これはステーションメモリー(駅メモ)という特別な世界線と現代が交わる非日常を旅する物語である。
●馬→駅→駅逓
「なぜ、こんな山奥にこんな古い街道があるなの?」
「三重塔はどうしてこんなに観光客しゃんに人気なんでしゅか?」
ヒューマノイドのでんこ達にいろいろ質問を受けるが、なにひとつ満足に答えられない。
大学では地理学を専攻していたものの日本史の知識はさっぱりなので、そもそも現在ある地理がどういう理由で成り立っているのかという原理を突かれると無知の知を認めざるをえなくなる。
砂上の楼閣ここに崩壊せり、である。
「マスター、表面的な知識だけではなくてしっかりと歴史背景にも興味をもってくださいね。」
ストイックな南紀勝浦樹紀は妥協を潔しとしない。
▲那智駅から熊野古道、那智大滝図
●馬・1991年安田記念
このレースの一番人気は単枠指定の8歳馬バンブーメモリーだったが、このレースが終わって以降のマイル戦線はもうダイイチ&ダイタク激闘の歴史である。
あのオグリキャップ、パッシングショットらとの激戦は何だったのか、というくらいそれまでの彼の記憶は色褪せてしまった感じがする。
それくらいこの2頭は個性的で、互いの競走はドラマ性があった。
ダイイチルビーは、当時の中距離では絶対的なサイヤーだったトウシヨウボーイと女傑ハギノトツプレデイの最高傑作とも呼ばれた超良血馬。
対するダイタクヘリオスもビゼンニシキに母系父ネヴアービートなので良血ではあるのだが、名前の響きとか活躍の舞台のイメージが華やかな場からちょっと距離を感じてしまうのである。
3歳の頃からクラシック戦線で人気を集めてきたダイイチルビーは、古馬になって適距離のマイルを使われてから覚醒。
ここは実績に勝るバンブーメモリーとの一騎討ちだろうと目されていたが、単枠指定の相手に対して人気でも2番手に甘んじまだまだ力が安定したものとは認められていなかった気がする。
ダイタクヘリオスはクラシック戦線から一足先に離脱して、短中距離路線に照準を絞って走っていたが前々走までは今一つ結果を残せなかった。前々走はマイラーズカップで、阪神大改装のあったこの年は中京の芝1,700mで争われている。このレースをレコードで制したものの、その後にダービー卿チャレンジトロフィーで4着に敗れ10番人気と軽視されていた。
小生は左回りのマイラーズカップを見て、ちょっとこの馬は安田記念に出てきたら買ってみたいと思っていたので軸で勝負して的中することができた。
いやー、あの馬群を割って伸びてきた河内&ダイイチルビーの追い込みは痺れた。
この配当を那智山郵便局に預ける。
●駅・那智
那智大社への最寄り駅であるためだろう、社を模した色合いと造りになっているが実は昭和11年に完成したものでいわれてみれば全体的な様式は古いしやや大柄に思われる。
これはかつては特急など優等列車が停車していた名残りだろう。リニューアルされているのでなかなか気付きにくい。
現在は普通列車しか停車しないので、公共交通を足とする観光客はそのほとんどが紀伊勝浦からの路線バスを利用している。
▲那智駅
かくいう小生も2度那智大滝を訪れているが、那智駅に降りたのは最初だけである。とりわけ紀伊勝浦の温泉に泊まると、温泉街からそのまま便も多い路線バスに乗るのが便利がよい。
●駅逓・那智山郵便局
かつては熊野那智大社への参道である石段の途中に局舎があったらしいが、現在は参道の入り口に郵便マークの看板を掲げている。
ビル内とか駅内郵便局はよく見かけるのだけれど社内というべきか、景観も一体となっている感じである。
局印がすごく凝っていてパッと見た時、名前が埋もれていてわからなかった。
郵便局は観光客を相手にする意味合いは薄く、あくまでもその地の生活に根ざした住民のためにあるのでそれだけここで暮らす人が多いということだろう。
現在の那智山郵便局からバス路線に従って地方道を下ると那智大滝が見えてくる。紅葉の時期ともなればそれは凄い観光客の波が押し寄せるのだが、そうでなくても人が多い。
那智の滝は壮大で落差も大きいので参道から垣間見れる。
▲那智の滝遠景
那智大滝は熊野那智大社の別宮である飛瀧神社の敷地にあるので鳥居をくぐって厳かな雰囲気に包まれている。歴史に疎い俗人の小生も寛容に迎え入れられて歩きながら瀧を拝む準備を整えてゆくのであった。
拝観料が必要になるが神域にある観瀑台からは一層迫力のある景観が望めておすすめだが、もちろん参道の先からも十分に楽しめる。
▲観瀑台から望む那智の滝
那智山郵便局から石段を登ると那智山と呼ばれる一帯に到達する。
那智山は寺社である熊野那智大社と仏閣である青岸渡寺が隣り合わせになった敷地である。
いくら小生が歴史に疎いといってもお寺とお社が違うのはわかる。
それはわかる…のだが、建物を観てそれが何れのものであるか述べろというのであればそれは少々怪しい。
三重塔は果たしていずこのものなのか、それは青岸渡寺の所有であった。
▲青岸渡寺三重塔
▲三重塔と那智の滝
那智山を辞して大門まで熊野古道を辿って帰路につく。
熊野古道は、京から熊野三山の寺社へ詣でる人々のために創られた街道で、かつては急峻で人を寄せつけなかった笠置、生駒の山々を迂回して堺から御坊、湯浅より海岸伝いに紀伊半島を辿っている。
なのでこんな山奥に…ではなく、その目指す場所の直前だからこそ参詣者の密度が濃くなっているわけでありクライマックスゆえに中でもこの大門坂が特に名を馳せている所以である。
ここは昔は通行税が必要だったが現在は無料で通れる。昔は無料で今は拝観料が必要の施設が多いのでちょっと時代に逆行しているようで面白い。
▲大門坂
坂の途中に通行税を徴収した十一文関所跡などもある。大門という名称はその関所の構えに由来するらしい。
▲十一文関所跡
石段は概ね急峻だがところにより緩やかで、幅としてはグループが行き来する場合では少し難儀かもしれない。おそらくは、お互いが縦一列になって通行したのではないかと思う。
そんな道幅が両側から聳え立つ2本…いや一対の杉によって一層狭められている。
これが名所のひとつ夫婦杉で門の両側に鎮座する様は阿吽の仁王像のようで厳めしい。
石段の方は風雪に身をゆだねるままに朽ちてゆくが杉の方は年々成長して道の方へ迫り出してくるので、石畳の一部が持ち上げられめくれあがっている。
なかなか凄い光景である。
▲夫婦杉
この夫婦杉をくぐるようにして通り抜けると、視界が開けて一般道に合流する。曲折し蛇行を繰り返して標高を獲得してゆく現在の舗装路に比べて大門坂は直線であり一気に高みを極める。
▲石碑
直線にして一気とか追い込みで決まったあの年の安田記念を思い出すではないか。では夫婦杉は…
「歴史を茶化してはいけませんよ。」
南紀勝浦樹紀はストイックなヒューマノイドである。
▲那智山局印