切符集めの旅に没頭していた時分は、青春18きっぷを使って山陽本線を普通列車で何往復もした。

 高校生の頃は無限に時間があるような気がしていたのだが、その実受験生という極めて制約されるべき一年を浪費していたのであろう。

 

 周囲の同年代の連中が予備校の夏季講習などを受けに行く期間、自覚に乏しい鉄道ヲタクは普通列車の景色を漫然と眺めていた。

 

 その当選の結果として浪人生活を送ることとなる。

 浪人、みるからにただ事ならぬ厳しい荒波に揉まれるような言葉であるが、瀬戸内の穏やかな海を見て旅をする身にはそんな未来は見通すことはできない。

 

 観光をするために降り立つこともなく。ただただ通り過ぎる小島を横目に見流すのみである。

 当時住んでいた仙台から遠く赴いて揺られた山陽本線、特に山口県を走る区間はやたら長く感じた。

 

↑岩国駅、錦町駅周辺図

 

 40年の時を経てから、そんな山口の観光地に訪れることになった。

 旅行のパンフレットを制作していた時に写真を見て一度入ってみたいと思った紅葉の時期の錦帯橋である。

 

↑岩国駅入場券

 

 岩国駅は、ソーシャルゲームのステーションメモリーズでは登場するヒューマノイドの岩国みづほに縁りの深い駅である。

 この時はゲームのリリースから丁度5周年ということで、でんこ(ヒューマノイド)の最寄り駅にチェックインするとオリジナルデザインのデジタルバナーがもらえるので岩国駅のバナーを手に入れてから錦帯橋へ向かった。

 

 

↑岩国駅

 

 放射能泉の錦帯橋温泉に浸かって紅葉の錦帯橋や付近の河川敷を散歩する。

 夕暮れ時の時間だと観光客の数もそれほど多くなく、深秋の彩り豊かな楓類をまとった姿はなるほど錦帯の名にふさわしい。

↑錦帯橋

 

 錦帯橋温泉ではふぐのコース料理を予約して、滅多に味わえない贅沢を尽くした。

↑錦帯橋温泉の夕食

 

 翌日は紅葉の名所の岩国吉香公園からロープウェーで岩国城へ足を伸ばす。

 

 今がまさにもみじ狩りの最盛期で、燃えるように色づいた様は一期一会の鮮やかさに思えた。

↑吉香公園の紅葉

 

↑岩国城

 

 その後、吉香公園から川西駅へ歩いて錦川清流線に乗って錦町へ赴いた。

 

 岩日線と呼ばれていた国鉄時代に乗車することがかなわなかった路線だが、その名の通り清らかな錦川を望みながら終点まで汽車旅を楽しめる。

 

 小生も久々に電車に身を預けて車窓に目を奪われるひとときを過ごした。


↑錦町駅

 

 錦町駅はから更に錦川を遡った先には雙津峡温泉があって、そこへ通うバス路線が駅前から伸びているのだが今回はもう観光の時間を割くことはできない。

 

↑錦町駅入場券(国鉄時代と錦川清流線の双方)

 

 時間は無限ではないことは社会に出て学んだ、それをどう効率良く使うかというのは学生時代にあくせくと鉄道の接続を調べた経験が役にたっているかもしれない。

 今週からなるべく毎週重賞の予想をして行きます。

 今回はクイーンステークス

 

 2強ムードだが指数的にも9エリカエクスプレス、7ココナッツブラウンが安定して強いというデータが出ている。

 

 洋芝実績からココナッツブラウンを本命に推したい。

 有力馬が外の方に固まってしまったが、今週はトラックバイアスが内に寄っている感じなので、▲に札幌負けなしの4リラボニートを抜擢。

◎7、○9、▲4からのトロイカフォーメーションで△3、11、12、13、14へ三連複16点

4=7=9ー3,11,12,13,14

 フェスティバルヒルも有力とは思うもののデータ的には買えないので切りですね。

 近年まで、島根県は沖縄県と共に足を踏み入れたことのない県であった。

 

 入場券集めの旅をしていた高校生の頃、最も近づいたのは夜行列車の「山陰」号に乗って廃止の迫っていた国鉄線の若桜線、倉吉線を訪ねた際で高架になったばかりの鳥取駅に降り立った瞬間だったと思う。

↑出雲大社前駅、松江しんじ湖駅周辺図

 

 当時住んでいた仙台から夜行列車に乗り継いでほとんど不眠状態で辿り着いたので、若桜駅を出た折り返し気動車に乗り込んですぐに力つきて眠りに陥り、気付いた時はすっかり日の暮れた岡山駅のホームであった。

 

 それから40年後、やはり廃止の寸前にあった三江線に乗車した時に初めて島根の地を踏んだ。

 

 そして1年後の今回は未だ乗車したことのない福塩線と木次線というローカル線を乗り継いで宍道湖沿岸に到達、松江しんじ湖温泉に宿泊している。

 

 JRの松江駅から一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅までは大橋川を挟んで2kmほど離れているが、宿泊する温泉ビジネスホテルは一畑電鉄寄りにあるのでそこそこ歩く。

