「ジャズと映画とベースボール」77 野球談義 | JAZZ&Coffee kikiのブログ

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どの分野でもそうだろうが、同好の士が集まればすぐに「談義」が始まる。記憶と知識を総動員して、無責任の言いたい放題は楽しいことこの上ない。今、関西方面ではおそらく「野球談義」があちこち(特に夜の酒場)で花盛りではないのか。何しろ日本シリーズがオリックスー阪神になり、59年ぶりの関西対決というのだから西の野球ファンが落ち着かないのはよく分かる。

それでは59年前の1964年の日本シリーズはセ、パどこが対戦したかというとセは阪神で今季と一緒だが、パは南海という懐かしい名前が出てくる。古い大阪のファンは、これはこれでまた盛り上がると思う。当時の監督は「グラウンドには錢が落ちている」と言って選手を鼓舞した”親分”こと鶴岡一人がにらみを利かし、選手も強者ぞろいだった。広瀬叔功、野村克也、ハドリ、井上登などの打線、杉浦忠、スタンカの投手陣と戦力は強力だった。

1964年は最初の東京五輪の年でプロ野球は五輪に配慮して日程を早めた。10月10日の五輪開会式前に終了するべく、同1日に開幕したが、雨天中止を挾み、第7戦までもつれたことで結局、最終戦と開会式が重なってしまった。結果は南海がスタンカの3完封という、うそのような活躍で勝つが、シリーズの余韻は五輪の喧騒にかき消されてしまったと思われる。

と、ここまで書いてきてある人を思い出している。パ・リーグの元記録部長で野球アナリストだった故千葉功氏(残念ながら一昨年に亡くなっている)である。週刊ベースボール誌上に61年から56年間、2897回「記録の手帳」を連載した”記録の神様”の一人だった。この千葉さんとは晩年まで親しくさせていただいたが、野球談義の達人でもあり、本当にいろいろなことを教えてもらった。千葉さんの、59年ぶりの関西決戦にまつわる縦横無尽の蘊蓄ぶりを聞きたかった。(10月27日)