ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、このブログで何度も書いていますが、アドラー心理学の考え方の基本には、
「すべての人間の行動には、目的がある」
という目的論の考え方があります。
この場合の行動とは、外面的に表れる行為という意味だけではなく、人間の思考や感情など、内面的な動きも含めて行動という言葉で表しています。
つまり、思考・感情・行為のすべてをひっくるめて行動と呼んでいるわけです。
従って、人の行動に目的があるということは、
その外面的な行為だけではなく、思考や感情にも目的があるということを意味しています。
例えば、あなたが自宅のリビングで本を読んでいる時に、あなたの周りで子どもたちが騒いでいたとしましょう。
あなたはそのことに腹を立て、
「うるさい、静かにしろ!本を読んでいるのがわからないのか!」
と怒鳴ったとします。
一般的には、このような時には腹を立てるのが当然で、怒鳴るのも仕方がないと思われるでしょう。
そして、この怒りこそが自分の本音だと思われることでしょう。
しかし、果たしてそうでしょうか?
このような状況で腹を立てる方は、たいていの場合、
「私が本を読んでいる時には、周囲の人たちは静かにすべきである」
というような考えを持っていらっしゃいます。
そして、この思考が、自分の周囲で騒いでいる子どもたちに腹を立てるという感情を惹起させ、それが限界に達するや、怒鳴るという行為を起こさせます。
つまり、これらの思考・感情・行為という一連の行動には、ある一定の方向に向かう目的があることがわかります。
それは、相手との競争に勝ち、相手を支配し自分の思い通りにするという目的です。
このような目的があるがゆえに、「私が本を読んでいる時には、周囲の人たちは静かにすべきである」という考えを抱くことになり、周囲で騒ぐ子どもたちに腹を立て、怒鳴るという行為を取るのです。
残念ながら、「人が本を呼んでいる時には、静かにしなければならない」という義務はありません。
もしあるとすれば、それは、「人が本を読んでいる時には、静かにしてあげよう」という協力の姿勢です。
また、そもそも人間関係に競争意識を持ち込み、相手を支配し自分の思い通りにするという目的は、他者との関係を築く上では、明らかに不適切な目的です。
しかし、多くの人たちが、人間関係においてこのような不適切な目的を持ち、その目的によって化粧された思考や感情を本音だと思い込んでいるのです。
以前にも述べた通り、本当の意味の本音とは、ある状況に対して自分が感じた純粋な感想です。
従って、自分の行動の不適切な目的に気づき、その目的という化粧を落とせば、その下から純粋な感想である本当の意味の本音が姿を現してくるのです。
そして、その純粋な感想である本音を口にすれば、他者とのコミュニケーションはもっとスムーズになるのです。
先の例で言えば、純粋な感想である本音とは、「私は本を読みたいので、静かにして欲しい」というようなものでしょう。
そして、この言葉を子どもたちに言えばいいのです。
しかし、こう言うと、ほとんどの親の方が、次のように反論されると思います。
「そんな言い方では、子どもになめられてしまう」と。
もしあなたが子どものとき、ご両親から真剣な顔をして、「私は本を読みたいので、静かにして欲しい」と真摯に頼まれたら、あなたはご両親を馬鹿にしたり、なめたりしたでしょうか?
おそらく、喜んで協力したのではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
心理学教育の必要性と『気づきの思考法』を広める活動をしています。
↓ご協力のほど、よろしくお願いします。
自分を変えたい、人生の迷路から抜け出したい、
そう思う方は、
『気づきの思考法テキスト』を読んでください。
→詳しくはコチラ