 

 大橋川というのは中海と宍道湖を結ぶ川でかなりの幅がある。

 これを跨ぐ松江大橋を渡る頃にはもう日が落ちていたから宍道湖に沈む落陽が湖面を金色に染める景色は拝めなかったが、温泉街の灯りを墨色の湖面に映し出す眺めも風情があってよい。

 

 ビジネスホテルは夕食つきのプランで、提携する地元で評判の料亭で格安のコース料理をいただくことになっている。

 

 案内されたその叢雲さんで地の料理に舌鼓を打つ。

 

 しじみ、ヒラメ、鯖、のどくろ、白いかと次々地魚が登場するので酒も進む。

 

 懐石料理をいただいているのと変わりないが、格式張っていないので気楽に酩酊する。

 

 温泉はシングルルームのバスタブで堪能…とまではいかないが、しっかりと美肌効果や蓄積疲労の解消など効能高い食塩泉を味わった。

 

 

↑叢雲さんの夕食

 

 翌朝目覚めると日は既に宍道湖を眩しく彩っていた。

 宵っ張りなので落日を見逃したら日の出に間に合おうはずがない。

 

 なので、普段通り初乗車の一畑電鉄を乗りに松江しんじ湖温泉駅へ向かう。

↑宍道湖を望む

↑松江しんじ湖温泉駅入場券

 

 山陰本線が宍道湖の南を走るのに対して一畑電鉄が走行するのは北側である。

 松江を出た両者はふた手に別れて宍道湖を半周したあとで出雲市でふたたびおちあう。

 

 小生は川跡駅で大社支線に乗り換えて出雲大社前駅に赴いた。

 

 はるばるここまで来たからには出雲大社に参拝しなくては帰れぬ。

↑一畑電鉄

 

 出雲大社にはバスで訪れる人も多いが、一畑電鉄を利用する観光客の数もなかなかである。

 

 そんな駅は出雲大社へ行き当たる街道の途中にあって決して大きくはないのだが、モダンな欧風基調で落ち着いたたたずまいをしている。

 品のあるその駅舎は国の登録有形文化財に指定を受け、経済産業省からも近代化産業遺産に認定されている。

↑出雲大社前駅駅舎

↑出雲大社前駅入場券

 

 駅の利用者は年々減っているようであるが、いざ出雲大社へ詣でると人又人の賑わいであった。

 信仰の薄らぐことはないのだなぁ、と安心した次第である。

 あまりにも硬券入場券集めに没頭したせいで本来の旅行そっちのけで収集の方に予算を割くようになり、遂には訪れたことのない駅の切符が増えていった経緯は先に述べた。


 大社線の大社駅もそんな駅のひとつで、とうとう乗りに行く前に廃止されてしまった路線である。

↑出雲市、大社駅周辺図

 わずか7.5kmの路線だったが、出雲大社詣でには欠かせない観光主要駅だからまさか廃線になるとは思いもよらなかった。

 しかしモータリゼーションの普及に加え、寺社仏閣へ参詣する人やまたその頻度が減少したことなどから次第に利用者が減りそれに伴って本数が削減される。

 そうなると利便性が低下して利用者は沿線のバスや一畑電鉄へ流出していった。

 こうして大社線は昭和末期から急激に赤字がかさんでゆき、1990年4月に路線図から姿を消したのである。

 かつて大阪から直通の急行も乗り入れていただけにこの知らせは驚きだったが、もはやこの頃からローカル線のライフラインとしての立場は揺らいでいたのかもしれない。

 生活路線としての大社線の末期はかなり深刻な利用客離れが急進していたと聞く。

 当時、小生は大学生から社会人になる頃の時期だったが、競馬に没頭して留年していた。
 国鉄が分割民営化してから鉄道、特にローカル線を訪れることへの興味が次第になくなっていた時期でもあったと思う。

 なので40年を経て、既に廃止された大社駅を訪れるとは思ってもみなかった。

 2019年11月、松江宍道湖温泉に宿泊した後一畑電鉄に乗って出雲大社前を訪れる。
 この駅自体も登録有形文化財に指定されていてヨーロッパを思わせる幾何学的で遊びのあるデザインの落ち着いた佇まいの駅舎は今も尚現役で参拝客には癒しの場でもあるようだった。

↑出雲大社前駅

 旧大社線の大社駅はこの、この大社前を通って出雲大社へ続く道路を反対方向へ向かう。

 人がそぞろ歩く街道の逆方向は店も少なく通行もまばらで静かな道行きである。

 川を渡って10分ほど歩いた先に荘厳で重厚感に満ちた木造2階建ての大社駅がみえてくる。
 想像だにしなかった大柄なもので、いかに往時の利用客が多かったかがひしひしと伝わる。
 電鉄の出雲大社前に比べて数倍の規模である。

↑大社駅入場券








↑大社駅

 中に入ってみると従来の出札口に加えていくつもの臨時窓口が残っていて、高い天井は空調施設に乏しかった昭和初期の時代を彷彿とさせる。
 当時は駅の中でも公然と喫煙する人が多かった。見上げると曇って天井の梁が霞んでみえたことだろう。

