「ジャズと映画とベースボール」99 居酒屋兆治 | JAZZ&Coffee kikiのブログ

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生来の呑兵衛で、気ままな旅先で探すのは銭湯と居酒屋と決まっている。その土地々々のものを安酒とともに味わう気分は無上の喜びに近く、翌朝に反省が来るのが分かっていながら、飲めば気が大きくなって知らぬ間に時間ばかりが経っていくという次第である。

「居酒屋兆治」(1983 降旗康男)は別に居酒屋というタイトルだから見たというわけではない。山口瞳の書くものを好み、高倉健、降旗康男のコンビだから見ないわけにはいかないという感じだった。山口瞳の原作がどうなるのか、という興味も少しあった気がする。原作の舞台は国立だが、映画では函館に移し替えた。それはともかく、小さなもつ焼き屋の店主・英治(高倉健)が不器用で実直な主人公で、その店主と元恋人のさよ(大原麗子)のやるせないような、切ない生き様が描かれる。しかし、脇に回る常連客や周辺の人たちの人生模様にも共感がいく。安酒場に集う市井の人たちは誰も実生活の周りにいるような人たちである。それぞれに小さな悩みを抱え、思い通りにいかない人生のうさを、いっとき晴らしに暖簾をくぐる。

山口瞳のコラム「男性自身」の中にあった「人生、どうにもならないことがある」という昔、目にしたフレーズを今までずーっと心にとめているが、この作品はそんな逞しくも強くもない人たちへの共感のエールに思いがいってしまう。さらに今、根拠もなく昭和のありふれた一コマなのかなと思ったりする。

ちなみに小説の方では「あきらめは天辺(てっぺん)の禿のみならず屋台の隅で飲んでいる」という歌人・山崎方代の一首が紹介されている。この歌に接したときは単に面白いと思っただけだが、人生の年輪を重ねていった時に、ふと思い出した。この諦観の感じがよく分かる年代に入った時だった。幸い、天辺はまだ安泰ではあるが…。(1月16日)