「ジャズと映画とベースボール」96 バラード | JAZZ&Coffee kikiのブログ

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音楽のバラードは、どうも中世のフランスに源流があるようだが、ジャズにおいては厳格な定義は多分、ないと思う。あるいはミュージッシャンの間ではテンポの数値の目安があって、共通の認識があるのだろうか。いずれにしても知らないので、おおよそバラードとはこんな感じかと、自分勝手に定義する。バラードは「悲しみをくるむ優しさを核心とする」と。

例えば、ゆったりとした曲想を特徴とする。それは遠い昔の、母親の胸に抱かれた心地よさを想起する。時間は流れず、ひとときの永遠がある。「The nearness of you」でも「I should care」でも、ズート・シムズでもベン・ウエブスターでも、そのふくよかな音色に酔いたい、と時にどうしようもなく思う。

さらに例えば、素敵な旋律を備えている。コール・ポーターでもジョージ・ガーシュインでも、スタンダードに名をとどめる作曲家たちが、あまたの印象的なメロディーを残してくれた。好みの旋律を口ずさみ、お気に入りの奏者で聴く楽しみはかけがえのない時間になる。

そして、例えば多くは「トーチソング」を元歌とする。恋に破れた感傷的な歌詞がついて回る。自らの体験に重ね合わせて、涙することもあるかもしれない。ビル・エヴァンスが「My foolish heart」で聴かせてくれるバラードは、悲しくてやがて静かに優しさにくるまれていくようでもある。

「バラードっていいよね」と大概のジャズファンが言う。それぞれの思いの中でみんな優しさにくるまれたいのかもしれない。超絶技巧でもいい。既成のものを破壊し尽くすアヴァンギャルドでもいい。その間にそっと忍び込ますバラードにとてつもない癒やしと優しさを感じ取るのは、ジャズの醍醐味の一つだと思う。(1月5日)