 ホームもベンチも駅務室も当時のままで、まるで廃止された1990年で時が止まったようである。

 大社駅を辞して再び来た道を辿って出雲大社へ参拝する。

 旅行パンフレットを制作していた時期によくフリーの写真素材で目にしたおの石碑やしめ縄が目の前でズーンと聳える。

 しめ縄なんぞこれの下敷きになったら背骨が折れて即死するであろう。

 縁結びの神様なので、とんでもなく堅い絆が永劫に結ばれそうである。



↑出雲大社

 日本最古の独特な建築様式であるこの大社づくりこそ出雲大社の神髄で、その名称が路線名駅名の「大社」を通して広く知れ渡ったのだろう。

 あぁ、廃止になる前に大社線にはやはり乗っておくべきだったのだ。

 悔やんでも仕方ないので社の正面にある観光ストリートで今の観光に浸る。
 大社バーガーという鶏の立田揚げを挟んだハンバーガーをいただく。鶏が水引きの両側に描かれたイラストが添えられているが、聞くまでもなく縁を「とり」もつから鶏なのであろう。

↑大社バーガー

 帰路はサンライズ出雲のシングルを予約済みであるから、時間まで出雲の街を徘徊して失われた時を補うつもりである。

↑出雲市駅


↑出雲そば

↑出雲市駅入場券

 商店街で出雲ワインを仕入れて、出雲市駅舎併設の食事処で出雲蕎麦をいただきサンライズに乗り込む。酩酊して岡山から先は覚えていない。

 硬券入場券を集めはじめた頃は訪れた駅の記念に窓口で買い求める程度の収集趣味であった。


 しかし、ある程度集まってくると持っていない駅のものをわざわざ買うためだけに旅に出かけ、そのために硬券入場券チェックリストという薄い冊子のガイドを持ち歩くようになった。

 これは全国の全線全駅の硬券入場券の発売状況が△や□マークで一覧になっており、各駅について当時窓口で売られているか否かのほか、既に売られていない駅についても無人化や軟券化された日付が記されているいわばとらの巻である。

 そしてこの冊子を手に入れた瞬間から、駅で買うことができなくなった入場券をどうしても欲しくなるのであった。
 こうなると末期で、古銭、切手を扱う趣味の店を訪ね歩き、地下組織のような知る人ぞ知る即売会へ出かけてゆき、オークションでの競りに熱くなる。

 いわゆる病膏肓に入るという状態で自制が利かなくなってくるのだ。

 そうこうするうちに、実際にはまだ訪れていない駅の入場券が手元に増えていった。

 そしてそのまま社会のうねりに翻弄され、趣味を満喫することが次第に少なくなっていった。

↑仙崎駅、川棚温泉駅周辺図


 山陰本線は鳥取よりも西は訪れたこともなかったのに硬券入場券は半数以上集まっていた。

 仙崎駅もそんな駅のひとつで、取り寄せてからおよそ40年実際に訪れることもなく切符だけをしばしば眺めていた。

↑仙崎駅入場券

 2019年秋、中国地方の温泉を訪ね歩く傍でその仙崎駅へ寄る時間ができた。

 早朝に新山口を出て山口線に乗車した後に、益田から山陰本線を西進して長門市に到着。

 長門市から北へ突き出した支線、そのわずか2.2kmひと駅先に終点の仙崎駅はある。

↑仙崎駅

 なるほどこういう駅であったか…

 降り立って周囲を見回すが海の近くで潮の香りもするのだが直接その青を望むことはできない。
 駅前は想像していたよりも開けていて、童話作家の金子みすゞさんの記念館への案内看板がロータリーに掲げられている。

 そんな観光へ足を伸ばす余裕もなく、美祢線に乗って再び山陽本線へ戻らねばならない。

 本日の宿は川棚温泉なのだが、この日は保線工事で終日この区間はバス代行となって時間がかかる。
 なので美祢線を経て下関から川棚温泉を目指すことになっている。

↑川棚温泉駅

↑川棚温泉駅入場券

 川棚温泉街は駅から歩いてゆける距離だがバスも運行されている。
 荷物がそれなりに重いのでバスのお世話になり川棚温泉小天狗さんへ荷物を預ける。

 ご厄介になる前に名物の瓦蕎麦を食べに出かけた。
 瓦蕎麦はここの名物で、茶蕎麦を熱した瓦に乗せて供するためところどころお焦げ状になって本来のコシのある歯ごたえとパリパリした食感の双方が楽しめる。

↑瓦蕎麦

 川棚温泉はナトリウム、カルシウム-塩化物泉だがラドンの含有量も規定値を上回っていて、ぬるめの名湯は源泉掛け流しで24時間入浴できた。




 山陰は遠いが訪れてみるとその甲斐のある景色やふれあいに満ちていた。
 想像が及ばない世界には驚くべき発見が必ずあるのをこの歳にしてあらためて感じた旅であった。