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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、かつて宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』が公開された当時、その中の喫煙シーンに対して、日本禁煙学会が苦言を呈したことがありました。
それは、未成年者に対して悪影響を及ぼすというものでした。
この日本禁煙学会の抗議については、それを批判する声が多く、その理由としては「表現の自由」を挙げる人が多かったようです。
しかし、表現の自由を盾に取れば、日本禁煙学会の抗議も言うならば表現の自由ということになり、それに対する反論自体が論理の矛盾を来していることになってしまいます。
もちろん、日本禁煙学会の言う通り、人間は、環境の影響を受けます。
ただし、それは、その人が自らの環境にどのような意味づけをしたかによって変わってきます。
今回の件で言えば、煙草を吸うシーンをカッコいいと思う子もいれば、何も思わない子もいるでしょう。
では、カッコいいと思う子は、すべて煙草を吸うようになるかと言えば、そうではなく、その子が煙草を吸うという行為に対してどのような意味づけをするかによっても変わってきます。
重要なことは、子どもへの悪影響をすべて除外しようとすることではなく、子どもの判断能力をもっと信頼するということではないでしょうか。
大人は、あまりにも子どもの能力を過小評価し過ぎています。
その証拠に、親は、子どもの能力を信頼せず、常に子どもの行動を先回りして何でも禁止しようとします。
その結果、子どもは、自らの行為から学び判断する機会を奪われてしまうのです。
そうして、子どもは、親に信頼されない自分を自分自身でさえも信頼することが出来ず、自己を肯定することが出来なくなってしまうのです。
そのことが、体に害のあることをするのがカッコいいことだという歪んだ意味づけをするようになり、結果的に煙草を吸うという行為に及ぶことになったりもします。
子どもは、決して何もない白紙の状態で生まれて来るのではありません。
生れたときから環境に適応するような能力を持って生まれてきます。
赤ちゃんは、泣くという機能によって自分の要求を通すことを知っています。
また、子どもは、親から教えられなくても、駄々をこねるということによって自分の要求を通すことを知っています。
子どもは、成長しながら、状況に適応する方法を学び判断していきます。
それゆえ、親が子どもを信頼していれば、その信頼に値するような判断をするように子どもは成長します。
もし、子どもが親の信頼に背くような判断をしているとするならば、それは、親自身が子どもを心から信頼していないことに他なりません。
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