがえのない時間になる。

そして、例えば多くは「トーチソング」を元歌とする。恋に破れた感傷的な歌詞がついて回る。自らの体験に重ね合わせて、涙することもあるかもしれない。ビル・エヴァンスが「My foolish heart」で聴かせてくれるバラードは、悲しくてやがて静かに優しさにくるまれていくようでもある。

「バラードっていいよね」と大概のジャズファンが言う。それぞれの思いの中でみんな優しさにくるまれたいのかもしれない。超絶技巧でもいい。既成のものを破壊し尽くすアヴァンギャルドでもいい。その間にそっと忍び込ますバラードにとてつもない癒やしと優しさを感じ取るのは、ジャズの醍醐味の一つだと思う。(1月5日)

 

五輪という世界の頂点を争う場に野球はふさわしくない、といつもくすぶった思いを持っていた。メジャーの一流選手が出ないし、国別対抗にするには競技が盛んな地域が偏向しているからである。野球は過去、五輪の正式競技に居座った歴史もあった。しかし、結局、国際オリンピック委員会(IOC)が望む、欧州での普及や人気に限界があり、大リーグ機構(MLB)もシーズンが五輪日程と重なることなどからトップ選手の参加には前向きになれないでここまできた。

その野球が2028年のロサンゼルスでまた返り咲きを果たす。醒めている目からみれば、だからどうしたということになるが、今回はちょいと状況が違う。MLBが主力選手の派遣を確約する文書を出し、大リーグ選手会もそれを容認したということが伝えられたからだ。これまでMLBが非協力的だったのは、自らの権益を守るためにある意味当然とも思われる対応でもあった。その垣根が取り払われれば事情は違ってくる。例えば、今春のワールド・ベースボール・クラシックのような、各国のメジャー選手中心のチーム構成がさらに進めば、必然的に頂点を極める戦いとして注目は集まる。

問題はMLBが五輪の期間(7月14日ー同30日)に、レギュラーシーズンの中断を決め、全面的に五輪のバックアップ態勢を取れるかどうかだろう。さらに投打のトップ選手が本当に五輪出場に前向きになれるかどうかもある。決断に際し、どれだけIOCや公式スポンサーの意向に沿い問題を解決できるかは、今の段階ではまだ懐疑的にならざるを得ない。欧州に開催都市が戻れば、また外されるだろう、という嫌味な見方も当然ある。

それでも、どうせなら実現を望む。五輪での、たった一度だけのでもいいから、真のチャンピオンシップを争う戦いを見てみたい気はするが…。(10月20日)

未知のものに向かう時、基本的には好奇心が上回る。「怖いもの見たさ」ということかもしれない。地球外の生物に対して、映画人はこれまでいろいろな形で作品に登場させてきたが、恐怖をテーマにするよりファンタジーの方に好感が持てる。気味悪くて怖いのは、どうも性に合わない。

「E.T.」(1982 スティーヴン・スピルバーグ)は、宇宙船から置いてきぼりをくらった「地球外生命体」(宇宙人)と少年の心の通い合いをほのぼのとコミカルに描く物語だが、宇宙人を子どもと交流させることで素敵なファンタジーに仕上がったと思う。これが大人だとこううまくいかないかもしれない。警戒心が上回ったり、敵視したりでおおよそ不穏な空気が満ちてしまう。子どもは、虫などの生き物を簡単に殺してしまう残酷な面も持ち合わせてはいるが、一方で大人が感じる障壁を簡単に飛び越え、純な好奇心で宇宙からの生命体と接することができる。スピルバーグの描く交流は無理なく、自然で見るものをすんなり作品世界に導き入れてくれる。

そして、あの名場面が訪れる。月はファンタジーの象徴である。昔から人は月の世界を夢想、空想し、そこにさまざまな物語を作ってきた。その大写しの月にE.T.のパワーで舞い上がった自転車の少年がシルエットになって映し出されていく。

E.T.はやがて迎えに来た宇宙船で旅立っていくが、宇宙人は迎え入れる心づもりがあれば、きっと友好的にどこからか現れてくれるような気がする。ファンタジーの世界に子どもが登場するのは、子どもの心がいつも宇宙に向かって開いているからだと思う。そう、子どもの心はいつも空想に満ちている。(12月29日)